第七十九話「これが私の『勇気』のかたち」
「――フィディア、ヴェニシエス」
「な、なに……?」
突然、名を呼ばれたフィディアが。気圧されたように不安げに問い返した。
「……先ほどの爆発。あれは、ターニャ=ジニスが貴女を助けるために起こしたものです」
「――え?」
フィディアが予想外の言葉に戸惑ったように喉を鳴らしている。
……言われてみれば、確かにそうだ。
先ほどはそこまで考えが回らなかったが、爆発が起こる直前。響いたしゃがれ途切れた声は、言われてみればターニャのものだった。爆発が起こったのが、丁度ターニャのナイフが落ちた辺りだった事を考え合わせれば、先ほどのアレが『ターニャの引き起こしたもの』と言われれば、確かにそうと納得がいく。
ラリカは、一度腹の底に澱んだ何かを吐き出すように、大きく息を吐き出した。
「――今回の一件、確かにその処遇は考えなくてはなりませんが、ただその一点だけは、貴女も知っておいてください」
フィディアの反応を確かめることもなく、ただ一方的に言い終えたラリカが、杖を両手で捧げ持つ。話を打ち切る合図のように勢いよく地に叩きつけられた石突きが、私の放つ魔法が巻き起こす轟音の中に、澄んだ音を響かせた。
「……ターニャ……が……」
戸惑ったようにフィディアが呟く声が聞こえる中、私は目の前で杖を捧げ持った少女の背中へと視線を向けた。
その背中は、祈りを捧げるように杖を掲げながら。
決してその頭を下げずに、真っ直ぐと邪神の事を見つめていた。
――まだ幼い、小さな背中。
だが、その背中からは『決して折れてなるものか』という強い意思を感じる。胸の中心に抱く強い光が、彼女の意思に呼応するかのように強く輝いていた。
――そんな強い『輝き』に、思わず目を奪われ……次の瞬間、中空に大曼荼羅のような巨大な幾何学的な紋様が、光を帯びて描き出された。
「――なによ……、これ……」
初めてその魔法陣を目にしたフィディアが、呆けた声を上げている。
緻密にして、細密。古代の壁画のような美しき魔法陣が、ラリカを通して確かな力を帯び始めた。
ラリカがその溢れ出る魔力を巨大な魔法陣へと惜しげ無く捧げる度。
漏れ出した魔力を補うかのように、周囲に漂う魔力達がラリカへと流れてこんでいく。
――まるで、忠誠を誓う主君へと疾く集う従順な臣下のように。ゆっくりと段々と――巡り、満ち、その熱を増しながら集まり行く。
魔法陣の放つ黄金の輝きが。ラリカ自身が放つ魔力の光が。私の金色の視界を塗潰さんとするがごとく、膨大な光量を持って辺りを照らしていく。
……気づけば、先ほどまで辺りに漂っていたはずの、生臭く精神を腐り落とすような不快な香りが、清廉な魔法陣の魔力に当てられたかのように打ち払われていた。
莫大な光量の下、僅かに見えるラリカの横顔が激しく照らし出され。彼女の美しく荘厳な美貌を露わにしていた。
――『神』
その姿は、まさしく神話に描かれるが如き姿。
「――うちの……よく分からないヘンテコなミルマルが……知った風な顔をして、偉そうに言ったのです……」
――だが、そんな美しく。触れる事さえ憚られそうな少女が。
うっすらと口元に笑みを浮かべて、口を開いた。どこか楽しげに。どこか――悔しげに。
……まるで、軽く意地を張る子供のように、その奥の感情を覆い隠しながら。
「――『勇気を持て』『立ち向かえ』と。……ええ。まったく、本当に……まったくもって、意味が分からないですよ」
……それは、リクリスを失い、絶望する彼女に向けた言葉。
『もう一度、立ち向かわなくてはならない』と。『少女』に向けた言葉。
「――ですが、それでも、考えてみたのです。『勇気とは何か』……と」
