第六十八話「別つ」
フィックの言葉通り、角を曲がると広範な空間が広がっているようだった。対流するように金色の粒子が渦巻いているお陰か。暗闇に閉ざされているはずの空間にもある程度の明るさを感じる事が出来る。
――その空間を見た瞬間。
絶えず漂い続けている奇妙な鼻を突く腐れた香りが、一際強く香った気がした。
……もしや、どこかに奴らが潜んでいるのか……?
警戒を強めながら拓けたドーム状になった空間へと足を踏み入れる。念のために展開した雷槍の魔法陣の僅かな灯りを受けながら、通路の端から中を窺った。
……臭気をかき分けるように辺りを確かめるが、腐り落ちた亡者の姿は見当たらない。
だが、先ほどから強く鼻を刺激する香りは、今ではまるで、この部屋自体が臭気を放っているようにも感じられた。
「……あそこ。見えるかな? あの祭壇の裏に、少しだけ岩が崩れた場所があるんだけど、そこから、ミシェル=サフィシエスが儀式を執り行っているらしい場所に行けるはずだよ」
例の『死神に魅入られた子』が立ち入ってしまったと思われる場所をフィックが示す。
フィックの死人のような白けた手が示す先には、一段高くなった石積みがあった。おそらくはそれが神に祈りを捧げた祭壇なのだろう。だが、『祭壇』と言うには見た目は予想に比べて随分と味気ない。瞳には、まるで子供が戯れに単に岩を積み上げただけのように映った。
……いわゆる、積み石の様な……
『遺跡』と『石』とは、随分と皮肉の効いたものだ。
『積み石は原始的な墓であった』
……積み上げられた岩を見つめ、辺りに漂う腐臭も相まってそんな話を思い出した。
「分かった。フィー。そちらはどうするつもりだ?」
「私は、地下に行かないといけないから……このまま、まーっすぐ奥に進んで――うん。安心して。ちゃんと、私の果たさないといけない役目は果たすから。だから――ラリカちゃん、フィディアちゃん、それから、くろみゃーちゃんも。無理はしないでね。『生きて』さえいれば。時間さえ稼げば。きっと、なんとかなるから。だから、絶対に、逃げる事を優先して。自分の事を、絶対に最後まで大切にしてね」
聞くと、なぜかじっと天上の方を見上げていたフィックが顔をこちらに向け。これが、最後とばかりにフィックが真剣な表情でラリカと、フィディア。それぞれの手を握り締めて呼びかける。
いざ祭壇を見たことで再び張り詰めた表情を浮かべていた二人だったが、フィックの励ますような一瞬虚を突かれたような表情を浮かべ、不安げな表情を見合わし。
――しかし、すぐにお互いの表情を見て、そこに浮かんだ不安を見て取ったのか。
『それではいけない』とでも言うようにぐっと奥歯を噛みしめると、今度は決意の光が浮かんだ表情で頷いた。
「――分かりました」
強い意思と共に承知の声を上げるラリカの隣で、フィディアは一瞬強い意思を込めた表情を浮かべたものの、ラリカとは対照的に、どこか躊躇うような表情を浮かべて顔を伏せっている。
一体、どうしたというのか。やはり、恐怖に耐えられないのか。
心配をしながら私とフィックが彼女の事をじっと見つめていると、フィディアは躊躇いがちに顔を上げた。
「……そのっ、フィック=リス……」
「どうしたの?」
切羽詰まったように。何かを訴えかけようとするフィディアの姿に、フィックは明るく少し首を傾げながらも、真剣な表情を返した。フィディアはまるでその視線にさえ罪悪感を感じているかのようについっと視線を逸らし、出逢った時のように、少しぶっきらぼうな様子で口を開いた。
「――その、さっきは取り乱してしまって……悪かったわ」
「……? ――あ。ああっ! なーんだ。そんなこと……ぜーんぜん、良いよっ!」
