第十四話「夜の帳を越える声」
『夜の帳が下りる』と言う言葉がある。
日が落ち暗くなり行く様を、帳を下ろすのに見立てて言った言葉だが、夜の帳が下ろされて、『たそがれ時』を超えたこの時間は、布を隔てた向こう側だ。
皆が寝静まり、誰かが何かをしたとしてもその事実を覆い隠し、人と人との出逢いも、一枚隔てた姿の知れない声の主の如く、曖昧なものとしてしまう。
しかし、もしも人が初めから視覚に頼らずにいたのなら、曖昧な出逢いも実体を持つのかも知れない。
そして、その時に見える実体は、ひょっとすると普段私達が見えているものよりも、余計なものを含まない、純粋な『実態』を映し出していることだって、あるかもしれないのだ。
「――でも……それじゃあ……ユウさんは、外の人……なんですね……」
「そうだ」
『やってしまった』という後悔に苛まれつつ、現実逃避をしていると、隣から聞こえる声が静かに、しかしやけに楽しげに弾んでいるのが分かった。
「……もし、迷惑じゃなければ、外のお話しとか聞いて……いいですか……?」
「ああ、旅と言ってもまだ出たばかりでな。正直、語って聞かせるような話は持ち合わせていないのだ」
声の主の少女は、なんとか整えようとした努力の見える、サイドに強い癖っ気のある髪をぴょこぴょこと跳ね上げながら、私との会話を続けようと先ほどからしきりに話題を振ってくる。
どうやら、想定していなかった出来事に、少々興奮しているようだ。
目をつぶり、話続ける頬が、僅かばかり紅潮している。
私は先ほどから、なんとか話を切り上げて、早々に退散しようとしているのだが、そのたびに少女が縋るように話題を振ってくるので、退散する機会を失していた。
――子供に頼られると、どうにも見捨てづらいというのも否定しない。
「そうなんですね……私は……この教会しか知らないから。聖国のことでも、他の町とか、他の人の生活とか、どんなことでも聞いてみたい……です」
「あ、ああ……他の町の生活か……」
そんな訳で、先ほどからずっとこのような調子で、目の前の少女とのんべんだらりと会話を続けているのである。
しかし、よりによって、この世界の常識というものを知らない私に、生活を語って聞かせろとせがむとは……
ここで他の町の生活を知らないと言えば、目の前の少女に、妙な勘ぐりをされかねない。
ただ幸いなところは、この少女はあまりこの世界での『一般的な生活』というものは知らないようだ。
ならば、適当に語っていれば……
――当座はしのげるかも知れない。
どちらにせよ、この出逢いは突発的な物。もう、この少女に関わることもないだろう。
――ああ、しかしどうしてこんな面倒なことになったのか。
改めて考えてみれば、妙な義侠心を出してしまったのと、目の前の少女の『性質』を想定していなかった。
それに尽きるだろう。
――軽率な判断だったと言うしかあるまい。
そうして私は、先ほどから『目をつぶり』、『声だけを頼りにこちらの方を見つめる』少女に向かって、話し始めるのだった。
「そうだな――では、他の町では水路はあまり発達して――」」
……こんな事になった理由。
発端は、ほんの三十分ほど前に遡る。
***
――夜半過ぎ、周りの暑さに目が覚めた。
最近のラリカは、寝るときに私を抱きしめながら眠る癖がついてしまったらしい。
偉そうに『よし、今日もお前を暖房器具代わりにしてやります』などと虚勢を張ったことをいうので、『抱き枕ではないのだぞ?』などとからかってはみたことがある。
だが、その時の『冗談ですよ』と笑いながらも、どこか人恋しそうな様子に、すぐに胸が締め付けられて後悔する事になった。
それからは、毎日ラリカの抱き枕代わりに抱きしめられているという訳だ。
段々と一人と一匹分の熱気に温度を上昇させてきた毛布の中の熱気に耐えかねて、目が覚めたらしい。
――日本に比べて涼しいとは言え、そろそろ暑さが増してこようかという時期に、暖房器具の代わりだというのは、些か無理のある言い分だと思う。
寝ぼけ眼をどうにかこうにか見開きながら、僅かに寝汗をかき、しっとりと湿度の高い毛布からもぞもぞと抜け出していく。
毛布から抜け出して、隣で眠るラリカの寝顔を見てみると、熱気に頬が赤らんでいた。
頭を毛布から出している分、私より幾分かマシのようだが、これでは少々寝苦しかろう。
風邪を引かないように、ごく優しい微風を魔法で起こして、ラリカに向かって送ってやる。
しばらくそのまま見つめていると、少し寝苦しそうにしていたラリカの表情が和らいだ。
――まったく、本当に、強い子だ。
今日一日。聖国にやってきてからの事を思いながら、つくづくそう思う。
辛い恐怖を経験し、今もこんな風にふとした拍子に不安げな様子を見せている。
でも……それでも、こうして彼女は強がりながら、少しずつ進もうとしているのだ。
