第十一話「ラリカ=ヴェニシエスは大丈夫と確約した」
「フィディア=ヴェニシエス。お加減は大丈夫ですか? ずっと治療に付き添われていたのでしょう?」
ラリカが心配そうでありながら、心なしかきらきらとした尊敬を感じさせる表情で、椅子に腰掛けたフィディアを介抱している。
「……ッ! ~~ッ! 大丈夫ッ、……大丈夫よ!」
「――そうですか。良かったです。きっと張り詰めていた気が少し緩んだのですね。 ――恥ずかしい話なのですが、私も経験があります」
心配されたフィディアは、振り上げた拳を振り下ろす先を見失ったかのように、しばらく声にならない声を上げていたが、少しは感情を落ち着かせたらしく諦めたように弱々しくため息を吐き出した。
ラリカは、そんな変わらずどこかつっけんどんなフィディアの返事に、両手の指先を胸の前で合わせて、春先に咲き誇る花のような笑みを浮かべた。
「……ここのところ、治療で忙しかったのは確かだけど、倒れるほどじゃないわよ」
今度こそ、完全に毒気を抜かれてしまったらしいフィディアが、微かに唇をとがらせ、ラリカから少し顔を背けながら呟いた。
「ええ。ええ。分かります。倒れるまで、倒れるほどとは思わないのですよね! 気がつくと世界が歪んで見えて『あ……』と思ったときには床に倒れていますよね!」
ラリカはそんなフィディアの様子を見ながら、照れ隠しとでも思ったのか、妙にニコニコと笑いながら同意する。
――いや、ラリカは同意しているが、私には非道くすれ違っているようなに見えるのだが……
そう。そうだ。
どちらかというと、先ほどのフィディアの反応は、『此処であったが百年目~』とかそっちよりの物に見えた。
ちょうど、長年追い求めていた仇敵に出会って、血圧が上がりすぎたように見受けられたのだ。
しかしまあ、二人――というより、フィディアの方には、なにやらラリカに思うところがあるようだが、ラリカに完全に調子を狂わされ唇をとがらせている姿を見るに、この少女も悪人だとは思えない。
もしも、教会同士のつながりと言った厄介な事情がないのであれば、子猫同士が喧嘩の練習のためにじゃれ合っているような物だろう。
――ひとまず今の段階は、ラリカ自身で対処できそうか。
もちろん、何か起こらないかと十分に今後も注意する必要はあるだろうが、これも一つのラリカの成長の切っ掛けだろうと内心見切りをつけていた。
そう……それよりも……ラリカめ。
今までもそうではないかと思っていたが、やはり時々強制終了させないと倒れるまで続けるタイプだったか。
――むしろ、ラリカの会話の方が気になってしまったではないか。
今度からは絶対にストッパーとならなくてはと内心決意を新たにするのだった。
「――いっやー、フィディア=ヴェニシエス。お目にかかれて光栄ですよー。あ、私はさっきラリカ=ヴェニシエスから紹介いただきました、フィック=リスと申しますー。王都のユルキファナミア教会で司書をしてましてー。あ、でもでもーその前は、こっちのユルキファナミア教会に居たんですよ――」
先ほどまで黙り込んでいたフィックが、空気を読まない口調でフィディアに向かって話しかける。
妙に手振りを大きくしながら焦ったように話しかけているが、あれはもしや二人の間の微妙な空気を少しでも柔らかくしようとしているのだろうか……?
