ほづみんさんちの雪華さん 5話「消えゆく火華」
「優結、雪華ちゃん、それじゃあ始めようか」
恥ずかしさに耐えきれなくて、軽く膝をすり合わせていると、後ろから妙に笑いを含んだ声が聞こえた。
振り返ると、バケツと線香花火を携えた父さんが、後ろから声を掛けていた。
その背後には、母さんの姿も見える。
「分かったっ!」
父さん、本当にグッドタイミングだ。
俺は、さっきまでの空気を振り払おうと、沓脱石の上に置かれた下駄を突っかけ、雪華に向かって手を伸ばした。
「ほら。雪華」
「ん」
雪華が、俺の手を握り、柔らかな仕草で下駄を履いた。
あまり、下駄を履いた経験が無いのか、少し収まりが悪そうに、なんどかカンカンと地面と打ち付けるように下駄を鳴らした。
「大丈夫か?」
「うん……大丈夫」
雪華は、足下を見ていた顔を、ふっと上げた。
俺よりも、雪華の方が少し身長の高いから、少し首を上に傾け見上げながら話しかける。
ちょうど雪華の後ろに月が見えた。
銀色の髪を縁取るように、月の光が輝いている。
朝顔柄の浴衣に、重なるように髪が流れ、夜風が吹く度、さらりさらりと音を立てるように流れていく。
なぜか、その雪華をみると、ぎゅっと大きなぬいぐるみでも胸の辺りに押しつけられたみたいな感覚になって、呼吸が出来なかった。
「ありがと」
「あ、ああ……」
ぼうっとしていたからか、雪華が声を発したとき、なぜかまたびっくりして、俺はぴんと背筋が伸びた。
「ほら、優結。花火始めるよ」
「雪華ちゃんもどうぞ」
父さんと母さんが、俺たちの様子を見てか、笑顔で線香花火を差し出してくる。
俺は、無意識に手を伸ばしてそれを受け取った。
「……これ?」
雪華が、受け取った線香花火を見て首を傾げている。
――ああ、そうか。雪華は線香花火、知らないって言ってたもんな。
「父さん、ライター貸して」
「気をつけて使うんだよ?」
ようやく、正常な思考を取り戻した俺は、雪華に説明しようと、父さんが、赤い透明なプラスチック製のライターを差し出してくるのを受け取った。
「雪華、持つ方逆。こっち。こっち持って」
「こう?」
「そうそう。それで、こっちにこれで火をつけるんだ」
「うん。わかった」
「ほら、こんな感じ」
俺の線香花火を少し下に向けると、ライターをすりあわせて火をつけた。
見る間に、チリッ……チリッ……と微かな音を立てて先端部分に小さな火の玉が出来る。
――雪華は、相変わらず無表情だったけど、ほんの少しだけその瞳が輝いているように見えた。
「この状態が『牡丹』……先に丸い火の玉が出来てるだろ?」
――そう言った途端、さっきまで微かに飛ぶだけだった火花が、その数を増していく。
雪華が、驚いたように少し目を見開いた。
「……綺麗」
無意識なのだろうか? 雪華がぽつりとつぶやいた。
「これが、『松葉』」
雪華の反応に、嬉しくなって、そのまま要らない蘊蓄語りまでしたくなってしまう。
でも、それは喜んでいる雪華の邪魔をしてしまうようで、無粋な気がして最低限の説明だけにした。
やがて、激しく火花を散らしていた花火が、少しその勢いを弱めて、揺れ動く火の玉の周りに細かな火花が流れ始めた。
「今度は、柳」
風に、火花が流れて、夜の庭に黄色い軌跡を描いていった。
「……あっ」
やがて、最後の力を振り絞るように、火花が再び数を増やして燃え上がった。
一本、一本と散りゆく火花が飛んでいき――消えた。
「――今のが『散り菊』。どう……だった?」
「――すごく。綺麗だった」
どう、雪華が思ったのか、緊張しながら聞いた俺に、雪華が返した言葉はありきたりだった。
でも、その雪華の表情は、全然ありきたりなんかじゃなくって、確かに本心でいった言葉なんだと分かった。
「そっか……良かった」
「ふふっ……」
「くっく……」
俺が、大きく安堵の息を吐くと、家の中から笑い声が聞こえた。
「なっ……ッ」