不器用なフィディアの言葉に、フィックは面を食らったかのように少し目を見開く。僅かな間。フィディア達が気づかないほどの間だけ、慈愛に満ちた似合わない表情を浮かべた。
そして、まるで名案を思いついたとでも言うように、表情を綻ばせると。そっと手をのばし――。
「――っちょ、ちょっと、フィック=リス!?」
優しく、フィディアの頭を撫でた。ポンポンと手のひらを、フィディアの細く長い髪の上で跳ねさせながら、悪戯っぽくウィンクをする。
「ふっふー、おねーさんはぜーんぜん。ぜーんぜん、気にしないよ――」
言いながら、ラリカとフィディアを祭壇のほうに向かせると、背中をぐいぐいと押して歩き始めた。強引なフィックの動きに、二人が少し戸惑ったようにフィックの事を振り返る。
「フィディア=ニヴィヴェネラ~」
「――っ『ニヴィ』って、確かにその通りかも知れないけれど、っ! でもっ!」
一体『ニヴィ』というのはどういう意味なのかは分からない。だが、非道く上機嫌にフィディアの事を呼ぶフィックに対して、フィディアが幾分か不満げな表情で反駁する。
しかし、当のフィックは笑顔を浮かべたまま。どこ吹く風とばかりに、フィックの言葉を聞き流した。
そうこうするうちに、部屋の中央に鎮座している祭壇の近くへといよいよ近付いてきた。先ほどフィックが言ったとおり。祭壇には一部崩れたような空間があり、そこから先に道が続いているようだった。
「……ほーら、二人とも。気をつけてね――ねえ? くろみゃーちゃん?」
中に奴らがいないか警戒しながら覗き込んでいると、物言いたげなフィディアの視線を置き去りにしたまま、私に話を向けた。そのせいで、唇を尖らせたフィディアの視線が私に向き、若干の居心地の悪さを感じる。
「……なんだ?」
「……ここに居るターティベルナの使徒の力だったら、ちゃんと崩した岩を動かすのは難しいと思うからさ。この岩、皆が入った後に、後ろから誰か入ってこないように、念のため崩しちゃおうかなって、思うんだけど。――もし崩しちゃっても出てこられるよね?」
――なぜか、否応なく同意を求めるようなフィックの言葉に首を傾げながら、言葉の意味を考えた。
……どうやら、後ろから奇襲されないように岩を崩そうという事らしい。
だが、この岩を崩してしまえば逆に退路が無くなってしまう。
――確かに、目の前に積み上げられた岩は近くで見ると初めに見た印象より随分と大きく、重い。だが、魔法を使えば壊せない事も無い大きさだ。これくらいならば、私でも。ラリカの指輪でも。恐らくフィディアであっても壊すことが出来るだろう。
……いや、しかし。いくら『さほどの強さではない』とはいえ、あのターティベルナの使徒達が本当に岩を崩して入ってこられないのか? むしろ、いざという時に取り囲まれる可能性や、咄嗟に魔法を使えない場面である可能性を想定するべきではないのか……?
束の間、色々な事態を想定し、知らず知らずのうちに自分の眉間に皺が寄るのを感じた。
――ふと、フィックが、意味ありげに片目だけゆっくりと瞬きを二回繰り返す。
……2回の瞬き。となれば、それはつい先日のことを考えれば……
――『同意しろ』 そういう事だろうか?
「――あ、出てくるときは、『ちゃんと、目を見開いて出てこないとダメだよ』」
意味ありげにフィックが言葉を付け足した。
……『目』つまりは、雪華の瞳。
連想ゲームのように、フィックとその話をしたときの事を思い出す。
随分と前のようにも思えるが、今日の昼間されたばかりの説明だ。
昼間、フィックと二人きり。誰も来ない空間でーー
……あの、何者も入ってこない空間から――っ!
