第六十話「失敗」
――邪神。
その言葉を聞いた瞬間。フィックから、どこか誤魔化すように浮かべていた笑みが消えた。すっと赤い瞳を細まり、動揺が表れたかのように小さく身じろぎする。
……静かに。二人の視線が正面から探り合うように交錯した。
ラリカが怯えを押し殺しながらも、確かな意思を持ってフィックの事を見つめている。
――表情を消してラリカの事を見つめていたフィックが、口元を引き結び。諦めるように、笑みに似た表情を浮かべた。
「……そっか……流石に、気がついちゃうか……」
「……っ、やはり……っ!」
フィックがそっと肯定するのを見たラリカが、固く身体を強張らせた。
「……うん。随分と小さくなって、力も弱っているみたいだけど……あの見た目、この昏い気配。間違い無い。アレは……『邪神』……私達が――ファナちゃん達が、戦ったはずの――邪神だ」
フィックが、今まで私達に見せたことがない視線を、無数の触手――『邪神』へと向ける。
……一体、かつて何があったのか。その瞳には、恐怖、焦燥、悲哀……様々な負の感情が宿っていた。
……同時になぜか。その視線はミアヴェルデの前、影について話した時に彼女が浮かべていたものにも似て見える。
「……なんで、今になってアレが現われたのか分からないけど……でも、ここでなんとかしないと、アレはきっと……」
そこから先は、言葉にする事が出来なかったのだろう。フィックが顔をうつむかせた。薄暗く、月明かりに隠れてしまった影の中で。彼女が一体どんな表情を浮かべているのか、私の瞳でも見通すことは出来なかった。
「……もう、あの時みたいな時代を。繰り返す訳には行かないでしょ?」
再び顔を上げたフィックが。私達に背を向けるように窓の外を見上げ。言い聞かせるように優しい声音で言った。
「――フィーッ! 君はアレを……倒せるのかっ!?」
まるで、私達に『関わるな』と告げるような背中に、せき立てられるような感覚に襲われ叫んだ。
――元々、倒せなかったから。戦いにならなかったから――雪華が。あの馬鹿が、戦ったのでは、無かったのか?
「……ははっ、『フィー』か……うーん。やーぱ、いーよねっ! その言い方。っやー、ほら? 今日はミアヴェルデで、レナ坊もみーんな、どこか油売ってるみたいだし、やーっぱり、私ってば、これでも強かったりするんだ? ――そーなったら、うん。なんとか、頑張ってみるしかないかなーって?」
フィックが、気丈に振る舞うように『いつも』の、何重にも本音を覆い隠した明るい声を出す。
――だが、隠しきれなかった動揺なのか。その声が微かに震えていた。
その言葉だけで、『本当の所』は十分察することが出来る。
――つまりは。
「……滅ぼす術は、無いのだな?」
もう一度、確認の為に聞いた言葉には。息を呑む音だけが返って来た。
数瞬。月明かりの下で、微かに埃が舞い散る様だけが時間を感じさせ。
その向こうから、小さく震える声が返って来る。
「……正直、私は大っきいのはちょーっと《、、、、、》苦手だし、私が戦って時間を稼ぐ間に。レナ坊達が来てくれたらいーなって……でも、それでも。多分――私達が邪神を『滅ぼす』のは……うーん……無理……かなぁ」
「それほどまでに……邪神という存在は、強大なのか?」
「そうそう。……そーじゃなかったら、ファナちゃんに全部背負わせたりなんて、する必要なかったし、国の皆だって……きっと……」
そこで、言葉を切ったフィックは、息を溜めるように少し黙り込むと、押さえ込むように肩を落とし、静かに息を吐き出した。
「――だいじょーぶだよっ! くろみゃーちゃん! ……だーって、皆と違って私は……死ねないから」
――フィックの言葉には、すでに諦観が含まれていた。それは、永くを生き、かつての邪神との戦いを経験しているが故に抱く絶望感なのだろう。
具体的な邪神の恐怖を、私達は知らない。
そんな私達よりも、より『リアル』に。フィックは『それ』を感じているはずだった。
だが、それでもなお、彼女は私達を助ける為、少しでも邪神の脅威を押さえ込もうとしているのだ。
「――『原因』……」
――ぽつりと。呟く声が聞こえた。
先ほどからずっと黙り込んでいたラリカの言葉だった。
いつの間にか、頤に指先を当て。何事か考え込んでいたらしい。
