第二十話「まわりゆく毒」
『最後の罠』というフィックの予想は正解だったのだろう。
その後は何の障害に遭うこともなく、私は薄暗い通路を走り抜けていた。
なぜ、フィックは最後の罠だと判断したのか?
そして、最後の罠は一体どんなものだったのか?
別れ際、険しい様子だったフィックを思い出し、『本当に先に行ってしまって良かったのか?』『残って協力するべきだったのではないか?』ぞくぞくとした冷めた不安をこみ上げてくる。
だが、今はラリカの安全を確認するのが最優先だ。
要らない考えがよぎり、止まってしまいそうになる足を必死で動かして走り続ける。
やがて、視界が開けて、ドーム状の少し広い空間が広がった。
ぽつぽつと間を開けて取り付けられた照明が、薄暗く室内に影を落としている。
部屋の中央に、祭壇にあった聖餐台に似た台座が設けられている。
その隣では、背の高い男がかがみ込んでいる後ろ姿が見えた。
祈りを捧げるように片膝をつき、頭を下げているようだ。
――そして、その台座の上には、黒髪の人影が力なく横たえられていた。
「ラリカぁぁぁ――ッ!!」
私は、出会ってから一日たりとも忘れた事の無かった、愛する主人の名前を叫びながら部屋の中央に向かって、駆け込んだ速度そのままに近づいてゆく。
――駆けながら、今日何度目かの氷槍を発動させた。
そして、いかにも敬虔な信徒のツラをして、跪いていた人影――シェントに向かって、氷槍を打ち出した。
シェントは私の叫び声に気がつくと、その場でゆったりとした上着の袖をはためかせながら半回転し、こちらに向き直る。
その手には、先日祭壇に奉られていた杖が握り締められていた。
――あれが、シェントの杖らしい。
杖の先端がこちらを向くと、金色の粒子が纏わり付いて、螺旋を描き、流れていく。
そうして、流れていった粒子達が規則正しく図形を刻み始め――魔方陣が展開された。
『土壁』――か。
攻撃のためでなく、防御のための魔法であると見て取った私は、目の前で展開される魔法を防ぐことは考えずに、ぐんぐんと距離を詰めていく。
シェントの魔法が発動し、石畳を突き破った、僅かに水気を含んだ茶色い土が盛り上がり、分厚く壁のように隆起する。
茶色く押し固められた巨大な黒壁に、氷槍が突き立った――ッ!
速度をそのまま衝撃力へと変換し、圧搾され絞られた氷が決壊し僅かに入った亀裂から、高い内圧を象徴するような細かな氷の粒子と、魔力の残滓が尾を引いている。
細かな氷の破片が、周囲に向かって勢いよく飛び散っていった。
急激な圧力の拡散に耐えかねた土壁が、音を立ててはじけ飛び、崩れていく。
私は、その崩れた土壁の間を縫うように、飛び散った破片に足がかりを見つけては飛び抜け、加速し、すり抜けていく。
正面に、長い髪で表情の見えないシェントが見えた。
片手に握り締めた杖の先端だけは私を狙うようにこちらを追随している。
しかし、土壁を展開しながらだったからか、どうやら次の術式の展開が間に合っていないようだ。
術式が形成されていないことを見て、私はさらに遠慮なしに距離を詰めていく。
シェントがこちらに向けていた杖の先が、ほんのかすかに揺らいで見えた。
――ドスッ
鈍い衝撃が、左前足の付け根あたりに走った。
神業的なバランスでかろうじて前に進む力を発揮していた体が、バランスを崩されたことで、足がもつれ絡み合った。
――そして、それまでの瞬間的な速度はすべて、地面を情けなく滑っていくための力へと変化する。
私は、横倒れになったまま、シェントの隣を滑り抜け、ラリカが横たえられている聖餐台まで一直線に地面を滑り、石造りの固い台座にぶつかって止まった。
「くっ……は……ぁ……」
大きく押しつぶされた肺が、取り込んでいた空気を、押しつぶした風船のように口から吹き出した。
衝撃に強張った肺は、とっさに随意運動を再開する事ができなかったのだろう。
口を何度開いても新鮮な空気が入ってこず、呼吸が途切れた。
――何が起こったのか?
