第八十一話「死んで、生きるモノ。生きて、死ぬ者」
「――っ、鋼縛ッ!」
ミシェルが手を振り下ろした瞬間、背後で控えていた甲冑が、こちらに向かって跳躍した。地響きを立てながら、大地を踏み割り、重量を持った存在が砲弾の如く飛来する。
それを、鋼縛の魔法を幾重にも展開して迎え撃つ。
――ミギュルスと対峙したとき、鋼縛で動きを止めることが出来た。ならば、例え魔法が効かないとしても、動きの妨げ程度には――ッ!
網のように張り巡らされた鋼縛と鈍色の甲冑が衝突し、ギチギチという神経に障る音を響かせる。ヤスリで鉄を削る時のようなキリキリとした音に、頭の奥が揺れるような不快感を覚えた。
「――フィディアッ! ……下がる準備をしろ!」
――どれほどの硬度と膂力を誇っているのか。
見る間に、一本、また一本と巨体を縛り上げている糸が引きちぎられていく。
負けじとこちらも矢継ぎ早に鋼縛を放つが……正直どれほどの間、つなぎ止めて居られるかが分からなかった。
――それに……視線を甲冑の後ろに向ければ。そこには口元を歪め、興味なさげにこちらを見つめている男がいる。
……今はこの甲冑を押さえ込むのに注力しているせいで、ミシェルの方の対応をすることが出来ない。これでは仮にミシェルがこちらに攻撃を向けてくることがあれば、防ぐことさえ――っ
――『ガキン』と、鈍い音がした。
……思考を遮るように響いた音に、鋼縛と擦れて甲冑が音を立てているのかと思いかけ……その音が断続的に反響するのを聞き、間違いを悟る。
――ガキン、ガキン、ガキン、ガキン……
連続するその音は、目の前で対峙する鎧から響いていた。白銀色の西洋風の甲冑の下、その体内から何かが噛み合うような音が響いているのだ。
――ガキン、ガキン、ガキン、ガキン……
まるで幻聴のように、どこか現実感の無い金属同士が立てる音が、辺りに響き続ける。その音に合わせるように、どこか波に揺れるような奇妙な感覚を覚えた。
……どこかで、こんな音を聞いたような……まるで、歯車が軋むような……
――ああ、そうだ。これは……
……奇妙な事に、なぜかその音に聞き覚えがあるような気がした。
一体どこで聞いたのか――考えるうち、脳裏に一つの映像が浮かぶ。それは、鈍色の刃を構えた、懐かしい友の姿……前世で、共に過ごした者の姿。
――いや、違う……そう。これは……
「――伏せろッ! フィディアぁああああ!!」
――いつの間にか叫び声を上げていた。
鋼縛の魔法を追加で発動し、フィディアの体を拘束し、その場に引き倒す。強制的にその場に引き倒されたフィディアが、意図しない体勢で倒れ込んだために鈍い音を立て――
――次の瞬間。『シャリン』と澄んだ音がした。
甲冑を押しとどめていた鋼縛を支えていた力が、ふっと消失する。
ばらり、と、鋼縛の切れ端が舞い散った。
――切ら……れた……っ?
舞い散る破片の向こうで、力を溜めるように甲冑がその巨躯を沈めていた。突如背後で鳴り響いた轟音に反射的に視線を後ろに向けると、背後にある岩が崩れて行くのが視界に映る。
――不可視の、斬撃……だと……!? まずい……ッ!
拘束を解かれた甲冑は、ぐっとその場で体を沈み込ませると、再び跳躍した。こちらに向かって圧倒的な質量が砲弾の如く飛来する。
「――鋼……ッ!」
間に合わないのを覚悟しながら、破れかぶれに再び鋼縛の魔法を発動しようとする。その間にも、巨大な金属塊が視界を埋め――ッ!
目の前に影の柱がそそり立った!
「――なっ!?」
甲冑が突如として現われた影の柱に触れた瞬間、その金属で出来た体表に漆黒の帯が纏わり付く。纏わり付いた影が、まるで先ほど対峙した邪神のように、ずぶりずぶりと、甲冑の身動きを奪い去っていった。
――敵なのか、味方なのか。或いは、邪神の一部が残っていたのか……
網に囚われた甲虫のように藻掻く姿を傍目に。瞬時に様々な事態が想定され、そのどれもが『あり得る』が故に対処を咄嗟には考えあぐねた。
――影に導かれるように、ふわりと目の前に人影が降り立った。
降り立った人影は、後ろで束ねた髪をふわりと軽く手で払うと、軽快な仕草でこちらを振り返った。ひどく見覚えのあるその人影は、金色の髪の毛を揺らしながら軽く目を細めると、賑々しい笑顔を浮かべて見せた。
「――やー、おっまたせ―! くろみゃーちゃん、フィディアちゃん!」
――フィック……!
