第六十七話「揺」
「……ヴェニシエス!? 今のは!? まさか、その――エクザが!?」
――驚愕に目を見開き、絶句していたフィディアがようやく立ち直り、ラリカに向かって問い詰めた。ラリカは、そんなフィディアに黙っていた事を謝るように少し頭を下げると、私の事について説明する。
「……この子は、術式自体を視覚化できる能力があって……そのせいだとは思うのですが、中級以下の術式魔法を使うことが出来るのです」
「……そんなっ! ミルマルが魔法を使うだなんて、聞いたこと無いわっ!」
「……魔道具無しで魔法が使えない私の代わりに、普段から色々と補助をしてくれているのです……だから、『二人では無い』と。正直、こと魔法の『行使』に関しては私よりもよほどこの子の方が役に立ちますよ」
自嘲気味に話すラリカに、フィディアが目を見開いたまま絶句している。そんなフィディアの表情を見て、ラリカが右手で左腕の二の腕辺りを強く握り締めた。
――怖いのか?
ラリカのその仕草は、まるで恐怖を押さえ込もうとしているようにも見えた。確かに、魔法がどこまでつかえるのか分からない中。自分のペットのミルマルにさえ劣ると言われている中。これから、『邪神』の巣窟に立ち入ろうというのだ。恐怖を覚えても不思議はない。
「……そうですね。フィディア=ヴェニシエス。これで私達の魔法でも通じることは確かめられましたが……あとは、どれだけ使徒の数がいるか……ですか……」
しかし、そんな不安も恐怖も押し隠すように、ラリカは幾ばくか視線を鋭くしながら、洞穴の奥を睨み付けるように見つめた。暗く沈んだ洞穴の奥までは流石に灯りも届かず、私の目を持ってもどうなっているのか窺い知ることは出来ない。
「――みんなっ! だいじょーぶ!?」
張り詰めた空気を弛緩させるような、フィックの賑やかな声が聞こえた。どうやら、魔法の音を聞きつけて、駆けつけてくれたようだ。カサカサと微かに下草が踏み分けられる音が聞こえ、ひょっこりと金色の髪が顔を覗かせた。暗闇の中、赤い瞳がぼんやりと光を照り返し光り輝いている。
「ああ。大丈夫だ。なんに――何体か、あのターティベルナの使徒が現われたが、問題なく対処出来た」
「そっか。うん。……やっぱり、邪神が完全じゃないからか、どの子も弱い子ばかりだね。……あっちも、動かないみたいだし。これなら……なんとかなるかも知れないね」
「――弱い?」
暗がりから月明かりの下に身をさらしながら、『あっち』と天空に蠢く触手を指さし、何気ない様子でフィックが発した言葉が気に掛かり、問い掛ける。
「……ターティベルナの使徒は……『生前』の影響を受けるんだ。それによって、強さは全然違うから」
「……先ほどまでに見かけた者たちは、生前さほど『強くはなかった』ということなのか?」
「……うん。多分、普通の人……だね」
「……そうか」
あのような醜悪な姿へと変貌し。神代の時代からずっと囚われ続けてきた者たちが、単なる一般人だった……そう考えると、なおさら『邪神』とやらの業の深さを思い知らされる。
……いつだったか、フィックが邪神のせいで人が滅ぶ寸前だったと言っていたが、まさしくその通りだったのだろう。老いも若いも。強いも弱いも。区別無く、のべつ幕無しに、飲み込んでいたという訳だ。そうした、過去の罪科の一片のみが、こうして時を隔てて、目の前に現われているわけだ。
……まったく、吐き気がする話だ。
「……でも、全部が『このレベル』とは限らないから。みんな、十分に気をつけてね。もし、過去の……第一線で戦ってた『元、人』が現われたら――戦おうと思わないで」
……私達では、相手にならんというわけか。
……実際、以前フィックと戦ったときは一瞬だけだったから。まだ、なんとかなった。しかし、フィックにしても、まだまだ色々と隠し球がありそうだ。そんな連中が跋扈していた時代の者と考えれば、今の私達では相手にならないだろう。
「……分かった」
「じゃあ、中に入ってからの動きを、確認するね――」
そうして、フィックがもう一度これからの動きを確認し始めた。全員が真剣な表情で顔をつきあわせ、フィックの言葉を聞き、質問を繰り返していく。
――フィックは、遺跡の中ですぐに別れ、地下で取り残されている者たちの救出と、遺跡の防衛機構の停止を行う。
――それに合わせて、ラリカとフィディア。そして私は、そのまま遺跡の奥へと向かっていき、術式を解析。奥で行われているはずの『儀式』の停止を目指す。
それぞれ、大本に近付けば近付くほど。防衛機構の自動人形と、ターティベルナの使徒の数が増えてくるのが見込まれるため、無理だと思った場合は――
「これを割って、すぐに退避して」
フィックが取り出してきたのは、ビー玉ほどのサイズのガラスに似た素材で出来た小さな球だった。奥にセレガのような石が閉じ込められているのが見える。
「これは?」
フィディアがラリカが受け取っている石をのぞき込みながら、不思議そうな表情を浮かべ問い掛けた。
「……お互いに、危険を知らせるためのもの。二個一組になってて、一方が割れたら、もう一方が赤く光り出すんだ」
「……この大きさで持ち歩ける、通信用の魔道具ですか」
ラリカがどこか感心したようすで、自分の手の中の石をころころと転がして見せた。
その言葉に、ミギュルスが現われたとき、状況を報告する為に用いられていた石の事を思い出す。ちょうどあれに似たような仕組みなのかもしれない。
しかし、あれ以降見かけないということは、恐らく何らかの制限が存在するのだろう。だからこそ、この魔道具に感心しているというところか。
「……一応、白銀の作品だから……ちゃんと動くはずだよ」
「「――白銀っ!」」
補足するようにフィックが口にした瞬間。ラリカとフィディアはそろって目を剥いた。そして、手元の小さな透明な球をそろって見直した後、二人で視線を見合わせる。
「……白銀の作を使い捨てですか……それは、また……」
「……使っても……大丈夫なのかしら……?」
フィディアとラリカは顔を寄せ合いながら、どこか物怖じするようにそわそわと手元の球体を握り締め、助けを求めるように周りに視線をやった。
――ラリカが、こんな風な反応をするとは珍しいな。割と、高級品もあまり気にする事無くラリカは普段使っているようだが……それだけ、価値のある物品ということだろうか?
