第三話「信じる神」
「明かりがついています……」
遠くを眺めていたラリカが思わずといった調子で零した。
「――どうした?」
ぼんやりと心地の良い沈黙に身を任せていた私は、ラリカのつぶやきに不意を突かれた。
「祭壇に明かりが灯っています。こんな時間に誰か祈祷でもしているのでしょうか……?」
不思議そうな顔で、ラリカが一つの建物を指さした。
教会の中で最も大きな、中心に位置する建造物である。
「……消し忘れかもしれませんね。念のため、確かめてから戻りましょう」
「そうだな。もうそろそろ良い夜も遅い。あまり遅くまで起きていては明日に響きかねん」
「そうでした。明日は、美味しい料理を作るのでしたね」
ラリカは、しんみりとしていた雰囲気を打ち破るように、ニコニコと明るい笑みを浮かべると、リズムを刻むように左右に頭を振ってみせた。
「――明日はリベスっ子の意地を見せますよ! くろみゃー!」
ラリカは、ぐーの形に左手を握りしめると、決意を示すように突きに向かって突き出すのだった。
***
明かりのついていた建物の中に入っていると、まず目に入ったのは巨大な祭壇だ。
キリスト教教会でいうところの聖餐台のように、細やかな装飾が施された台座が置かれ、台座の上には、装飾の施された儀式用らしき杖と一冊の本が寝かされている。
そうしてその奥には、微細な色ガラスを集めて作ったようなステンドグラスが埋め込まれている。
天井は見事な船底天井の形をしており、唐草文様のような複雑なツタ模様が装飾されている。
柱の一部には、螺鈿細工も施されており、室内の明かりを受けて艶めかしげな光を放っていた。
祭壇の前に人影があった。片膝をつき、体を丸め込むように祈りを捧げている。
こちらには背を向けているため、顔を見ることはできない。
だが、その後ろ姿には見覚えがあった。
「……シェント=ビスト……?」
ラリカが、不気味なほどに熱心に祈りを捧げる姿に戸惑ったように声をかけた。
小さな声ではあったが、静まり返った教会の中では、妙に大きく聞こえた。
弾かれたように、人影がこちらを振り返る。
――やはり、シェントだ。
「ラリカ=ヴェニシエス! このような時間にいかがされました?」
ラリカの姿を認めたシェントは、慌てて立ち上がるとこちらに向き直り、服装を一度払うと片膝をついて拳を床につける礼の姿勢をとった。
「ああ! シェント=ビスト! 公的な場ではないのですから、礼は不要です。立ってください」
「……では、お言葉に甘えて」
シェントは、ラリカに向かって一度深く頭を下げると立ち上がった。
ラリカは、シェントに向かってゆっくりと近づき始めた。
「少し眠れなかったもので、夜風にあたりに出てきたのですが、明かりが見えたので・・・・・・」
「――ああ、なるほど。それは失礼いたしました」
「シェント=ビストは、どうしてこんな時間に?」
「我らが神に祈りを捧げておりました」
「……こんな時間にですか?」
目を丸くしながら、ラリカはどこか不審げに問いかけた。
「はい。――私は祈るとき、よくこの時間にここに来るのです」
「それはまた……どうしてですか?」
シェントが、遠い昔を懐かしむように目を細めた。
表情は、大切な思い出を振り返っているかのように静かだ。
「――ラリカ=ヴェニシエス。実は私は、ここで神の声らしきものを聞いたことがあります」
シェントの口から飛び出したのは、驚くべき答えだった。
ラリカも驚きの表情を浮かべシェントを見つめている。
「神の声ですか? それはユルキファナミアの?」
「――はい。おそらくは」
『おそらく』と口では言いながらも、シェントの声音に疑念は感じられず、明確に断言しているようだった。
どこか情熱を感じさせる力強い声だった。
「――そうですか。それは素晴らしいことですね。ユルキファナミアは比較的人と関わりのあるミア様ですから、永い戦いの間にも、今も良く我々へ手を差し伸べてくださいます。きっと、シェント=ビストの下へも、訪れてくださったのでしょう」
「……ええ」
ラリカが心から寿ぐように、祝福の言葉を口にする。
だが、それに答えたシェントには今度はどこか元気が感じられなかった。
「――もし、よろしければその時の様子をお聞かせいただけますか?」
なにか含むところを敏感に感じたのだろうか?
