第六十六話「亡者」
「……フィディア=ヴェニシエス。今回は無理を言ってしまいました……」
「……いえ。それは良いわ……私も納得したことだもの……」
木陰から覗くゴグツの遺跡の入り口は、一見なんの変哲も無い単なる洞穴のように見える。五メートル程の幅で、一見、自然窟のようにも見えた。
しかし、闇夜にぽっかりと口を開けたその洞穴からは、目には見えない瘴気のような存在が確かに感じられる。それは、生物的な本能が告げる原初の恐怖に思えた。現に、そのせいか森の中だというのに、辺りはありとあらゆる生き物が息を潜めているかのように。物音一つ聞こえない。
そんな中、『背後から襲われたらいけないから』と、周囲の確認に回ったフィックの戻りを待つ、二人の緊張したささやき声だけが聞こえている。カーネが救援を求めて先技研の元へと向かい、この場に居るのが二人だけだからか。先ほどまでとはまた違い、二人の不安が見え隠れしはじめていた。
月の光が、フィディアの青白い横顔を半分覆い隠すように木陰を落としていた。小声での答えとは裏腹に、隙間に見えるその表情は緊張からか酷く強張り、浅い呼吸を示すように僅かに肩が上下している。抑えきれない緊張を押し殺そうとしているのか、杖で塞がっている右手ではなく、わざわざ左手で右の髪を落ち着かない様子で掻き上げた。
「……でも、本当に私達だけで向かって……大丈夫なのかしら……?」
抑えきれない不安を吐露するように、フィディアが震える唇を引き結んだ。問いを受けたラリカの瞳が、動揺を示すように揺れた。
ラリカも随分と緊張した表情で、手に持つ大きな――彼女の――『ヴェニシエス』の象徴たる杖を握り……息を吐く。
「……分かりません。――正直、保証も出来ません……ですが、現状、これしか方法がありませんでした」
「……そうね。先ほどヴェニシエスが仰ったとおり……私が向こうに行っても、『足手まとい』になるだけ……それに、ヴェニシエスが術式の大家というのは十分に分かっているわ。『順番に』という訳に行かないのだって……理解は出来ているのよ……でも……あの『邪神』相手にたった二人で、挑めるものなのかしら……?」
フィディアが先ほどのラリカの言葉を思いかえすように一瞬黙り込み、一度首を振り悲観的な言葉を口にした。
「……『ターティベルナの使徒が居る以上、人数が多くても不利になるだけ』とフィック=リスは仰って居ましたが……」
「……『飲み込まれる』……という事ね。でも……『ターティベルナの使徒』が生まれたということは……本当に……アレは邪神……なのね」
「……ええ。しかし……どうあっても無理ならば一度撤退して、もう一度策を練らねばならないかも知れませんし……いずれにせよ、状況を確認しなくてはどうしようもありません」
「……たった二人の斥候という訳ね」
言いながら、ラリカは自分で口にした内容に身震いした。フィディアも、青ざめた表情のまま同意するように頷く。
「……少し、待ってちょうだい」
フィディアは、ごそごそと服に手を入れ、あの『ラクスに貰った魔道具』を取り出した。つるりとした碁石大の大きさの石を祈るように握り締め、自分の額に拳を押しつけるよう目をつぶると、右手に持っていた杖の持ち手を操作する。
すると、かぱりと――リクリスの使っていた杖と似ていると思っていた杖の持ち手が開く。フィディアはゆっくりと確かにそこに石をはめ込むと、再び蓋を閉じるように持ち手を閉じると、ちょうど石は表面だけを露出させて収まり、落ちないようにしっかりと固定された。
「……お師匠様。どうか、お力をお貸し下さい」
石を見つめ、フィディアが石を見つめて祈るように呟いた。
「……それは……?」
「……オフスになったときに作って貰った特注品なの。動き回るとき、石を握り締めている訳には行かないでしょう? ……私は、この魔道具を使わないと、大きな魔法は使えないから仕方ないのよ」
「……そうですか」
自嘲するように笑みを浮かべるフィディアを、すでにラクスからその『魔道具』が実は単なる屑石に過ぎないことを聞いているラリカが、複雑そうな表情で見つめた。
