ほづみんさんちの雪華さん 2話「拾われた」
「あなたの……お家……?」
目の前の女の子――雪華は、俺の言ったことが理解できないように、コテンと小さく首を傾げた。
その仕草を見ると、ただでさえ熱く感じる頬が、さらに温度を上げた気がする。
「お前、家、無いんだろ!? だったら、うちに来い!」
「それは……迷惑……」
雪華が、困った顔をしながら『迷惑』と言う。
その言葉に、体の中で燃え上がっていた熱が、ふぅっと奪われるような気がした。
――余計なお世話ってやつだったのか?
そんな不安がゆっくりと持ち上がって、段々、胸の辺りが締め付けられていく気がした。
「……あなたの家族……に」
だが、雪華の言葉には続きがあった。
『それは、あなたの家族に迷惑』そう、雪華は言いたかったようだ。
――びっくりさせんなよ……!
なんだか、締め付けられていた胸の辺りが、すっと緩んでふわふわした暖かさが満ちてくる。
――同時に、なぜだか分からないけど無性に腹が立った。
「いいんだよっ! そんなの。父さんだって、母さんだって、絶対、なんとかしてやるからっ!」
「……」
雪華が、断言した私の方をじぃっと見つめてくる。
なんだか、テレビでよく見る『鑑定士』が鑑定品を見つめる時みたいだ。
「……分かった」
雪華はしばらく俺の事を見つめた後、感情の読めない口調で納得した。
まったく、俺は、心配だから『うちに来い』って誘っているのに……人の心配の分からないやつだ。
「でも……ちゃんと、家族に……聞くこと」
「分かった……でも、公衆電話のところ行くより、うちの方が近いから、このままうちに行くぞ?」
「そう」
――本当は、ちょっとだけ公衆電話まで行く方が近い。
でも、それだと目の前の少女はついてこない気がしたのだ。
そうして、そのままお別れになってしまうような……
だから、ほんのちょっとだけ、俺は嘘をついた。
「ほら、行こうぜっ!」
内心の罪悪感を誤魔化すために、ぶっきらぼうにベンチを立ち上がって、雪華に向かって右手を突き出す。
すると、雪華は俺の手を見て、ほんの少しだけ目を見開いて、微かな微笑みを浮かべると右手で俺の手を包み込んだ。
雪華の手は、その名前通り、すこしひんやりとしていて、なんだかすっごい肌触りがよくて、すべすべしてて――
手を握ってすぐに引っ張って立たせようと思ったのに、思わず、肩の辺りに変な力が入って固まってしまった。
雪華は、固まってしまった私を不思議そうに見つめる。
そんな少し潤んだようにも見える金色の瞳がとても妖しげで――
慌てて、俺は雪華が立ち上がれるように腕に力を入れ直した。
「ありがと」
お礼を言う雪華に顔を見られたくなくて、握られていた右手を左手と入れ替え軽く引っ張った。
――トクン、トクン
俺の左手と雪華の右手、つながっている所から、全身に血が回っているような感覚がする。
――ああ、もう。変な感じだ。
「――行くぞっ!」
星降る夜、自転車を押しながら歩く間も、雪華は俺の左手を握ったままだった。
――指先だけ。
――なんだか、これ、すっげー恥ずかしい。
***
うちの前にたどり着いた。
家の中では、両親がニュース番組でも見ているらしい。キーンとしたブラウン管の発する音と共に、海外で起こった爆破事件を解説しているのが聞こえる。
「雪華。ここが、俺のうちだ」
「ここ、あなたの……お家?」
「ああ、俺と、父さんと、母さん。三人で住んでる」
「そう」
「待ってろ。今、開けるから」
「うん」
素直に頷く雪華を背後に、大きく息を吸い込んだ俺は家の扉に手を掛ける。
――ああ、すっげー扉が重い。
いつも何気なく開けている扉が、今までに感じたことがないくらい――重い。
だが、後ろの女の子のために、絶対に俺は両親を説得しなくてはいけないのだ。
――頑張ろう。
まずは、『ただいま』って声を掛けて――
決意を新たに家の扉を引っ張った。
「――お? 優結、おかえり。随分遅かったじゃないか?」
――開けた瞬間、そこに父さんが居た。
いつも家にいるときに着ている、深い紺色をした縦縞しじらの浴衣の袂に手を突っ込み、父さんが上がりがまちの壁にもたれるようにして立っていた。
――油断した!