「……く、くろみゃー。お前が、持っておく気はありませんか?」
やがて、私に視線を落としたラリカが、微妙に引き攣った表情でそんな事を言う。
――まったく、持つのが怖いから人に向かって押しつけようとは……
「……見ての通り、私は収納スペースが無い。魔法を使ってはいざという時に取り出せんだろう。……君が持っておくべきだ」
若干、呆れを含ませながら、衣服を着込んでいない自分の体を示すようにちらっと振るい、私の方に僅かに期待した視線を向ける二人を見返しながら答えた。
「――はは……だいじょーぶだよ。その魔道具は当時一杯作ったから、いくつかまだ予備もあるから。だから、ちゃんと使って――ね?」
これから修羅場に入るというのに、いらぬ心配を抱え込んだようすの二人に、少し茶目っ気を出したフィックが、優しい口調で窘めた。
ラリカ達は、未だどこか落ち着かない様子ではあったが、図星を指されたようにノドの奥をならすと、静かに頷いた。
「……さて、それじゃあ。あんまり時間も掛けられないし、行こう。ラリカちゃん、フィディアちゃん」
「……分かりました」
「……え、ええ……そうね」
『時間が掛けられない』その一言に、一瞬僅かに弛緩していたラリカとフィディアの間に漂っていた空気が引き締まる。フィディアの表情には、悲しみとも焦りともつかない色が浮かんで揺れていた。
「……行くぞ」
私の呼びかけに、三対の瞳が強い意思を返してきた。私は、二人が緊張も露わに近づいてくるのを確認すると、離れすぎないように注意しながら先導するように歩き始める。
入り口を前にし、左右の影に隠れるように、フィディアとラリカがぴったりと壁に張り付き、遺跡の中を覗き込んだ。薄暗い中で蠢く存在は見当たらない。だが、陰鬱な気配だけが、人を拒絶するように漂っている。フィディアとラリカはごくりと生唾を飲み込み、頷き合うと、遺跡の中へと踏み入れようとした。そんな二人の間を抜け、フィックがすたすたと遺跡の中を歩き始める。
「さ、みんな。気をつけて。ここから先は、本当に……神代と同じ世界かも知れないから。絶対に……無理はしちゃだめだよ?」
そんな、心配そうに私達を振り返るフィックからは――再び、いつだったか、ラリカを探すために教会の下へと潜っていった時に感じた、無形の圧力のようなものが漂い始めていた。
***
――十五分ほど。だろうか。
洞穴内を進むほど、独特の臭気は強くなっていく。しかし、不思議な事に、ターティベルナの使徒達の襲撃はアレから一度もない。それが返って、何らかの罠に誘い込まれているかのような、不気味な感覚をもたらしていた。
「……来ないわね」
フィディアが、ぽつりと確かめるようにこぼした。その声には僅かに疲労が滲んでいる。
――いっそ、敵と戦っている間は楽だろう。
だが、こうして『いつ訪れるのか分からない』という状況が続くのは、慣れていなければ精神を恐ろしく疲弊させる。元来。人というのは灯りの少ない場所に入るだけで、無意識に神経が研ぎ澄まされ、思った以上に集中力を削られていくのだ。
……元々、豪胆という性格ではないフィディアならば、少しずつ焦れを感じても不思議はない。
「……ごめん。くろみゃーちゃん、少しだけ。場所変わって貰える?」
「ああ」
先頭を歩いていたフィックが、チラッと、青白いフィディアの顔色を見て、私に視線を落とした。フィックの足下をすり抜け、前を確認する。
先ほどから、雪華の瞳の力を行使しているお陰で、金色の粒子が視界を舞い散り。暗闇の中でさえ、洞穴の中を見通す事が出来た。見える範囲に『それらしい』存在が見受けられない事を確認し、一瞬だけ瞳の力を切る。
――見渡す限り、闇。
瞳の力を切った瞬間。照明を落としたかの様に暗闇が広がった。月明かりを受けることさえないこの暗がりは、ミルマルとして、人より遥かに夜目が利くこの目にも、見通せなかった。ラリカ達が照らし出す照明の明かりが届く範囲より先は、何物が潜んでいるのかすら分からない空間が広がっている。
――ああ、確かにこれは、フィディアの疲労も仕方が無い。
一人納得しながら、すぐに瞳の力を再度起動すると、またぼんやりとした灯りに包まれた視界が戻ってきた。
