第五十八話「蠢夜」
「――『今日は、だめ』……ですか……」
「……なにがだ?」
ラリカがベッドに横になったまま、思い出すようにぽつりと呟いた。それは、私に聞かせようとしての言葉なのか判別がつかないほど、小さな声だった。聞き返した私の声に、ラリカの顔にはっとした表情を浮かんだ。
「ああ、すみません。ただ、フィディア=ヴェニシエスの誘いを思い出したのです。ひょっとすると、今日、説明するつもりだったのでは無いかと思ったのです……」
「そういえば、なにか断られていたな……」
やはり自分でも意識していなかった独り言だったのだろう。ラリカが少し慌てながら説明する。お開きになる直前にフィディアがセトに『今夜はユルキファナミア教会に泊まるから一緒に過ごさないか』と声を掛けていた事を思いだした。
結局セトには笑顔で断られ、随分と残念そうな表情を浮かべていたのばかりが印象に残っていたが、言われてみればどこか思い詰めていたようにも思える。この所、二人はあまり関わる事が出来て居なかったらしい事を鑑みれば、今日の流れを良いことに、そのままセトに告げてしまおうと考えても不思議では無い。
「……ねえ、くろみゃー……フィディア=ヴェニシエスにも、お前が話せる事を伝えてはいけませんか?」
「……フィディア=ヴェニシエスにも……か……」
ラリカが、僅かに期待を込めた視線を向けてくる。実は、その事は私から切り出そうと思っていた事でもあった。
――元々、フィディア達に私が話せる事を説明していなかったのは、フィディア達の人となりが分からなかったためだ。それが今では、共に楽しく歌って見せるほどの仲になっている。セトに語る事を決めたときと同じ事だ。このまま黙っている方が後々のしこりになる可能性のほうが高い。
「……私も、それが良いのではないかと思っていたのだ。……フィディアにも、話すか」
「――本当ですか!」
ラリカが表情をぱっと輝かせた。目の前でラリカの口元がすっと緩むのが見える。現金なラリカの反応に思わず苦笑が漏れた。
「……なにより、窮屈でたまらんからな」
「確かに、いつまでもお前と話せないのは不便です……では、明日会ったときにでも伝えましょう」
もはや『明日会う』ことが前提のラリカの言葉に今度は苦笑では無い笑みが私の口元を吊り上げた。自分の反応を笑われたと思ったのか、ラリカが少し頬を赤くしながら唇を尖らせる。
「……何を笑っているのですか?」
「いいや。随分――仲良くなったものだと……思ってな。『また、明日』か……」
「……迷惑でしょうか?」
指摘されて初めて自分の言動に気づき表情を硬くしたラリカが、おずおずと心配そうに尋ねてくる。
――まったく、ここまでの相談を持ちかけられるほどになっても、いまだフィディアに嫌われているとでも思っているのだろうか? 少なくとも、今のフィディアはラリカに対して劣等感を抱くことはあれど、『忙しいところを邪魔して』などと怒るような性格ではないと分かっているだろうに。
「――なに。『遊びに来た』とでも言って、自信を持ってフィディアと話せば良い。君らはもう少し肩の力を抜くのを覚えた方が良い」
「……ミルマルが、随分生意気を言いますねっ!」
ラリカをからかうためにわざと巫山戯た口調で話すと、ラリカは照れ隠しするように再び唇をとがらせて、不満げな表情を浮かべた。
「なに。今度の目標は皆で共に歌でも歌うか? ――ああ、そうだ。なんだったら、君が一緒にフィムスを演奏すれば良い」
「――ふふっ……歌ですか。確かに、セト=シスとフィディア=ヴェニシエスの歌は、素敵でしたね。ですが、私が邪魔してしまってはいけないでしょう?」
さも『名案を思いついた』という風に言ってみせれば、ラリカもくすぐったそうに笑いながら片目をつぶって見せた。
「いやいや。何を言っている。……君の演奏は、十分に『素敵』だ」
「……ばか」
今度こそ我慢出来ないほど恥ずかしくなったらしい。ラリカが耳まで赤くしながら、ぎゅっと私を抱え込んだ。ラリカの胸元に丸めるように押しつけられ、呼吸が苦しくなる。
――ふむ。残念だ。これでは表情が見えない。
「……くろみゃー。明日、何処を回るか、考えておくのですよ? 世間知らずのお前には、私が祭りを解説してやりますから……お前は――良い店を教えなさい」
抱きしめられ暗くなった視界の中、努めて普段通りを装ったラリカの声を聞き、そういえば『ミアヴェルデ』の由来を聞こうと思っていた事を思い出した。ここは照れてしまった主人を早々に復帰させるためにも、話に乗ることにしておこう。
「――そうか。なら、取り急ぎ今夜は『ミアヴェルデ』の由来でも教えてもらおうか?」
もぞもぞとまさぐるように、私の毛並みをなで回していたラリカの手がピタリと止まった。そのまま、意外そうな声が頭上から振ってくる。
「……ああ、そうですね。お前はそんな事も知らないのでした。良いでしょう。教えてあげます」