『勇気』それは、私がこの子に掛けた祈りの言葉。
……俺が遙か昔に誰かと交わした言葉。
「――私は、かつて過ちを犯しました」
僅か、震えるように続けた言葉。
その『過ち』とは、何を示して彼女は口にしたのか。
一体、何を考えて彼女はそれを罪と口にするのか。
「――ですが、そんな私の過ちを、『救い』だと言ってくれる人が居ました」
私の脳裏によぎるのは、余命僅かの身の上で、彼女に向かって頭を垂れる老女の姿。
――ああ。『過ち』とはそれは麻薬を創り出して、しまった事か。
「――私の事を、『先生』と、今も呼んでくれる『子』が居ました」
……否。
――きっと、『それだけ』では無い。
「――私の事を、慕ってくれた。私を『憧れ』と『夢』と語ってくれた『友』が居ます――ッ!」
段々と、覆い隠し押し殺していた感情があふれ出すように。
声に。言葉に。熱が籠もり溢れて行く。
「――ならばッ! 私は、逃げませんっ! 進む事を、歩み、続ける事をッ!!」
背後に荒れ狂うように暴力的な輝きを放つ魔法陣を背負い。
もはや、激情となったそれを隠す事無く。ラリカは激しく汪溢する感情を示すように、両手で持った杖を振り上げた。
「――ですからッ! 私はこの一撃、それをもって証明しますッ! 誓いますッ! 今度こそ、進んでみせるとッ、護るため、救うためッ! 常に一歩を踏み出し続ける『勇気』を持つとッ!」
ラリカが杖を握り締めていた、左手を開き。天高く、何かを握り締めようとするかのように差しのばす。
――差しのばしたその手には、黄色く、赤く。輝き示す一つの指輪。
そして、邪神に。
――いや、世界に。
その意気を、決意を――かくなるものぞと示すが如く、拳を握り宣言する。
「――共に歩む者が、居る限りッ!」
そうしてもう一度。強く、力強く両手で振り上げた杖を握り直す――ッ!
「――さあ、見ていてください――くろみゃー! ……リクリス……っ!」
――振り上げられた杖が力強く振り下ろされた――ッ!
「……これが――ッ! 私のッ『勇気』の形ですッ! ――ッぁぁぁあああああっっッ!」
――瞬間。
結び上げ。練り上げられた莫大な魔力が。魔法陣の上を駆け抜ける。魔力の拍動と共に、術式が眠りから覚まされるように力を持ち。
旧く、神が使ったと称される魔法が顕現する。
『神炎』
術式が完成した瞬間、辺り一面を覆い尽くすような炎が立ち昇った。
巻き上がった炎の渦は、そのまま遺跡の天上へと至り、触れる端から巨大な岩で出来上がった天上さえも焼き尽くしながら、どこまでも立ち上っていく。
炎の渦はその勢いを増し、光の柱を生み出し。触れた端から邪神を消滅させていく。
――邪神の姿が、全て光の中へと飲み込まれた。
もはや、その姿がが光の中でどのようになっているのか、伺い知る術は無い。
――だが、もはや見るまでも無く。
『邪神がその一片さえも残しては居ない』という確信があった。
……私とフィディアが息をのみ、見守る中。
静かに神炎の輝きが勢いを弱め。ゆっくりと消え去っていく。
――じわじわと姿を現す、巨大な炎の渦によって焼き払われた範囲には、何一つ。塵一つさえ残ることは無く……ただ、全てが幻だったかのように、『何も無い』空間だけが、残されていた。
先ほどまで、あれだけ魔法が弾け。衝撃と残響が鳴り響いていた世界に、不意に静寂が訪れた。
神炎によって焼き払われ、ぽっかりと巨大な穴を開けた天井の向こうから、それまでの不浄を払うかのように、星空と共に新鮮な海の香が吹き込んでいる。
その静かな風が。未だ戦闘状態から覚めず、現状と乖離してしまっていた精神を少しずつ解き冷まして行った。
――満点の星空の下。
杖を振り下ろしたまま前方を睨み付けていたラリカの体が。