――いくら怖がってもいい。
――後悔だってしてもいい。
人生において、悔やむことや辛いこと、中々忘れられない事など、これからいくらでも出てくるだろう。
だが、こうして乗り越えるという事を覚えたのであれば、後はその重圧につぶされないように私達が後押しをしてあげればよい。
この子は、それだけの強さを持っていると証明したのだから。
……少し、目が冴えてしまったな。
窓から見える、月影を見てなんとなく夜風に当たりたい気持ちになった。
四角く切り取られた空の下、それはちょうど、幼い頃に誰かと見た月に似ている気がした。
***
ラリカを起こさないように気をつけながら、部屋を抜け出した。
――思えば、この世界に来てからというもの、ラリカと行動することがほとんどで、こうして一人で出歩くという事はあまりなかった。
そうなると、たまの夜更かしを経験した子供のような高揚感を覚えた。
足音のしない、静かな歩みで夜の教会を歩いて行く。
この世界の基準で考えれば、この教会には多くの照明が設置されているようだ。
ぽつぽつと光を放つ鉱石が、飾りの施されたランプとして廊下を照らし出している。
しかし、それでも、科学文明に慣れ親しんだ身からすると、その光量は随分と寂しく感じる。
ただそれでも、今日の私にとっては、ぽつぽつと暗がりの存在し、夜を感じる今がちょうど良かった。
中庭に出ると、一層照明の数が減り、月明かりだけを頼りとするように、あちこちに影が落ちている。
そんななか、目を閉じれば夜を、潮の香りが混じった涼しい風が、私の左右の髭を揺らして抜けて行き、仄かに郷愁を感じさせる。
――ああ、そういえば……
「――! ――――っ。!、っ!」
――どうやら落ち着いて物思いに耽ることも出来ないらしい。
私の感傷を邪魔するように、誰かの言い争うような声が聞こえた。
深夜に声が響かぬように配慮されているらしい声は、おそらく鋭敏な聴覚を持つ私でなければ聞き取ることはなかっただろう。
ただ、随分と荒立ち興奮したような色を滲ませる声は、私になにか異常事態でも起こっているのではないかと感じさせるに十分だった。
やっかいごとの類いかも知れないとも思ったが、ちょうど脳裏をよぎったのがシェントの姿だった。
――もし、ここで何も知らない振りをして、そのまま立ち去ってなにか事件が起こるようであれば、それは随分と目覚めが悪い。
……それに、万が一それでラリカが悲しむような事があってはいけない。
そう思い、私は声のする方へと歩み始めたのだった。
***
「――アンタ、なんで――そんな――にしてんのよ。――知って――ミシェル様――ユーニ――フィディ――」
声に近づくにつれ、叫んでいるのがまだ十代ほどの少女のものだと分かった。
しかし、『揉め事』――というよりも、一方が食ってかかっているようだ。
物陰から声のする方を忍び見ると、人目をから隠れるように、庭木の生い茂った後ろで、気の強そうな少女が、大人しそうな少女の胸ぐらを掴み、今にも締め殺さんとするかのように鬼気迫る形相で迫っていた。
二人とも、教会の関係者なのだろう。
意匠はそれぞれ違うものの、ともに教会の修道士達が身につけるような、スカプラリオに似た服装に身を包んでいる。
見ている間にも、段々とその勢いはエスカレートしていき、気の強そうな少女は、先ほどからろくに抵抗する様子を見せず、ただ苦悶に顔を歪める少女の髪の毛を鷲掴みにした。そのまま、どこからか取り出した小ぶりの刃物を掴み上げた少女の喉元に取り出し、突きつける。
髪を掴まれた少女の方は、一層顔を苦痛に歪め、『――ッ痛い……』思わずといった様子で、呻き声を上げた。恐怖からか、痛みからなのか。閉じられた瞳の端には微かに涙のようなきらめきが浮かんでいる。
――いかん。
事情は分からないが、流石にこの状態で放っておく訳にはいくまい。
ひとまず事態を落ち着けなくては、と介入する事に決めた。
ただ、こんなところで安易に攻撃魔法の類いを使っては、どこの誰に見とがめられないとも限らない。
少なくとも、誰がその魔法を放ったのか、痕跡から犯人捜しでも始まっては目も当てられない。
……幸い、人目を忍んでいるという事は、誰かが来れば立ち去る可能性が高い。
ならば、ここは一目撃者として声を掛け、自発的に退場願うのが最善か。
幸い辺りは闇の中だ。
この暗さなら、誰が声を発したかまでは分かるまい。
仮に辺りを探しても、そこに居るのはミルマルばかりである。
そう結論づけて、大きく口を開いた。
「――オイッ! そこで何をしている――ッ!」
私が怒鳴りつけるつもりで叫び声を上げると、髪の毛を掴み上げていた少女は、慌てた様子で少女の胸ぐらと髪の毛を手放し、その場から走り出した。
――追いかけるべきか?
