第八十話「教え主張する者達」
「ミシェル=サフィシエス……ッ!」
「――フィディア=ヴェニシエス!? っ、これは――ッ!」
フィディアの引き攣った声に、何事か思索に耽っていたらしいミシェルが、弾かれたように顔を上げる。そして周りを見回し、ようやく状況が理解出来たらしい。驚いたようにその目を見開いた。
「……なるほど。儀式を止めたのは、ターニャでは無く貴女でしたか……」
ミシェルは口元を苦しげに歪めると、フィディアの足下に横たわるターニャにチラリと視線を向けた。その視線には、僅かの感嘆と、我々に向けた明確な敵意が含まれていた。
「……いいえ。私では無いわ。ラリカ=ヴェニシエス達よ……」
――どこか自信なさげにフィディアはそう返した。
だが、実際の所、儀式自体を止めて見せたのは、フィディアが行使したセトを助け出すための術式なのだから、その言葉は誤りである。
しかし、彼女の中では、『何も出来ていない』という無力感だけが残されているらしい。
「――なんと、ヴェニシエスが……しかし、どうやらラリカ=ヴェニシエスは気を失っていらっしゃるようですが?」
「……ええ。でも、サフィシエス。貴方の行った儀式は、もう止められたわ。もうすぐ、戦技研もやってくるわ。だから――」
自分の実力を肯定できないながらも。この子もやはりラリカと同じ『ヴェニシエス』であることは確からしい。自らがやるべき事として、ミシェルに向かって投降を勧告しようとした。
「――戦技研が。ならば……一刻も早くこの場を立ち去らなくてはなりませんか……!」
だが、言った瞬間。ミシェルは隣に佇んでいた巨大な腕に手を添えた。地面の下から巨人が手を突き出したかのような、身の丈ほどのその腕は。西洋甲冑の腕をそのままもぎ取ったかのような無骨な佇まいをしている。
ミシェルの手が触れたかと思うと、ぐらりと地面が揺れ動き、地面を突き破ってまさしく巨大な甲冑が姿を現した。甲冑は白銀をした体躯に星影の光を映し。なめらかな動きで、こちらに向かって疾駆した。
――どうやらあの甲冑は、ミシェルの手によって操られているらしい。
「――サフィシエスッ! 抵抗は止めなさい!」
「いいえ、フィディア=ヴェニシエスッ! いかなヴェニシエスたる御身の命とて、ソレは拝命致しかねます!」
迎え撃とうとするように、慣れない大型の杖を構えながらフィディアが叫ぶが、ミシェルはその言葉を正面からつっぱねた。
甲冑がフィディアに向かって肉薄する。咄嗟のことに魔法の準備が間に合わなかったフィディアが、その表情を硬くする。
――雷槍。
――鋼縛。
巨大な甲冑の手前で炸裂する閃光、爆発。
そして、爆発による土煙の中、黒い影が地面から伸び上がり、ミシェルの体を拘束する。
――フィディアにばかり気を取られていてくれて助かった。私のことはまったく意識さえしていなかったらしい。
発動をぎりぎりまで秘匿しながら魔法を放った私は、思わずほっと息を吐いた。
「――なっ!?」
ミシェルが、自らの体に固く巻き付いた鋼の繊維に驚愕の声を上げる。そして、何かに気がついたはっとした表情で私の事をじっと見つめた。
「――まさか、魔獣!? フィディア=ヴェニシエス――ッ! そこまで墜ちましたかっ!?」
やはり、魔法を使うミルマルということで、魔獣の類いと勘違いされているらしい。そして、魔獣と手を結ぶフィディアのことを軽蔑した様子で弾劾しはじめた。
――邪神を降ろすような輩に、弾劾される謂われもないが……
「……魔獣と、手を結ぶような存在が『ヴェニシエス』などと……やはり、ユーニラミア教会は……」
ミシェルはなにかを呟くと、強く射貫くような視線をこちらに向けた。
「――ターニャだけでも、貴方たちの魔手からは護り抜いて見せましょう!」
ミシェルが口にした瞬間、雷槍を受けて確かに動きを止めていたはずの甲冑が跳ね上がるように突如動いた。邪神に散々煮え湯を飲まされ元から警戒していた私は、すぐさま雷槍を立て続けに甲冑に向かって撃ち放つ。
――が。
「――なっ、無傷、だとっ!?」
先ほどからいくら魔法を放っても、迫り来る甲冑は勢いを緩めるどころか、いささかの痛痒さえ感じる様子も無く、こちらに向かって突進してきた。
「――っ、」
そして、巨大な体躯に似合わぬ機敏な仕草でフィディアの隣に転がり込むように飛び込むと、地面に横たえていたターニャの事を両腕で大切そうに抱え込み、そのまま受け身を取るように転がった。
巨大な金属製の甲冑が地面を転がる衝撃で、まるで地震でも起こっているかのような地響きが辺りを鳴らす。受け身を取った勢いそのままに甲冑は身を起こすと、私達から距離を取ったまま、ミシェルの元へと近付いた。
鋼の巨人が、ミシェルの傍らにターニャを横たえると、今度はミシェルの体に巻き付いた鋼縛に指を掛け――切断した。
「……なんだとっ!?」
これまで、鋼縛の糸がこうも易々と切断されるところなど、あまり見たことが無い。精々、王都でフィックと戦ったときに、フィックが切り裂いて見せた程度――『フィック』……まさか!?
