第六十九話「研鑽研磨」
――フィックと別れ、歩き出した遺跡の中は非道く見通しが悪かった。
一部は人の手によって整備されたらしく、石が積み上げられ整えられた壁面を見せているが、大部分が長年放置され積み重ねられた年月による物なのか、それともそもそも人の手が入らなかったのか。自然のままの姿を残し、荒々しい岩が山を築き視界を遮っていた。
緊張からじんわりと滲んだ汗が原因で、体表を覆う毛並みがベタベタと張り付くような気持ちの悪い感覚に、知れず体毛がぞわりと膨らんでいる。
そんな中、五分ほど歩いた頃だろうか。岩陰から突如、多数の人影が滑り出た。
「……っ、多い……っ!」
――その数にして、十二。
咄嗟に閉鎖空間内で大音声が鳴り響く事を懸念した私は、氷槍の魔法を展開する。
体内の魔力がドクリと鳴動するような感覚を覚え。
目の前に浮かぶ術式に魔力が流れて行く――
だが、同時に向かってくる使徒を前に、その速度は非道く遅く感じられた。
「――ッ、くろみゃーっ! 私もっ!」
流石にこの数を相手に私一人に戦わせることは難しいと判断したのだろう。ラリカが後ろで叫んだ。
刹那に寄せた視界の中で。ラリカが左手を掲げ魔法を放とうとするのが見える。
――だが。
やはりこれまで魔法を行使できなかったラリカに取って。
初めての実戦での魔法は難しかったのだろう。
左手を挙げてから、僅か戸惑うような間が空いた。
その『間』は確かな『隙』となり、瞬く間に使徒共がその距離を詰めてくる。
――やはり、もう少し練習をさせておくべきだったか。
飛びかかってくる使徒八体に立て続けに氷槍を打ち込みながら、気がつきながらも実践出来ていなかった手抜かりに後悔していると、ようやっとラリカの指輪に埋め込まれている術式を元に、魔法が完成する。
――氷槍。
……過去に、私が初めてラリカに見せたのと同じ。『これまでの誰か』が改良してきたらしい、氷の魔法が発動した。
――ビシリっと、鋭い音を立てた氷の塊が空間を飛翔し――使徒の端をかすめ。
通路の壁にぶつかった氷槍は、撃鉄を押し込まれた雷管のように炸裂した。
――壁が、爆発した氷の影響で破片を散らし。
氷混じりの破片が辺りに激しく飛散し降り注ぐ。
「……っく」
あっけなく標的を外れ飛び去った氷槍に、ラリカが目を見開きながら悔しげに歯を食いしばった。
――だが、ラリカの魔法はターティベルナの使徒を仕留めることはなかったが、その爆発の余波を受けて、使徒共の動きが鈍った。
「――しめた」
その間に私は残りの四体を仕留めるべく、新たに術式をくみ上げていく。
―― 一体。
―― 二体。
―― 三体。
次々に放った氷槍が、昏い臭気を纏い迫り来る使徒を打ち抜いていく。
次で……最後だっ!
最後に残った一体に視線を向けた瞬間。
――今。私が使っているのと同じ。ごくありふれた、『普通の氷槍』が最後の一体を貫いていた。
最後の一体が、まき散らす体液が辺りを濡らし。
――じわじわと溶けいるようにその存在を消し去っていく。
「……良かった……わ」
氷槍が飛んできた方を振り返ると。消え去っていく使徒のことを『信じられない』といった表情で見つめているフィディアの姿が目に入った。極度の緊張からか、はぁはぁと僅かに息が上がっている。
……どうやら、最後の一体を打ち抜いたのは、フィディアが放った魔法だったらしい。
咄嗟の術式の展開に時間が掛かったのか、それとも使徒に狙いをつけていて遅くなったのか。最後の一体になってようやく魔法を放つことが出来たようだ。
もう一度、周りに瞳を向けながら、使徒が潜んでいないかを念入りに確認する。
……大丈夫だ。どうやら、今近くに居たのは、一斉に飛び出してきたあれらだけだったらしい。
「……二人とも、怪我は無かったか?」
「――大丈夫……よ」
後ろに立ち尽くしている二人の元へと近付きながら、怪我をしては居ないかと問い掛ける。フィディアは未だ周りを怯えの見え隠れする表情で警戒しながら、静かに首を振った。
「……すみません。くろみゃー。フィディア=ヴェニシエス――リクリス……」
だが、一方でラリカは随分と肩を落とし。悔しそうに歯を食いしばりながら、自分の左手を見つめながら謝罪の言葉を口にした。私とフィディア。そして、小さくリクリスに。
――魔法を使えるようになったのに。大切な友から魔法を使う術を託されたというのに。その魔法が役に立たなかった。満足に使ってやる事が出来なかったのが口惜しいのだろう。