あるいは、好奇心からかもしれない。
ラリカが詳しい説明を求める。
「――あれは、もう十年ほど前になるでしょうか?」
シェントが、おずおずと自らの経験を語り始めた。
ラリカも、興味深げにシェントの話に耳を傾けている。
「詳しい事情は伏せさせていただきますが、あの日は私の人生の中でも、最悪と言っても良い日でした。とても悲しい出来事があって、気持ちの整理がつかなかった私は、一晩中この祭壇に向かってユルキファナミア様へ祈っていたのです。半ば自暴自棄でした。ただただ行き場をなくした感情を叩きつけるような祈りでした」
『お恥ずかしい限りです』と言いながら、自らの恥部をさらけ出すように、恥じ入った様子でシェントは語っていく。
ラリカも私も、シェントの言葉を遮らないよう、誠意をもって聞く姿勢で臨んでいる。
「その時、とても清らかな少女の声が聞こえたのです。――この世のものとは考えられないほどに美しい声でした。その声は、やさしく私に向かって語ってくださいました。『……貴方は、十分な能力が……ある。思うことを成して……ちゃんと、明日はくるから、負けないで』そういって下さったのです」
恍惚《恍惚》と、陶然とした表情を浮かべ、シェントが両手を振り上げながら神の言葉を口にする。
――なんというか、この世界の神は、予想していたよりも随分と親し気に接してくれる神様らしい。
ありのままをシェントが語っているのだとすると、あまり託宣という雰囲気のしない語り口だ。
ちょうど少し昔のJ-POPにでもありそうな話だ。
「――その言葉に勇気づけられ、私はこの図書館を作ることを決意したのです。もちろん、実行するにあたっては、反対者も大勢いました。ですが! 私はユルキファナミア様のお言葉を信じて今日まで進んできたのですッ!」
自分の言葉に当時の熱意を思い出したのか、大きく手を振り広げながらそう締めくくる。
「――シェント=ビストの精力的な、活動にはそのような事情があったのですね」
感心したように、顎に折り曲げた指先を当てたラリカが大きくうなずいている。
どうやら、神の声を聞いたという貴重な体験に、好奇心が刺激されているらしい。
いつも魔法について語るときのように、瞳がきらきらと光り輝いている。
「はい。『神の言葉』があったからここまでくる事が出来たのです……ただ、最近はその言葉に少し疑念を抱いてしまって・・・・・・」
「……どうしたのです?」
シェントが、急に弱音めいた言葉を口にした。
「本当は、ユルキファナミア教徒として、神の言葉に、疑念を抱くなど、あってはならないと自覚しております。しかし――実は、先ほども神に祈っていたと申し上げましたが、――懺悔しておりました」
「懺悔……ですか?」
ラリカの問いに、シェントはふっと表情を曇らせると、神の御許で罪の告白をするように吐き捨てた。
重苦しい言葉に、戸惑ったようにラリカが聞き返しす。
「はい……世間でハイクミアの吸血鬼と呼ばれる事件の日は、いつもこうやって、私の杖と日記を捧げ、ユルキファナミア様に赦しを、教えを乞うているのです」
「――それは……どうして、貴方が?」
ハイクミアの吸血鬼と呼ばれる事件に関して、目の前に立っている青年は、なんの落ち度もないはずだ。
なぜ許しなど乞う必要があるというのだろうか?