……考えているうちに、ふとある想像が脳裏をよぎった。
『目の前にあるのに、そこに存在しない。そこに居ないから、魔法だって届かない。わーって必死になって普通に魔法を使っても、よーっぽど威力のある魔法じゃ無いと、触れることも出来ずに終わっちゃう』
……そんな存在を、聞いたばかりではないか。
王都で、聖餐台に掛けられていた魔法。私がいくら魔法を放っても、傷一つなかったアレ。もしや、この甲冑は、あれと似たような存在なのでは無いか?
いや、だがあれは、フィックの研究成果だったはず……
いや、そも神代の遺物などという代物だ。何が起こっても不思議は無い。もしも仮にあれと同じだとすると……フィックにでも来て貰わねば、対処のしようが無いぞ……!
「――ああ、ターニャ……なんて酷い怪我を……」
私が焦りを悟られないように押し隠しながら、必死に対処方法を考えていると、拘束を解かれたミシェルが、横たわるターニャに近付き、その一部が腐り落ちた体を見て痛ましげに表情を歪めた。
「――シェ…る……さ、ま……?」
「――ターニャ……! っ、話してはいけません。休んでいなさい……」
ターニャは、先ほどの激しい動きで束の間意識を取り戻したのか、苦しげにミシェルの名前を口にする。ミシェルは、静かに首を振って話そうとするターニャのことを押しとどめる。
「……フィディア」
「……エクザッ!?」
二人が話すのを見ながら、こっそりと今は意識を失っているラリカの元へと近づき、ゆっくりと小声でフィディアに向かって話しかけた。フィディアが驚いたように肩を跳ね上げながら私に視線を向けた。
「……あの甲冑は……フィーでなくては対処できんかもしれん……時間を稼ぎたい」
「……時間って……」
ラリカの体をまさぐりながらの私の言葉に、フィディアが絶望に顔を引き攣らせる。
だが、実際今は時間を稼ぐ以外に対処のしようが無かった。あの甲冑がどれほどの耐久力を持っているのかは分からないが、仮にミギュルスと同じほどだとすれば……すでにラリカも倒れ、神器も無い以上、有効な魔法が存在しない。
となれば、対処出来る者が来るまでの間を、なんとか話をして時間を繋ぐしか、手段が無い。
――っ、見つけた!
ようやくラリカの体から――ガラスのような球体を咥えて取り出した。
……失敗した時の通信用だったが、仕方があるまい。これを割れば、何事かあったことはフックに分かるはずだ。邪神が消滅している今、これが光れば何らかの不測の事態が発生していることはフィックに伝わる……と、思うしかあるまい。
……後は、フィックがこちらに応援に向かえるだけの、『余力』を残してくれている事を祈るしか……ない。
――すまない。フィック。
自分の不甲斐なさを実感しながら、咥えたガラス玉を噛み割った。ぼんやりとした赤い光が一瞬灯って消える。
……果たして、これで本当に伝わっているのだろうか?