今、この瞬間。命のやり取りをしているとは思えないほどの、どこか惚けた表情を浮かべた娘があっけらかんと。こちらの決死の覚悟など何するものぞとばかりに呑気に手を振った。
「くろみゃーちゃん、フィディアちゃん……よーく頑張ったね!」
フィックは、地面に倒れ込んでいるセトにラリカ。そして、鋼縛によって引き倒されているフィディアの事を慈しむように見つめると、優しげな瞳で私達の事を労った。
「――何者っ!」
だが、フィックとの面識が無いらしいミシェルが、突如として姿を現したフィックに警戒心を露わに誰何する。フィックはそんなミシェルのことを一瞥することもなく。ただその声に釣られるように振り返ると、背後で縛り上げられている巨大な甲冑を見上げた。
「……ああ。そうか……あの子の……」
私達に背中を向けたフィックが小さく呟く。何故かその言葉は、どこか感傷的な色を含んでいるように聞こえた。
「……フィー……?」
そんなフィックに思わず私が声を掛けるが、フィックはその言葉には応えず。ゆっくり、ゆっくりと甲冑に向かって歩き始めた。
「――っ、戦技研ですか!?」
圧倒的な力を持っているはずの甲冑が、易々と縛り上げられているのを見たミシェルが、フィックの正体に思い至った様子で俄に緊張を滲ませながら対峙する。
「――叡智の独占者共が……くっ、ならば……」
ミシェルが焦りを見せながらも、歯を食いしばりながら杖を振り上げた。
――炎槍の魔法か……ッ!
瞬時に組み上げられた術式を読取り、そう判断する。慌てて迎え撃とうと身構えるが、それを制するようにそっとフィックが左手を挙げた。
――手出し無用……ということか?
そう判断して、撃ち放とうとした魔法を思いとどめる。
しかし、ミシェルの魔法に合わせるように、先ほどの甲冑の裡から響いた軋むような奇妙な音が静かに響き始めた――どうやら再びあの斬撃を放とうというのだろう。力を溜めようとするかのように甲冑が動き始めた。
――あの『不可視の斬撃』をフィックは知らない。ならば、せめて警告はしておかねば。
「――フィーッ! 気をつけろ――ソイツは――ッ!」
「――大丈夫」
だが、無防備に甲冑に向かって近付いて行くフィックの身を案じて声を掛ける私の言葉を、フィックは安心させるように静かな口調で断ち切った。その声は、やはり先ほど姿を見せたときとは打って変わって、陽気な彼女に似合わず、どこか悲しげに聞こえる。
その間にも甲冑の内側から響く音が高鳴りを上げ、ギシリと軋んだ音を立てた。甲冑に向かって歩み寄ったフィックが、そっと……抱きしめるように手を伸ばす。
「――愚かな。縛り上げた程度で、神代の遺物を無力化したと判断するとは……!」
ミシェルは、そんなフィックの姿を嘲笑うように笑みを浮かべ――最高潮に達した甲冑の雄叫びが、金切り声を上げた……っ!
