第九話「ラクス=ヴェネラの頼み事」
「くろみゃーッ!」
頭を抱えたくなるような話し合いがひとまず終わり、フィックの肩に乗せられ教会中を移動していると、強い安心感をもたらしてくれる声が聞こえた。
はっとして声の聞こえた方を振り向けば、ラリカが髪の毛を弾ませながら走り寄ってくるのが見える。
――どうやら私の事をよほど心配してくれていたらしい。
澄んだガラス玉のような瞳が、僅かに潤み揺れていた。
駈け寄り、笑顔を浮かべたラリカは、『待ちきれない』という風にそわそわと落ち着かない様子で両手を大きく伸ばし、フィックから私を受け取った。
ぎゅっとラリカに抱きしめられて、幼く華奢な腕の形がラリカの紅い両袖の下に感じられた。
「もう――本当に……随分遅いので心配したのですよ?」
ラリカは私を抱きしめ頬ずりすると、周りをちらりと見回して確認した。
そして、『しまった』という表情を一瞬浮かべると、安堵から緩んだ表情をきりっと引き締め、私を肩の上にのせた。
肩の上の私をそっと撫でると、ようやく落ち着いたようにそっと息を漏らした。
フィック達と話し合っていた時間はその実あまり長くはないはずなのだが……
気を揉みながら待っていた分、余計に時間を長く感じていたのかも知れない。
心配をかけてしまった罪悪感と共に、ラリカに対して改めて危ういと思う気持ちと、ほんの少しのうれしさを抱いた。
「……あら? 待ち人はようやくいらしたの?」
落ち着いた品の良い声に、ラリカの背後を向いてみれば、クロエほどの歳に見える老婆の姿があった。
「ああ。済みません。少々私のミルマルが離れていましたので……」
「良いのよ。ラリカ=ヴェニシエスは随分気を揉んでらしたようだから、心配していたの。良かったわね」
――見透かしたような老婆の言葉に、ラリカの頬にさっと朱が差した。
『あ、ああ……』などと小声で呟きながら、微かに目元を伏せた。
どうやら、本人は何気ない様子を装っていた所を気づかれていたのを恥ずかしがっているらしい。
――随分可愛らしいじゃないか。
「おっやー、ラクス=ヴェネラじゃありませんかー? 療養所の方に居るって聞いてたんですけど、お戻りですか?」
「あら……貴女は?」
ほんの少し、若干――僅かだけ改まった口調のフィックが、老婆に向かって話しかけた。
どうやらこの老婆が噂のラクス=ヴェネラらしい。
同格のヴェネラであるクロエが、どこか軽い調子で世の中を疎んだ、『いい加減さ』を感じさせるのに対して、こちらの老婆は対照的な真面目な如何にも聖職者然とした雰囲気を漂わせている。
――あるいはこれが、本当のヴェネラと、本人曰く“モグリ”のヴェネラの違いなのかも知れない。
「あ、これはしっつれーいしました。王都のユルキファナミアの図書館で司書をやってます、フィック=リスと言いまして」
「ああ、『あの』……少しは聞いているわ……今回は随分と大変だったようね?」
どうやら、ラクスは今回の王都での事件を聞き及んでいるようだ。
含みを持たせた言い方で、フィックに気遣った視線を向けている。
そのまま、横目でラリカの事も見つめているところを見ると、リクリスのことも聞いているのだろう。
「いっやー……今回は本当に色々とありましたけど……まあ、その辺りはいずれレシェル=バトゥスからお聞きいっただければ。私はそのあたりなかなか話す訳にはいかないのが悲しき宮仕えでして……」
「そうね。また、いずれ。そうね……そういえば、王都図書館と言えば、ハルトさんはお元気にしているかしら?」
フィックは事件の詳細さらりとかわし、語らなかった。
確かに、フィックの言ったことには一理あり、勝手に語る訳にいかないというのは道理だろう。
――だが、先ほどのレシェルとのやり取りを見ていた私には、どちらかというとフィックがレシェルに対応を丸投げしたように見えた。
そんな事を知らないラクスは、フィックの立場を慮ったのか、無理にそれ以上聞き出すことはなく質問を切り替えた。
ハルトと言えば、王都のユルキファナミア教会の長を務めている老人だ。
好々爺とした雰囲気を漂わせていた人物だった記憶がある。
たしか、ラリカの町のグルスト=サファビとも知己だという話だったか。
「ハルト=サファビですかー? もう元気も元気。見た目に似合わず、あれでもー毎日毎日杖をブンブン振り回して特訓しってまっすねー!」
「そう。お元気なのね。彼は中々こちらにいらっしゃらないから」