――つまりは、『ただ崩すだけではない』ということか。
だがなぜ、今。そんな事を言うのか分からない。
が、ここでその事をこんな風に回りくどく口にするということは……
――なにか……私が気づいていない理由があるのだろう。
「ああ。大丈夫だ……気休めかもしれんが、多少なりとも後ろに注意せずに済むのは助かる」
フィックが何らかの意図があるらしきことを察し、同意してみせると。少し安心したように赤い瞳が緩んで見えた。薄暗い空間内で、皆の持つ灯りの光がぼんやりと照らし出す面立ちが、幾分大人びて見える。
「――そっか。よーかった。じゃあ、ラリカちゃん。フィディアちゃん。くろみゃーちゃん。気をつけてねっ! ……さ、魔法でドーンって、崩しちゃうからさ、ちゃんと離れておいて」
トンっと、フィックが二人の背中を少し強めに押して穴の中へと二人を押し込んだ。私は二人の間をすり抜け、奥に何者かが居ない事を確認する。
背後を振り返ると、私達が距離を取ったことを確認したフィックがナイフを片手に持ったまま、ぶんぶんと元気よく手を振っているのが見える。
――随分、賑やかな事だな。
とても、『邪神』が蔓延る空間とは思えないような呑気な姿に。緊張がほぐれ脱力する。
――フィックが。金色の術式。雷槍の魔法を展開しながら、こちらに向かって大きく叫んだ。
「――じゃあ、またね! 後で、ぜーったい合流するから。――フィディアちゃん。ちゃーんと、今度はセトちゃんと一緒に。『また今度、こんどはもっと一杯の花を咲かせようか』――ってね!」
「――え?」
――轟っ、
フィディアが、発した不思議そうな声は。フィックの放った雷槍の魔法によってかき消され――
瞬間。崩れ落ちる岩の隙間。そこから見えた光景に。
ざわりと。
私は、背中が粟立つ感覚と。吐き気を――覚えた。
崩れゆく岩の隙間から見えたのは……
――無数の。腐り落ちた――醜悪な。人影が――降り注ぐ――姿。
無数の虚ろな眼窩が、こちらを見つめ。次から次と……
――つまり、先ほどまでの部屋が異常な香りに包まれていた元凶は――上に……っ!
「ッフィっ……くっ!」
咄嗟に、何かに向かい合うように身を翻したフィックの背中に叫び声を上げそうになるのを、ぐっと堪えた。
――今の光景は。私以外には、『見えていない』。
なにせこれだけ光量の少ない場所だ。これは、私がミルマルであり、雪華の瞳を持つが故に見ることが出来た光景だ。おそらくは突然『岩を崩す』などとフィックが言い出したのも。この光景をラリカ達に悟らせない様にする為の配慮なのだろう。
ならば、ここで私が取り乱してしまえば。せっかくのフィックの気遣いを無駄にしてしまう事だろう。
思えば、先ほどからフィックは頻りに上を気にしていたようだった。恐らく、この空間に入ってすぐに天井付近に奴らが潜んでいる事を察していたのだろう。
……『今度はセトちゃんと一緒に』とは、そういう意味か。
雷槍を放つ直前。フィディアに向かって呼びかけたフィックの、笑顔の中に覚悟を滲ませた表情を思い浮かべた。
――仮にここで奴らと交戦することになれば、あの数からして、初戦から乱戦になるのは想像に難くない。そうすると、必然的にここで多くの時間が浪費されることになってしまう。
……フィディアとラリカを、一刻も早く。未だ助かるのか、助からざるのか未知数なセトの元へと向かわせようという親心ということらしい。
……フィックとて、たった一人で地下に向かうという役目がある。しかし、ここで一人で向かい合うということは、彼女は一人で十分に対処可能と判断したということだ。
――そして同時に。私達を一刻も早く向かわせることで、『全員』で再び過ごすことが出来る可能性を『期待』したという訳だ。
