第七十四話「私に出来ないこと。貴女にしか出来ないこと」
――ラリカの言葉を聞いたフィディアは、ぽかんと呆けた表情を浮かべた。
しかし、やがてその唇をわなわなと震わせると、怒りを露わにするように、自分の両頬に沿えているラリカの手を振り払う。
「――っ、そんなっ……だったら――だったら、全部。貴女が――、私とは違って、優秀なヴェニシエスの貴女が、全部――っ全部、やったら良いじゃないっ! こんな時まで、私に華を持たそうとしないでっ!」
「……華……?」
――私が放つ魔法が炸裂する度に響き渡る爆音越しにも聞こえる程の声量で激高し、肩をふるわせるフィディアに。後ろ姿からも分かるほどにラリカが戸惑いを露わにする。そんなラリカの態度さえもが感情を揺らめかすのか、フィディアは唇を引き結びその場で立ち上がり――なおも言い募った。
「――出来るんでしょうっ!? ――助けられるんでしょうっ!? 貴女ならッ! 『魔法が使えない』なんて、魔道具の補助があればっ、あれだけの魔法が使えるんですもの。ええ。例え、魔法がなくたって、ターティベルナの使徒相手にあれだけ戦えるんですものっ! ――なにも……っ、……何もっ、お師匠様から頂いた魔道具さえ、無くしてしまった私と違って、貴女ならあの子を助けられるでしょうっ!?」
――悔しさに、唇を噛みしめすぎたのか、フィディアの唇から鮮やかな赤が一筋こぼれ落ちる。その姿は、まさしく『血を吐くような』という言葉が似合うような、鬼気迫る物だった。
「――所詮、私は『ラリカ=ヴェニシエスじゃないほう』なのよっ! どこまでやっても、どこまで行ってもっ! 同じ『ヴェニシエス』でも『貴女』と、『私』は、違うの……っ! 一緒に……一緒にされても。出来ないっ、――っ、『出来ない』のよっ! 私にはっ! 所詮私は、数年前にヴェニシエスに召し上げられたばかりっ、僅か四歳でヴェニシエスになった貴女とはっ、そもそもの才能が違うのよ――っ!」
……しかし、悲しみを、憤りを、悔しさを。ただそれだけを吐き出すためのそれは、長続きしなかった。一息に叫び終えたフィディアは、力尽きるようにがくりと崩れ落ちるように再び地面に膝を突き、呆けるようにフィディアの事を見つめていたラリカの体に、縋るようにしがみついた。
――気がつけば、その瞳からは大粒の涙が流れ落ちている。
「……お願いよ……私じゃ、駄目なの……お願い、致します……『ヴェニシエス』……。お師匠様から、どんな『依頼』があったのか、分からないわ。でも、あの子は……私の、たったひとりの大切な友達なの……そんな『華』なんて、要らない……。『ヴェニシエス』だって……だから、何も出来ない私の代わりに、あの子を助けて……」
……一体、その言葉を発するフィディアは、どのような心情なのだろうか?
