第十話「フィディア=ヴェニシエスはラリカに出逢った」
「良いですか? くろみゃー。ちゃんと、魔力の流れに不自然なところがあれば言うのですよ?」
療養所と呼ばれていた建物は、大聖堂から渡り廊下のように設けられた通路を通った先にあった。
フィックが入室の手続きをしている間、その扉の前で待ちながらラリカは最後の確認をするように私に呼びかける。
「そう何度も言わなくても大丈夫だ。――しかし、本当に大丈夫なのか?」
ラリカの腕を疑うわけではないが、もし万が一に治療が出来なければ、またこの子が悲しむのではないかという不安から、ラリカにもう一度確認する。
「ええ。『死神に魅入られた子』は、どうも遺物の影響を受けることで、魔力の流れがおかしくなって特定の場所に集中しているようなのです。なので、その魔力が流れ先をカットしてあげれば、そのうち自然に治癒するのですよ。……そうですね。イメージとしては、くろみゃーの体の中にちっこい悪い生物が居て、くろみゃーのご飯を横取りしているような状況なのです。なので、ご飯を取り上げて干上がらせてしまうわけですね」
脳内で、テレビで健康番組などに使われるパネルのように私の姿が描かれ、謎の黒い物体にご飯のイラストが流れ込んでいるイメージが浮かんだ。
――ああいうときに使われるのは、一般的なイメージだから良いのであって、自分の姿に置き換えられると、なにか首の辺りがぞわぞわするのを感じた。
虫が一杯居るのを見たときに、体を虫が這っているような感覚に襲われるのに近いかも知れない。
「……私を例に出すのは止めてくれないか?」
「ああ、これは済みません」
――ああ、この顔は……ラリカめ。分かった上で私を例に使ったな?
半笑いのラリカの顔を見ながら、悪戯を仕掛けられたのだという事に気がついた。
まったく。随分としょうも無い意地悪をするものだ。
だが、まあラリカの言うことは理解出来た。
要は、寄生している物が居るので、宿主からの栄養を絶つということか。
がんを死滅させるために、マイクロカテーテルで吸水ポリマーを流し込んだり、輸送系Lのアミノ酸トランスポーターの機能を抑制することで治療するような物だろう。
「――本当は、『死神に魅入られた子』はとても強い子なのです」
「ん? どういう事だ」
突然、にやにやと浮かべていた表情を消して、物憂げな表情になったラリカにどういう意味か尋ねると、ラリカは静かに首を振った。
「――本当は、遺物の影響を受けた時点で、亡くなってしまう人がほとんどなのです」
そういって、ラリカは小さくため息をついた。
「これには、適正のような物があるのだと思います。遺物の影響が大きければ大きいほど、その適正の差が大きく出てしまうのです。――高い適性がある人であれば、手が動かなくなったり、一部機能の喪失だけで治療をしなくても生きているという事例もあるそうなのですよ」
「そう……なのか」
なんと反応して良いのかわからず、気の抜けた相づちのような物が口から飛び出した。
ラリカがその言葉をどう解釈したのかは分からないが、随分と寂しそうに形の良いピンク色をした唇の端をきゅっと引き結んでいる。
「ええ。出来ればその違いを見つけられれば、より多くの方が無為に命を落とすのを防ぐことが出来るかも知れないのですが……それに、一度機能を喪失してしまった人の回復方法はまだ見つかってませんし――」
「――ラリカちゃん、今はそれはまだ高望みだよ」
ラリカが落ち込みながら嘆いていると、手続きを済ませたフィックが戻ってきた。
片手には、何かメモ書きらしき物を握り締めている。
「……高望み? ですか?」
ラリカが、少し落ち込んだように伏せていた視線を、フィックの方へと滑らせながら聞き返す。
そんな姿を見て、フィックは癇癪を起こして意固地になってしまった子供をあやす親のような表情を浮かべた。
「そうだよ。呪いにかかって、普通の人が生き延びる術をラリカちゃんは見つけたんだから、それでじゅーぶん凄いことなんだ。そんなに、なんでもかんでも、そーやって、すぐに自分で背負ってちゃ、すぐにぺちゃんってなっちゃうよ?」
「ぺちゃんですか……?」
「そそ、頑張るのも大事。でも、それにはちゃーんとそれを背負えるだけの準備をして、他の人にもちょっと持って貰って、重さにつぶれてそのうちぺっちゃり地面とくっつかないようにしないと。あんまり、『焦っちゃ』だめだよ。――だから、今日は、目の前の子を治すのに専念しよう? いつか、それが予防につながるかも知れないから」
『焦っちゃ駄目』という言葉を強調しながらフィックがラリカの事を諫めている。
なるほど。確かに、ラリカは生真面目に過ぎるきらいがあるから、次々と自分の功績ではなく、『駄目なところ』を見つけてしまう。
特に、今はリクリスの事もあって、自分の悪い点ばかり目についてしまうようだ。
ラリカを元気づけるために言った『前に進むための勇気』つまりは、自己肯定感を身につけて貰わなくてはならないのだ。
フィックの言葉は、その点でとても正しいと言えるだろう。
「――ッそうですね。目の前の患者を助ける事すら危ういのに、先のことを考えていてはいけませんね――ッ!」
ラリカも、先日の話を思い出したのか……
――少なくとも、フィックが自らを心配してくれているということは強く感じ取ったのだろう。
キッと扉を――扉の向こうの病を睨み付けるように前を向いた。
フィックが、少し安心したような顔をして、優しくラリカの肩をぽんぽんと叩く。
「そうそう。その意気だよ。ラリカちゃん。頑張ろうっ!」
「ええ。行きましょう」
今度こそ、戦場に向かう戦士のような表情を浮かべたラリカは療養所の中へと入っていった。
***
療養所の中に入るとすぐに、多数のベッドが置かれた大部屋があった。
比較的症状の軽い者が集められているのだろうか?
