第三話「ユルキファナという英雄」
教会に近づくと、水路沿いの石畳が少し広めに設けられていた。
その場所には客待ちらしいゴンドラがまばらに停泊している。
ここがどうやら船着き場らしい。
舵取りをしていたトロアが手慣れた仕草で船着き場の横へとゴンドラを接岸させた。
「いっやー、ひっさびさでしたけど、やーっぱ聖国は綺麗っすねー」
「ありがとうございました」
フィックが適当な世間話をしながら、小銭をトロアに渡す。
それこそヴェネツィアのゴンドラなどは随分と料金を取られたものだが、本格的な交通手段として機能しているらしい此処ではそういったことも無いようだ。
ラリカも一緒になって礼を告げると、トロアはおどけるように大仰な、しかし優雅な仕草で一礼を返した。
フィックとラリカが返礼するように深々と頭を下げるのにあわせて、私も言葉は発せないものの、大きく頭を下げた。
トロアはそのままふたたびゆっくりとゴンドラを岸から離し、水路を進んでいく。
その後ろ姿を見て振り返り歩き出した。
一段低くなっている船着き場からレンガ造りの階段を上ると、広場のように開けた場所があった。
その奥に、唐草文様が多用された教会があった。
ラリカとフィックが歩く少し後ろをついて行きながら、じっくりと周りを観察する。
先ほど水路側から見上げたときよりも、近くから見上げた教会は随分と大きく見えた。
ミラノの大聖堂ドゥオーモをさらに大型にしたような教会は、各所に細かな意匠が施されている。
複数の突き出た尖塔の中央と、広場の中央に設けられた巨大な噴水には同じ女性の姿をかたどったらしき像が建てられている。
――共に名のある彫刻家が彫り上げたのだろう。
おそらく白い岩を切り出して作っているのだろう。
まさしく”神が宿った”がごとき生命を感じさせる造形は神秘的でありながらどこか人らしさを感じさせる。
豊満な体型をした女性の石像が慈愛に満ちた表情でこちらに手を差しのばしている。
ラリカは、その像を前にすると緩やかに頭を垂れ、杖を立てかけるように捧げ持ち、左手を地面につけると、石突きを石畳に三度たたきつけた。
ちょうど、ラリカに出会った者たちがするような、なにか儀礼的な意味があるような仕草にみえる。
「……ラリカ? どうしたのだ?」
姿勢を戻したラリカにどういった意味の動作だったのかを聞くと、ラリカはすこし照れくさそうに苦笑を浮かべた。
「あれは、ユルキファナミアの御姿をかたどった像ですよ。この目で見ることが出来るとは思っていませんでしたから、少し……感動しています」
「あれが……ラリカ達の崇める神と言うことか……」
「はい。私達ユルキファナミア教徒が崇める神にして、かつての大戦の英雄ユルキファナ様です。――フィック=リスは見慣れたものですか?」
ラリカの横で、ぼうっと呆けたように、どこか引き攣った表情で棒立ちだったフィックは、ラリカに問い掛けられて、微妙な表情を浮かべた。
「ああ……あの像ですねー……私はあの像はちょーっと苦手でして……いやッ! ユルキファナミアを崇める気持ちには一切の虚偽もないんですけどねっ! たーだ、ちょっと、その、一部の願望が透けて見えるというかー現実と乖離しすぎているというか……レナ坊の欲望が……」
視線を彷徨わせながら、歯切れの悪い様子で、最後の方は、何をいっているのか聞き取るのも難しい小声で、もにょもにょと早口で何事かいっている。
「……? そういえば、『大戦の英雄』と言っていたが一体ユルキファナミアというのは、どういう神なのだ? なにか逸話のある神なのだろう?」
フィックの反応に首を傾げながら、かねてから興味を持っていた事をラリカに問い掛ける。
ラリカは、『ああ』という風に頷くと、教会の周りを歩き回る人々を見回した後、私に目線を合わせるようにしゃがみ込み、右手をこちらに向かって伸ばした。
「――おいで。少し、長くなるかも知れませんし、歩きながら説明してあげます」