「――あら、貴女が王都の。初めまして。フィディア=ヴェニシエスよ。フィック=リスに智の祝福を」
「あー、これはこれは……感謝します。フィディア=ヴェニシエスに炎による輝きを」
先ほどからラリカに話しかけていた時とは打って変わって、フィディアはにっこりと高位の聖職者らしい笑みを浮かべながら、フィックと挨拶を交わしている。
「それで……フィディア=ヴェニシエス。体調が優れないところ早速で申し訳ないのですが……」
「……『死神に魅入られた子』の事ね」
「はい。不肖私もなにか治療のお手伝いをさせていただければと」
フィディアの体調のことを気にしているラリカはフィディアに向かって申し訳なさそうに声を掛けた。
ラリカがこの場所に来ている時点で、声を掛けられたフィディアはすでに用件を察していたらしい。
渋々と言った調子で、ラリカの言葉を引き取った。
――どうやら、このフィディアと言う少女も、先ほどからのわかりやすい態度の割にはかなり頭の回転の早い少女のようである。
「確か、ラリカ=ヴェニシエスは『死神に魅入られた子』の治療経験がおありだとか」
「ええ。――ですから、微力ですが、力になれることもあると思うのです」
表情を引き締めなおしたラリカが、フィディアに向かって助力を申し出た。
――フィディアはラリカを値踏みするように。
――ラリカは絶対に患者を助けてみせるという意思を示すように。
都合、正面からお互いの視線が間近で向かい合う事になった。
「……分かったわ。ラリカ=ヴェニシエス。協力、していただけるかしら? ――私より……貴女の方が確かなのでしょうから」
「はいッ! 全力を尽くさせていただきますよッ!」
しばらくの間見つめ合っていた二人だったが、やがて根負けしたのか、フィディアがラリカの申し出を受け入れた。
その返答に、ラリカは意気込んだように片手をぎゅっと握りしめている。
どこか憂鬱そうに顔を伏せているフィディアとは対照的だ。
「――行きましょう。どうぞ、皆様こちらに」
すべての感情を押し込むように、フィディアが努めて事務的な口調で話しかけながら立ち上がった。
我々も、後を続き療養所内を進んでいく。
道すがら、ラリカは時々後ろからこっそり身をかがめ、フィディアの横に顔を覗かせては、心配そうにフィディアの顔色を見ていた。
どうやら、出会い頭に倒れかけたのがやはり気になっているらしい。
「こちらです」
フィディアは、一室の前で振り返ると右手を伸ばして閉じられた扉を指し示した。
「ありがとうございます。これから少し診察させていただきますが、フィディア=ヴェニシエスはいかがされますか?」
ラリカは案内してくれたフィディアに大きく頷き、承知したことを示しながらも、フィディアのことを気遣ったのか、フィディアに同席するのかと確認した。
「――私は、ご一緒してはいけないのかしらッ!?」
一瞬、フィディアはラリカの言葉を『貴方は同席しなくてもいい』と取ったのだろう。
幾分か、むっとした表情を浮かべたように見えたが、すぐに表情を押し殺した。
しかし、やはりその問い掛ける口調はやはりどこか攻撃的に聞こえる。
「いいえ。分かりました。正直非常に助かります。ただ、あまり大勢で押しかけてはかえって患者の負担になりかねません。――フィック=リスはこちらで待っていてください」
患者のことを気遣ったらしいラリカは、くるりとその場で後ろを振り向くと、フィックに向かってその場に残るように伝えた。
「りょーかい。しっかり診てきてあげてねー! フィーックさんは、ここで寂しく自分の影と戯れているから、ゆーっくりしってきてくっださいねー」
その場に残るように言われたフィックは、特にその事を気にした様子もなく、応援するように両手を振り上げながら、片目を閉じて戯けながらウィンクをしてみせた。
そんな賑やかなフィックの仕草に、ラリカは呆れたように微笑んだ。
ラリカのどこか力の抜けた笑みを見て、ラリカが本当は少し緊張していたらしかったことに気がついた。
先ほどまでも、フィディアに比べて随分余裕があるように見えていたが、それでも少しずつ緊張を高めていたようだ。
それが今は随分と肩の力が抜けて見える。
――もしや、フィックはこのことに気がついていて、わざと道化を演じているのだろうか?