私達の視線が向いたのを感じたラリカが指先を放し、考えを中断するようにフィックを見つめた。
「……突然、邪神が復活したのなら。それにはなにか原因があるはずです。勿論、ユルキファナミアの加護が何らかの形で失われたということは考えられますが……今日、ミアヴェルデという日に突然現われるのは……なにか人為的なものを感じます」
ラリカが、毅然と自分の考えを口にする。どこか悲観的だった雰囲気のなかで、怖じけることなくラリカは堂々と自分の考えを口にする。
――いや。違うな。
強く杖を握る事で誤魔化してはいるが……よく見ればその手は微かに震えている。動揺する自分を必死になって押さえ込みながら。再び、いつものように。『ヴェニシエス』として『かくあるべし』と彼女は振る舞っているのだろう。
――まったく、私がこんなに情けない様でなんとする。
自省しながら静かに。ラリカの肩の上からフィックに視線を移すと、彼女も幼い少女の虚勢には気がついたのだろう。肩の上で視線を向ける私に向かって、大丈夫と示すようにゆっくりと頷いた。彼女は、『ごめん』と謝罪するようにゆっくりと目を一度閉じる。
――しかし、落ち着いて考えれば確かに。ラリカの言う通りだった。国の主要な人物達がこぞって居なくなる『今日』に限って、こんな歴史的な事態が起こるというのは、些か出来すぎなようにも思える。ラリカの言う通り『人為的』な物を感じずには居られなかった。
考えていると、目を閉じていたフィックが、再び目を開いた。さっきまでの思い詰めた様子は幾分か収まり、見慣れた表情が浮かんでいる。
「……そーだね。うん……実は一つ。さっきから思い当たることはあるんだ……」
「思い当たること……だと?」
その考えを肯定するように、フィックは窓の外。天高く邪神蠢く空。その下をぴたりと指さした。
「――あそこ。ゴグツの遺跡……ラリカちゃんが治療した『死神に魅入られた子』の神威災害が発生した遺跡なんだけど……分かるかな?」
「――え、ええ……」
丁度、先ほど邪神が顕れる前に見つめていた場所をフィックは指さしていた。ラリカも、すでに邪神が暴れている場所がそこからほど近い事には気がついて居たのか、どこか緊張した面持ちで頷いた。
「……実はこの国に戻ってから、ずっとイェリク……先技研の子から頼まれて、その神威災害で発覚した事件の調査を手伝ってたんだけどね」
――そういえば、アミルやルカイア達を見送ったとき、古巣に行ってきた帰りだと言っていたか。
頭の中で、しばらく前に橋の上で出逢った時の事を思い浮かべた。あの時確かに、なにか色々と頼まれごとをして困っていると言っていたはずだ。
「……なんでも、『新たに発見された』はずの遺跡区間が、誰かにずっと利用されてきた形跡がある。ってことだったらしいんだー」
「……すでに探索された後だったと言うことですか?」
「そう。……それで、『第二』の子達が動いてたんだけど……昨日、よーやく不正使用……不法隠匿の疑いが高い犯人が見つかったんだ。……やー、そのせいで、ほら? 昨日はラクス=ヴェネラとの約束にも遅れて、もう散々だったよー」
――ラクスとの食事会に遅れて、一体どこで油を売っているのかと思っていたが、裏ではそんな暗躍をしていたのか。
今も茶化すように話してはいるが、その実色々と動き回っていたらしい。
「でね? その犯人かなーっていうのが、ゴグツの遺跡の第一発見者でユーニラミア教会の――」
「――ミシェル=サフィシエス……」
――呆けた顔でラリカがその名を呟いた。
その一方で私は、『やはりか』という感想を抱く。特に、明確な何かがあったわけではない。しかしどこかで、『ゴグツの遺跡』という単語を聞いたとき、頭の中で狂信的な演説を述べる青年の姿が浮かんでいたのだった。
「ラリカちゃん、知ってるの!?」
ラリカの反応に、ミシェルと面識があることを察したフィックが聞くと。ラリカは眼を見開き、瞬き一つしないまま、ワンテンポ遅れたぎこちない動作でうなずきを返した。
なぜか、ラリカの顔からは血の気が引き。能面のような無表情が張り付いている。
――どうした?
明らかに、ラリカの反応が……おかしかった。
いくら、挙がった名前が面識のある人物の物だったとは言え。今のラリカの反応は尋常では無い。
一体どうしたというのだろうか?