……ならばせめて。ここから先。フィックが居なくなってしまう道中を、同じ失敗の無いように。彼女の『期待』に答えられるように努めねばなるまい。
「――ふぅ」
呼吸を、整え。乱れてしまった感情を落ち着かせる。
小さかった入り口も。中へと入ってしまえば、予想外に広い通路が延びている。人が数人すれ違う事が出来るほどの空間を。ラリカ達の持つ灯りが照らしているのを振り返り。未だどこか突然のフィックの行動に納得がいっていない様子のラリカとフィディアに向かって声を掛けた。
「――ラリカ。フィディア。……ここからは、私が先に行く。二人は後をついてきたまえ」
「……くろみゃー? 大丈夫なのですか?」
二人を先導するように前を歩き始めた私に、ラリカが緊張した声音で問い掛けてきた。やはり、フィックと別れた事で不安感を拭い去る事が出来ないのだろう。見れば、フィディアもなにか聞き逃したことがあるような。どこか名残惜しそうな様子で後ろを不安げに振り返っている。
「何がだ?」
「……お前が、一番危険な前を行く事です」
不安げな表情を浮かべたまま、ラリカが私の事を心配する。どうやら、ラリカは自分たちが前に行った方が良いのでは無いかと考えているらしい。
……いくら、ラリカが魔道具のお陰で魔法を使えるようになったとは言え。依然として回数制限がある上に、習熟しているとは言いがたい。ならば、夜目も利き。多少なりとも覚えのある私が行く方が良いだろう。
――『先頭を私が行く』というのは、すでに私の中では当然の選択であった。
だからこそ、彼女たちの不安を軽減させるためにも、私はなるべく軽い口調で自分が先頭を行くことを告げた。
「ああ。大丈夫だ。だが、どこからアレが出てこんとも限らん。周りや後ろには目を向けておいてくれ。それに、いざという時は――頼む」
――いや、待て。私は、一体、何を考えている……?
何気なく答えながら、その言葉にはたと違和感を覚えた。
私とて、魔法を使えるようになったのはごく最近だ。
それまで平和な日本という国で暮らしてきた。魔法などと言う不可思議なものに、『習熟している』とは口が裂けても言えない……はずだ。
しかし、なぜだろうか?
まるで、何度も何度もこういう場面を繰り返してきたような……妙な、『自信』があった。
――生前でも。修羅場は確かに越えてきた。だからだろうか?
……しかし、自分は、こんな無計画に自信を持つような人間だっただろうか?
……どうにも収まりの悪い違和感が苛んでいた。
――つい、周囲に気は配りながらも、縋るように自分の左の前足に視線を落とす。
この世界に来てからは、そこにかつて常にあった重みは無い。
……『雪華が、戦った相手』……か。
軽く、諦め混じりに首を振りながらすぐに思考を切り替え。
もう一度、目先の。これから自分が相手をする事になる存在の事を考える。
「……くろみゃー?」
――気づけば、もう一度。不安げな――いや、今度は不審げと言うべきだろうか?
微妙に色味の違うラリカの声が聞こえた。
……なんだ? 不審に思い視線をちらりと向けると、心配そうにラリカが私を覗き込んでいた。
「……何を、笑っているのです?」
フィディアに気を遣っているのか、小声で訊いてくるラリカの言葉にはっとした。
気づけば――不謹慎な事に、なぜか私は口の端を吊り上げていたらしい。
「……なんでもない。ただ……なんとしても、セトを助け出さねばと思っただけだ」
……まったく。笑みを浮かべるとはなんとも不謹慎な話である。
だが、おそらくは、その笑みは自嘲。そして、後悔が現われただけなのだろう。
生前、幾度となく、雪華を求め、無関係な事件に巻き込まれていた事を思いだしてしまったのだ。
――ただ、それだけの事。
誤魔化しを口にしながら、そう、自分で自分を納得させた。