まさか、扉の前にいると思っておらず、声を発しかけた口が混乱したように無音でぱくぱくと動いた。
「た、ただいま。ど、どうしたんだ? そんなところで」
なんとか、声を絞り出して、内心の動揺を悟らせないように話しかけると、父さんは、肩をすくめながら笑った。
「いや、あんまり優結が遅いんで気になってね」
「ああ、悪い――ちょっと色々あって」
「ふん……『色々』ねえ? そっちの子は? ……随分と可愛らしいお客さんだ」
父さんは、俺の『色々あって』という言葉に、察したように後ろにいる雪華に視線をやった。
まあ、父さんからも丸見えだろうし、いったいこれはどんな事情かと思うのも無理もない。
「その……家無し子だ」
「『家無し子』――それはまた……珍しいね?」
「ああ。俺も、正直驚いてる」
きょうび、日本で家無し子というのも珍しい話だ。
家出だというならまだしも分からなくもないが……
「――それで、その家無し子ちゃんがこんな時間にどういう用向きかな?」
「そのっ……」
「――二人ともー? どうしたのー?」
幾分普段より険しい表情で問い掛ける父さんに、反射的にまずいと思った俺が言い訳をしようと試みると、家の奥から呑気な声と共に母さんが現れた。
「ああ、マヤ。 ――優結が、女の子を連れてきてね」
「あら! まあ!」
「父さん! いや、間違っちゃ無いんだけど……」
父さんの言い方に、なんだか不穏なものを感じて、文句を言いそうになるが、事実としてはなにも間違っていないから続く言葉が出てこなかった。
「――そう。それならそうと、みんな早くお上がりなさいな」
「あ、ああ……だが……」
母さんが、両手を胸の前で合わせながら、ニコニコと笑って招き入れると、父さんがなにか困ったような顔をして、母さんと雪華の顔を見比べている。
「もう、こんな可愛い女の子をいつまでも玄関で放っておくんじゃあありません! 隆俊さんも、そんな物騒なポーズでそんなところで立ってちゃ、二人が入ってこれないでしょう? 二人とも上がってらっしゃい。蚊が入っちゃうわ」
「母さん……雪華。そういう事らしいぞ? こっちに来いよ」
「お邪魔……します」
事情を確認する事も無く、ピシャリと父さんを叱りつけると、とにかく家の中に上がって来るように言う母さんに苦笑しながら、玄関前に立っていた雪華を家の中に招き入れる。
雪華は少し戸惑ったように、一度、三和土の前で立ち止まると、ぺこりと頭を下げた。
「あらあらー良い子じゃない。さあ、上がって上がってー」
「ありがとう……ございます」
「もう、やあねぇ。あ、このスリッパ使って」
「ありがとう、ございます」
物腰柔らかなのに、とても押しが強い母さんが、怒濤の勢いで雪華を家の中に連れ込んでいく。
雪華が、明らかに困ったように、お礼を言っている。
その姿に、さっきとは違った恥ずかしさがこみ上げてきた。
この恥ずかしさはさっきまでの、得体の知れない恥ずかしさと違って、どこかで体験した事がある恥ずかしさだ。
そう、ちょうど、授業参観に父さんと母さんが二人そろって来た時みたいな……
もしくは、運動会の保護者参加種目で父さんが頑張り過ぎて一等賞をとっちゃった時のような……
どちらにしろ、恥ずかしいのには違いなかったのだった。
***
「それで、その子はどうしたのー?」
「そ、その……拾った」
「拾われた」
リビングに置かれたテーブルについて、それぞれの前にお茶を置いた母さんが、ようやく事情を尋ねてきた。
でも、そんな事より、見慣れた家の中に、見慣れない雪華がいるという事が気になってしょうが無かった俺は、つい『拾った』なんて犬猫のような言い方をしてしまった。
「あらそう……今度は女の子を拾ってきたのねーそれで、優結はどうしたいの?」
「その、父さんと、母さんには迷惑を掛けるけど……この子、うちに置いてあげて貰えないか? ほ、ほら、その、最近付け火だ何だって物騒だし、それに、それに……」
『こんな綺麗な女の子放っておくなんて』と言おうとしたのだが、すぐ隣に座っている雪華の姿を見て、その言葉が出てきてくれなかった。
「そう……それじゃあ、今日から一緒に住みましょうか」
でも、母さんはそんな事を気にもとめず、うんうんと納得したように頷いている。
「……いや、マヤ……その反応は流石におかしいだろう?」