どうやら、小声で話せるようにという気遣いらしい。
周りに人が増えてきたから気になるのだろう。
ラリカが伸ばした腕を伝い、ラリカのほっそりとした肩の上に飛び乗った。
「さ、それでは行きましょうか」
「ああ」
「はーい」
ラリカは、肩の上にのった私を軽く撫でると、立ち上がり教会に向かって歩き始めた。
***
「――まず、ユルキファナミアというのは、『ユルキファナ』という実在の人物が神様になった存在なのです」
ラリカはゆったりと歩きながら、ユルキファナミアについて語り始めた。
「いまから、ずっと昔。神様達の時代だった『神代』と言われる時代がありました。以前お話しした、蒼き巫女達の時代もこの神代の時代のお話です。より、正確に分類すると、蒼き巫女により、人が魔法を使うようになって以降は神代の後期といって、それ以前を神代前期と分類する学者がほとんどですね」
右手の人差し指をぴんと立てながら、ラリカが少し得意げに語っている。
日本で言うところの、神武天皇の存位の前後によって神代と切り分けているが、それと似たようなものなのだろう。
「そして、神代後期の終わり。神様と人の時代が移り変わる頃、ユルキファナ様がお生まれになりました」
「ちょーど、人が魔法を使えるようになって、第二世代術式の開発もあって、『術式』っていう概念が一般的になってきた頃だね。それまでは、魔法も成功するかどうかは『神のみぞ知る』って具合だったんだ」
フィックが、ラリカの言葉を補足するように言葉を続けた。
魔法に関する話が出来るのが嬉しいのだろう。
ラリカは、先ほどまでうっすらと浮かべていた笑みを、より深めながら瞳をきらきらと輝かせている。
「ええ。当時は第二世代の術式も普及はしてはいませんでしたから、あらゆる魔法を使ったと言われるユルキファナ様は、当時『魔導王』という称号を受けていますね」
「『魔導王』ね……」
だが、フィックはユルキファナミアを讃えるラリカの言葉に、なぜか奥歯にものが挟まったような不快そうな表情を浮かべている。
しかし、フィックより少し前を歩いているラリカは、そんなフィックの様子に気がついていないようだ。
相変わらず嬉しそうな顔をしながら口を開いた。
「ユルキファナミア様が生まれた頃、人々はある問題に苦しめられていました」
ラリカは、そこで一つ息を吸い込み、軽く溜めると、肩をすくめじとっとした視線で少しおどろおどろしげな声発した。
「――それが、『邪神』です」
「邪神……」
『邪神』それは今まで何度か耳にしてきた言葉だ。
確か、リクリスにヌミア教徒について教えるとき……後は、フィックから神炎の話を聞いたときもそんな言葉を発していたはずだ。
――共に、ユルキファナミアが邪神と戦ったとかそんな文脈だったはずだ。
「邪神は、神様の中でも悪しきもの。すべてを飲み込む闇。人も神もすべからく、区別無く、あらゆるモノを殺す存在。そう言い伝えられています」
「とーじは本当に危なかったんだ……って。世界の半分が邪神に飲み込まれそうになって、どうやっても押さえることが出来なくて……町も、村も、せっかく人が魔法を使えるようになったのに、全部、全部飲まれて、消えて……」
フィックが、両手で自身の方を抱きすくめるようにしながら、そう呟いた。
「ええ。邪神はその闇を触腕の如く伸ばし、触れるものを汚染し、呪い、次々取り込んでいった。当時の文書にはそんな記述が遺されています。人々は『次は私の番』と恐怖し、日々を過ごしていたと言います。ですが、そんな中、邪神討伐のための部隊が結成されました。――その部隊を率いていたのが、ユルキファナ様という訳です」
「――うん。正確に言うと、邪神討伐のために、当時のユーニラミア教会が率いた部隊。その精鋭班を率いていたって事なんだけどね」
フィックが何気ない様子で、ラリカの言葉の誤りをフィックが訂正した。
だが、ラリカはフィックの言葉を聞いて、怪訝そうに首を傾げている。
