第六十五話「対応策」
先導するフィックがそっと重々しい扉を開け、隙間から外をうかがった。陰に隠れるようにして、ラリカとフィディアは緊張した面持ちでそれぞれの杖を握り締めている。
「……うん。大丈夫。いこーか」
外をうかがっていたフィックが頷き、扉を大きく開け放ち扉の外へと体を滑り出させた。大きく扉を開けたせいか、扉の向こうから咽せるような土と草の香りが漂う。
フィックに続き静かに踏み出した先は、闇夜に沈む森の中だった。闇夜に蠢く木々が、ざわざわと音を立て。生き物の鳴き声一つ聞こえない世界にぞくりとした寒気を感じ、微かに鼓動が早まるのを感じた。
「……行きましょう。ゴグツの遺跡は、もうすぐですか?」
「うん。そうだよ」
「……このペースなら、あと半時も走れば着くわ」
口々に言い合い、足下の見えない夜の森をいくらか速度を落としながらも足早に駆抜けていく。今までも、夜の森に立ち入ったことなどいくらでもある。
――だが。
天に浮かぶ触手達のせいなのか。自分たちが立ち入ってはいけない『領域』に踏み込んでしまっているような、奇妙な感覚がつきまとっていた。
……ふと、息が詰まるような感覚のせいか、鋭敏になった臭覚に磯の香が漂った。
……森の中とはいえ。この辺りはまださほど海から離れてはいない。磯の香りが漂ったとしても不思議はないだろう。
――そう、自分を納得させた瞬間。今度は明らかな生臭な『腐臭』が鼻を突いた。あたかも、港に打ち上げられた魚が腐り落ちたような。じんわりと湿った、吐き気を催す臭気に思わず眉間に皺が寄る。
「……なんだ、この香りは?」
呟いた私に、夜の森を駆けるのに必死で、香りにまで気が回っていなかったらしい三人が足を止める。元々鼻の効くラリカが目をつぶり、周囲の香りを嗅ぐように静かに息を吸い込んだ。
「どうしました……? ……ああ、この魚の……腐ったような――」
「――二人ともっ! 来るよっ! 構えて――っ!」
ラリカの発言を聞いたフィックは引き抜いたナイフを構えながら、血相を変え叫んだ。
「「――っ!」」
ラリカとフィディアの、息を呑む音が重なった。私も、瞳の力を起動させながら。強く体内の魔力を高め、備える。
――ガサッッ
激しく遠くで藪が揺れる音が聞こえた。遠くで揺れていた藪が、段々――段々と、こちらに向かって近づいてくる。ラリカが使い慣れた杖を握り締める両手に強く力を込めるのが見えた。
……藪の揺れは、すぐそばまで近づいてきていた。
フィックが雷槍の魔法陣を展開し、いつでも放つことが出来るように準備をして待ち構える。フィディアも、恐怖に歪んだ表情を浮べているが、小さなタクトのような杖を持ち、魔法を放てるように準備を整えているらしい。フィディアの体内を金色の粒子が循環し、高まっていくのが見えた。
――ガサッ!
