ほづみんさんちの雪華さん 6話「そして神は衣を替え、居を変えた」
「雪華ッ! お前っ、どうしたんだ? 何処、いくんだよ!?」
「――ごめんなさい。起こすつもりは――無かった」
俺は、だんだん血が冷たくなっていくような不吉な予感に焦りながら、雪華を呼び止めた。
ゴリゴリと固い言葉が、ノドの奥を押し広げてとびだして行く。
驚いたように振り返っていた雪華は、少し申し訳なさそうに目を細めた。
――そんなのッ! 質問に、答えてない!
そんな、どこか『他人行儀』で今すぐお別れみたいな雪華の態度に、無性に腹が立った。
「そうじゃない! そんなことっ、聞いて、ないッ! 『何処行くんだ』って聞いたんだ!」
「――うん。お世話になった。ご飯、美味しかった。『線香花火』楽しかった……よ?」
表情変えずに、『お世話になった』だなんて――そんなお礼、聞きたくない。
――それじゃあ……それじゃあ、お別れみたいじゃないか。
「――出て、行くのか?」
「――うん」
じわっと目の端が熱くなるのを感じながら放った問いは、短い答えで返された。
なんでだ……! なんで、だよッ!
『お世話になります』って、『よろしく』って、そう言ったんじゃなかったのかよ。
第一、帰るところ、無いんじゃないのかよ?
「――お前、帰るところ、あるのかよ?」
「――帰るところは、ない」
「――だったらッ!」
「――帰るところはない――けど、ここには居られない」
雪華は出会った公園の方向に視線を向け、俺の言葉をしっかり否定するように、ゆっくりと左右に首を振った。
「なんでッ!?」
「――私は、『魔法使い』だから」
雪華は、少し言葉を選ぶように、ためらいがちにそういった。
『魔法使い』って……それが、そんなの、訳がわからない。
「『魔法使いだから』って、なんだよッ! 意味、分かんねえよ」
雪華とは知り合ったばかりだし、どこに行くのも自由だ。
それは分かってる。俺にも、父さんや母さんにも、雪華をウチに引き留める理由なんか無い。
それでも、それでも俺は理由が欲しくて、思わず強い調子で雪華に向かって叫んでしまった。
頭の中ではさっきから、ふとした拍子――母さんのご飯を食べたときだとか、線香花火をしたときだとかに浮かべる薄い笑顔、それに、初めてお別れするときに浮かべた、ちょっと悲しげな顔が、ぐるぐるぐる飛び回っている。
雪華は、困ったようにほんの少しだけ眉を下げて、てくてくと俺の方に向かって近づいてきた。
『戻ってきてくれるのか?』一瞬、そんな期待をしたけど、雪華は手を伸ばせば届くくらいの距離まで来ると、足を止めた。
そのまま、俺の頭に触れるように右手を差しのばしてきた。
ぴんと伸ばされた人差し指が、段々俺に向かって近づいてくる。
「――なんッ……」
「――ごめんなさい」
雪華が、ぽつりと呟くと同時、その指先がコツンと俺のおでこの辺りに触れた。
少し、ひんやりとした雪華の手の感触が、ほんの微かに眉間で揺れた。
――グラッ……
雪華の指が触れた瞬間、目の前視界が大きく船に乗っているときみたいに揺れて、ぐるぐると回り始めた。
雪華の姿を中心として、電信柱にくくりつけられた看板が、街路樹が、切れかけてチリチリと瞬きながら不規則な音を立てている電灯が、波打つように揺れ動いてみえる。
「――ン、ッく」
――あ、やばい。
急に襲ってきた目眩に、その場に立っている事が出来なくなって、そのまま引き倒されたように体が倒れていく。
――このままだと、地面にぶつかるな。
どこか冷静にそう思う自分がいて、反射的に体に力を込めたけど、思っていたような衝撃はやってこなかった。
――ただ、柔らかくて、暖かい
何かに包まれる感触だけが伝わってくる。
「ゆき……はな……?」
暖かい感触に誘われるように、急に猛烈な眠気もやってきて、視界がどんどん狭まり霞んでいく。
そんな中、眼に入ったのは俺を覗き込んでいる綺麗な金色をした瞳だった。
まるで、空に浮かぶ満月みたいに澄んでいて、輝いているみたいな――
とても気持ちが良くなってきて、頭の奥が痺れたみたいにぼうっとしてくる。
――でも、なぜか同時に大切なモノが頭の中から抜け落ちていくような感覚がして、高い建物の縁に腰掛けた時のように、ほんの少し怖かった。
「おやすみ――楽しかった……よ?」
目の前にいる雪華が、今まで聞いたことのない優しい……でも、悲しそうな……違う。
切なそうな声で、そういった。
――このまま、寝ちゃ、駄目だ――ッ!
