第十五話「あこがれの光」
「あ、あの、私はセトと言います……男の人……ですよね? 貴方のお名前は?」
「くr――『ユウ』だ」
ひとまずベンチに腰掛けると、セトというらしき少女が名前を聞いてきた。
思わず『くろみゃー』と名乗り掛けるが、流石にそれはまずいと言い直す。
とっさに名乗ったのは、この世界に来てからは一度も名乗ったことない名前。
――かつて、日本で暮らした頃に両親から貰った名前だった。
この先、この世界では使うこともあるまいし、呼ばれれば自分と反応できる。
とっさに使う名前としては上々だろう。
「ユウさんですか……その……ありがとうございました」
セトは、両目を閉じたまま顔をこちらに向けると、なぜか一瞬不思議そうに首を傾げながら、上下に見比べた。
しかし、それも一瞬のことで、すぐにそのまま静かに頭を下げた。
「なに。私は声を掛けただけにすぎん。――しかし、尋常な様子ではなかったが、一体何があったのだ?」
個人同士のトラブルに首を突っ込む趣味は無いが、ここまで関わってしまっては多少事情を聞いても許されるだろう。
「――ちょっと怒らせてしまって……」
「『ちょっと』などと言って居られるような状態ではないように見受けられたが? それに、抵抗もしていないように見えたのだが……」
「その……それは、私が、身の丈に合わない温情を賜っているから……いえ、やっぱりなんでもないです」
――ふむ。あまり詳しい事情を話したくはないということか。
言いよどんだセトの様子に、なんとなく察する。
しかし――随分と沈んだ顔をしている。
こういう顔をしている時、十中八九『何でもない』ということはない。
むしろ、納得がいかない理不尽に遭遇しながらも、『自分が悪いのだ』と無理矢理に納得するために勝手に自分を責めている時に浮かべがちだ。
もし、目の前の少女がそんな悩みを抱えているのであれば、多少なりとも関わったものとしてなにか助言の一つでも送ってやりたいところだ。
だが、事情がまったく分からないのでは的を射た助言など出来ようはずもない。
「先ほどの女性は知り合いなのか?」
――話しやすそうな所から話して貰うとするか。
きっと先ほどの現場を見られたことで、目の前の気弱そうな少女は少々バツの悪い思いをしているはずだ。
その中で、世話になった人間の質問を一度質問を誤魔化した。
ということは、それよりも軽い質問であれば応えて貰いやすいはずだ。
もしも、この質問に『なんでそんな事答えないといけないんですか?』などと突っぱねるタイプであればそこまでだ。
詳しく聞き取ってやる義理もない。
……しかし、先ほど目撃した光景に理があるとも思えないのだ。
少々遠回りになったとしても、話を聞いてやることでなにか意味があるようであれば聞いてやりたいと思うのが人情だろう。
「はい……」
案の定、セトは私の質問に少し気が引けた様子ではあったが答えてくれた。
そのことで、ひとまず私は、目の前の少女が不義理な輩ではないという確信を持つ。
今度はきちんとセトの話を聞く姿勢をとりながら、先を促す為に口を開いた。
「どういう間柄なのだ?」
「ちょっと……その……色々あって……あの、あの子のこと教会に――ユーニラミア教会にもユルキファナミア教会にも報告したりしないであげてください……ッ!」
セトは、先ほど自分が酷い目に遭っていたにもかかわらず、私に縋るように、暴力をふるっていた少女を気遣うようにこちらを口止めしてきた。
――ん? 『ユーニラミア教会にも、ユルキファナミア教会』にもと言ったか?
所属教会に対して報告しないで欲しいというのはなく、わざわざその二つの教会の名前を挙げたと言うことは……
――なるほど。
そう考えれば、目の前に居る少女――セトと、乱暴していた少女の服装が微妙に違うことにも納得がいく。
「所属教会が違うから、両方とも報告されると困るという訳だな」
「そうです……私は、見ての通りユルキファナミア教徒ですから……」
予想に過ぎなかったが、どうやら私の考えはあっていたらしい。
ということは、あの暴力をふるおうとしていた輩の方がユーニラミア教会の人間と言うことか。
だが、ここはユルキファナミアの教会のはずだ。
何故部外者のユーニラミア教会の人間が暴力沙汰を起こしているのか。
もし、目の前の少女を目的に侵入してきたという事であれば、その執念は驚異的であると言えるだろうし、今後のことを考えて、教会自体のセキュリティを疑わなくてはならない。
教会の安全対策が十分でないせいで、ラリカが被害を受けるという状況だけは御免被りたい。
「……わざわざユルキファナミアの教会まで侵入してきたのか?」
「……え? あの……ユウさんはこの教会の人間ではないんですか……?」
セトは表情を驚きに変えると、ずいとこちらに身を寄せながら、私に慌てた様子で問い掛けてきた。
「そうだが……なぜ分かったのだ?」
――なにか、まずったか?
