第七十話「私の戦い方」
『不安』『怯え』
――今、この子が今抱いて居るそれらの感情は。
邪神に向けたものではないのかも知れない。
……先ほどからずっとこの子の態度にはどこか違和感があった。フィックと別れて事にあたると決めたのは確かにこの子だったが。どこか、一歩引いているような。言ってしまえば『覇気が無い』対応を続けている。
これまで、ずっとそれは邪神に対する恐怖。
そして、自分が戦力として未熟である事による劣等感。それらが原因だと考えていた。
だが、思いかえしてみれば。遺跡に入る前からすでに。フィックと二手に分かれる決断をした後、フィディアに『自分たちだけで大丈夫なのか』と聞かれたときも。いつも以上に動揺しているように見えた。
無論、事が事だけに、短慮を持って答える事が出来ないであろう事は、理解出来る。誰であれ、今の状況で判断を求められれば、おいそれと答える事など出来ようはずもない。
……だが、良きにせよ、悪しきにせよ。『ヴェニシエスたらん』とするこの子であれば。
――リベスの町に現われた巨大なミギュルスを前に、『自分はヴェニシエスなのだ』とアリンに向かって啖呵を切って見せたこの子であれば。
もう少し、『自分なり』に考え前に出てもおかしくない。もっと、もっと、『よりこうした方が良いのではないか?』『私はこうする』と言い出してもおかしくない――そんな子のはずだ。
――脳裏に、フィックからミシェル=サフィシエスが今回の首謀者であるかも知れないと聞かされたとき、狼狽え、怯え。色を失い青ざめた表情で『また、私のせい』と嗚咽に似た苦しげな声を上げる彼女の姿が思い浮かぶ。
……ならば、そこはやはり。それ以降の経験。王都で彼女が負ってしまった『後悔』。
セトの命が掛かっているであろう現状で。自身の選択が、取り返しのつかない過ちを起こしてしまう事への『不安』や『怯え』それらが、足を引っ張ってしまっているのではないか。
そう、私には思えた。
「……なるほど……ならばどうしたものか……」
ぼそりと、ラリカ達に聞こえないように小声で思案する。
――『今のまま』……自分でも意外な程に魔法と馴染んでいくこの体と、襲いかかってくる使徒達の事を考えれば。このままラリカ達を守りながら、進んでいくことは出来るだろう。
だが――。
――思い出すのは、崩れ落ちる岩の中。私達に背中を向けるフィックの姿だ。
『もし』『仮に』先ほどの広間と同じような。あるいは、先ほどよりも遥かに困難な場面がこれから先、訪れたとすれば。その時はどうだろうか?
ここから先。なにが起こるか分からない中。私一人の手に負えない『なにか』が起こったとき。より良い一手を引きずり込むためにも。ここでこうして共に進む彼女たちの力を借りることは不可欠だ。
ならば、そうした場面で、『運』を、先を切り開く『勇気』を持って貰うためにも。予想外に生まれた『余裕』がある内に、ラリカの背中を押しておくのが重要やも知れん。
ならば。
――私はもう一度この子に向かって伝えなくてはならない。
「――ラリカ」
「なんですか?」
周囲を確認し。現時点では少なくとも、視界に見える範囲に違和感のないことを確認した私は。すっとラリカの元へと駆け戻ると、勢いそのままにトットッと、ミルマルの身軽な体を駆使しラリカの衣服を駆け上がった。
――突然の私の行動に驚いたラリカが、虚を突かれた表情で自分の右肩に乗った私の事を見つめている。
……やはり、こうして改めて見ると。ラリカの姿はまだ幼い少女の物でしかない。
かつて人であった頃の自分であれば、視線を合わせる事さえ苦労するような……小さな子供だ。
――決して。こんな命のやり取りをするような場所を先陣切って進むべき者ではない。本来であれば。ここが例えば私が生まれ育った日本で。なんらしがらみ無く生きる子であれば。未だ両親の庇護のもと、学校に通い勉学に励み――たまに寄り道などして見ては教師から逃げ回る。
……そんな平穏を享受しているはずの年頃なのだ。
だが。この子は言ったのだ。
――『今度こそ後悔する訳にはいかない』と。
セトを救わんとするフィディアの背中に。
――『私の事を信じてくれるなら。自分は、必ず前に進んで見せる』と。
あの日の教会でリクリスに向かって。
――ならば。私が彼女を信じずに、なんとする。
――信ずる気持ちを伝えずに、なんとする。
……じっとこちらを見つめる愛おしいラリカを見て。思わず私は笑みを浮かべた。
そっと形の良い色白の耳元へと口を近づける。
「……君は、『君の思うように』したまえ」
「――私の? ……一体、突然どうしたのです?」
唐突な私の言葉に、ラリカは困惑した様子で動きを止めた。
「……なに。もしや、自分の『選択の結果』を畏れているのではないかと思ってな」
「――なっ」
――言った途端。僅かな光源の照り返しを受けるラリカの瞳が大きく見開かれ、さっと紅く輝きを増す。
驚いたように私の事を見つめるラリカのことを、逆に見つめ返し。
私の意思が間違いなく彼女に伝わることを願いながら、言葉を続ける。