慌てて笑い声の聞こえる方を振り返ると、父さんと母さんがそろって口元に手をやって笑って居る。
「な、なんだよっ!?」
「――いや、なんでもないよ」
「さ、雪華ちゃんも、どうぞ」
顔が熱くなるのを感じながら、二人に向かって騒ぎ立てると、二人はそろって顔を見合わせて、すっとぼけるのだった。
――ああ、もう。なんだよ。二人してからかってきて。
雪華に変な風に思われてたらどうしようと思って、表情を確かめると、雪華はどうやら手元の花火が気になっているようで、そわそわと花火を触り回している。
「……ああ、雪華。ライター使えよ」
雪華の姿に、なんだか近所の猫に煮干しをやったとき、煮干しの方ばっかり見つめていてため息をついたときの事を思い出しながら、ずっと手に握り締めていたライターを手渡した。
「ありがとう……」
雪華が、受け取ったライターを手に取り、ためつすがめつしながら、透かしたり降ったりしている。
「ここ、回せば良いの?」
ライターの火打ち石の部分を触りながら、雪華が聞いてきた。
「ああ。そうそう。そこを勢いよく回すんだ。そしたら火がつくからさ」
「そう……」
雪華が、ライターを点火しようと、心なしかワクワクした様子で、線香花火の先端を近づけながら親指を動かした。
――ジョリッ!
――ライターが鈍い音を立て、盛大に火花だけを散らした。
「「「「……」」」」
俺、父さん、母さん、そして雪華の間に、なんとも言えない緊張感を宿した沈黙が流れていく。
――ああ、まあ、ライターって案外点火するの難しいよな。
微妙に切なそうな表情をした雪華が、助けを求めるようにこっちを向いた。
「――ほら、貸してみろ」
その表情に、なぜか負けた気分になりながら、俺は雪華からライターを受け取り、勢いよく着火する。
シュボっという小気味良い音を立てながら、今度は無事にライターが火を灯した。
「――強いて言うなら、思い切りが大事。だな。ほら、こっち持ってきて」
雪華に線香花火を持ってくるように言うと、恐る恐るといった様子で近づけてきた。
ライターの火が、雪華の手元の線香花火に燃え移る。
チリッ……小さな音を立てて、無事に線香花火が燃え始めた。
さっきの俺が灯した花火よりも、ほんの少し大きめの火の玉ができあがって、パチパチと景気よく燃え始める。
――雪華は、手先を真下に向けながら、そんな火花を、食い入るように見つめていた。
花火は『松葉』を超え、『柳』の状態へと移っていく。
――ぽと。
「……あッ」
衰える火花に、ほんの少し動揺したのか。
それとも、僅かに吹き抜ける風のせいか。
雪華の手元で火花を散らしていた線香花火の火の玉が、重力に引かれるように落ちて――消えた。
雪華は、呆然とした様子で手元の消えてしまった線香花火を見つめている。
うん。その気持ちはよく分かる。
確かに、途中で火の玉を落としてしまった時は、どうしようもない寂しさと悔しさを覚えるものだ。
「――ん。火の玉が落ちたらそれでおしまい。――次は落とさないようにしような」
雪華を元気づけるために、もう一本線香花火を差し出しながら、話しかける。
次、がんばろうと。
「うん……可愛そうな事を……した……」
雪華は、まだショックから抜け出せていないようだったが、線香花火を俺の手から受け取った。
「――次は、最後まで落とさないッ!」
「よし。その意気だ」
決意を秘めたような雪華に、俺は花火の角度だとか、落ちにくいようにする方法をアドバイスする。
――雪華は、熱心に俺の話を聞きながら、線香花火を構えた。
――その後、雪華は線香花火を落とすことは無く、楽しい時間は過ぎていくのだった。
***
「お休み。雪華」
「おやすみなさい」
雪華に『おやすみ』を告げて、俺はベッドの上で今日のことを考えていた。
――なんか、今日はホントに、大変だったなぁ……
学校が終わって、塾に行って、それから公園に行って。
公園で話してから家に帰るときは、雪華が一緒で。
家に帰ってきたら、一緒にご飯食べて、花火をして。