「――あら? どうして?」
父さんが、母さんの反応に呆れたように指摘すると、母さんは本気で理解出来ないように首を傾げている。
「犬や猫じゃないんだから、流石にそこら辺から人を拾ってくる訳にはいかないだろう?」
「あら? でも、隆俊さんが私を『拾った』のも、私がこれくらいの歳の頃じゃなかったかしら?」
「――い、いや、待てマヤ。アレは――」
「待ちません。言い訳は男らしくないわよ? 隆俊さん。そちらの――えーとお名前……」
「――雪華」
「そう。雪華さんというの。素敵な名前ね。雪華さんは、お家の方は大丈夫なの?」
「――うちは、無い。家族は――居ない……」
「そう。――そうなの。ごめんなさいね。嫌な質問をして」
「構わ……ない」
どんどんと話が進んでいき、雪華は、口数少なく母さんの質問に答えている。
『構わない』といった雪華だけど、少しだけ表情が曇ったように感じた。
――どうしよう。俺も、雪華をうちに置いて貰えるようにもっとお願いしないと。
「良かった。――ほら、隆俊さん? この子もこう言ってるのよ?」
俺が焦っている間にも、母さんはあっさりと父さんの説得を始めた。
「だが、そんな、マヤッ! 君も分かっているだろう!? この子はどう見ても――」
なぜか、父さんが焦ったように袂を押さえながら、母さんに向かって言いつのった。
「――そんな事はどうでも良いことじゃない。優結が、選んだのよ?」
「――優結は、まだ子供だ。大人が責任を持たないといけないだろう?」
そんな父さんの様子などどこ吹く風とでも言うみたいに、母さんが『俺が選んだ』といって父さんを説得してくれている。
だが、父さんはやはり納得がいかないように、母さんに向かって反論している。
――確かに、父さんが言うことは正論に違いない。
……やっぱり、説得するのは難しいか。
「ふふ……隆俊さんも優結くらいの年頃にはもうお爺様の所に居たじゃない?」
しかし、母さんはそんな父さんに余裕のある笑みを向けている。
そんな様子に、父さんは少し苦々しい様子で表情を落ち着けた。
「それはそうだが……」
「なら、私や隆俊さんに反対する資格はないわ!」
「ぐっ……それとこれとは――」
「別じゃありません。――優結は、私達の息子よ」
会話を打ち切るように、母さんが、力強く断言した。
一体、父さんと母さんの間には、昔なにがあったんだろう?
俺も知らない、二人だけが分かる会話みたいだ。
そのまま、二人は正面からじっと微動だにせず見つめ合っている。
――やがて、父さんはため息を大きくついた。
「――分かったよ。マヤ」
「それじゃあ――っ!」
思わず、俺はテーブルの上に手をついて身を乗り出してしまった。
自然と、さっきまで強張っていた表情が、口元を中心に持ち上がって、笑顔になっていくのが分かる
口元の緩みを見られるのが、恥ずかしくて、慌てて口元を両手で覆った。
すると、さっきまでとは打って変わってにやにやとした嫌らしい笑みを父さんが向けてきた。
「いや~……僕も随分若い頃から冒険した物だけど……優結――お前もやるなぁ」
「――ちょ、父さんっ! なんだよ、それ!」
なんだか、その父さんの言い方に『やらしい』ものを感じて、反射的に言い返した。
父さんは、何も言わずにこっちが恥ずかしくなってくるような笑顔を向けてくる。
「ふふ……一応、確認しておくけど、雪華さんもそれでいいのね?」
そんな俺たちのやり取りを放って、母さんは雪華の意思を確認するように問い掛けた。
おもわず、俺ははっとなって雪華の方を振り向いた。
なんて返事をするのか?
本当に、本当に連れてきても良かったのか?
……もしかして迷惑だったんじゃないだろうか?
どきどきしながら、その口元がどんな形を描くのかが気になって……少し透明な印象のある薄い色をした唇を見つめた。
どんどんと視界が狭まっていき、そこ以外が目に入らなかった。
すると、唇は開くよりも先に上下に力強く、大きく動く――
そして、唇がようやく開いた。
「お世話に……なります……よろしく、お願いします」
――こうして、我が家の住人が一人増えたのだった。
これからしばらくの間、ちょっと生意気な小学生ほづみんと、ちょっと不思議なお姉さん雪華の日常を描いたお話が続きます。