自分の左手の薬指にはめている指輪に、チラリと視線が向く。
――真に、魔道具無しでは魔法を使う事が出来ない自分の事を考えているのだろう。
「……リクリス。お願いしますね」
そっと、大切な言葉を口にするように切なげにラリカが呟いた。
不意に。乱れる感情を押し殺すように、ラリカの右手が杖から離れ、右肩の上にのっている私を撫でた。
「……くろみゃー。お前も」
「――ああ、もちろんだ」
私の答えを聞いたラリカはふっと微笑むと、はっとした表情を浮かべてフィディアの方を向き直った。
「――ああ、そうですね……。――フィディア=ヴェニシエス」
「……なにかしら?」
突然改まった様子で向き直ったラリカの呼びかけに、フィディアも何事かとこちらに視線を向けた。そんなフィディアを見ながら、ラリカは教え諭すように、しっかりと見つめ返して言葉を続けた。
「『たった二人』ではありませんよ。この子が居ますから、二人と一匹です」
「……エクザ? ……そうね。エクザが居ると思うと、確かに少し落ち着くかも知れないわ……でも、いくら人語を解すとは言え、その子を巻き込んでしまうのは少し可哀想よ。ここに置いていった方が良いんじゃ無いかしら?」
「……何を言っているのです。この子も、大事な戦力ではありませんか」
「……どういう意味かしら?」
不思議そうに首を傾げる、フィディアの姿を見て、ようやく私は『そういえば』と思い出した。
――そういえば、まだ。フィディアに私が魔法を使える事を伝えていなかった。
ラリカも同じ事に思い至ったのか、『しまった』という表情で私の方に視線を向けている。状況に似つかわしくない、間の抜けた視線が交錯した。
「……すみません――実は――」
だが、説明しようとしたラリカがフィディアの方を振り返った時。
微かに流れる風に乗って――腐り落ちた魚の臭いが強く香った。
「――説明は、後だっ! 来たようだぞっ! ラリカっ!」
視線を慌てて匂いのする方に向ければ、ゴグツの遺跡の入り口の奥。暗く光の届かない場所で、何かがゆらりゆらりと揺れているのが見えた。ラリカとフィディアが、身を隠していた木陰から飛び出し、それぞれ杖を構えこむ。ラリカは、照明用の石を打ち合わせると、紐で自分の杖に石を引っかけた。
――ぼんやりと灯った光に、洞窟の奥に微かに光が差し込んだ。
――腐乱死体。という言葉がまず浮かんだ。
かろうじて人型と判別出来る体は、まるでタールのように半ば液化して腐り落ち。面貌はすでにその形を崩し、窺い知ることが出来ない。体表を蚯蚓のようにのたくる無数の襞がよりおぞましさを助長している。溶けて崩れた顔面にぽっかりと落ちくぼんだ眼窩に、妄執の結晶のような火を灯し。ゆらりゆらりとぶれる体を無理矢理に動かすように、数体の亡者がこちらに向かっていた。
亡者共が揺れ動く度、ゆっくりと漂う腐った匂いは、あたかも糞尿の悪臭にも感じられる。
「――うっ」
フィディアが、悪臭と、その見た目に吐き気を堪えるように呻き声を上げた。
――ターティベルナの使徒。
それは、ラリカ達の話によると、『邪神に仕える者』であるらしい。はじめ、その話から私は、単に邪神を崇拝する者が居るのかと思っただけであった。
だが――その醜悪な成り立ちを聞き。
『なぜ』ラリカ達がこれほど恐れを抱いて居るのか理解出来た。
……ターティベルナの使徒。それは、邪神の力によって、人から堕とされた存在。かつて、邪神と戦い、邪神に飲み込まれた――つまりは、『自分たちの味方』のなれの果てだというのだ。
『邪神を滅する』その目標を持つ者たちに、邪神が畏れられた原因の一つが、このターティベルナの使徒の存在だったという。
例え、死しても。
その魂までも蹂躙されるが如き所業に。
多くの者が心折られ、もはや戦う気力を失い……そして、飲み込まれていったという。
「……哀れな」
……思わず。無垢な少女達にみせるのは憚られる姿に、そんな言葉が口を突いた。
そして同時に、やはり何か……まるで、忘れてしまっている何かを思い出そうとしているような、チリチリとした痛みが両目の奥で疼くのを感じた。
――なんだ?
