第二十四話「明日への勇気」
「ラリカ――入るぞ?」
ラリカが籠もっている部屋の前で、大きく深呼吸をした私は室内に向かって呼びかけた。
今のラリカは、こちらが呼びかけてもろくに反応も返さない。
案の定、返事はなかった。
ゆっくりと扉を開けて、室内にするりと入っていく。
「ラリカ……調子はどうだ?」
ベッドに座りこみ、茫洋としたまなざしを彷徨わせるように、ゆっくりとこちらに視線を向けるラリカに近づきながら、いつものように話しかける。
変わらず答えはなく、ただ、私に向かって抱擁を求めるように両手が突き出された。
このところはいつもこうだ。
ただ、私を抱きしめるように両手を伸ばし、近寄れば静かに抱きしめるだけ。
まるで、人形を抱えて自分の世界に籠もっている幼子のようだ。
――だが、今日はやることがある。
――やらなくてはならないことがある。
――だから、その要望をただ受け入れてやるわけには行かない。
「――ラリカ。話がある」
私は、いつものようにベッドに飛び乗るが、ラリカの胸元までは近づかなかった。
少しの距離、ベッドの背にもたれるように座るラリカの足下へと座り込んだ。
いつもと違う私の行動に、生気の失せた瞳のまま、ラリカはゆっくりと首を傾げた。
「そのままで良い。聞いてくれ。今日は君に、見せたい物がある」
持って回った私の言い回しに、不思議そうにラリカは、コクンと、さらに首を傾げた。
表情の欠落したラリカを見て、胸に錐を突き立てられたような痛みを覚える。
――本当に切り出してしまって良かったのか?
――自分は間違っているのではないか?
そんな不安が鎌首をもたげるが、もはや口に出した言葉を飲み込むことは出来ない。
南無三、ままよっと、空間魔法を発動し、フィックに多層構造術式を書き込んで貰った雪華の指輪――神器を取り出した。
「この……指輪だ」
中空に出現した指輪を咥え、ラリカの突き出された両手の間に指輪をおいた。
ベッドの布地に置かれた指輪は、術式を書き込む前と見かけ上は変わっていない。
ラリカは私が何を伝えたいのか理解できなかったのだろう。
私の意図を掴みかねたように、不審げに緩慢な仕草で指輪をつまんだ。
ラリカの手の中で、赤い宝石が妖しげな光を放っている。
「その指輪には……多層構造術式が刻んである」
『多層構造術式』という言葉を聞いたラリカは、ぴくっと肩を震わせた。
――よし……反応あり……だ!
やはり、この言葉はリクリスの事を連想させるようだ。
ならば――大丈夫。
――まだ、ちゃんとラリカはこちらの呼びかけに応えてくれる。
――耳を傾けてくれている。
反応するだけの感情を残してくれている――ッ!
ならば、後はそれを少しずつ、強く、反動で起き上がるように揺り動かしていくだけだ。
「そうだ。ラリカ。君と――リクリス。君たち二人が生み出した術式だ」
明確に、『リクリス』という単語を出すことで、強くラリカの瞳が揺れた。
先ほどまでの感情がこもっていない視線とは違い、睨まれているようにも感じる。
『なぜ、そんな事を掘り返すのか。なぜ、辛い事を思い出させるのか?』
その瞳は、そう非難しているように思えた。
だが、たとえそれが恨みや怒りであっても、まだ、ちゃんと心が死んでいない事がわかり、少し安心する。
「――なぜ……?」
たった一言、掠れた声でラリカの発した言葉の意味は、果たして私を責める『何故持ってきたのか』という言葉だったのか、それとも、実現できなかった術式の封入が完成していることに対しての学術的な疑問か。
どちらにせよ、それはここ数日聞くことのなかったラリカの声だ。
「ラリカが持っていた指輪が神器だった。だから、術式が書き込めた」
前者の可能性が高いと思いつつも、あたかも後者に対する質問であったかのようにすっとぼけて簡潔に答えてみせる。
「――神器?」
「そうだ。神器だったのだよ。あの指輪は」
「……これは、お前を拾った時森で拾った物です」
しばしの間を開けて、『神器などであるはずがない』僅かに宿った感情を再び沈ませたラリカが、疲れた声を発した。
どうやら、私が自分に発破を掛けるために、適当なことを言っているとでも思われたようだ。
「随分な偶然もあったものだ……だが、事実、この指輪は神器で、そしてこの中には多層構造術式が入っている。――見ていろ」
