ほづみんさんちの雪華さん 1話「優しく結んだ雪の華」
透明な、朝の光が差し込む部屋の中。
艶やかな黒い毛並みをした、一匹の獣が布に包まれている。
規則正しく腹部が上下していることから、どうやら眠っているようだ。
時折、思い出したように、顔の横に突き出たヒゲが、周囲を探るようにぴくぴくと痙攣している。
「――くろみゃー?」
一人の少女が、眠っている獣に近寄って、その寝顔をのぞき込んだ。
獣――くろみゃーをのぞき込んだ少女は、寝顔を見て口元に笑みを浮かべた。
「――もう少し、寝かせてあげましょう」
そうして、少女は眠っている獣から離れようとして――
思い出したように、もう一枚布を持ってくると、くろみゃーの上に被せた。
これは、そんなくろみゃーが見ている夢の話だ。
***
今日の俺はいつに無く浮かれていたと思う。
授業中見ていたのは、教室の黒板じゃなくて、窓から見える建設現場のクレーンだった。
学校からの帰り道、いつものように真っ直ぐに帰らずに、塾からの帰りと同じ道を通って帰った。
塾にむかう時だって、無駄にゆっくり、きょろきょろ周囲を見回しながら向かっていった。
塾についてからも、自習時間にも残らず、残って質問したりもしていなかった。
そうして、今、一心不乱に公園にへ向かって自転車を走らせている。
――それもこれも、あのお姉さんが悪い。
昨日出会った銀色の少女。
自分の事を『魔法使い』とか言っちゃう、あのお姉さん。
彼女が、お別れの時に、少し寂しそうに見えたから。
――だから、『また明日』なんて思わず言ってしまったのだ。
なにを馬鹿な事を言ってるんだ。
言ってすぐに後悔したけど。
それでも、お姉さんが『……うん』と少し嬉しそうに答えたから、俺は今走ってる。
『自分が言った言葉には、責任というものがついてくるんだよ』
父さんが、いつだったか俺に向かっていった言葉だ。
――確かにその通り。
ならば、俺は俺の『セキニン』とか言うのを果たさなくてはいけないのだ。
――だから、決して、絶対、お姉さんが綺麗だったからとか、そういう動機で額に浮き上がる汗を拭っている訳ではない。
そうして、俺は街灯の光が尾を引く世界を駆け抜けていく。
***
公園にたどり着いた。
見える範囲に人影はない。
ひょっとすると、おくまったところに『誰か』が居るかもしれない。
自転車を止めて、公園の中に駆け込んでいく。
地面をびっしりと覆っている雑草が絡んできて、一瞬足を取られそうになったけど、それでも体勢を立て直して、公園の奥に向かって走って行く。
でも、そこにも少女の姿は無くて、誰も座っていないブランコと、子供が落ちると危険だからと蓋がされた井戸だけがぽつんと佇んでいた。
「はぁ、はぁ……」
ふと、自分がさっきから両肩を上下させて息をしていた事に気がついた。
弾んだ心臓が、ドクドクと体の奥から全身を跳ね上げるように叩いている。
「なんだよ……」
なんだか、今日一日、必死になって浮ついていたのが、急に恥ずかしくなった。
大きくため息をついて息を整えると、先ほど蹴立ててしまった雑草たちを見ながら、ゆっくりと自転車に向かって歩き出した。
「今日も……来たの?」
数歩歩いたとき、そんな声が聞こえて、ようやく落ち着いていた心臓がパニックを起こし始めた。
慌てて前を向いたから、なぜか背筋をぴんと伸ばして、両手を揃えた直立不動の姿勢になってしまった。
そんな私の前で、銀の少女は昨日と同じように、一人で入り口近くのベンチに腰掛けていた。
「こっち……おいで」
少女が自分の右側、ベンチの空いた片側部分を指し示しながらそんな事を口にする。
俺は、自分でも自覚できるほど、ぎこちない動作で歩き出すと、少女に右側にすとんと腰掛けた。
「……今日も、来たの?」
隣に座った俺の方を見つめながら、少女が先ほどと同じ質問を繰り返した。
「……せ、セキニンがあるからな」
「責任……?」
少女が、俺の言葉に不思議そうに首をかしげている。
「そう、俺、昨日『また明日』って言ったから」
「そう……」
それっきり、少女は何も言わなくなった。
視線は少し上の方。どこか遠い夜空を透かし見るように見つめている。
横顔が、月明かりに照らされて、白い肌が浮き出している。
でも、それは全然不健康そうな白さじゃなくて、うっすらと朱が入っていてとても綺麗だった。
憂いを帯びている表情は、クラスの女子と比べると少し大人びていて――
「名前は……?」
「え?」
はっと気がつくと、金色の瞳がまたこっちを向いていた。
何かを言われた気がするが、どうもぼうっとしてしまっていて聞き逃してしまっていた。
「あなたの名前」
少女が再び、口を開いた事でようやく質問の意図を把握する事が出来た。
――そういえば、昨日も名前を名乗ってなかった。
「ユウ。ホヅミユウ。稲穂を積んで優しく結ぶと書いて、穂積 優結」
俺は、いつも名前を聞かれたときの決まり文句を口にした。
女の子っぽいと言われることもあるが、それでも父さんと母さんがつけてくれた名前だし、音が綺麗なので気に入っている。
「ほづみ……ゆう……良い名前」
「ありがとう。そっちの名前は?」
いつも口にする言葉を口にしたからか、少し自分の肩から力が抜けたのを感じた。
ベンチの上で、少し身を乗り出して、少女の顔をのぞき込みながら今度はこっちから聞き返した。
「私……? 私は……ゆr――き―ぁ――な――……」
ザァっと吹き抜けた風が、地面の雑草を揺らし、肝心の名前の部分が上手く聞き取れなかった。
――なんて言った?