――来る。いよいよ、あの斬撃が――
『――動くな』
――わずか、一言。
フィックがただ一言を告げた瞬間。
鳴り響いていたはずの鳴動が、止まった。
「――なっ!?」
それは、よほど予想外の光景だったのだろう。甲冑の攻撃にあわせて炎槍を放とうとしていたはずのミシェルが驚愕に表情を固め硬直した。
そんなミシェルの方へと、フィックがゆっくりと視線を向ける。背を向けているフィックが、その時どんな表情を浮かべていたかは分からない。
――だが、その瞬間……確かにミシェルの表情に、恐怖が浮かんだ。
「ごめんね……やーっぱり……『いまさら』なのかも知れないけど……これは、私の大切な友達の物なんだ……だからあんまり、こんな風に使うのは……止めて欲しいんだ……」
――ぽつり、ぽつりと。吐き出すように告げた言葉は、誰一人身じろぎすることも出来ない空間に妙に響いて聞こえる。ゆっくりと、赤子を抱きしめるかのように伸ばした手を。今度は確かに甲冑に触れ。フィックはゆっくりと言葉を続けた。
「……白銀の……主。フィーア、アルセイルナ=シャナーク……フィアが我が民に命じる――『永久に眠れ』」
――フィックが厳かに呟いた瞬間。
――さらり……さらり……と、金色の粒子が舞い散った。
「……お疲れ様……」
まるで、編み上げられた織物が、解けてほぐれるように。影によって縛り上げられていた甲冑が極小の砂粒のような粒子と化し、舞い上がっていく。
「――なっ、これは……馬鹿な、遺物が自壊する……っ! しかし、これは白銀の……っ! まさか。ならば、貴様……っ『影喰いの』!」
ミシェルが慌てた様子で、展開していた炎槍をこちらに向かって撃ち放つ。舞い上がっていた金色の粒子が、大気を切り裂く炎の槍にかき乱され辺りにふわりと広がった。
フィックは軽く手を振ると、同じく炎槍の魔法陣を瞬時に展開させ、炎槍同士を打ち合わせた。ぶつかり合った炎槍が炸裂したせいで、辺りに魔力を帯びた熱波が広がり。流れを乱されていた粒子は霧散した。
「――くっ」
ミシェルはフィックの手腕に唇を引き結びながらも、何度も立て続けに魔法を放ち続ける。しかし、フィックは魔法によって散らされた粒子の先をぼんやりと見つめた後。造作も無く応戦し、飛来するそれらを造作も無くたたき落としして行く。
フィックがミシェルを刺激しないようにという配慮からか、ゆっくりとミシェルの元へと近付いて行った。
――明らかに、戦闘技能に差がありすぎる。
けして、ミシェルの戦闘能力が低いわけでは無い。むしろ、先ほどから流れるように矢継ぎ早に魔法を放ち続ける技量は、大した物だと言えるだろう。だが、それを受けるフィックがあまりにも、『異質』だった。
……これが、神代の存在という物か。
先ほど、あれだけ私が――私達が苦労させられた、邪神を『弱い』と言い切っていたのも、それだけその時代の戦いが苛烈であったことを示しているのだろう。
「……ミシェル=サフィシエス。……ここまで。投降してくれないかな?」
静かに哀れみさえも感じる声音で、フィックがミシェルに向かって投降を促した。
「――化け物が。ここで。こんなところで……っ! 私は、皆を。教徒達を、導かねば……」
だが、ミシェルはその言葉に従うこと無く、決死の形相で、近くで呆然と成り行きを見守っていたターニャの事を抱きかかえる。
「――ミシェル=サフィシエスッ! 貴方は……貴方は一体どうするつもりなの!? ……やっぱり貴方は、間違っているわ。……先ほどの問答も貴方は『彼の法』が本当に民に対する押しつけだと考えて、こんな事件を起こしているの?」
ターニャを抱き上げた事に反応したフィディアが、ミシェルを呼び止めるように大声を上げた。フィックはフィディアが話を続けられるようにという配慮だろうか、ミシェルに向かって近付くのを止めて、視線をチラリとフィディアに向けた。
「……フィディア=ヴェニシエス。貴女はまだ……もはや、事態はその段を超えています。……が、確かに『彼の法』について貴方との見解は違うようですね」
一瞬、フィディアの事をを呆れたように見つめたミシェルだったが、すでにして追い詰められていたミシェルは、フィックが歩みを止めたことを確認すると、これ幸いとばかりに炎槍を放つのを止め、ターニャをすぐ後ろに庇うように降ろし直すと、フィディアの言葉に応えた。
――どうやら、先ほどの私達のように時間を稼ぎ、なんとか逃げ出す隙を見いだそうという魂胆らしい。
「……先ほどヴェニシエスは『彼の法』を『押しつけられた性質の物ではない』と仰いましたが、『彼の法』を定めた委員達に教会の代表者が多数含まれていたことは、どのようにお考えか? ……教会からの代表者が含まれていたといえ。所詮は、人が定めた物。決して神の意思による物ではありません。恣意的に用い、教徒達への無理を通そうとは、擁護のしようのない所業ではありませんか?」
「いいえ。サフィシエス。それは、違うわ……確かに委員の選出にあっては、各教会の代表者が含まれていたわ。でも、それは法の策定に当たって、教会との調整が必要であったからよ」
「――やはり。では、なぜそのような調整が必要になったと仰るのです?」
フィディアの返答に、それ見たことかといった調子でミシェルが応える。だが、先ほどまでとは違い、あくまで冷静にフィディアは一度頷いて見せた。
「それは――」
フィディアが、言葉を続けようとした瞬間。『ドン』という鈍い音が響いた。その場に居た全員が、驚いたように音の発生源。
――倒れ込むように、ミシェルにしなだれかかるターニャへと視線を向けた。
「ターニャッ!」
……いつの間にか立ち上がったターニャが、近くに居たミシェルに向かって縋り付いたらしい。未だ意識は朦朧としているのか、ミシェルの体に支えられるようにして、なんとかその場に立っているようだ。襤褸になった服の間に見える腐り落ちていた傷口からも、どくどくと淡黄色をした液体が流れ落ちていく。
――ひとまず立ち上がることが出来る程度には回復したのか……?