バッドをスイングするように両手を振り回すフィックを見て、ラクスは口元を手で覆いながら嬉しそうにころころとした笑い声を上げた。
「ラクス=ヴェネラはハルト=サファビとも御面識があるのですか?」
流石に気になったらしいラリカが疑問を口にすると、ラクスは一瞬目を見開いた。
そうして、茶目っ気をみせるように口元を吊り上げると、懐かしむように目を細めた。
「ええ。昔、クロエと、私。それからハルトさんと、グルストさんはよく一緒に遊んだものよ……オイタしてバトゥスには随分怒られたりもしたかしら?」
悪戯っぽい笑みは老年と言える年を感じさせない。
なるほど。先ほどはクロエとは正反対と思ったが、年に似合わない若さを感じさせる辺り、やはりどこか似通っている部分はあるようだ。
「ハルト=サファビが教会同士交流が深かった時期があったと仰って居ましたが、その時なのですね。ハルト=サファビはグルスト=サファビの事ばかり仰って居たので……」
「あら、ラリカ=ヴェニシエスもハルト=サファビとお話しされたのね。ふふ……まったく、彼はシャイなのよ。――特に女性には」
「はぁ……?」
ラクスが口元に手を当てて、クスクスと忍び笑いを浮かべながらそんな事を言うからだろう。
ラリカは反応に困ったように相づちを打っていた。
フィックは、教会同士の交流という話に『あー……あったねぇ』と呟いて一人頷いている。
――それからは終始その調子で、ラクスがどこかとぼけた内容を語るので、経験の浅いラリカは戸惑い、フィックは独り蚊帳の外で納得の声を上げるという構図が続くのだった。
***
「随分長く引き留めてしまってごめんなさいね。私はここで失礼させて貰うわ。――申し訳ないのだけど、ラリカ=ヴェニシエスは治療方法を指導してあげて貰えるかしら」
「ええ。分かりました。一度きちんと様子を見て、診療させていただきますね」
ラクスは、きりの良い頃合いを見計らうと、ラリカ達との話を切り上げて、私達の来た道へと体を向けた。
どうやら、彼女と此処で出会ったのは本当に偶然で、これから教会の方へと戻るところだった所をラリカと遭遇したようだ。
ラリカが、何かを請け負ったようだが……治療法とは一体何のことだろうか?
「お願いするわ。療養所には今うちのフィディアが居るはずだから、詳しくはあの子に聞いて貰えるかしら?」
「おおっ! フィディア=ヴェニシエスですか! 実は、フィディア=ヴェニシエスには同じヴェニシエスとして、常々お会いしてみたいと思っていたのですよ!」
「――あらあら。ラリカ=ヴェニシエスと会えるとなったらあの子もきっと喜ぶと思うわ。善くしてあげていただけるかしら?」
フィディアの名前を聞いて、明るい笑顔を浮かべて軽く両手をグーの形に握り締めるラリカに、ラクスは片目をつぶりお茶目な笑みを返した。
「こちらこそ、是非お願いしたいほどですよ。色々と普段のお勤めの様子などお聞きしたいのです。実は、先日も洗礼の仕方で失敗してしまったところなので」
「そう。それはありがとう。あの子は――ちょっと誤解されやすいところがあるけど、真面目な子なのよ。仲良くしてくださいね」
「はい――ッ!」
「フィック=リスも、またハルトさんの事や、図書館の事を聞かせていただけるかしら?」
「おっやすいご用ですよ!」
「ありがとう。――それでは本当に私は失礼させていただくわ。――お二人に尊き草木の芽吹きが風を運びますように」
「「――感謝します。ラクス=ヴェネラに祝福の風を」」
ラクスが二人に向かって祈るように別れの挨拶をすると、フィックとラリカは声を揃えて礼を返した。
ラクスは、その返事を聞いて満足そうに振り返り、しずしずと廊下を歩いて行く。
その歩きは、ゆったりとしていたが、見た目の歳には似合わないほど矍鑠としたものだった。
「二人とも、来るのが遅いのですよ! 一体なんの話をしていたのです?」
「あははー……ごっめんねー。ちょっと、くろみゃーちゃんの事を色々と訊かれたんだよ。ほーらー、やーっぱり、人の言葉を解するミルマルなんて『アンコウさん家の白ミルマル』くらいじゃない? だーから、どーしても気になったみたいだよ? いやー白が黒になっちゃったってんだから、こりゃーもー大変だねーって」
少し不満げに頬を膨らませたラリカに、フィックが賑やかに両手を振ったり、両手を組んだりと忙しなく動きながら誤魔化している。
ふと、目が合ったときフィックは片目をつぶり意味ありげなウィンクして見せた。
――これは、神炎や、ユルキファナミアの事は言うなということか?