一瞬考えたが、今回は王都の事件とは性質が違う。
相手は教会関係者らしきことは分かっているし、ここでむやみに追いかけても、私の正体を知らせるリスクを上げるだけだ。
ひとまず先ほどからコホコホと苦しそうにむせる、地面に倒れ伏した少女の様子を確認する方が先決だろう。
「――大丈夫か?」
姿を捕らえられない位置から声を掛ける。
これで問題が無さそうなら、早々に退散するのが吉だろう。
「ありがとうござ、ます……こほっ……そのっ…ッ…ケホ……大丈夫です」
まだ、呼吸が整わないのか、苦しそうに喉を押さえながらだったが、少女は問い掛けにこたえた。
随分静かでか細い声だが、涼やかな印象を受ける綺麗な声をしている。
――この様子なら、ひとまず大丈夫そうだな。
その様子を見て、命に別状は無さそうだと判断した私は、足音を立てずに立ち去ろうとする。
「……あ、待って――っわ!」
足音は立てていなかったはずだが、少女は何故か私が立ち去ろうとしたのに気がついたらしい。
慌てて立ち上がろうとしながら、目の前にあった植え込みとの段差に蹴躓き、盛大に植え込みに向かって倒れ込んだ。
「大丈夫かっ!?」
あまりに派手な倒れ込みように、立ち去ろうとした足を止めて近づいてしまう。
そして――少女の様子がおかしいことに気がついた。
何もない空間に手を彷徨わせ、うつぶせに倒れ込んだ状態で周囲をまさぐっているのだ。
その仕草は、昔日本に居た頃に見覚えがあった。
目の見えないものが、周囲を探る仕草に酷く似ている。
まさか、植え込みで眼球に傷でも――大怪我の可能性に思い至って、血の気が引いた。
――もし、そうであれば大事だ。
すぐにでも治療しなくてはならないだろう。
一瞬、放っておくかと悩むが、すぐに治療する方が大事と結論づけた。
少々姿が見られるのは覚悟の上で少女に近づいていく。
願わくば、助けられた恩義を仇で返すような人物でないことを祈ろう。
「だ、大丈夫です……」
少女は、植えられた樹木を頼りに、微かに震える足に力を入れながら立ち上がった。
それでも、まだ自分がどこにいるのかも把握できていないのか、もたれかかっている木の表面をぺたぺたと触り、周囲の空間に片手を伸ばしている。
見たところ、顔に外傷があるようには見えない。
それに、本人も目の見えないことを気にしているようも見えない。
どうやら、元々盲目の少女だったようだ。
――しかし、そうなると流石にこの状態で放っていく訳にもいくまい。
今度こそどこかに躓いて大怪我になっては目も当てられない。
「――左手を左斜め前の方に伸ばせ。そこの壁に沿って真っ直ぐ進めばベンチがある。そこで一旦座って落ち着くといい」
「あ、ありがとうございます……」
盲目であれば、相手はこちらの姿形は分からないはずだ。
距離を取りながら誘導し、他の通行人にさえ気をつけておけば良いだろう。
若干のあきらめに似た気持ちを持ちながら、私は少女をひとまずの安全地帯へと誘導するのだった。