「……フィディアちゃん。はい」
「……なにかしら?」
フィックが、ニコニコと脳天気な笑顔を浮かべながらなにか筒のようなものを取り出すと、フィディアが少し戸惑ったように聞き返した。その声は、どこか苛立ちを含んでいるようにも聞こえる。
「なにって……お水だよ。あ! あーんまり大量に飲んじゃダメだからね! 口を湿らすくらいで」
「……いらないわ」
補足するフィックに向かって、余裕の無い様子のフィディアは首を左右に振って断りを入れた。しかし、フィックはなおももう一度強く水筒らしき筒を差し出した。
「いーからいーから。先は長いんだから、まーだ相手が来てないうちにこれ幸いと休んどこうよ。ずーっと、なにも飲まずに喉渇いてるでしょ?」
「乾いて……ないわ」
「――くろみゃー。私も、水を貰えますか?」
――フィディアが再度断ろうとするのを遮るように、ラリカが私に水を要望した。
……いくらか水はラリカの方でも持っているはずだが……
指輪のお陰で、今は収納魔法もつかえるようになっているはずのラリカにチラリと視線を向けると、何か言いたげな視線がこちらを向いていた。
……なるほど。
「分かった。……飲み過ぎるなよ」
水筒をラリカの手元に出してやると、杖を片手で持ちながら空いた手でラリカが水筒を口につける。形の良い眉間に皺を寄せ。少し辛そうにきゅっと、一口水を口に含んだ。
「――んっ、ありがとうございます」
水を飲み終え、私に向かって『戻して』というように水筒を見せる。ラリカの前に魔法陣を展開し、水筒を仕舞い込んだ。
「――ほらほらー。フィディア=ヴェニシエスも、どーぞ」
「……分かったわ」
ラリカが隣で水を口にしたことで、ようやく諦めがついたのかフィディアがフィックから水を受け取り、口にした。
「――っつ、っかはっ」
「――大丈夫っ!?」
……口をつけた、フィディアが咽せる。フィックは、そんなフィディアの背中を慌ててなでさすった。
「……引き込んだだけ。大丈夫よ」
口の端から僅かに垂れた水気を片手で拭いながら、フィディアがフィックを制止するように片手を上げた。
――そういえば。
ふと、昔同じような反応を見たときの事を思い出した。思えば、あの時も中々に修羅場だったか。ただ、それも私が居た世界でのことだ。こんな風に、『邪神』だ『魔法』だなどと言った事件ではなかったが……
――しかし、今の体では、支えてやることも出来んな……
水筒を返すフィディアの姿を視界に収めながら、ミルマルと化してしまった自分の体の事を考える。こんな姿になってしまった以上、考えても詮のない話ではあるが、こういう事件に巻き込まれ、子供達を矢面に立たせてしまうと考えると、『せめて人の体であれば』と考えてしまった。
「……まあ、今できる最善を尽くすしかあるまい……」
一通り騒いで気が紛れたのか、フィディアの顔色も少しはましになっている。おそらく、狙っての事なのだろう。フィックはそのフィディアの顔色を確認すると、自分も一口水筒に口をつけてから、私の所へとトットッと速度を上げて近付いてきた。
「やー、ごめんねーちょーっと、喉渇いちゃってさー」
「――そうか。だが、実際。まったく動きがないようだが、この道であっているのか?」
……先ほどからひたすら一本道である以上。道を違えようもないはずだが、念のためフィックに確認する。
「うん。大丈夫だよ。このまんまもうすこーしだけ行くと、曲がり角があって……その先に祭壇のある広い空間があるんだ。そこで地下と、この間の神威災害の区間が分かれてるから――そこの祭壇裏に入ってからは……お願い」
前半は気楽な口調で。しかし、後半はチラリと後ろの二人に視線を向けて真剣な声音で、フィックはそういった。
「ああ。そうだな……あの子達だけでも、絶対に生きて返さねばな……」
「……だめだよ。ちゃんと、くろみゃーちゃんも一緒でないと」
「……努力しよう」
「うん。みーんな。ちゃんと一緒じゃないとね」
フィックの胡散臭く、わざとらしくも。
明らかに私のことも気遣っている明るい声を聞きながら。私は大きく息を吸い込むのだった。