しかし、その痛みの原因を探るために意識を集中させようとすると、その違和感はあっという間に霧散してしまう。
「……まずは、本当に魔法が通るのか調べるためにも、私がやろう」
……なんとも言えない収まりの悪い感覚に頭を振り。
恐怖に体を強張らせている二人を守るように、ラリカの肩から飛び降りて、なるべく気楽に聞こえる口調を意識しながら前に歩み出た。
――フィックが居ない状態で初めて対峙する数がこれだけで幸いだった。この数ならば、魔法さえ通ればなんとか私達でも対応出来るだろう。
……むしろ、『たったこれだけ』ですら対処出来ないのであれば、これから先対応する事など出来ない。その時はなるべく派手に暴れてフィックに戻ってきて貰って、逃げの一手を取るしかあるまい。
「わかりました」
ラリカの答えを聞きながら、数歩ラリカから離れ、目の前に集中した。金色の瞳に、目の前で蠢く亡者達の内に金色の光が鈍重に滞留しているのが見える。それらを打ち払うため、私は雷槍の術式を起動し、魔法陣を展開した。
「――え?」
フィディアが私の言葉と共に展開された魔法陣に、虚を突かれたように目を見開いた。ラリカが展開した魔法陣だと思ったのか、確かめるようにラリカに視線を向ける。
――思い描くのは……先ほどフィックが使って見せた術式。
雷槍の術式を複数起動し、それらをまとめてあの亡者達にぶつけていた。
……入り口が、崩れはしないだろうか?
雷槍の衝撃と爆発力を考えると、ゴグツの遺跡の入り口を破砕してしまう恐れがあった。
――求める最小限を。あの、こちらに迫ってくる亡者達を打ち抜く、雷を。
術式を。注ぎ込む魔力を。冷静に、時間を掛けて調整する。
――使徒が、私が魔法を展開するのに気がついたかのように、その動きを止めた。
……ネットリとした嫌悪感を覚える動きでこちらに視線を向け、固まった使徒達が。
――突如、猛烈な速度でこちらに向かって妙に動物染みた動きで飛び出した。
……しめたな。
使徒が、こちらに向かってきてくれたお陰で、開けた場所で迎え撃つことが出来るようになった。これならば、少々威力が強くとも、崩落の危険性は無いだろう。
押しつけ。制御していた魔力を手放すように。魔法を起動させる。
引き絞られた矢が射られるかのように――幾条もの雷が飛び出した。
こちらに向かって、四足で跳ね上がる使徒達を中空で金色の刃が貫き通す。
触れた端から、その腐り落ちたような体躯は膨らみ、沸騰するかのように膨張し、炸裂する。
使徒達を貫き、それでもなお残されたエネルギーが、地面を伝い、黒々とした地面が軽く爆ぜた。
――ざぁっ
生臭い香りと共に、爆ぜた使徒達の破片は辺りに広がり、広がる端から溶けては消えていく。
――次に風が吹き抜けたときには、すでに使徒達はそこに存在しなかったかのようにすべて消え失せ。私の放った魔法の痕跡だけがその場所に残された。
「……倒せ……ましたね」
「……ああ。少なくとも、普通の雷槍で十分威力的には足りる。ということだ。……だが、この先遺跡の中では、威力の調整が難しいやも知れんな……特に君の場合、威力の調整が出来ないだろう? 氷槍かなにか、別の魔法が通るのなら、そっちを使った方が良いかもしれん」
「……遺跡の中は、入り口よりは拓けた造りの事が多いですが……そうですね。気をつけた方が良いでしょう……ミア。あの者達に、祝福を……」
初めて自分たちが対峙した邪神の使徒との戦闘の所感を口にする。
ラリカが形の良い眉をしかめるように歪め、唇を噛みしめた。
彼女は使徒達を――その、『元』となった者達を悼むように。
……静かに、祈りを捧げるのだった。