「――言っただろう? 『これから君が成すこと。その行動。その決意。その意思を私は応援する。肯定する』と。――当然、その選択の責任の重荷を、君にだけ負わせはせんとも。その分、間違っていると思えば止めもする。……だから、気にせず君は自分の正しい、『これぞ正義』と信ずるところを成せば良い」
――これは、人の心の問題だ。
口で言ったところで、早々どうにかなるような話ではない。
だが、それでも。
自分の殻の中に閉じこもり、自分で追い込もうとするような人間には。こうして、『君だけで抱え込むべきではない』と伝えてやることが大切だ。こうして、『私が君を信じている』と、伝えてやる事が大切だ。
……僅か、例えそれがほんの少しの差であっても。
『極限』――刹那の判断に悩んだとき。
背中を押してくれる言葉があるというのは――心強い物なのだから。
しばらく目を見開いたまま固まっていたラリカが、しばしの間を開け、再起動するように数度瞬きをする。そして、まるでなにか抑えられない感情に突き動かされるように、細い腕を私に向かって勢いよく伸ばし――ぴたりと止まった。
「――くろみゃー……っ!」
「……なんだ?」
伸ばし掛けられた手越しに見える、どこか照れくさそうな。しかし、殊更に真面目くさって見えるラリカの事を見つめながら、問い掛ける。
「……ちょっと、抱きしめても良いですか?」
「……こんな場所でか?」
「……あまり強くは、しませんから」
……こんな状況とは思えない。どこか甘えた事を求めて、少し不満げにラリカが食い下がる。……自分たちが置かれている状況を考え、どうしたものかと悩みながら、ちらりと周りを窺うと。再び視界の端で揺れ動くものがあった。
――氷槍。
きっちりと魔法陣を構築し。
湧き出るように現われた使徒を刺し貫きながら……不承不承。ラリカに向かって答える。
「……良いだろう」
「――ヴェ、ヴェニシエス!?」
――言った瞬間。ラリカの腕にがっしりと掴まれ、力強く抱きしめられた。私達の小声でのやり取りを聞き取れないながらも隣で息を潜めて窺っていたらしいフィディアが、突然のラリカの奇行に声を上げる。
だが、ラリカはそれに頓着すること無く。ぎゅっと私に顔を埋め強く抱きしめた。トクントクンと、緊張からか少し早まっているラリカの熱い鼓動が、服を通して向こうから聞こえている。
――体の奥から湧き上がるかのような血潮の立てる力強い音は、先へと向かう心を示しているようにも思えた。
「――コホン。まったく……お前は、主人に向かって、余計な気を回しすぎですよ……」
「……この状況で、強請り事をしながら良くもまあ言うものだ」
――我に返ったかのように、フィディアの方を見て赤い顔で可愛らしく咳払いをしてから、改まった調子のラリカに呆れた声を返す。
「……しかし、ミルマル如きが進んで早々にポンコツ返上するというのなら、その飼い主がいつまでも『ポンコツ』という訳にも行きませんね……早々に、『二人そろって』汚名返上と行きましょうか……っ!」
言いながら。さっきまでの引き攣るような笑みとは違い。落ち着いた。どこか不敵な笑みを浮かべ。ラリカが私をやさしく両手で掴み上げると、地面にそっと落とした。
小脇に抱えるように抱きしめていた杖を、確かめるように両手で二度三度と持ち直し。右手と左手でパスし合うように何度か握り締め直す。そして、石突きの部分を、トントンと地面と軽く付き合わせた。
「――フィディア=ヴェニシエス」
「な、なにかしら?」
――奇妙に落ち着き払ったラリカの声音に。フィディアが一連の奇行含め戸惑った様子で返答する。
「もう少し――速度を上げてもよいですか?」
「っ――も、勿論よ」
――フィディアはラリカの不敵な物言いに言葉を詰まらせたが、すぐにセトの事を考えたのか、気を強く持ち直した様子で頷いた。
「どうするつもりだ?」
いくら早く先に進もうとしたところで、考えだけで進む速度が速まる訳では無い。
ラリカの態度に何らかの考えがあるのだろうと問い掛けた。
「――くろみゃー。私も言ったでしょう? 『ちゃんと格好良いところも見せてあげます』と」
――そういって、振り返ったラリカの表情を見て。
――ああ、『さっきの私』もこんな顔をしていたのだろうかと、余計な事が頭をよぎった。
「――さて、『格好良いところ』とは?」
「……いえ、そういえば、お前にはまだほとんど見せた事が無かったなと思ったのですよ」
ラリカの、あと少しで何か吹っ切れそうな。どこか自信ありげな態度に。私が面白がって問い掛けると、少し後ろめたそうに目線を逸らしながら。しかし、まるで何か悪戯を計画しているかのような僅かに弾んだ態度を見せる。
「……なにごとだ?」
「――くろみゃー。ここから先は、私が前を行きますから、お前は『使徒がどこから来るか教えること』そして――『私が打ち漏らした分を倒すこと』に集中しなさい――っ!」
「――あ、ああ。だが……君の魔法には回数に限りが――」
――もしや、無謀と勇気をはき違えたか?