口元からは血を流し、涙を垂れ流しながら。『師匠の顔に泥を塗れない』『負けられない』と気負っていた相手に、自分の友を助けてくれと願い出る。
――ラリカよりは、後とはいえ。まだ『少女』と言っても過言でない年齢で、『ヴェニシエス』として位置づけられるのは、並大抵の努力ではなかったのだろう。人一倍の負けん気と算段がなければ、そう易々と人の上に立つことなど出来はしない。
それでも、ラリカに『勝てるわけがない』と一人で誰も居ない場所で、人の言葉を解さぬもの相手に吐き出しながらも。それでもなんとか平静を保って見せていた彼女にとって。その言葉をこの場所で口にするのは、それまでの努力を。すべて踏みにじるかのような所業だといえる。
……不覚にも、私はその姿に『痛ましい』と憐憫を覚えてしまった。
――だが。
ラリカが、縋り付くフィディアの前で顔を落とし表情を伏せる。
「――馬鹿な事を、言わないで下さい……」
――まるで八つ当たりでもするかのように感情を露わにしたフィディアと違い、その声は酷く静かな声だった。静かに――しかし、確かにその声にはフィディアに負けず劣らずの悔しさ……口惜しさの感情がにじみ出ている。
「……そうですね。確かにフィディア=ヴェニシエス――『貴女』と、『私』は――違います」
ラリカが、右手に握っていた杖をそっと伸ばした。突然の仕草にフィディアの視線が、その動きに釣られるように、杖の先へと誘導される。
「――雷槍」
――ぼそりと小さく呟いた声が、風に乗って鋭敏な私の聴覚へと届いた。
――瞬間。金色の曲線が中空へと描き出され、中級魔法――『雷槍』の魔法陣が展開される。魔法陣の放つ灯りが、フィディアの顔に反射し、ラリカには影を落とした。
突然展開された魔法を、自分に向けられたものと思ったのか。ラリカに縋り付いていたフィディアがその身を固くしている。
ラリカが、魔法陣に自身の魔力を――魔法を発動するのに必要な要素であるはずの。自分の力を。その魔法陣へと注ぎ込んだ――
「……え」
まるで風に流される塵のように――ボロボロと《、、、、、》崩れて溶けていく魔法陣の姿に、それまで体に力を込めていたフィディアが戸惑いの声を漏らした。
……魔法陣が消えていくことで蛍火のように明滅し、弱まっていく光の中で。ラリカの後ろ姿が、僅かに切なげに肩を落として見えた。
「……この通り、私は魔法を使えません。さっきの魔法も、あそこで今戦ってくれている子が用意してくれた魔力を使って、魔道具を発動させただけです」
――ラリカの告白に、フィディアの表情が強張った。
そのまま、戸惑い、言葉の裏を探るようにラリカの表情を見つめる。
……一体、今。ラリカはどんな表情を浮かべているのだろうか?
少しずつ『ラリカの放った魔法』によって削り取られた体を修復しようとする邪神に向かって対峙し。時間を稼ぐために、少しずつ増していく体積を削るためにあの手この手を使って一進一退を繰り広げながら。僅かに震えて伝わる主人の声を聞き、彼女が酷く傷ついていない事を願った。
「……今、あそこで戦ってくれているくろみゃーも、魔力は多いのですが、中級魔法までしか使うことが出来ません」
――僅かに揺れていた声を、覚悟に塗り替え。ラリカが静かに、段々と熱い感情を込めながら、真っ直ぐにフィディアに向き直り語りかける。
「――だから、フィディア=ヴェニシエス。――ここで。今、この場で。確かにあの邪神を止められるのは――セト=シスを助けられるのは。貴女しか、居ないのです……っ!」
「――っ、」
言葉を入れ替えながらのラリカの強い断言に、フィディアの表情が動揺も露わに揺れた。そこには、縋った相手に『どうにもならない』と言われてしまった事による絶望が強く現われていた。
だらりと……力なくラリカに縋り付いていた両手を垂れ降ろし、表情を伏せ、肩をふるわせ……消え入りそうな言葉を漏らした。
「……無理よ。今は、お師匠様から頂いた魔道具もなくなってしまったもの……」
そういって、自嘲気味に先ほどまで杖を握り締めていた右手を見つめる。
そんなフィディアの両肩を、まるで先ほどフィディアが激高する直前の焼き直しのように。もう一度、ラリカがしっかりと抱き留め、ぐいと顔を近づけた。
「――大丈夫ですっ!」
――ラリカのそんな言葉を、根拠のない言葉と判断し。もはや反駁する気力すらないのか。フィディアはただ自嘲的な笑みを漏らした。ラリカは、そんなフィディアの態度に怒るでもなく。ただ、純粋に――自分が知る事実を伝える。
