第九話「友の言葉」
「……すみません。寝過ごしました」
ラリカの憮然とした声が、響いていた。
翌日、ラリカはいつもよりほんの少し遅い時間に起き出してきた。
髪の毛を乱れさせたまま、慌てて寝室の扉を跳ね開け飛び出てきたラリカに、内緒話に花を咲かせていた私とリクリスは顔を見合わせクスリと笑ったのだった。
それがどうやらいたくプライドを傷つけたらしい。
先ほどから、唇をむくれさせて頬を少し膨らましている。
『寝坊した自分が悪い。でも、なんか納得がいかない』そんな心の声が透けて見えるようだ。
なるほど。こうしていれば、随分心に癒やしをもたらしてくれるではないか。
「疲れていたんですから、しょうがないですよ」
「……ありがとうございます」
ふんわりと微笑みながら、水を差し出しつつフォローするリクリスに、いつまでも拗ねているは流石に子供っぽいと思ったのか、ため息をついたラリカがお礼を言った。
「――ふむ。良い具合に魔力も消費されたようだな」
瞳の力を起動して、ラリカの魔力を見てみると、このところ再び貯まり気味だった魔力がうまい具合に少し減っている。
とはいっても、今も周りからかなりの速度で魔力が流れ込んでいるから、しばらくしたらまた魔力を放出しなくてはいけないだろう。
――いやはや。
これは、はやくラリカの体質と神の魔法とやらを研究しなくてはならないな。
毎回魔法を使うごとに倒れられていては、こちらが先に心労で倒れそうだ。
きゅぅぅぅ……
表面中は落ち着きながらも、内心深刻な思索にふけっていると、土産物のぬいぐるみのおなかを押したようなかわいらしい音が響いた。
ラリカが、ばっとおなかを押さえながら顔を真っ赤にしている。
……見る間に耳まで赤くなった。
「……ラリカさん、なにか召し上がりますか?」
「……そういえば、ラリカは昨日のお昼から何も食べていなかったな」
自分たちはきちんと食事をしていたから失念してしまっていたが、ラリカは昨日帰ってきてからすぐに倒れてしまったので何も口にしていなかったのだ。
ラリカも成長期の子供だ。腹の虫の一つでも騒ぎ出してもおかしくない。
リクリスがテーブルの上から果物をとってラリカに向かって差し出すと、ラリカは顔を隠すようにうつむきながら受け取った。
髪の間から見えている耳の赤さが、ラリカの表情を如実に表している。
「……ありがとうございます」
私が魔法を使って椅子を引いてやると、ふらふらとラリカは椅子に腰を下ろし、リクリスから手渡されたオレンジに似た果物をもそもそと食べ始めたのだった。
「今日は、リクリスの歓迎会があるのだ。あまり食べ過ぎないようにな」
私が果物を食べるラリカに念のため注意を促すと、無言でこくりと黒い髪の毛が動いた。
……うむ。これはなかなか、かわいらしい。
良きものだ。
***
「――本当に、凄い魔法でしたね……まるで伝説の神器みたいでした」
ラリカが、果物を食べ終えてひと心地ついたころ、しみじみとリクリスがそんなことを言い出した。
ちなみに、私は乱れたラリカの髪の毛を整えようと身繕い中だ。
猫の手では、身繕いさせるというのも、なかなか骨が折れる。
せっせせっせと小さな前足を上下させて、細く透き通った黒髪を梳きつづける。
手元のラリカの頭が、リクリスの方を向くようにすっと動いた。
「あんなに大きな岩が、跡形も無くなっちゃうなんて……」
「……あれでもできるだけ威力を絞っていたのですよ」
「――本当ですか!?」
「ええ。本当です」
「……ラリカの言うとおりだ」
くりくりしたエメラルドグリーンの瞳に窓からの光を反射させながらリクリスが驚愕するのをみて、少し自慢げにラリカが胸をそらした。
苦笑しながらも、私もラリカの言葉を肯定した。
――今回ラリカが使った神炎は、確かにそのすさまじいまでの威力を発揮していたが、ミギュルス討伐の折から使った物に比べると、遙かに威力も規模も小さな物だった。
「それに、あれに比べるとさすがに神器の方が威力は上ですよ」
ラリカが視線を椅子に立てかけていた自らの杖に向けると、釣られてリクリスが杖に視線を向ける。
「――ら、ラリカさん? そ、その・・・・・・ひょっとして、その杖って・・・・・・やっぱり神器なんですか?」
口の端を引き攣らせたリクリスが、ラリカに向かって恐る恐る問いかけた。
「ええ。神器ですよ」
「――ああ、やっぱり……ラリカさんは、ヴェニシエスなのに、神器を継承しているってお話では聞いてたんですけど、本物なんだ……」
急にラリカの杖が恐ろしいものであるかのように、リクリスは少し身を引いた。
「――そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。その神器はすでに死んでいますから」
「――えっ!?」
何気なさそうにいったラリカの言葉に、リクリスは言葉を失って黙りこむ。
熱狂的なラリカフリークのリクリスも、さすがに先のミギュルス戦で神器を使ったことまでは知らなかったようだ。
「つい先日、リベスがミギュルスの襲撃を受けましてね。その際に、その子を使用したのですよ」
「ミギュルス……そんな……ッ! リベスは大丈夫だったんですかっ!?」
慌てふためきながら、ラリカをぺたぺたと撫でるリクリスを見ると、やはりミギュルスというのはかなり危険な魔獣に分類されるらしい。
「安心してください。神器の使用という代償は払いましたが、無事ミギュルスは討伐できましたよ。私がここに居るのがその証拠です」