気がつけば、もう真夜中だ。
明日は、朝から塾だって言うのに、眠気なんて全然やってこない。
――ひょっとしたら、俺、今日は凄いことをしたのかも知れない。
普段、感情任せのクラスの奴らを呆れた気持ちで見てたけど、それよりよっぽど今日の俺は感情的だった気がする。
でも、雪華が、『帰る場所がない』って言ったから。
そしたら、どうしても雪華を連れてこなきゃって思ったんだ。
――どうしても、雪華と一緒に居たいって思ったんだ。
クラスメイトの後藤の奴が、『妹を守りたい』って良く言ってるけど、きっとそれに似た気持ちなんだと思う。
『保護欲が湧いた』って奴なのかも知れない。
――年上の女の人に、『保護欲』なんておかしいかも知れないけど。
それでも、確かに俺は雪華のことを守りたいって思ったんだ。
そういえば、うちの母さんも、それから父さんも。二人ともやっぱり立派だったな。
落ち着いて考えてみて、やっぱりそう思う。
だって、どう考えても女の子を拾ってくるなんて普通じゃない。
拐かしの類いだって、疑われるかも知れないし。
それでも、うちの両親は、思うようにすれば良いって言ってくれたんだ。
二人とも、本当に凄い。自慢の両親だ。
――ああ、そうだ。それを言うなら、雪華だって本当に変な奴だ。
家がなくって、本当に困ってたのかも知れないけど、うちにすんなり着いてきたし。
第一、今までどうやって生きてきたんだろう?
あんな、住宅街の中の小さな公園で腰掛けて、一体何を考えてたんだろう?
容姿は日本人っぽくないし、どこか遠く異国の生まれなのだろうか?
それにしたって、随分と日本語は達者だったけど……
でも、その割に生活してたら当たり前の知識を知らなかったし……
ひょっとして、それこそ拐かしにでも遭って、無理矢理連れてこられたんだったらどうしよう……
そんな、映画みたいなこと。無いと思うけど……
それでも、やっぱりどうしたって不自然な気がしてならない。
ひとりぼっちで、こんなところで放り出されて……それはとても心細い事だと思う。
今、俺が、誰も周りに知っている人が居ない土地に一人で放りだされたら、きっとどうしたら良いか分からない。
でも、雪華、はじめは『一人で大丈夫』って態度だったし。
まあ、それでも、俺の手を取ってくれたって事は、それは強がりで寂しかったのかもしれないけど――
――そこまで考えて、手を握ったときの、雪華のすべすべとした吸い付くような肌の感触が手によみがえった気がして、急に気恥ずかしくなった。
まただ。雪華の事を考えると、どうしても急に恥ずかしくなってしまう。
俺は、掛け布団の端をぎゅっと握って、顔を埋めてぎゅっと全身に力を込めた。
――本当。一体俺、どうしちゃったんだろうな。
ひょっとして、風邪でも引いたのかも知れない。
だったら、明日の塾、気をつけないとみんなに風邪うつしちゃうかも。
自分が、おかしくなってしまった気がして、そんな事を考えた。
――カタン
その時、俺の思考を遮るように、なにか微かな物音が聞こえた。
ちょうど、玄関の方。
それは、うちの扉を開けたときに鳴る音に、とてもよく似ていた。
ん? なんだろう。
そう思って、窓から玄関の方を覗いてみる。
すると、そこには、浴衣から出会ったときに着込んでいた自分の服に着替え、家の外へと出て行く雪華の姿があった。
「えっ!?」
思わず、小さく声を上げてしまう。
――一体、こんな時間にどこに行くって言うんだ!?
俺は慌てて部屋を飛び出すと、雪華を見かけた玄関に向かって駆け出した。
階段を一段ずつ降りるのももどかしく、壁に手をつきながら一息に一階に向かって飛び降りる。
ストンという軽い着地音がして、床がきしむ気配がしたけど、そんなのは気にしてられない。
俺は、玄関の扉を勢いよく開け放った。
「――雪華ッ!?」
――そこには、少しだけ驚いたように金色の瞳を見開く、雪華の姿があった。