……私に向かって命じるように告げたラリカの言葉に、一抹の不安がよぎった。
先ほど明後日の方向に飛んでいった氷槍の魔法を思い出し、警告しようと言い終えるよりも先に。
――目の前でラリカの小さな体躯が、ぐっと重心を落とし沈み込んだ。
「フィディア=ヴェニシエス――ちゃんと、着いてきて下さいっ!」
――言った瞬間。ラリカが、狭い遺跡の中を勢いよく掛け出し始める――っ!
「――なっ、待て!」
薄暗い空間を疾駆するラリカの背中を追いながら、先行しようとするラリカを制止する。
――おそらくは、『少しでも早くセトを助け出す』その事を考えての行動だろう。
だが、いつ、どれだけの使徒が現われるかすら分からない現状。
流石にいくら何でも、ラリカが前に出るというのは――
「―っ、右前だっ!」
そんな事を考える間にも案の定。
使徒が一体そこに居ることを示すかのように、揺れる蛍火を見つけた私は叫ぶ。
「――分かりましたっ!」
――しかし、そんな叫びに、ラリカは力強く答えながらそのまま速度を緩める事無く突進していく。私は少し慌てながら、いつでも魔法を放つことが出来るように。ラリカを巻き込まないように。十分に注意しながら氷槍の魔法を準備する。
――使徒が、ゆらりと暗がりから姿を現す。
――腐乱し。どろりと原型を失い、蚯蚓腫れを起こしたかのような体が、ラリカの持つ杖にくくりつけられた照明に照らされ浮かび上がる。
――と。
突如、それまで周囲を照らしていた灯りが急激な速度でチカチカと明滅するように揺れ動いた。
――ラリカが、杖を勢いよく引きつけ、石突き部分を天に向かって振り上げたのだ。
ストロボを焚いたかのように、一瞬目を灼かれ揺れる視界の中でラリカの打ち上げた杖先は、確かに使徒の頭部を捉え――。
――ぐしゃりと、果実が潰れるかのような湿った音が響いた。
「――なっ!?」
予想外の出来事に思わず、驚愕の声が漏れ出る。
私が魔法を放つまでもなく、確実に頭部を潰され、さらにそのまま飜し振り下ろされたラリカの杖によって体を潰された使徒は、どろりとその姿を失い消えていく……
「……ミギュルスの時は、杖術で戦える相手ではありませんでしたし……王都で戦ったときは――お前は居ませんでしたからね……」
――残心を残しながら体勢を戻したラリカが、ふわりと髪の毛を揺らしながら。切なげな表情で呟いた。
「……クティシア流刀槍術……っ」
思わず足を止めた私の後ろから、追いついてきたフィディアが慄きの声を漏らした。
……ああ。そういえば……ずっと疑問だったのだ。
ラリカの姿が見えずにフィックと共に探し回ったあの時。教会内はまるで嵐にでも遭ったかのように荒れ果てていた。だが、あの時のラリカは、魔法を使うことも出来なかったはずだというのに、なぜあんな状態になったのか。
――ひたすらシェントから逃げ回った結果かと思っていたが……
どうやら私は主人の事を未だに甘く見ていたらしい。
「……魔法を使えない私に、クロエ婆が教えてくれた。これまでの私を守ってくれた――私の戦い方です」
この所、不幸事や年度末の仕事が立て込んでおり、なかなか時間が取れない状況が続いています。
次回もなるべく今週末に更新する予定ですが、前後する可能性がありますので、
なにとぞご了承下さい。