「良かった……あ、でも、神器を使ったということは……ひょっとして、ラリカさんがミギュルスを討滅したんですか?」
リクリスの瞳が、再びラリカの英雄譚を語ったときのように不穏な光を宿し始めた。
少しずつ体が前向きに傾ぎ始め、ラリカに向かって身を乗り出して来ている。
緩くウェーブのかかった髪が、体の傾きに従い位置を変えて肩の前へとたれ落ち始めている。
「ええ。まあ、あのときはレクスもサファビも街にいませんでしたから、クロエ婆とアリンさんと私で迎え撃ったのですよ」
「クロエ=ヴェネラとアリン=オフスにラリカさん……」
リクリスの表情が恍惚とした物へと変化してゆく。
頬が上気し、朱色を差していくのが目に見えて分かった。
初日の喫茶店でもずいぶんその三人の名前は挙がっていたし、やはり『ラリカ英雄譚』とやらのなかでは、相当な有名どころなのだろう。
『ラリカ英雄譚』か……
――何度聞いても笑いそうだ。
とても、寝起きに腹の虫を鳴かせて顔を赤らめさせながら、果物を食べている少女の話とは思えない。
からかいの視線をラリカに向けると、私の視線に気がついたラリカが、居心地悪そうに顔を赤らめながら微動だにせずリクリスに視線を向け始めた。
――そんなに照れなくても良いではないか
にやにやとした空気をわざと垂れ流しながら、ラリカをしばらく見つめていると、頬の赤みが徐々に増していった。
リクリスに、ミギュルスと戦ったときの詳細を語って聞かせているラリカは、はじめは交えていた手振りを徐々に落ち着かせている。
今は横でにやつくミルマル一匹の視線が気になって仕方が無いのか、さも収まりが悪そうに、もぞもぞと両手を太ももの辺りに添えながらもじもじとした身じろぎを繰り返している。
「……。そのときは結局、この子の力だけではミギュルスを倒しきれず、私を庇ったアリンさんも重傷を負ってしまったので、先ほど見せた神炎を使ったのですよ」
ラリカは、一瞬黙り込んで両手で数瞬顔を覆うと、気分をリセットするように髪をかき上げた。
そして、慌てて補足するように駆け足で言葉を締めた。
『私を庇った』という言葉を発したときは、どこか悔しそうな顔に見えたが、やはりあの戦いでは、色々と思うところがあったのだろう。
「神器でも・・・・・・神炎……」
神炎という言葉にどきりとしたような表情をしたリクリスが、その単語を噛みしめるように復唱した。
つかの間静まりかえった室内に、窓の外の風鳴りが、静かに窓を揺らすのが聞こえた。
「――っ」
リクリスが、何かに詰まったように口から息を吐き出す。
じわじわと、乾いた地べたに水滴が広がり始めるように、リクリスの顔に興奮の色が広がり始めた。
――あ、なんかくる。
「ああ、もう、本当に夢みたいです! ラリカさんから直接冒険譚を聞けるなんて! ああ、でも、やっぱりラリカさんは最後は必ず勝っちゃうんですね! どんな敵でも、どんな難問でも! 格好良いです!」
本当に、ラリカがらみの話となると、この子は性格が豹変するなぁ……
声の張りも、勢いも普段とは比べものにならないリクリスに、私は呆れたため息をつくとラリカを見上げた。
どこまでも真っ直ぐなリクリスの言葉に、困ったように顔を伏せているラリカと視線が合った。
――頑張れ。
そう思って、にかっとなるべく明るい笑顔をミルマルの顔に乗っけてラリカにほほえみかけると、ラリカは口の端だけ微妙に吊り上げた、至極微妙な笑みを乗せて返した。
……大丈夫か?
「……私は、格好良くなんてありません」
ラリカが、静かに、小さな声でリクリスの言葉を否定すると、リクリスははっとした表情でラリカのことを見つめかえす。
どうやら、続きの言葉を待っているらしい。
ラリカの自分を否定するような言葉に、すこし冷静さを取り戻した顔をしている。
「――いつだって、どんな時だって、解決できる自信なんてありません」
ラリカが言葉を続けていく。顔の赤さからは想像できないほど、積み木箱を揺らしたとき、のように私達の頭の中に収まっていく声だった。
「でも、いつも、私にできる精一杯はしてきたつもりですし、しているつもりです。だから――」
最後の言葉の後半は、ごにょごにょと勢いを無くしている。
きっと、リクリスの耳では聞こえなかっただろう。
だが、ミルマルの私の耳にはちゃんと聞こえていた。
『嬉しい……です。ありがとう』と。
ああ……なるほどと思った。
リベスの街では、この子はあくまで『ラリカちゃん』だったからな。
みんな内心ではラリカに一目おいていたし、尊敬していたが、それはあくまで家族が出来の良い身内に向けるような物だった。
逆に、王都に来てからは、皆がラリカを特別視するばかりで、距離があった。
だが、リクリスは違う。
出会ってから日は浅く、英雄視しすぎるきらいはあるものの、リクリスは、ラリカにとって『友達』なのだろう。
そんな『友達』から、自分の頑張りを肯定された。
――嬉しく思って当然では無いか。
孤独に一人頑張っていた少女が、少し報われた気がして、心臓の鼓動に伴って、暖かい光が体を流れていく気がした。
リクリスは、ラリカの最後の言葉が聞き取れなかったからだろう。
少し、困った顔をしているが、なんとなく何かを察したように、それ以上深くは聞き返さずに、幸せそうな顔をして静かにラリカの様子を見つめていた。
――いや、照れくさそうなラリカの顔を見て和んでいたという可能性も否定できないが。