先ほどの話しぶりでは、おそらくラリカに伝えない方が良い事項が多く含まれているのだろう。
――まあ、私としても、今のラリカの不安定な状況で余計な心配を掛けたくはない。
フィックの伝えたいだろう意図を汲み、小さく頷きを返した。
「ああ、ラリカと出会ってからのことと、なぜ森にいたのかも分からないというと納得したようだ。まあ、納得したと言うよりも『仕方が無い』と言った様子だったがな」
「――そうですか。良かった。心配だったのですよ? ただでさえお前はヘンテコなのですから」
私も、フィックを援護するように事実を抽出して語ると、先ほどまでフィックの不審な様子に半信半疑の眼を向けていたラリカは、ようやく納得した様子で、私を軽く責めるように小言を言った。
「――すまない」
本当の事を告げていないことに僅かに罪悪感を覚えながらも、ラリカの肩の上で私はぺこりと頭を下げた。
「あまり、心配させないでください」
ラリカは、そんな私の頭に右手を伸ばし、柔らかく撫でるのだった。
「あ、そーだ。ラリカちゃん、さーっきラクス=ヴェネラが言ってた、治療法ってなんのことだったの?」
話題を変えようとしたのか、空気を読まないフィックが疑問を口にする。
……確かに私もそれは気になっていた。
「なにか面倒ごとの類いでも押しつけられたのではないだろうな?」
先ほどのラクスの優しげな様子から多分それはないのだろうと思うが、やはり気にせずにはいられない。
――心配をしているのは、こっちだって同じなのだ。
「ああ、そのことですか。別に大したことではありませんよ。昔、『死神に見初められた子』を治療した事があるのですが、今この療養所にどうも『死神に見初められた子』が居るようでして……治療の手伝いを頼まれたのですよ」
「あっ! そーの話、聞いたことあるよ! 確か……『イリオス君』!」
「――こうも皆に皆知られていると、なんだか恥ずかしいですね……大した事はしていないのですが」
「そっかー『憑きもの落とし』はたしか、その子に応じて術式を作り直さないといけないもんね……」
「――流石に、フィック=リスはよくご存じですね。イリオス=シスの治療では、治療法を見つけるところから随分難儀したものですが」
「まーね。ちょーっとだけみんなより長生きしてるから、何回か見たことがあるだけだよ。でも、治療したことなんて無いし、治療できたって話もほとんど聞いたことないかなぁ……」
「――そうですか。確かに、私もその場ですぐに術式を作るのは難しいかも知れません」
「いやぁ……まず、その場で術式を作ろうって発想が普通はおっかしいんだけどね」
自身の力不足を恥じ入るように、どこか決まりの悪そうな態度で話すラリカに、フィックは呆れた様子で肩をすくめた。
ラリカやリクリスの姿ばかり見ていたせいで、感覚がおかしくなっているが、少なくとも術式の即興改変と言った行為はあまり行われていないようだ。
街中で使われている術式などを見ていても、基本的にはすべて今までの術式をそのまま流用する形で使われている。
「――ですが」
ラリカは、ほんの少し胸をはりながら、自信の笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「――ですが、今回は秘密兵器があるので大丈夫でしょう」
「秘密兵器?」
そんなラリカの言葉に、不思議そうにフィックは首を傾げている。
――なぜか、そんなやり取りにひどくデジャビュを覚えた。
ラリカが、なぜかにやりとした笑みを浮かべて、首を横に向ける。
そこにあるのは――
「――また、私かっ!?」
ラリカの丸い綺麗赤い瞳が、ごく間近でこっちを向いていた。