「自分が、許せないのです。もっと、私がしっかりしていれば、こんな事件は起こらずに済んだかもしれない……そう思うと、居ても立っても居られないのです」
そう吐き出すシェントの表情は辛そうで、まるで自分の子でも殺められたかのように悲壮な声をだした。
――自らの与り知れないところであっても、誰かが死ぬということが許せない。
そんな思いを持っているのかもしれない。ある意味それは、ラリカにも似たところがある。
ひょっとすると、なまじ魔法という実力を持っている分、あらゆる救いをもたらすことが出来ないということを悔いる性格なのかもしれない。
しかも、自分には能力があると神様からお墨付きを受けているわけだ。
そんな思考になっても無理はないのかもしれない。
――真面目な男だ。
「……シェント=ビストは、敬虔なユルキファナミア教徒なのですね」
シェントの言葉を聞き、先ほどまでの戸惑いを消したラリカが、また、神聖な雰囲気を漂わせ始めた。
それは、シェントよりも上の立場にある聖職者としてのラリカの顔なのだろう。
懺悔するシェントを包み込むようにシェントに向かって笑いかけた。
「神の代理として、ラリカ=ヴェニシエスが断言しましょう。シェント=ビスト。貴方の祈りは、ユルキファナミアの下へと届きます――だから、今日からは、自らを責めるのではなく、逝ってしまったしまったあの子達のことを祈ってあげてください。きっと、ユルキファナミアもきっとそう望んでいます」
ラリカは先ほどまで自分自身が神に祈りが届くのかと不安そうにしていた事を押し隠し、ただ皆を導くものとしての風格で断言してみせた。
「ヴェニシエス――ッ!」
感極まったように、シェントが喉を詰まらせる。
肩を震わせ、歓喜に打ち震えているようにも見えるが、どこか喘いでいるような、苦し気な姿にも見える。
両手を虚空に彷徨わせ、なにかを求めるように蠢かしている姿は、どこか哀れだ。
――そんな手を、ラリカがきゅっと握りこんだ。
大きく、シェントを肯定するように頷く。
――大丈夫です。
ラリカの横顔は、そう言っているように感じた。
――シェントが表情にじわじわと正気の色を取り戻し始める。
シェントは一度顔を伏せると、プルプルと肩を震わせた。
――そうして、再び前を向いたシェントの瞳には、強い意志が感じられた。
どうやら、自分の中でなにか落としどころを見つけたらしい。
――まったく。ラリカは他人に対してはこれほど的確に導く力があるというのに、自分の事となると迷走しがちなのだろうか?
そのあたりは、やはりまだ子供ということなのか・・・・・・
いや、むしろ、ヴェニシエスという肩書を背負っているため、そんな風になってしまったといえるのかもしれない。
ヴェニシエスという名前を背負っているラリカの歪さを感じさせられた気がして、少し背筋が寒くなった気がした。
***
新たに先に進む決意を決めたらしいシェントは、私たちに先に部屋へと戻るように急かした。
恐らく一人で心の整理をつけたいのだろう。彼の瞳にはもう迷いの色はなかった。
――きっと、自らの信じる道を進んで行けるだろう。
ドキドキと、強い人の意思に当てられて、鼓動が早まるのを感じながら、私とラリカは部屋に戻るために教会の長い廊下を歩いていく。
「ラリカ、神の声を聞くというのはよくあることなのか?」
あたりに誰もいない間に、聞いておきたかった疑問を口にした。
この世界に来てから、『神に助けられた』といった類の話や、偽教だなどという話を聞いていたが、実際に神の声を聞いたと身近な人物から聞くことで、『神がいる』ということを実感として感じたのだ。
そんな中、私の頭に浮かんでいたのは、この世界に私を連れてきた自称神――雪華の姿だった。
「なんですか? くろみゃーは神様に会ってみたいのですか?」
「……なんとなく、気になっただけだ」
ふふ、と可笑しそうに笑う気配を漂わせたラリカが、楽し気に聞いてくる。
真面目に神の声と聞いてしまったばつの悪さと、あまり思い出したくない事を引っ張り出してしまった悪感情から、ぶっきらぼうな口調になってしまった。
「――そうですね。ミア様の声を聞いたというお話はあちこちにあります。それに、実際ミア様がお姿を現されて、救いをもたらしてくれたというお話もあります。例えばそうですね――」
ラリカが、そんな私の固い雰囲気を和らげるように、いつものごとく人差し指をくるくると回しながら、得意げ神が人と関わりを持った事例を次々と挙げていく。
「そうか……」
ただ、私は心がざわつくのを感じた。
――まったく、未練がましい話だ。
彼女は私のことを碌に覚えていなかったのだ。
だから、だから、私の前に現れることなどきっと無いに決まっている。
第一、雪華に会ってどうするというのか?
終わってしまった話をいつまでもグチグチと。
今の私には、この優しい主人がいる。それで良いではないか。
ただ、そう思ってはいるはずなのに、どこか心の奥底で澱のように堆積したなにかが、今の話で舞い上がってしまったらしい。
私は、ぐいっとラリカの頭に自分の頭を擦りつけた。
「もう、くろみゃー、髪の毛が乱れるではありませんか」
ラリカは少しむくれた声を上げながら、私の頭を優しく撫でさすった。
どうやら、私が甘えているとでも思ったのだろう。
そのラリカの仕草に、少し胸がチクリと痛んだ。
――そんなことを考えたからだろうか?
その夜の夢見は少し悪かった。
次回から6日に1度の更新になります。