不意にぐらりと右に傾いだ。
「ラリカッ!」
慌てて魔法を発動して、地面に倒れ込むラリカの体を支え、ゆっくりと地面に横にする。
「大丈夫か!? ラリカ……!」
ラリカに駈け寄り、顔を覗き込むと、そこには苦しげな。
しかし、何かを成し遂げたかのような満足げな表情で、ラリカが目を閉じていた。
ラリカの顔に顔を近づけると、ヒゲに微かにラリカの吐息を感じる。
――大丈夫だ。どうやら、以前同様。魔力を使い果たして倒れてしまっただけらしい。
「……本当に『お疲れ様』……だな。――ラリカ」
……そうして、私は今度こそほっと息を吐き出すのだった。
***
「――だ、大丈夫なの!? ラリカ=ヴェニシエス!!」
ほっと息を吐き出したところで、ようやく我に返ったらしいフィディアが、こちらに向かって駈け寄ってきた。
「……ああ。大丈夫だ。単に、魔力を使いすぎただけらしい」
「『魔力を使いすぎた』って……それは……確かに、あれだけの魔法を使えば……」
頭上に広がる大穴を見上げ。ラリカが神器を使った際に床に広げたクレーターと見比べたフィディアが、未だに現状が信じられない様子で寝かされているラリカの事を見つめている。
「……それよりすまない。セトとターニャをこっちに連れてきてくれ」
「……どういうこと?」
――ラリカの無事が確認され、ひとまずの安全が確保された以上。後は『この後』に備えなくてはならない。だから私は、フィディアに負傷者を全員を一カ所に集めるように頼んだ。
念のため、瞳の力を使い今度こそ邪神に類する存在が辺りに居ないことを確認する。
……よし、ひとまずは大丈夫か。
「ラリカが倒れたせいで、怪我人を私達だけで連れ出すのは不可能になった。――幸い、あれだけの大穴が空いている。じきに救助が来るだろう。しばらく、ここで敵襲に備えて待機するぞ」
「――っ、わ、分かったわ」
――ラリカの神炎のお陰で、邪神は跡形も無く消え去ったとは言え。未だ『使徒』や『遺跡の防衛機構』とやらが襲ってこないとも限らない。ならば、せめて救助が来るまではここで持ちこたえるしかあるまい。
……そもそも、フィック達が神炎に巻き込まれていなければ良いのだが……
頭上に空いてしまった穴に一抹の不安を覚えながらも。
どうすることも出来ずただ、周囲に警戒を向ける。
「……その、エクザ……」
周囲を警戒していると、息を切らせながらセトとターニャをラリカの隣に寝かせたフィディアが、話しかけてきた。チラリと視線を向けると、何か言いたげな表情でこちらをじっと見つめている。
「なんだ?」
「……いえ、その……」
私が答えると、フィディアが言葉に悩むように唇を引き結び、戸惑うように言いよどむ。
「……なんでも、ないわ」
明らかに『なんでも無い』事など無い様子で、フィディアが首を左右に振った。
――ひょっとすると、また自分とラリカの事を比較でもしているのかも知れない。
……ならば、対応はひとまず無事に戻ってからだな。
今はとにかく、現状を乗り切るのが重要だ。
――っと、そのとき。
ガラガラと瓦礫が崩れる音が響いた。
反射的にその音のした方へと視線を向ける。
「――ターニャ……お疲れ様でした。無事に儀式を止められましたか。私の確認も終わりましたが、やはり、この儀式自体には間違いがありませんでした。……確かにユーニラミアをお呼びしているはずです。……しかし、ならこの惨状が示すのは――最悪の事態を考えなくてはいけません……ひとまずこの場所を貴女も――」
――と、そこにあったのは。
崩れた瓦礫を押しのける巨大な金属の『腕』。
そして、その下から顔を出す『ミシェル=サフィシエス』……その人だった!