立ち上がりながら、先ほど衝撃を受けた当たりを見てみると、かすかに血が毛皮から滲むのが見えた。
……どうやら、銃弾のようななにかで撃ち抜かれたらしい。
――『びしゃっ』と、なにか得体の知れない、人肌程度の暖かさを持った液体が、頭上から降りかかってきた。
「ぐっぃ……はッ……ァ」
傷口に液体が滲み、焼けたような痛みが走った。
痛みを堪えながら頭上を見ると、小さな筒を握ったラリカの手が見えた。
ぶつかった衝撃で、台座の上に寝かされているラリカの右手がすべり、だらりと垂れ下がったようだ。
どうやら降りかかって来たのは、ラリカの右手に握られていた筒の中身のようだ。
「ラリカッ! ――ラリカぁッ!」
血の気が失せた少女の肌にぞっとした感情を抱きながら呼びかける。
しかし、返事は返ってこない。
ただ、だらりと力なく手が垂れ下がったままだ。
シェントの方を警戒しながら確認すると、なぜか首をかしげたまま、こちらを見つめて動かない。
少し、距離を開けたまま、ただ油断なくこちらに杖を向けている。
「くっ……」
痛む体を押しながら、聖餐台の上に飛び乗った。
すると、そこには、この世界に来てから、毎日毎日見てきた少女の姿があった。
肌の色には微かに血の気があり、まだ無事に血液が体を巡っているのではないかと感じさせた。
――だが、それならば、なぜ、目を閉じたままなのだ。
なぜ、口を開かないのか。
なぜ、その頬が涙で濡れているのか。
「ラリカ――ラリカぁぁぁああああああああああ!!」
戦いの余波を受けてか、リボンはちぎれ飛び、束ねられていた髪の毛が拘束を失い広がっている。
その横顔が、路地裏で倒れていたリクリスと重なって見えた。
必死で、ラリカを前足で揺さぶる。
――遅かったのか? 駄目だったのか?
――間に、合わなかった……のか?
絶望感からか、全身を重い倦怠感が苛み、その場にへたり込みそうになる。
「――くろ、みゃ、ぁ……」
――かすかに、声が聞こえた。
にじみ、ぐらぐらと不安定さを増す視界の中、必死で顔を上げ、ラリカの顔を覗き込むと、先ほどまで閉じられていたラリカの瞳が、少しだけ開いていた。
「ラリカっ!」
「……にげ……て」
私の呼びかけに、ラリカは掠れた声を漏らす。
必死に、私に向かって、語りかけてくる。
「……にげて」
「馬鹿者! 君を置いて逃げる訳が無い!」
昂ぶる感情に、視界がくらくらと揺れ動いている。
左右に揺れる世界の中、最後の力を振り絞るようにラリカが言葉を続ける。
「…ゴル……ま…毒……だめ……」
――毒?
ゴルマの……毒?
ラリカの言葉を聞いて、記憶の片隅で引っかかるものがあった。
たしか……そう。初めて王都にやってきたときに、ラリカから聞いたのだ。
綺麗な赤い色をした花。強力な毒性があって『一刺しするだけで大型の獣を前後不覚にできます』と言っていたはずだ。まさか――
さっきから距離を保ったまま、いっこうに近づいてこないシェント。
そして、先ほど『なにか』に打ち抜かれた自分の肩を見る。
そこまで考えて、ようやく先ほどまで感情が高ぶっているせいだと思っていた、視界の揺れが、本当に世界がゆがんで見えていることに気がついた。
全身の倦怠感も、もはや無視できないレベルで重くのしかかっている。
まさか、シェントが先ほどこちらに向けてきていた杖……
それに先ほどの銃撃のような衝撃――あれは、もしや仕込み杖になっているのか!?
――情けない。魔法にばかり気を取られていた。
頭の中に浮かんだのは、日本に居た頃に聞いた話だった。
かつて、諜報機関では傘に偽装した銃で、毒入りの鉛玉を使って暗殺を行っていたらしい。
ならば――どうやら、私はすでにシェントに毒を盛られているようだ。
「ミルマル……ではなく、魔獣の類いですね」
距離を保ったまま、シェントがぽつりとつぶやいた。
どうやら、今までは私の事を観察しつつ、毒が回るのを待っていたらしい。
ラリカにも、目立った外傷が見当たらないにもかかわらず、意識が朦朧としているようなのは、おそらく同種の毒が盛られているのだろう。
「魔獣ならば、討滅しなくてはなりません。しかも、エクザの姿を真似るとは、ユーニラミアの使徒でなくとも見過ごせない所業。――神威を持って滅ぼしてくれましょう」
私は、ぶつぶつとつぶやくシェントの言葉を無視して思考を続ける。
毒が使われている……だとすると……このラリカの衰弱具合から見て、あまり時間は残されていない。
それに、私自身にも、先ほどから毒が回り始めている。
このままでは、遠からず動けなくなってジリ貧だ。
――早く、決着をつけなくては。
私は、強く決意すると、力が入らない体に活を入れ、全身に力を滾らせる。
もっと。――もっと。
――より強い力をっ!
そして、練り上げた力を使い、全力で氷槍の魔法を天井に向かって打ち出した――ッ!