背の低い木々と、雑草で出来た間を突き抜けるようにして、何か小柄な影が飛び出してきた。ラリカが瞬間的に指輪に登録されていた術式を起動させようとする。
「――っ、ここは危険であります。直ちに逃げるのでありますっ!」
――飛び出した影が。幼さを含む舌っ足らずな声で。しかして切羽詰まった様子で私達に向かって叫んだ。
「――カーネちゃんっ!?」
その姿を認めたフィックは思わず大声で叫ぶ。
「ラリカちゃんっ! ストップ!」
「――フィー、フィーさんでありますかっ!?」
……果たして、飛び出してきたのは以前この国に来たときに、レシェルの元を訪ねる直前に出逢った少女。カーネであった。フィックが持っているのと似た、闇に紛れるような暗褐色の外套に身を包んでいる。
ここまで走るうちに脱げてしまっているのか、単に動きの邪魔だったのか。頭を覆い隠すはずのフードは脱げ、三つ編みに束ねた長い髪がバタバタと舞い踊っている。
カーネは飛び出した勢いのまま、フィックの前へと躍り出ると、衝撃を殺すように軽く膝を曲げながら、少しぬかるむように柔らかい地面を滑った。
――ガサガサガサッ
そして、そんなカーネを追うように、無数の獣が草の根をかき分けるような音が続き、影が飛び出してくる。先ほどまで漂っていた、鼻を突く刺激臭が数段強く漂った。
「――カーネちゃん、伏せてっ!」
鋭い声でフィックが叫ぶと、それに応えるようにカーネは倒れ込むように前に――フィックの方へと体を投げ出した。同時、無数の黒い人型のナニカが獣のような動きで飛び出してくる。
「――痛っ」
――その影を見た瞬間。何故か酷く頭が痛んだ。
目の奥が焼けるような、鋭い痛みが一瞬脳を刺し抜く。
――と、その瞬間。さらにその黒い影の後ろから、今度は大剣を掲げた西洋式の甲冑達が飛び出してきた。なめらかな動きで、先行する人型のナニカを追随している。
――雷槍。
フィックが、臨戦態勢を整えるように備えていた魔法陣が突如としてその数を増し。それぞれが強い輝きを放つ。
――金色の粒子が収束し、幾条もの雷光へと姿を変えて、カーネの後ろの二つの集団へと殺到する。カッと網膜が灼かれるような激しい閃光と、それに遅れるような爆音が響き。目眩を起こすような衝撃が体の芯を突き抜けた。
閃光を避けるために閉じた瞼を開けたときには、すでに飛び出してきていたはずの影達はどちらも跡形も無く。その辺り一帯の樹木さえもすべて消し飛んでいた。
「カーネちゃん! どうしてここに? 他のみんなはどうしたの?」
地面に倒れ込んだカーネに駈け寄り、助け起こしながらフィックが問い掛けると、カーネはフィックに縋り付いた。そして、緊張の糸が切れたかのように表情を歪めると、ぽろぽろと涙を流し、フィックに向かって喉を詰まらせ説明する。
「――フィーさん……フィーさぁん……っ! 特級の……特級の複合神威災害が発生しているであります……! 遺跡の防御機構と中途半端に起動された儀式用の術式が衝突して、手がつけられなくなっているであります。遺跡の防御機構を無効化しようとしていたところに、儀式で現われた今の亡者に襲われて目の前でぶつかり始めたのであります。……その戦闘からカーネを逃がすためにディルク=アーネと、シエナ=アーネが地下に取り残されて……! 真っ黒な触手も……二人を――みんなを助けて欲しいでありますっ!」
「ディルクくんとシエナくんが……っ!? 詳しく教えて! カーネちゃん!」
***
夜の森の中。邪神の直下で、全員が息を殺すように押し黙っていた。
どうやら、カーネによると彼女を逃がすために、フィックの仲間の何人かが取り残されてしまったらしい。
しかし、問題はそれだけには留まらなかった。
今回の儀式のせいで、遺跡自体に元々組み込まれていた外敵に向けた機構が作動してしまったらしい。進入するものを排除するように、遺跡に設けられたセキュリティが暴走し、拡大しようとする邪神と、まるで共食いをするかのように衝突を始めたようだ。
「……これじゃあ、儀式に使っている術式を書き換えて、邪神を止めたとしても……防御機構側の影響で甚大な被害が出ちゃう……ね」
「逆に、先に防御機構を止めても、今度は邪神による被害が拡大する……という訳ですか」
「……そういうこと」
ラリカの質問に、短くフィックは答える。
「……しかし、邪神自体が止まれば、その『防御機構』というものも停止するのではありませんか?」
「……ううん。『本来』、この子達は領域の指定がされていて、そこからへの侵出はしないはずなんだ。だけど、さっきは明らかに遺跡の外に出てきてた……多分、『儀式』が遺跡自身の機能を使って成されたせいで、『外敵』『遺跡』っていう区別が無くなってしまって、遺跡という定義が一時的に未定義になったんだとおもう。だから、遺跡がそこに存在する限り、強制的に停止させないと際限なく広がっていくと思う」