「……ラリカちゃん?」
ラリカの反応がおかしい事にはフィックも気がついたのだろう。心配そうにラリカの事を見つめている。
「……また、私のせい……なのですか?」
――唇を震わせたラリカが、掠れたつぶやきを漏らした。
「なっ……」
ラリカの言葉を聞いて。私とフィックは、ようやく彼女が何に呆けているのか気がついた。
――ラリカは、ミシェルの名を聞いた事で、シェントの事と今回の一件を重ね合わせてしまったらしい。
確かに、共にラリカと話あった後に事件に及んでいる。シェントの時は、ラリカの言葉が自分の背中を押してくれたとも語っていた。そんな事情を鑑みれば。今回もまた、自分が話した事が。自分が『かくあらん』として語った事が。ミシェルの背中を押して、こんな災厄を呼び起こしたのだと……そう、考えても無理からぬことだった。
……そんな事実が、なんとかようやく均衡を保とうと、虚勢を張る少女の心の突き崩そうとしていた。
――だが……今回は……っ!
その時、私が思い出していたのは、フィディアがやってくる前に語っていたミシェルの言葉だ。先ほど。邪神が顕れる前に、焦燥に駆られ思い返そうとした言葉。それを――今明確に思い出していた。
「――待て、ラリカ。早まるな。今回は、君に関係ない!」
動揺し、自らを責める幼い少女を、思考の泥濘から引き上げるために――叫んだ。ビクリと、耳元で上げた言葉に驚いたように、ラリカが一瞬身を強張らせた。
「……っ! ――どうしてっ、そう言い切れるのですっ! また、またっ……私はっ!」
しかし、すぐに。その場に両手で杖を立て、懺悔するように顔を伏せながら。ラリカは歯を食いしばり、泣きそうな声を上げる。
「言い切れるとも! 思い返せ、ラリカっ! あの時、ユーニラミア教会で会ったとき、ミシェルが最後言いかけた言葉をっ!」
「……言いかけた言葉? なんのこ――っ」
続いた私の言葉に、顔を伏せたラリカが怪訝そうな声を上げた。しかし、沈み込んでいたところに掛けられた私の言葉に、聡明な彼女はすぐにその時の事を思いだしたようだ。
――ぴたりと、その動きが再び止まる。
「『あと少しで、ユーニラミアを降ろすことが』……まさかっ!」
――ばっと、顔を上げたラリカは窓の外に視線を向けた。そこでは変わらず不気味な触手達が雫のような液体を垂れ流し、無音の雄叫びを上げている。
「……ああ。だろうな。俄には信じがたいが。少なくとも、あの時点で事を起こす算段を付けていたのだろう。どうも、あやつ。とんでもない事を考え……そして盛大に失敗してくれたらしいな……」
――『悪神いうても、神さんは神さん』……
日本に居た頃、なにかの話の流れで妹分が話して居たのを思い出す。
――間違えるにしても。最悪の存在を呼び出さんでも、良いだろうに……
これだから、自らの主義主張に走る輩は……かなわんのだ。
「――ちょ、ちょっと待って、一体何の話?」
話に置いて行かれていたフィックが、どうやらラリカが何らかの納得をした姿を見て、慌てて私達に問い掛けてきた。
「……ああ、実は――」
ラリカに代わり、私はフィックに先日ユルキファナミア教会でミシェルと会話したときの内容を伝える。話すうち、段々とフィックの表情が険しくなっていくのが見て取れた。
「……なるほど。そーいうことか……つまり、ミシェル=サフィシエスはユーニラミアの『導き』を得るために、かのカミを再び降ろそうとして……なんらかの原因で失敗して代わりに邪神を呼び出した……ってことだよね?」
「……ああ」
――全くもって、間の抜けた話である。随分、笑い話では済まされない失敗をしてくれた物だ。
「……だったら、使っているのは白銀の……でも……一体『何』を器に……ううん。でも、だったら――本当にっ、これが何らかの『儀式』で引き起こされているのだとしたら……っ! ――あの邪神。なーんとか出来るかもしれないよっ!」
話を聞いたフィックがブツブツと何事かつぶやき――赤い瞳が、絶望の中に僅かに光明を見いだしたかのような色を浮かべた。
来週も土日に仕事が入っているため、更新は11/25になる見込みです。
ご迷惑をお掛け致します。