確かに、フィックはいい加減なところは多いが、それでも術式や魔法と言ったことに関してはかなり真剣に研究している。
先ほどの話によれば、今回の治療はラリカが先鞭を付けた分野のようだ。
本来であれば、フィックとしても興味を持っていてもおかしくないはずだ。
それをこうして特に気にする様子を見せずに譲っているのは、やはり何らかの意図があっての物なのかもしれない。
「では、診させて貰いましょう――くろみゃー、行きますよッ!」
「みゃっ!」
肯定するように大きく一鳴きし、私は私で瞳の力を起動する。
世界に、金色の粒子が満ち、世界の理が瞳に映し出された。
――『アイツは魔力が全部見えてやがった』
起動しながら脳裏によぎったのは、先ほどレシェルから聞いた言葉だった。
なぜ、雪華――ユルキファナミアは、こんな力を私に与えたのか。
……あの時、あの白い空間で出会った雪華の行動には、なにか理由があったのではないか?
今更になって、そんな疑問が浮かぶ。
だめだ。今は目の前に集中しなくてはならない。
――首を大きく振って雑念を払った。
「――それでは、開けさせていただきます」
平坦な声のフィディアが、セレガを扉にかざすと、扉がうっすらと碧に輝いた。
指を扉に這わすように紋様を描き出すと、がしゃりという音とともに扉に掛けられていた鍵が開いた。
扉が開いた向こうは適度に照明が灯されており、ひどく暗いという印象は抱かなかった。
六畳ほどの部屋の中に寝台が置かれ、その上に青年がひとり寝かされている。
――確かに素人の私でも、一目であまり状態が良くないと分かった。
青年は、『ゼェ、ハァ――』としゃくりあげるような荒い呼吸音を立てて、時々ぐっと詰まったように呼吸が止まる瞬間があった。
「この方が魅入られたのは、五日前。新たに発見されたゴグツの遺跡区間を探索の際に、軽度の神威災害が発生。他の探索者は退避が間に合いましたが、避難誘導を行っていたこの方だけ逃げ遅れたそうです。今朝からは見ての通り随分苦しそうに……放っておくと暴れ回るので、今は魔法で無理矢理寝かしつけています。その間に皆で治療方法の検証をして――」
フィディアが患者がどういう状況にあるのかを説明をしている。
聞いているラリカの方はふんふんと相づちを打ちながら、ゆっくりと青年の寝かされている寝台へと近づいていった。
「――なるほど。見たところ、末期手前と言ったところのようですね」
青年に近づいたラリカは、手や首筋をゆっくりと触り、短く所見を述べた。
――この状態で末期『手前』なのか!?
今にも命の火も燃え尽きようかという苦しみ方だが、ラリカはこの状態は完全な末期ではないという。
「こんなに苦しそうなのに、末期『手前』ですって――ッ!?」
同じ事を思ったのだろう。『ふざけないで』というように、フィディアが先ほどまでの事務的な口調を忘れた素の口調で、ラリカに向かって悲鳴のような声を上げた。
「ええ。『死神に魅入られた子』は、こうして一番苦しそうな時期を超えると、今度はただ静かに眠るようになるのです。そうなれば末期です。もう後はいつ息を引き取るかという所です」
ラリカはそんなフィディアの言葉にも特に動じた様子はなく、引き続き手を動かしながら青年の様子を確認していき、淡々と自分の見立てについて説明していく。
そして、ひとしきり確認を終えると、ゆっくりとフィディアの方を振り返り、安心させるようにほわりと微笑んだ。
「――間に合って良かったですねっ!」
その笑みは本心からなのか、それともそのように見せているだけなのかは分からない。
だが、見ている方が思わず胸が高鳴るような、とても優しい笑みだった。
「――ッ、じゃあ、この人は助かるの!?」
「ええ――大丈夫ですよ」
「良かった……」
ラリカがフィディアに向かって力強く保証してみせると、フィディアは目の端に涙を溜めながら安堵の息をつく。
そして、涙を私達――というよりも、ラリカに見られるのが嫌だったのか、慌てたようにフィディアは『ごめんなさい』と言って後ろを向いてしまうのだった。