「……ということは……邪神と、遺物。二つをほぼ同時に停止させる必要があると言うこと?」
「……そういうこと……だね」
フィディアの言葉を聞き、悲嘆に暮れるようにフィックは息を吐き出した。
「……フィーさんでも。この遺跡の機構を止めるのは、難しいでありますか?」
「……ううん。多分、この遺跡の防御機構を止めること自体は、私ならそんなに難しく無いと思う」
カーネが問うと、フィックはさほど迷う様子も見せずに答えた。邪神に関する時とは違い、自分の専門分野でもあるからだろうか。随分と自信があるように見える。
「……そうなのか?」
「うん。だけど、やーっぱり問題は、その場合『ターティベルナの使徒』達の勢いが増すのは確かだから……今、こうして近づく事が出来ているけど、それすら出来なくなるかも知れない」
「……『ターティベルナの使徒』……あれが……」
「……『呪いに墜ちた者』……」
フィックの言葉を聞いたラリカとフィディアが、表情を恐怖に戦かせた。詳細は私には分からない。だが、二人の言葉の響きから、十分に厄介な……『邪神』の畏怖の象徴であるのだろうということは察する事が出来る。
「……となれば、やはり同時に止めるしかない……ということか」
「そう……だね」
話が堂々巡りをするように……悲痛な。時間の経過を忘れそうな沈黙が。その場に流れた。
「……くろみゃー」
――不意に、ラリカが他の者に聞こえないような小さな声で、耳元の私に呼びかけた。
「……なんだ?」
内密の話をしたがっている気配を察した私も、ラリカに倣いなるべく小さな声で答える。
「……くろみゃー。正直な所を言いなさい。お前は、『どこまでの事』が出来ますか?」
「……どういう意味だ?」
「……お前が、中級魔法までの魔法なら使える事は知っています。さっきの、飛び出してきた人影。……アレが、悪名高い、ターティベルナの使徒でしょう。アレを、相手出来ると、思いますか?」
そこまで言われ、ラリカが。自分の幼い主人が、何を考えているのかを察した。冷静に、先ほど展開された術式の規模と。その威力について考える。
先ほどの雷槍は、確かに絶大な威力を誇っていたが、決して自分で出来ない規模の魔法では無かった。再現して見せろと言われれば、実行することは可能だろう。
――つまり、先ほどカーネを追いかけてきていた者たちのような者が現われたとき。対応することは『不可能では無い』という事だ。
「……『規模による』……としか言えんな。……ラリカ。君の考えていることは、得策では無いかもしれんぞ?」
すでにラリカの事だ。私が言うまでも無く分かっている事だろう。少しひるむように一瞬息を呑み。しかし、自分自信に言い聞かせるように口を開いた。
「……分かっています。……ですが……名案が浮かばない以上、先ほどお前が言ったとおり、『前に進む』方法を考えるしかないでしょう?」
「……分かった。……文字通り。私も死力を尽くそう」
……ラリカの言う通りだった。いくら、この子を巻き込みたくは無いと思ったところで、すでに状況は抜き差しならない所まで来てしまっている。ならば、この子の言う通り、事態が悪化する前にできる限りの事をするしかない。
「……出逢ってからお前に、随分と迷惑を掛けましたね」
「いいや。『これからも』、存分に掛けて貰わねば――困る」
……まるで最後の場面のような小さなつぶやきに、私は肩をすくめながらからかうように答えた。ふふっと、小さくラリカが笑い声を上げた。
「……では『後で』ご褒美を上げましょう」
「……物で釣ろうとするなと言っているだろう」
「……では、後でお仕置きですね。理由は後で考えます」
「……ずいぶんな後付けがあった物だ」
呆れ、つぶやくと、ラリカはなにか悔しそうな、もどかしそうな表情で唇を尖らせた。
「……よく分かりませんが、なんともモヤモヤしているのですよ。……噛み合っていないような……お前にも、一言言わないといけないような。……理由は、後で落ち着いてから考えてみますから、その時は私に怒られなさい」
「……怖いな」
私が小さく呟くのを訊いたラリカは笑うと、フィック達に向かって一歩踏み出した。
「――良いですか、フィック=リス。フィック=リスは、防衛機構の解除をお願いします。邪神に関しては、私とフィディア=ヴェニシエス。それに――くろみゃーでなんとかしましょう!」
ラリカの宣言するような声が、昏い夜に力強く響いた。
明けましておめでとうございます!
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