そんなラリカに現実を――『希望』を突きつけるため、私は、指輪に向かって魔力を流し、術式を起動させる。
もともと術式の発動に使うための魔力は、指輪の中にすでに注ぎ込んでいる。
あとは、それを呼び起こして術式を選んでやれば、目的の魔法が発動するだけだ。
今刻まれている術式の中で、もっとも周囲に与える影響が少ない、『照明』の魔法を選び、発動する。
なんの抵抗もなく発動した術式は、無数の蛍火を室内に湧き上がらせた。
「――ッ!」
――そう。
この術式は、リクリスが多層構造術式の実験の折、発動させた術式と同じだ。
それだけに、ラリカは、無数の湧き出す明かりにあの晩の事を思い出したのだろう。
今までで一番、明確に、明らかに、大きくその表情を揺らした。
金色の光が、きらきらと水面に揺れる星影のように、室内と、そしてラリカの顔を照らし出す。
ラリカの瞳が、その明かりの一つを追うように、左右に揺れ動いた。
「リクリスが、言っていたろう? 魔法が使えない人も、魔法を使えるようにしたいと。ならば、これは紛れもなくその成功の一つのはずだ。リクリスの想いに基づいて生み出された結果だからな」
「リクリスが――したかったこと?」
「そうだ。ずばりそのまま言っていた訳ではないがな。リクリスがことある度に、だれかの役に立つ術式を作りたい。普及させたいと言っていたではないか? それが、ここに実現しているのだぞ? つまり、リクリスが、――生きて、この世界で必死になって頑張った証だぞ?」
「リクリスが……生きた証?」
「そうだ。リクリスが、生きて、頑張ったから、こうして実用化までこぎ着けたのだ」
「ラリカ……君は、これを無碍にできるか?」
「……」
あえて意地悪く問い掛けると、ラリカは光から逃れるように目を逸らし、葛藤するように少し顔を伏せた。
必ずしも、これを見て、怠惰に過ごすことが、すなわち無碍にしているとは言えない。
だが、僅かでも、リクリスの想いを――そしてその行動を無碍にしてしまっていると感じてしまう要素があるのならば、この子はきっとそれを許せない。
――そんな自分が許せない。
だから、それを分かった上で、私はさらに追い打ちになる言葉をラリカに突きつける。
「――それに、ラリカ、君は気がついていなかったかもしれないが、リクリスは誰でも魔法を使えるようになるという話をしたとき、君の事をじっと見ていたぞ? それは、ひょっとすると、ラリカに魔法を――普通の魔法を使えるようになって欲しかったのではないのか?」
「普通の……魔法……」
「ラリカ……君の使える魔法は『神炎』だけだ。だが、あの魔法は規模が大きすぎて、普段使うには強すぎる。だから、あの子の言う助けたい人の中には――ラリカ。君も入っていたのではないか? 多層構造術式で、ラリカを助けたかったのではないか? どうも王都に来る前から、君が魔法を使えないという噂を聞いたことがあるようだったしな」
言って居ることの半分はほとんど想像だ。何の根拠もない。
だが、それでも、あの少女ならそんな事を考えていそうだと思えたのだ。
「ならば、これを持つのは、持つべきなのは、ラリカ。君だ。君が持って、リクリスの想いを残すべきではないか?」
「リクリス……の、想い……」
「そうだ。あの子が、生きたという証明だ。あの子が、最後の最後に世界に残した物だ。あの子の願いの――結晶だ」
「でも、それでも、リクリスは――ッ!」
『リクリスは帰ってこない』ついに堪えきれなくなったのか、肩を震わせ、苦しそうに胸を押さえながらラリカが慟哭する。
ぽと……ぽと……と、かすかな湿った音を連れ、伏せて見えない目元から滴がこぼれてベッドを濡らしている。
「確かに、これを広めたから、リクリスが戻ってくる訳でもない」
「そうです――それに、リクリスを殺した私が、こんな物――ッ!」
後悔を胸に、歩み出す事が出来ない。
前に進むことが出来ないまま、ラリカは足踏みするように自らを責める言葉を言い連ねていく。
そんなラリカのために、私は大きく息を吸い込むと、力強く言い聞かせる。
「いいかっ!? ラリカッ! 確かに、君は、リクリスの死の切っ掛け、僅かな一端を作り出したかもしれない! だが、それは意図した物ではないだろうッ!? ――すべての行動が何を起こすのかを想定するなど、不可能だ。傲慢だ。今回の事件は、犯人がいる。つまりは犯人が悪いのだ。それを自分の物と錯覚するのは、逃げでしかないぞ!」