「昨日、食事をご一緒したときにラクス=ヴェネラが仰っていました。――フィディア=ヴェニシエスのそれに、あれは本当は必要ないと。あれは、本来の才能を発揮する後押しに過ぎないと。――だから、出来るはずです。――例え、あの石がなくとも。出来るはずなのですっ」
……これまでの、ラクスへの信頼を傷つけないためか、あの魔道具が偽物――単なる屑石に過ぎないということは伝えずに、断言した。
「――お師匠様が……? そんなっ、嘘よ……っ!」
「本当ですっ!」
「――嘘……、よ……っ!」
……今まで、長年に渡って頼ってきた魔道具が突然必要ないと言われても、フィディアからすればこの場を誤魔化すための嘘だとしか思えないのだろう。ラリカの言葉に信じられないと首を左右に振っている。
――このままでは、いつまで経っても押し問答が続くことになりそうだ。
そう判断した私は、間違ってもミスの無いように。先ほどまで以上に目の前の邪神に意識を集中しながら、なんとか口を開いた。
「――横からですまんが、その話は本当だっ」
「――っ」
「――くろみゃー!?」
私の叫び声に、フィディアとラリカがそろって反応する。
「――っ、くろみゃー。すみません。大丈夫ですか!?」
「――ああ。それよりも、フィディア=『ヴェニシエス』っ!」
束の間、私が後ろで邪神と戦い続けていた事を忘れていたのだろうか? ラリカが焦ったように、気遣いの声を出す。『それもまた、一つの信頼の証』と、思わずその信頼ぶりに笑みを浮かべながら、私は力強く応え――もう一度フィディアに向かって呼びかけた。
「――な、なに……?」
「……今、ラリカが言ったのは本当だ。その場に私も居たからな。保証しようっ!」
「――なっ、でも大体……そんな話、いつしたって言うのよ……?」
ラリカと私、二人がかりで言われたフィディアが、僅かに希望を込めながら。しかし、どこか恐れるように、否定する為の疑問を口にする。
「「――ティジュを淹れに行った時(です)」」
――奇しくも。ラリカと私のほぼ同じ言葉が重なった。示し合わせた訳でもないのに、重なった言葉は、それが事実存在した事実であるという事を明確に示している。
「……うそ……」
続いたフィディアの言葉は、先ほどまでと同じ言葉だった。だが、そこには先ほどまでとは違い、その言葉を事実としてほとんど理解しながら、俄には信じられない。消化しきれない戸惑いが顕著に表れているように思えた。
――後、一押し……か。
……そう算段を巡らしながら。
――もうひとつ、どうしても彼女に伝えておかねばならない事を思いだした。
「――ああ、それからもうひとつ、伝えておかねばならない事があったのだ」
「……なにかしら?」
「――セトが、君に渡したいものがあるそうだ」
「……渡したいもの……?」
……脳裏に、盲目の少女から――彼女の大切な友に向けて。すべてを諦めるかのように託された、『マウエルの小さな花』の事を思い浮かべ。
「……さてな。――それは、すべてが終わってから、自分で聞き給え――っ!」
――それは、私の口から語るべきではないと、誤魔化した。
それっきり、目の前の、段々と勢いを増しかけている邪神を押さえ込む事に集中する。
「……なによ」
……会話を打ち切るように黙り込んだ後ろから。戸惑うような……同時に、どこか『拗ねた』子供のような声が聞こえた。
「……なんなのよっ……分からない事ばかり……皆、私に秘密ばかり……っ! 特に、セト……あの子、こんな事、何も……全然、一言も、何も、言って無かったじゃない……っ! ばか」
――『ばか』と来たか。随分、子供っぽい言い回しをするものだ。だが、それだけに、それは本心からのフィディアの言葉なのだろう。
「――ラリカ=ヴェニシエス。もう一度だけ、確認なのだけれど――」
チラリと、一瞬だけ視線を向ければ。フィディアが、涙に濡れていた目元を泥にまみれた手で拭い、顔を上げるのが見えた。
「なんですか?」
「――今、あの子を助けられるのは――私だけなのね?」
「はい」
「――分かったわ。ラリカ=ヴェニシエス。できる限り――今の私に出来る限りをしてみせると約束するわ……だから、あの子を助けだす為の、術式を――お願い」
フィディア=ヴェニシエスが、ラリカ=ヴェニシエスに向けて。自分に出来る限りをしてみせると、力強く確約した。
そして、今は姿の見えない友に向けて。
同時に、『自分自身』に言い聞かせるかのように。
言葉を続けた。
「……セト……後で絶対……叱りつけてあげるわっ! 久々に夜通し説教よ。……だから、覚悟しておきなさいよ……っ」