いや、事実として言えば。ラリカが魔法を放ったお陰で奴らは動きを制限され、私の魔法も間に合ったのだ。だが、それでもラリカの魔法が狙い通りに放たれなかったことは事実であり、あくまで怪我の功名に過ぎないのも確かだった。
それは確かにこの子に取っての屈辱であり。そしてなによりも辛い事実になるだろう。
「……いや、何を言う。ラリカ。今は君のお陰で間に合ったのだ。助かった」
せめて、少しでもその気持ちが軽くなればと口にするが、ラリカはやはりどこか自信を無くしているかのような表情で、伏し目がちな視線をこちらに向けた。
「……ラリカ=ヴェニシエス。貴女は私よりもよほど……い、いえ、今は先を急ぎましょう」
フィディアは、ラリカが落ち込んでいるのを見て、慰めようとしたのだろう。今も不安げな表情の中で、アワアワと慌てるようにラリカの事を覗き込むが。
どう言葉を掛ければ良いのかが分からなかったのか、はたまた自分の言葉ではどうにもならないと判断したのか。ただ、奥歯を噛みしめ、『前に進もう』と震える声で急かした。
「――分かりました」
ラリカは未だどこか吹っ切れないようすで、しかし自身の不甲斐なさを恥じるかのように首を軽く振ると、気を取り直したかのように歩き出すのだった。
***
「……っ、邪魔だ……っ!」
――一体これで何度目になるだろうか?
氷槍と雷槍の魔法を織り交ぜながら、襲いかかる亡者を打ち払い。
肉球の裏にざりざりとした砂粒の感触を覚えながら、短くため息をついた。
奥に進むにつれ、ひっきりなしに襲いかかってくる亡者は。『邪神』という言葉から当初想定していたよりも随分と弱く――脆弱であった。
それは、フィックの言う通り、『生前の影響を受ける』という特性によるものなのか。あるいは邪神の復活自体が不完全な物であるが故なのかは判然としない。ただ、たしかに言えるのは、ターティベルナの使徒達が、決して相手取る事ができないような相手では無いことだけは確かだった。
思う間に。再び通路の奥の岩陰から、ゆらりと伸び出る影がある。
慌てたように、視界の端に映っていたラリカが対応しようと体を動かすが、片手を上げたところで何故か急に逡巡するかのように動きを止めた。
――氷槍。
代わりとばかりに私は、その影が現われるより先。金色の視界の中で魔力の揺らぎを感じ取って事前に準備していた氷槍を放つ。一メートルほどの氷の塊が飛翔し、現われた影を刺し貫いた。衝突の衝撃に吹き飛ばされるかのように使徒が遺跡の壁に縫い止められ、ガクガクと痙攣するように震えると、暗黒色の体液染みた液体をまき散らし――消滅した。
「……」
……気づけば、いつの間にか。もはや流れ作業のように一連の所作を行う事が出来た。
例え先ほど苦戦した十二を超える数の使徒が現われても。何故かさほど焦る事無く私だけ対処する事が出来ている。
魔法を放つ度。自分の中で、何かの歯車が噛み合って行くような感覚がしていた。
一つ一つ。さび付いていた歯車が動き始め。加速度的に動き出すにつれ。
雪華の……。あの、馬鹿が持っていたと謳われる金色の視界が。段々とあるべき姿を取り戻していくかのように、世界を緻密に。解像度を上げながら描写していく。
――思えば。この世界に来てから。これほど長い時間。この瞳を使った事は――無かったか。
いや、それを言うなら魔法もだ。
この世界に来てから、これほどの回数攻撃の為に魔法を行使した事は無かった。
「……くろみゃー……お前……」
放置され錆付いていた刀が、『研ぎ』を経て、鎬に浮かんだ錆を取り払われていくような高揚感を覚えていると、背後からラリカの非道く戸惑った声がする。前方を警戒するためにちらちらと視界の端に捉えながらラリカに視線を向けた。
ラリカが、どこか不安そうな表情を浮かべて。先ほど魔法を放とうと上げていた左手を降ろし、両手で杖を握り締めている。その隣では、フィディアも緊張からかうっすらと汗ばんだ表情で周囲に視線を向けながら。ちらちらと長い髪に手を添え、様子を窺うように私とラリカの事を見比べていた。
彼女は焦る気持ち示すかのように、時折歩みのリズムが乱れ、足早になっては速度を緩めるのを繰り返している。
「……二人とも。そう、不安そうな表情をするな。大丈夫だ。必ず、無事に戻ってみせるぞ」
――いくら現状、弱い相手でしかないとは言え。フィックと別れてから襲ってくる使徒の数に。二人とも不安が抑えきれないというところか?