「――な」
「そうだっ! そして、そうして生き残った、生き残ってしまった人間は、死んでしまった人間の尊厳を守らねばならん。そんな義務を負わねばならんのだ。だから、私は……そしてラリカ、君は、リクリスがせっかく残したものをあの子の願い通り生かさねばならんのだ」
「そんなッ……そんなのッ、くろみゃーが勝手に思っているだけではないですか!」
「そうだとも。私が勝手に思っているだけだ。だが、臆病に震えているだけでは、前に進めない。あの子が、そんな事を望んでいるとでも思っているのかッ!?」
「――ッ。そんな……ことは無いですけど」
「ならば、一歩を踏み出してみろ! 良いかっ!? ラリカ、君がもしこの指輪の持つ意味が理解できるなら――リクリスの想いが理解できるなら、君は新たな『勇気』を持たなくてはならないぞッ! 君は確かに責任感が強い、そして、誰かを守ろうとする気持ちは何者にも代えられない貴重な物だ。だが、君には経験が足りない。強さが足りない。自分の背中を自分で押してやるような僅かな『勇気』が足りないのだ。人というのはな、本当に、つらいとき、悲しいとき、困難に立ち向かうとき、一歩を踏み出す力が必要なのだ。だから、君は今、そこでそうやって前に進めずに消えようとしているのだろう!!」
――それは、今までラリカと過ごして覚えた違和感だ。
この子は、色々な成果を上げてきているらしいが、その割に自己への肯定が足りない。
それは、ひょっとすると最近まで一切の魔法を使えなかった劣等感故の事なのかもしれない。
しかし、それはそのまま成長して行くには改善しなくてはならい事だ。
辛く、苦しい現実に直面したとき、周りからの言葉があっても最後に自分の背中を押して前に進むのに必要なのは自分の意思だ。
――自分の強さだ。
そう。それは、青臭い言い方をするのであれば、『勇気』といえる物だろう。
「……勇気……? 前に進む力……?」
「そうだとも。世の中なんて嫌なことだらけだし、予想通りに進むことの方が少ないだろう。だから、だからこそ、そんなときに自分を鼓舞し、辛くても悲しくても、悲しみに立ち向かい尊厳を保つための一歩を踏み出すための勇気の力が必要なのだ」
ラリカは、伏せていた視線を少しだけ上げ、私の目を見つめた。
その瞳は、悲しみと、そして明確な戸惑いを宿していた。
おそらく、きっと今すぐに私の言っている事を理解するのは難しいだろう。
だが、きっとラリカの事だ。この後、私の言葉をよく考え、思考するはずだ。
ひょっとすると、反発の一つでも覚えるかもしれない。
だが、そうすれば、僅かなりとも立ち直る切っ掛けになるかもしれない。
――あとは、だめ押しをするだけだ。
「ラリカ。渡す物はこれだけではない。受け取れ」
収納魔法で、リクリスがあの日準備していた贈り物を取り出す。
ラリカは戸惑いながらも、おずおずと一つの袋と手紙に手を伸ばした。
「二つとも、最後にリクリスが君に贈ろうと準備していた物だ。――術式が完成したことのお祝いだそうだぞ」
『リクリスからの最後の贈り物』――その事実に、伸ばし掛けたラリカの手が止まった。
どうすれば良いか分からないように、そのまま手を止めて固まっている。
「一つは、手紙のようだ。私には内容は読めない。君にリクリスが伝えたかったことだろう。最後にあの子が何を伝えたかったのかを知ると良い」
「リクリスからの……手紙……」
「私は、部屋を出ておく。ゆっくり読むと良い」
そういって、告げるだけ告げた私は、ラリカの目の前を退くと、ベッドの上から飛び降り、部屋を出て行くことにする。
頃合いを見てから再び部屋に戻ってくるつもりだが、今は考えを落ち着けるためにも一人にした方が良いだろう。
部屋を去る間際、ラリカの方を振り返ると、悩み悩んだ様子で、ラリカが手紙に触れるのが見えた。
――まったく。ああ……本当に……まったく。
偉そうに言って居るが、私だってラリカの事を強く言えた物ではない。
今だって、内心は千々に乱れているし、その中で少女を責め立てるような物言いをするのは心が痛んでいた。
少し、視界がゆがみ、目頭が熱くなる。
だが、決して泣いてはいない。
ただ、ぎゅっと堪えるように目をつぶった私は、前足で顔を洗うように、いつもより強い力で毛繕いをした。