セトの反応に、冷や汗をかいた。
どうやら、私はこの教会の人間であればすぐに分かる失言をしてしまったらしい。
万が一にも、体に触れられないように、私は少し距離を取ると警戒しながら問い返した。
「あ……その、この教会の人なら、ユーニラミア教会からフィディア……フィディア=ヴェニシエスに同行している方がいるのは常識だから……」
なるほど。単に私が常識知らずだったというだけか。
「そういうことか。なに、察しの通り私は旅のものでな。今日この国に来たところなのだよ。なにしろ聖国のユルキファナミア教会にはなんとしても一度来てみたいと思っていたから、遠方からまかり越した次第だ」
――嘘は、言っていない。
前々から、聖国という場所に興味があったのは事実だし、ラリカの所属する教会の総本山を見てみたかったのは本当だ。
ただ、こう言っておけば、物見遊山の観光客だとでも思ってくれるだろう。
「ユウさんもユルキファナミア教徒なんです……よね……? でも、なんでこんな時間に……? もう外部の人は入ってこれない時間のはずなのに……」
セトが不審げに首を傾げている。
その口調は不審そうではあったが、特に責める気配は感じず、単に疑問を口にしているといった様子だ。
これなら、適当になっとくでき『そうな』理由さえ言えば大丈夫。
「レシェル=バトゥスに少々縁があってな。拝謁したところ、しばらく滞在するように言われたのだよ」
「バトゥスにですか……!? あの、ひょっとして、ユウさん……ユウ様はいずれかの名のある教会の方なのでしょうか……?」
「そんな事は無い。ただの旅人だ」
なにやら、セトは顔を青ざめさせて、私の地位を聞きたがったが、そんなものは持っていない。
――いや、そういえば、ミルマルはすべてユーニラミア教会で『エクザ』という位階を持っていると聞いたが……
まあ、この際それは無視しても良いだろう。
「――わ、分かりました……今日、私が会った『ユウさん』は、『ただの旅のお方』と……」
ただ、セトの方は私の言葉を額面通りには受け取らなかったらしい。
いっそ悲壮な表情を浮かべながら、絶対に秘密を守るといういった物わかりの良さそうな態度で唇を引き結び、深く頷いて見せた。
……どうやら、盛大な誤解があるようだが、この誤解はそのままにしておいた方がよさそうだ。
私の事を『お忍びの偉いさん』とでも思っていれば、そう易々と今日のことを口外しないだろう。
「――よろしい。ではそのように」
私は、さも物わかりの良い人間を口止めする悪役のような雰囲気で言ってのけるのだった。
――夜の気配に当てられてか、この世界に来てから中々なかった状況にか、少し悪ノリしているのは否定しない。
「はい……」
セトが、肩を縮こませながら、こくこくと首を縦に素早く振った。
すると、セトの髪の毛が揺れ、頬に微かに血が滲んでいることに気がついた。
「――そういえば、怪我は大丈夫なのか? 少々血が滲んでいるようだが?」
「はい……ちょっとした擦り傷です……ありがとうございます」
頬の傷を軽く触りながら、セトは大丈夫だという。
ただまあ、若い娘が顔に傷を作っておくというのは、少々よろしくないだろう。
「――どれ、少し見せてみろ」
そういって、治癒術式を組み上げて発動する。
擦り傷を治すだけだが、他の傷があってはいけない。
普通よりすこしだけ多めの魔力を注ぎ込み発動する。
一瞬で魔法陣が展開され、セトのほっそりとした肢体を、役目を負わされた魔力が術式を通して展開され、傷を修復していく。
セトは、治癒魔法を掛けられたことに驚いたように表情を強張らせている。
――ああ、確かに見ず知らずの人物から、しかも目が見えない中で急に術式を展開されれば恐怖を覚えるのかも知れない。
「ああ、単なる治癒術式だ。安心しろ」
「私などのために勿体ないご厚意……痛み入ります」
セトが、深々と頭を下げながら礼を述べる。
どうやら、私の事を高僧と思い込んでいる事で少々過敏になっているようだ。