まばらにいくつかのベッドで寝かされて寝息を立てている者たちがいる。
その間を縫うように、何人かの医療関係者とおぼしき人間が行き交い世話を行っている。
私達が部屋の前に立つと、その中の一人が私達に気がついたようで歩み寄ってきた。
「――治療をご希望ですか?」
声を掛けてきたのは、金髪を腰の辺りまで伸ばした少女だった。
年の頃は、ラリカより少し上だろう。
他の者より数段豪奢な刺繍が施された白と暗褐色の法衣を着込んでいる。
恐らく位階が上位の人間だと思われるが、この療養所の責任者だろうか?
「ラクス=ヴェネラより、こちらの治療の手伝いを申し受けたのですが?」
「……お師匠様が……? ――ッ! 失礼ですが、お名前を伺っても、い、いいかしら?」
ラリカの言葉を聞き、ラリカを改めてまじまじと見つめた少女は、驚愕の表情で息を呑むと、微かに震えた声で名前を聞いてきた。
名前を名乗っていなかったことを指摘され、ラリカはどこか恥ずかしそうにしている。
誤魔化すようによそ行きの笑みを浮かべると、軽く首を傾げながらゆっくり口を開いた。
「ああ。これは失礼しました。リベスの町、ユーニラミアのクロエ=ヴェネラがヴェニシエスのラリカと申します。こちらはユルキファナミアのフィック=リス。こちらのミルマルはくろみゃーと言います」
ラリカの名乗りを受けた少女は、なぜか一瞬意識が遠のきかけたようにふらりと揺れた。
――慌てて、ラリカが支えようと少女に向かって手を伸ばす。
さしのべた手は、少女をしっかりと捕まえたが――幸い少女の方はたいしたことが無かったようだ。
すぐに自分の力で足に力を入れ踏みとどまった。
「だ、大丈夫ですか?」
「ええ……大丈夫よ。――大丈夫。……大丈夫。私」
「少し、どこかで休まれた方が良いのではありませんか……?」
顔を伏せながら、明らかに不審な様子でブツブツとなにか呟いている少女に、ラリカは随分と心配した表情でひっつくようの支えながら、休憩を勧めた。
その間にもラリカの視線はどこか休めるところがないか周囲をきょろきょろと見回している。
「大丈夫――ッ!」
「ああ、そんな勢いよく動いては――」
だが、少女はそんなラリカの腕をぐっと掴むと、背筋にぐっと力を入れて姿勢をただし、距離を取った。
そして、正面からの斬り合いに挑む騎士のように、鋭く目尻を吊り上げながらラリカを睨み付けた。
「私は、フィディア=ヴェニシエスッ! ユルキファナミアのラクス=ヴェネラのヴェニシエスよ――ッ!」
勢いよく頭を振り上げられたことで、長い金髪がふわりと舞い上がった。
――なんとまあ、この少女がもう一人のヴェニシエスだったとは。
……しかし、ならばなぜ、このフィディアという女性はこんなに敵意を込めた視線をラリカに向けているのだろうか?
もしや、同じヴェニシエス同士、なにかライバル意識のようなものでもあるのだろうか?
ラリカの顔を覗き込んでみると、流石のラリカもこのフィディアの反応には面を食らったようだ。
びっくりしたように目を見開いている。
ほんの数瞬、お互いの思考の空白を象徴するように、部屋の中に沈黙が降りた。
フィディアの後ろで仕事をしていた他の者たちも、異変に気がついたように不審げにこちらを見ていた。
――ようやく、再起動したらしきラリカは口元をふわりと動かして――
「――ああ! やはり貴女がフィディア=ヴェニシエスでしたか! ずっとお会いしたいと思っていたのです! お会いできて光栄です! ――ああ、でもとりあえず椅子に座ってください。どうぞ」
とりあえず、フィディアを立たせておくのが心配になったらしく、邪気のない態度で椅子に座らせていた。
「――え? あ! え? あ、ありがとう……」
ラリカに介助される形で、フィディアはすとんと腰を落としながら戸惑いながらもお礼を言うのだった。
……ああ、これは残念な奴の同類か?
その姿を見ながら、なんとはなしにいつぞやリベスで出会った青年の事を思い出したのだった。