「しかし、当時のユルキファナ様はユーニラミア教会、アキュレの第一位筆頭だったのでは?」
「うーん、そこはねー……当時のユルキファナ様は、お生まれの関係もあって、あまり大勢の上に立つのが好きじゃなくって、第二位に全体の指揮は任せて、自分はごく少数だけを率いてたんだ」
「ああ、それで……流石は、先技研の方ですね」
「うん……? ……あ! ああ、まあ、元々ユルキファナ様が神威対だからねー」
「ああっ! そうでした。フィック=リスは神威対でしたね」
「『第二』の方だから、こう地味―な感じのじめっとした日陰でわっさわさ動いてる感じだけどねッ!」
フィックが両手を振り下ろし、左右に勢いよく振り回しながら動いてみせる。
おそらく、じめっとして、わさわさしているのを表現しているつもりなのだろう。
だが、如何せん、じめっとしてわさわさしていると言われると、どうも日本の家庭によく現れる不快害虫が思い浮かぶので止めて欲しい。
「いくらなんでも、そこまで言うことはないでしょう……」
「まぁまぁ、私なんて、それくらい大した事無いよーって事だよ」
どう反応すれば良いか困ったようにラリカがいうと、フィックは明るい様子で両手を振って否定してみせる。
「――大丈夫だ。大した奴だとはあまり思っていない」
「そっかーならダイジョーブだねッ!」
私が茶々を入れ軽口を叩いてみせると、フィックは納得したように両手を組んでうんうんと頷いている。
――納得してしまって良いのか!?
ラリカは、そんなフィックを見ながらどこか引き攣った笑みを浮かべているのだった。
「と、とにかく、その際ユルキファナ様が率いた部隊が邪神討伐に成功して、その功績でユルキファナ様は神様になったのです」
「それで、当時ユルキファナ様と同じ班にいた生き残りの男の子が、ユルキファナミアのバトゥスとして、ユルキファナミア教会を立ち上げたんだ」
「設立した当初は、ユルキファナミアは戦いの神と知恵の神とされていたのですが、やがて人類の発展に貢献したという事もあって、『豊穣の神』などとも呼ばれるようになったのですよ」
「なるほど。当時の仲間を祀った宗派を立ち上げたものが、変化を続けながらも、今まで脈々と受け継がれて来たという訳か」
感心して見せると、なぜか二人は顔を見合わせて微苦笑を浮かべた。
――なにかおかしな事でも口にしただろうか?
「……くろみゃー。違いますよ。恐らくお前は勘違いしています」
「ラリカちゃん、そりゃあ、事情を知らない人からしたらそう思うよ。あのね? くろみゃーちゃん。ユルキファナミアの教会を立ち上げたバトゥスは、今も変わらずユルキファナミア教会のトップなんだ」
「……? どういう意味だ? ユルキファナミア教会というのは、最近出来た訳でもあるまい?」
いや、それにしたって、ユルキファナミアが活躍したのは、随分昔の神代の事だと行っていたはずだ。
そうであれば、弘法大師空海のように高野山の奥の院で眠っているとでもいうのだろうか?
「違います。くろみゃー。――現在のユルキファナミア教会バトゥス。つまり、レシェル=バトゥスはユルキファナミアが活躍した時代から、ずっと変わらず生き続けて、このユルキファナミア教会を取り仕切っているのですよ。だから、ユルキファナミア教会は第二位の教会として存続しているのですよ」
「まあ……それ以外にも、ユルキファナミア教会とユーニラミア教会は戒律が緩かったりするのもあるんだけど……そーれにしたって、長生きだよね……私が言えたモノじゃないけど。あ、――因みに、これから挨拶に行くのがその子だよ」
――どうやら、本当に今も変わらず生き続けているらしい。
しかも、別に即身仏と化しているとかそういう訳でもなく、その随分と長命な人物にこれから会いに行くという。
――果たして老人なのか、若人なのか。ひどく気になるところである。
まったく。フィックといい、この世界の人間はちょくちょくこちらの常識を越えてくるから困ったものだ……