甘く心地よい眠りに落ちそうになっていた俺は、その雪華の声を聞いて、一瞬正気を取り戻した。
だが、さっきから襲ってくる眠気が尋常じゃなくて、すぐにじんじんと頭の中が痺れていく感覚がした。
――くそッ……
心の中で、情けない自分に悪態をつきながら、反射的に唇を噛みしめた。
――ガリッ
鈍い音と感触がして、どろりと口の中に独特のしょっぱい味が広がっていく。
どうやら、勢い余ってかなり唇をかみ切ってしまったみたいだ。
でも、そのおかげで、熱い、刺すような痛みが、薄れそうな意識をつなぎ止めてくれた。
バリッとノイズが走ったように途切れそうになった意識が一瞬浮上する。
そのまま、俺は自分を抱き留めている雪華に向かって、右手を伸ばした。
自分では、急いで伸ばしたつもりの腕が、ゆっくり、伸びていって――雪華の顔に触れた。
夜風に触れて、ひんやりとした、雪華の頬の感触が、指先から伝わってきた。
「――う……そ……」
雪華が、なぜか、信じられないものを見たように、表情の薄い目を見開きながら、驚きの声をあげる。
だけど、今の俺にはその原因を考える余裕なんて無かった。
「――行くなッ! 雪華ッ! こんなの――嫌だッ! もっと、一緒に――ッ! ――居たいんだッ!」
頭が上手く働いてくれなくて、口がちゃんと動いてくれているか分からない。
――引き留める理屈も何もあったもんじゃない。
でも、雪華と離れるのが嫌だという気持ちだけが口から叫び声を吐き出させた。
「……」
驚いた顔をしていた雪華が、表情が読めない無表情に戻って、無言でじっと俺の目を見つめてくる。
じっと見つめ合っていると、微かにその瞳が揺れた気がした。
その間にも、また気持ちが悪くなるほどの眠気が襲ってきて、段々と意識が遠のいて行く感覚が強くなっていく。
「――頼む……」
俺は、絞り出すようにもう一度雪華に懇願した。
雪華は、そのまま俺を見つめると――
「――分かった」
――根負けしたように、そうぽつりと呟いて微かに微笑んだ。
――よかっ……
俺は、その言葉を聞いた瞬間、全身に入れていた力がふっと抜けて、そのままどんどんと頭の中が塗りつぶされて――
「ただの……人の子な……あり……とう」
――完全に頭の中が真っ暗闇に塗りつぶされる直前、雪華が何かを呟くのを聞いた気がした。
***
目を開けると、毎朝見慣れた光景が見えた。
窓から光が差し込み、自分の部屋のカーテンの模様が壁に映し出されている。
――ああ、朝か。
そう思って掛け布団を押しのけ、体を起こそうとして――
「――雪華ッ!?」
昨夜一体何があったのか。
自分が、一体どういう状態だったのかを思い出して、慌ててベッドから飛び出した。
そのまま、扉の取っ手に触れるのももどかしくなりながら、ぶつかるように扉を開き、廊下に飛び出した。
「……おはよう」
廊下に飛び出すと、すぐ目の前に朝顔模様の浴衣を着た雪華が居た。
「――えっ!? あ、えっ!? お、おはよう……」
母さんに持ってくるように言われたらしい洗濯済みのタオルの山を持って、当然のようにそこに居る雪華の姿に、俺は戸惑いながら挨拶した。
「――朝ご飯、出来てる」
「あ、ああ……」
どうやら、雪華は俺に朝食が出来たことを伝えに来ていたらしい。
――どういうこと?
俺は、無意識に昨日の夜噛み切ったはずの唇に触れた。
――そこに、傷はなく、昨日あれだけあったはずの痛みもなかった。
昨日は、確かにあれだけ血の味がしていたのに。
傷がないなんてあり得ない。
――夢、だったのか……?
とても夢だとは思えないような鮮明さだったけど、昨夜の出来事は俺の不安が見せた夢だったのか?
「……はぁ……雪華。 ――洗濯物、半分持つよ」
俺は、心の中で首を傾げながら、なんだか体の奥に溜まったすごくもやもやとした焦りをため息にのせて吐き出すと、雪華が抱えている大量のタオルを上から半分受け取って階段を降り始めた。
「ん。 ――ありがとう」
雪華はそう言って、昨日の夜見たような、とても――とても、どきっとする微笑みを浮かべると、俺の後ろを着いてくるように、トントンと少し弾んだ足音を立てながら階段を降り始めるのだった。