「そんなに硬くならないでくれ」
「……わかりました。随分、術式の展開が……早いですね」
「そうか? あまりそんな自覚はないが……」
セトが、感心したように私の事を褒めるが、正直あまり実感の湧かない指摘だ。
ラリカのように術式の構築をすっ飛ばして発動したのならともかく、今使ったのは正規の手法に基づくものだ。
特に早いという実感はない。
――リクリスも、クロエもシェントでさえも、これくらいの速度か、ひょっとしたらそれよりも早い速度で魔法を構築していた。
「……外の世界は、上手く魔法が使える人がたくさんいるんですね……」
ぽつり、と呟くようにセトが言った。
それは、どういう意図での言葉だったのか、そもそも、私に向けての言葉なのかさえ怪しい言葉だった。
ただ、その言葉には、紛れもない『憧れ』を感じる。
――それは、ごく最近どこかで、月夜の下、赤い瞳の少女から聞いたものを彷彿とさせるような憧れだった。
「……今日の星は、綺麗ですか?」
しかし、セトは宙を仰ぐように瞳を閉じたまま顔を傾けながら、そんな事を言った。
そんなセトに釣られて私も宙を見上げる。
わずかに浮かんだ雲の間に、無数の星々が大気の揺らぎを受けて瞬いている。
「――そうだな。雲が少々。しかし、星はよく見えるな」
「そうですか……」
――これは、光への憧れか。
その切なげな、締め付けられるような言葉を聞いて、さっきの言葉に含まれていた憧れが、私の主人が抱いていたものとは別種だということに気がついた。
かつて私が居た世界にくらべ、医療や介護の発達していない、障害者支援などという言葉もろくに無い世界で。
目が見えない少女に取っての『自身の世界』というのは、ほんの僅かな空間を示しているに過ぎないのだろう。
『かごの中の鳥』という表現がふと頭をよぎった。
どうやら、この鳥は外からやって来たしがらみのないよそ者に、ついつい何かを伝えたくなるほどになにかを抱え込んでいるようだ。
「――失礼だが、目を患って長いのか?」
随分失礼な問いだ。初対面でするべきものではないだろう。
それに、聞いたところで何か出来るわけでもない、単に自己満足な問いに過ぎない。
それでも、私は思わずそう問わずにはいられなかった。
――この子は、この子の世界は、ずっと小さく閉ざされてしまっているのか。
――それとも、いつからか閉ざされてしまったものなのか。
「――物心ついてからは、ずっと……」
少女は、宙を見上げたまま、ただ淡々と答えた。
だが、よく見れば微かに唇がわなないている。
そこに、見たことのない世界に対する悔しさが微かに滲んでいるように感じた。
「――そうか。すまない」
「ユウさんが、なんで謝るんです……?」
思わず謝罪を口にした私に、セトは不思議そうに首を傾げた。
「……悪い事を聞いた」
「ああ、そんなこと、いいんですよ……あ、そうだ」
セトは、謝る私に微笑むと、なにか飛びっきりの秘密を告白するように、両手を合わせた。
「――私、一つだけ『見たことがある』光景があるんです」
「どういうことだ?」
「私の目が見えなくなったのは、遺物の呪いのせい……らしいんですけど……多分その前……凄く広い満点の星空に、私を覗き込む女の人の顔……私の妄想かも知れないけど、見たことがあるんです……」
「そうか」
ひょっとしたら、その女性はこの子の母親かもしれない。
あるいは、通りがかった全くの見ず知らずに人間かもしれない。
それでも、楽しそうに、切なげに、悲しげに語る少女に、他になんと返せば良いのか。
「だから、だから……私、こんな目ですけど、ちゃんと、ちゃんと人の顔だって……見たことあるんですよ? どんな形かだって、ちゃんと分かってるんですよ……?」
精一杯の虚勢を張るように、セトが苦しそうに楽しそうな声を吐き出している。
――私は、そんなセトに掛ける言葉がなく、ただじっと震える少女が落ち着くまで見つめていた。