二人とも、フィックが有り難くも引き受けてくれた亡者達の群れを知らない。彼女と別れてから、急に使徒の数が増えたと錯覚し、不安を覚えてもおかしくないだろう。
……まして。先ほどから私の魔法のキレは増しては居るが、使徒共に注意を払いながら遠距離から打ち払っているせいで、歩みは遅々としている。進まぬ足取りに焦りの一つも覚えて不思議はない。
――そう判断し、安心させるべく落ち着いた声を掛けた。
「――っ」
――が、ラリカは、私の言葉に息を詰まらせるように喉を鳴らすと、私の予想と反してブンブンと首を左右に振って見せた。そのまま、一歩。まるで詰め寄るように私に向かって踏み出し――躊躇うように足を止めた。
「……違います。そうではありません。……お前が、さっきから……。――いえ、お前が優秀だということは知っていたのですが……それにしても――随分、『役立つ』なと思っただけですよ」
……何事かを言いかけたラリカが、途中で思い直すように言葉を言い直した。
――『役立つ』か……
……そう。確かにそれは、自分でも意外な事実だった。
いくら、生前。雪華の事を求めていて事件に巻き込まれた事があったとしても、あくまでそれは『人として』の経験に過ぎない。こんな魔法などという不可思議な事象――ましてや、『ミルマル』などという獣の体で。これほどまるで『それが当たり前』だという風に動けるとは思わなかった。
――いや、あるいは案外これが雪華が私に与えた『加護』なのかも知れない。
レシェルが、言っていた『最高クラスの加護』という言葉を思い出した。
……ならば、私はあの何を考えているのか分からない大馬鹿娘に、感謝しなければならないだろう。
――お陰でこうして、幼い少女達を守る事が出来るのだから。
「……ああ。正直、自分でも少し驚いている。だが――たまには飼い主の役に立たねばな。いつまでも、肝心な所で役に立たない『ポンコツ』と言われている訳にはいかんだろう?」
「……お前は何を言っているのですか……少し、フィック=リスの影響を受けすぎですよ?」
……ミギュルスと戦った後、目の前の可愛らしい主人から『ポンコツ』と笑われたことを思い出しながら、くっくと喉を鳴らして冗談めかしてそういうと、どこか重々しい態度だったラリカが、はっとしたような表情を浮かべ、なんとか強張る口元に笑みを浮かべようとして失敗したかのように引き攣らせた。
「いやいや、なに。元々、私はこういう性質だが?」
「……そうでした。……おかしいですね。森で拾ったときは、もう少し可愛げのある子だったはずなのですが……」
私の冗談に付き合うかのように、そんな憎まれ口を叩きながら。ラリカの声はどこかうわずっている。
――なんでも無い様子を演じながらも、やはり『邪神』という存在に対する不安は拭いきれないか。それとも、やはり自分の『不甲斐なさ』が覆い被さってきてしまっているのか。
じっと、ラリカに気づかれないよう彼女の様子を窺っていると、何かを悩ましげに思案しながら。無意識なのか、再びラリカが左手の薬指へと視線を向けるのが見えた。
なにか、一歩が踏み出せないような『葛藤』。
もどかしそうな表情の向こうには『役に立つことが出来ない、不甲斐ない自分を責める事』だけではない、『何か』が潜んでいるようにも思えた。
……そうか。そういえば……。
――ならば、ひょっとすると……
……ミギュルスと戦ったときの。この子の態度。
そして、先ほどからターティベルナの使徒達が現われたとき。まるで何かに身を固められたかのような反応を返す彼女の事を思い出し。
一つの仮定が脳裏に浮かび、私は思わずはっと足を止めた。