「ごめん……聞き取れなかった。なんて? ゆきはな?」
「……」
俺が、聞き返すと、少女が少し黙り込んだ。
もしかすると、気分を害してしまっただろうか?
「そう……ゆきはな。私の名前は、華やかな雪と書いて雪華」
「そっか。雪華。ぴったりの名前だな!」
そわそわしながら、どうやって謝ったら良いか考えていると、少女がきちんと名前を聞き取れていたと教えてくれた。
内心、ほっとしながら、名前の漢字を頭に思い浮かべてみる。
――名は体を表すと言うが、とても目の前の少女に似合っている気がした。
出来るだけの笑顔で、『雪華』にぴったりだというと、雪華も薄い表情に少しだけ笑顔を浮かべてくれた気がした。
***
「・・・・・・大丈夫?」
「え? なにが?」
「時間・・・・・・もう、とても遅い」
「え! ああっ!」
話の途中、雪華から聞かれて、初めて長い間話し込んでいたことに気がついた。
左腕に巻かれた腕時計を見ると、そろそろ夜も遅い時間だ。
いつも塾から帰る時間から考えても、そろそろ帰らないと大目玉だろう。
「あー・・・・・・もう帰んないと・・・・・・」
「――そう」
せっかく、昨日より雪華と距離が近づいたというのに、もう帰らないと大目玉だろう。
残念でたまらなかった。
――また、明日も会えるだろうか?
――明日は、土曜日だし、学校も休みだ。
――確か、塾だって明日は半ドンで上がっても良かったはずだ。
「――なあ? ――明日も会え――」
「会える」
昨日の、『つい口をついて出た言葉』とは違って、今度はほんのちょっぴり勇気を乗せて、会えるどうかか問いかけようとした。
いつも、静かに途切れるように話す雪華にしては珍しく、少し食い気味で返事が返ってきて、それがとても嬉しかった。
「――そっか。じゃあ、『また、明日』だな」
「……分かった」
弾んだ口調で、昨日と同じ魔法を掛けると、雪華もどこか弾んだ声を返してくれる。
――そうえいば、雪華はこのあたりに住んでいるのだろうか?
昨日は、何もせずここで分かれてしまったが、よくよく考えれば、女の子に夜道を一人帰らせるというのもあまりよろしくない。
それに、最近このあたりでは付け火があったりと何かと物騒だ。
ここは、せめて家まで送らないと、『男が廃る』という奴なのかもしれない。
「雪華はどこに住んでるんだ? 送ってやる」
「あっ……」
俺の質問に、なぜか雪華は言葉を詰まらせると、ほんの少し首をかしげた。
どうしたんだろう?
質問した俺の方も雪華の予想外な反応に首をかしげながら、雪華をじっと見つめる。
やがて、雪華は左手をすっと持ち上げると、足下を指し示した。
「こ、こ……?」
「……」
雪華が、何を言っているのか分からず、気まずい沈黙が流れた。
『ここ』……? それは、この公園の事を指しているのか?
公園の持ち主とかそういう話では無いよな……?
この公園は、市の持ち物のはずだ。
なら、それは帰る場所が無いということで――
「――なんだぁ? お前、家無しかぁ!?」
「ん……そう……かも」
慌てて聞いた返事は、とても惚けた返事で、それが余計に俺の危機感を募らせた。
――こんな奴を、家無しで放っておいたらダメだ!
年上の人間に対して、とても失礼な話かもしれないが、目の前の少女が公園で屋根もなく一人暮らしていくというのは、なんだかとても危うげな気がした。
「おま、お前……最近じゃ、近所で赤猫這わされた家があったり物騒なんだぞ!? どんな輩が、この辺りうろついてるかも分からないんだぞ!?」
「大丈夫……!」
「いや、大丈夫じゃ無いって!」
「慣れてる」
「ああ! もう……」
――むちゃくちゃだ。
慣れていても、危険なことに変わりは無い。
というか、慣れていると言うことは、こいつは今までも家なき子状態で暮らしてきたのか!?
確かに、これだけ目立つ服装と見た目で今まで噂になっていなかったということは、流れ流れて最近この辺りにきたのだろう。
旅行か何かで来たのかと思ってたのに……
こんな歳で一人放浪しているとは、家出以上になにか事情もあるのかもしれないが……
――いや、知ってしまってはしょうがない。
『どうしても、成したい事があれば、相談しなさい』
父さんが、そんな事を言った事があった。
――今が、その時なのかもしれない。
「――雪華、お前、うちに来い!」
俺は、両親に叱られる事を覚悟の上、目の前の少女を保護する事を決めた。
――なぜか、頬が熱くなっている気がした。