渾身の力を込めた一撃は激しい破砕音と共に、天井を崩し、大規模な崩落を生み出した。
私は、その落下物からラリカを守るように、残った体内の魔力のほとんどを込めるつもりで土壁の魔法を放つ。
土の塊が、周囲の岩も巻き込みながら盛り上がっていき、ラリカを包み込むように周りを覆い尽くした。
魔力を大量に込めたからか、自分の物とは思えないほど莫大な金色の光がうねりを上げて、土壁の魔法を強化していく。
無事、土壁の魔法が完成したのを確認すると、私は降り注ぐ岩を足場にして、シェントに向かって近づいていった。
「――流石、魔獣。ゴルマの毒を受けてもまだ魔法を使いますか――ッ!」
感嘆の声を上げながら、シェントがこちらに向かって右腕を振り上げた。
すると、瞬時に術式が展開されて、収束された魔力が結合を始める。
一瞬で練り上げられた魔法は、炎槍だった。
ゴウッ!と言う周囲の空気が吸い上げられる音と共に、槍が私に向かって一直線に飛んできた。
正面から迎え撃つように、私も氷槍を放つッ!
二つの魔法はぶつかり合い、氷槍を形作っていた氷は一瞬で溶け気体へと変化した。
急激な体積変化に伴って、再び周囲の空気が爆発的に押し出され、衝撃波が周囲にまき散らされた。
辺りを飛んでいた岩が、衝撃で体積を小さくしながら散弾銃の弾のように四方に向かって飛んでいく。
四方八方からぶつかり、軌道を変えながら飛んでくる岩を空中で曲芸のように避けながら、相対するシェントを見ると、シェントは土壁を創り出し、飛んでくる物体を避けているようだった。
ならば――
私は、壁の後ろに居るはずのシェントの周辺を、高さ一メートルほどを土壁の魔法で埋め立てた。
せめて、足を取られていてくれっと見えない敵に祈りながら、炎槍の魔法を放つ。
何度も放つことで、シェントが展開した土壁は、溶岩のように熱を受けて赤みを帯びている。
そして、勢いよく風槌の魔法を放つと、溶けた土壁がシェントの居るはずの方向に向かって倒れ込んでいく。
ザァアアという、細かな焼き砂が流れ落ちる音共に、周囲にむわりと熱気が立ちこめた。
先ほど、大量の水蒸気がまき散らされた事もあり、湿度の高い室内はさながら亜熱帯のような蒸し暑さとなった。
はぁ――はぁ――
ようやく地面に降り立った私は、熱く荒れる息を整えながら、シェントの居るらしき方向を睨みつける。
――高熱を出したかのように全身が熱い。
完全に毒が体を回り始めたのか、焦点が定まらず視界は、数メートルも無い。
地面についている足が、がくりと力を失って崩れた。
――私の祈りは届かなかったのだろう。
ピントのずれた視界の中、何かが崩れたがれきの中を立ち上がって――
金色の魔力が、周囲を漂い集まってきた。
ああ……魔法か……
どこか、冷静に自分に向けられているであろう、魔法を見つめていた。
機能を喪失した視覚では、術式の種類を見ることすらできない。
そして、そう思うと同時、周囲は完全な闇に包まれて、意識が遠のいていった。
ああ、私は負けたのか――
薄れ、消え、途切れてゆく意識の中、壁の中に残してきたラリカの安全を確保できない悔しさだけが残った。
どうせオマケのように生きている抜け殻の私などどうでも良い。
『十分』、とは言えないかもしれないが、前世ではそれなりに生を謳歌して、やりたいように生きてきたし、不本意ながら新たな生を送る事も出来た。
――だが、私の、小さな、本当に小さな主人は違う。
ずっと、『いつ死ぬか』という恐怖と戦ってきて、それでも大人に混じって頑張って。
それで、ようやくほんの少し、自分のやりたい事が出来るようになったのだ。
ああ、そうだ。
思えば、王都に来てからの主人は、やはり少し浮かれていたように思う。
自分のホームであるリベスの町とはまた違い、周りに気を遣いながらも、少し大人っぽく振る舞って。
――かと思えば、思いっきり甘えてきたりして。
あの子には、新しく友達だって出来たのだ。
今までと勝手の違う世界で、ようやく世界の刺激を受け始めていたところだったのだ。
たとえその一歩が手痛い刺激だったとしても、ここからあの子は成長していくところだったのだ。
――ああ、くそ。
なんで、どうしてこんな時に思い浮かぶのは君なんだ。
本当に、助けを求めたいとき、思い浮かぶのはお前の姿なんだ。
『俺』は――
――神様でも良い、魔法使いでも良い。
――どうか、どうか、ラリカだけは助けてやってください。
「――ほづみんの、馬鹿……」
――薄れていく意識の中、遠くで懐かしい魔法使いの声を聞いた気がした。