僅かな光を放って消えてしまった球体に僅かに不安を覚えながらも、口の中に残った破片を吐き出して、ミシェルの方へと向き直る。
視線を向けると、ターニャが静かに押し黙るのを確認したミシェルが、ゆっくりと顔をこちらに向けるのが見えた。
「――フィディア、ヴェニシエス……」
「……なにかしら?」
「――貴女は、一体『どこまで』ご存じなのですか? ……教会は……私達の信じる、『神』とは一体?」
「……一体、なんのこと?」
意図の読めないミシェルの問いに、フィディアは狼狽を隠せないながらも問い返した。そして、私のほうにチラリと視線を向けると、『時間稼ぎ』の事を考えたのか、緊張に震える言葉を続けた。
「……そもそも、サフィシエス……貴方ほどの熱心な信徒がどうしてこんなことを?」
……そういえば、フィディアは、今回ミシェルが神を降ろそうとした経緯を聞いていない。であれば、その行動の根幹を疑問に思っても不思議は無い話だった。
――こちらとしても、ここでミシェルに話に乗ってくれれば、多少なりとも時間稼ぎが出来る。なるべく二人の話に割り込まないように気をつけ、会話の推移を見守ることにした。
ミシェルは、フィディアの言葉にその真意を確かめるようにじっと視線を向けたが、やがてため息を吐き出すように言葉を続ける。
「……元々、私は導きを失っている教会を、正しき道に戻したかったのです」
「……導きを失っている?」
案の定、ミシェルはラリカに語った事と同じように説明を始めた。だが、なぜかその言葉には、以前語った時にあった熱が見られない。……僅かに迷いを含んだような。後悔を含んだような。なんとも言えない憂いを帯びた声音だ。
「――ユーニラミア教会は……いいえ。ユルキファナミア教会を除く、ほぼ全ての教会が、長らくその教えを受けておりません」
「……それは、神代とは違い、神が隠れられて……」
「ええ。それは私も存じて降ります。ただ、それでも――私は、許せなかったのです」
ミシェルはそう言って、大きく頭上に臨む星空を見上げる。その横顔は、犯罪者というよりも、なにかの詩でも吟じていそうな、どこか浮世離れした気配が漂っている。
「……許せなかった?」
「簒奪を……神の言葉を曲解し、押しつけ、人々から富を。命を。軽々に奪い去る教会を」
「……神の言葉を曲解? それは一体――どういうことかしら?」
無論、時間稼ぎのためという前提ではあるが。『教会批判』ともとれるその言葉に、流石にヴェニシエスとして聞き逃すことが出来なかったのだろう。フィディアが気色ばんだ。
「……今の教会は、かつてより伝わってきた歴史を、自分たちの都合の良いように改変し、それを元に信徒たちからなけなしの財をかすめ取り、いざ事が起これば自分たちの都合の良いように裁いてみせる。そのような教会の横暴を……私は、許すことができなかった」
「……意味が、分からないわね……サフィシエスは、教会が教えを歪めて、一方的に信徒に無体を行っていると仰るの?」
「――まさしく。なればこそ、私は今一度、我らが教会の原初たる神の言葉を聞かねばならないと思ったのでございます」
堂々と、その考えを宣言してみせるミシェルに、フィディアは一瞬気圧された様子で表情を歪めたが、すぐに自分の近くで意識を失っているセトに視線を向けると、何かを決意したように目をつぶった。
そして、どこか芝居がかった大げさな仕草でフィディアは頭痛を抑えるように顔を歪め、軽く下唇を噛みしめた。
「……どこから、指摘すれば……良いのかしら……? まさか、サフィシエスに教会史のこんな基礎的な事から話さなくてはならないとは思わなかったわ……」
そして、ミシェルの背後に居る巨大な甲冑を見て、僅かに怯みながらも、軽く息を吸い、呼吸を整えると、ミシェルに向かって言い聞かせるように言葉を発した。
「――確かに、神が現われないのは事実よ。それで、教え伝わってきた内容の解釈が行われてきたのも……事実」
「――やはり」
「……そう。『だけれど』。そもそも、教会が恣意的に一方的に自分たちに有利になるような解釈を行うことは……たしかに、『全くない』とはいえないけれど……少なくとも近代では減少しているはずよ――『レクティオイス=ダナー』……いえ、『ラクスオプティエンサ、レクティオイス=ダナー』の法があるでしょう?」
先ほどまで、躊躇うようだったフィディアが、今回は明らかに『責める』調子でミシェルの事を詰問する。そんなフィディアに乗せられたのか、ミシェルが先ほどまでよりも感情も露わに嘲笑った。
「……なにを言い出すかと思えば……『原初の法たる彼の定められた規則』ですか……そんな使い古された問答、あれも所詮は教会による押しつけられた法にすぎないではございませんか」
「……どういう意味かしら? 彼の法は、少なくとも……『押しつけられた』という性質のものではないはずよ? もし、彼の法が教会による押しつけだと断ずるのであれば、あまりにそれは不勉強。私の教室の子なら、落第よ。もう一度教会史を学び直す事をおすすめするわ」
「はっ、思慮が浅い……どうやらフィディア=ヴェニシエスは、彼の法の決定者たる委員達が如何なる出自の者達であったのかをご存じないようだ……!」
「――待ちなさいっ、確かに――」
見下したかのように嗤うミシェルに、フィディアはすぐさま言い返そうとする。が、ミシェルは残念そうに首を左右に振った。
「……やはり、『ラリカ=ヴェニシエスではないほう』というわけですか……」
「――っ、……確かに、委員達にはユーニラミア教会と、ユルキファナミア教会をはじめ……」
続けられた言葉に、フィディアが一瞬言葉を詰まらせ途切れさせる。すぐに、会話が途切れるのを恐れるように言葉を続けたが……その途切れさせた時間は致命的だったようだ。
「――結局は『ヴェニシエス』とて、特定の所属を持たぬとは言え体制を維持するだけということでしたか……残念です」
もはや、『これ以上続ける言葉は無い』とばかりに。
甲冑に指示を出すためミシェルが無慈悲に右手を上げ……
――振り下ろした。