顔を伏せているせいで、その表情を読み取れないが、だがその場に立ち上がって見せている以上は、多少の回復があったのだろう。
フィディアも、ターニャの意識が戻ったことに安堵したのか、大声でターニャに向かって呼びかけている。
「――っぐ、なっにを……っ!」
――だが。その一方で、ターニャに寄りかかられているミシェルは、驚愕に見開いた表情を、段々と苦悶するように歪め始めた。
「――それ、は……、『彼の法』が、きょう、会、の……解釈……権、を、制限するもの、だった…から、……」
――ターニャが、ヒュウヒュウと空気が抜けるような音と共に、激しく肩を上下させながら言葉を発する。
……何を言って……いる?
一瞬、ターニャの発する言葉の意味が分からずに、疑問符が浮かぶ。だが、すぐにそれがミシェルとフィディアの問答を引き取った言葉だと気がついた。
――まさか、身内のはずのミシェルに向かって、ターニャが否定をしようとは思いもしなかったが……しかし、何故突然……?
「――っ、タァ、―ニャ、あな、たは……っ」
思考していると、なぜかターニャだけでは無く、ミシェルが苦しげに言葉を発し始めた。
――なぜだ?
違和感を覚えもう一度しっかりとターニャとミシェルの事を見つめ直す。
――溶けたように崩れるターニャの体。それにもたれかかられたミシェルの体にもべっとりと赤い血液が……
「――なっ!?」
『そのこと』に気がついた瞬間。思わず声が漏れた。同じ事に気がついたのか、フィックも表情を固くしている。
「――なぜ、です……ターニャ……?」
「……影、喰いの、ひめ……もう、逃げられ……ません、終わりに、しま、しょう……っ!」
ターニャは顔を伏せたまま。振り絞るように言葉を続けた。
――両手で、ミシェルの脇腹にナイフを突き立てながら。
「――ターニャ……! しかし……私は……」
「ミシェル……様……っ! 私達は、神に仕える者……っ!」
ミシェルの名を呼びながらターニャが顔を上げると、フードを被せるようにラリカが掛けていた布が外れ、爛れ崩れてしまった顔が露出した。白濁してしまっている左目と違い、辛うじて無事だった右目からは涙をこぼしている。ナイフを突き立てたまま、ミシェルの事を必死に見上げながら、首を左右に振る。
ターニャが全身の体重を掛けるように、ミシェルに突き立てたナイフを捻った。
「――ぐぅっ」
ミシェルがくぐもった声を上げるが、ターニャはその姿にさらに表情を苦しげに、悲しげに歪ませると、ミシェルの脇腹からナイフを引き抜き、もう一度振り上げた。
「だめ……っ!」
ターニャの意図を把握したフィックが、二人に向かって駆け出していく。
首筋にナイフを押し当てられたミシェルが、駈け寄るフィックの姿に視線を向け。観念したように一度目をつぶり。
「――ああ。不甲斐なく、すみません。ター……」
「……あっ、ああああああああああああああああああああ」
ターニャが、その声にはっとしたように目を見開き――ボロボロの体からは考えられないような絶叫を上げながら、ナイフを振り抜いた。
「――ニャ……」
――切り裂かれた首筋から赤い飛沫を吹き出しながら、男の体はゆっくりと倒れていった。