なんだ。もう回復したのか。では、取りあえずこの息苦しさからは解放されそうだ。先日照れ隠しに抱きしめられたときよりも随分と早い回復に、良かったと内心安堵する。
――だが、いつまで経ってもラリカの手が緩む様子が無い。
「……ラリカ? その、手を……離さないのか?」
「……っふっふっふ、『参加出来なかった』ミアヴェルデの話が終わるまで位、良いではありませんか」
「――な、っ!?」
不審に思い聞くと、ラリカが不敵でありながらも甘えるような拗ねた声を返ってきた。そして、私の身じろぎを封じるように体を押さえつける力が柔らかく、しかして確実に強くなる。
「――良いですか? くろみゃー、『ミアヴェルデ』というのは、以前にも説明したと思いますが、『聖なる感謝』という意味で、実はこの期間はもっとも神と人の距離が近づく期間だと言われていて――」
「――ちょっと待て、ラリカ。離っ――」
「――ですから、大規模な儀式を行うにも適していると――ああ、そうです。もっと大元から話をしないといけませんね……それではまず、このヴェルデという言葉の成り立ちから――」
「待てっ、その話、本当に終わるのか!? ……『話が終わるまで』というのは、いつまでのつもりだ――っ!?」
わざとらしい口調で話を引き延ばすように、わざわざ言葉の成り立ちから説明しようとするラリカに向かって叫ぶのだった。
――結局、ラリカの説明は夜半過ぎ。今日の疲れが出たラリカがあくびをするまで続くのだった。
***
――空気が帯電するような感覚に目を覚ました。
静まりかえった部屋の中。ラリカが立てる可愛らしい寝息を聞きながら、彼女を起こさないように気を付け、段々と上がってくる毛布の中の温度から逃れる為にゆっくりと毛布から頭を出した。
……今のは……なんだ? 少し、神経でも立っているのだろうか?
今しがた感じた奇妙な感覚に首を傾げながら、目の前であどけない寝顔を晒すラリカを見詰めた。安心しきったように脱力し、目をつぶる姿に口元が緩むのを感じながら、その向こう側に見える窓の向こうに視線を向ける。
遠くで明るい月が、遠くの小高く盛り上がっている丘陵を縁取っていた。
――そういえば、あの辺りにゴグツの遺跡があると言っていたか。
数日前。セトが熱中症で倒れたときにフィディアが説明してくれたときの事を思い出す。あの時は建物の影に隠れてよく見えなかったが、ラリカの言った通りだ。私達の滞在する部屋からは、しっかりとその形を見て取る事が出来る。
――たしか、ユーニラミアがかつてあそこを拠点としていた事が、過去の文献から読取ることが出来たという事だったか……
発見したのが、ミシェルとターニャ達だったという事だったが、それだけの重要な場所がこれだけ聖国からほど近いところにあり、今まで見つかることが無かったというのは奇跡的である。
おそらくは、まるで防風林のように生えた木々のせいで外見では遺跡があるようには思えないお陰でそこに遺跡があるというのが分からなかったのだろう。あれだけ科学が発達した元の世界でも、未だ新たな遺跡が発見されることがあるのだ。科学の発展していないこの世界の事情を思えば、それも仕方がないことなのかもしれない。
……ミシェル=サフィシエス……か。
数日前に訪れたユーニラミア教会で出逢った、随分と理想に偏ってしまっていた若き聖職者の姿が脳裏をちらついた。ターニャからは随分と慕われていたようで、フィディア達からもおおむね良い評価を受けているようだったが、どうしてもその原理主義のような思想が引っかかってしまう。
ヴェニシエスたるラリカが『何をしたいのか』と諭したにも関わらず、それでも最後まで意思を曲げる事無く、むしろラリカに向かって失望したかのような表情を浮かべていた。それはある意味で、自分の芯を持っているという事なのかもしれない。
しかし、ああいう手合いに碌な覚えが無い私は、どうしても嫌な予感を覚えずには居られなかった。
――と、その時。
やはり、ぴりっ……と、やはり体毛が浮かび上がるような、皮膚がひりつくような嫌な感触。奇妙な感覚を誤魔化すように、軽く体を震い軽く伸びをした瞬間。
ふと、何かが頭の中をよぎっていった。
――そういえば、ミシェルは最後になにか気になる事を言って居なかっただろうか?
それは、今までに体験した危機的状況に対する勘に近かった。まるで水たまりに落ちた一滴の水が波紋を広げていくように、ぞわりと奇妙な感覚が体を包みこむ。
ユーニラミア教会でフィディアが部屋に入ってくる直前。
ミシェルが浮かべていた表情。
そして、その時に呟いていた言葉が妙に気になってきた。
背筋にそって毛並みが逆立っていくような、ぞわぞわとした不気味な感覚が撫でる。
――なぜだ? なぜ、今になって?
先ほどまで、意識する事の無かった違和感――焦燥感が、じわじわと責め立ててくる。
――なにか、致命的なミスを犯してしまったような。
なにか、見逃してしまっていることがあるような。
そんな感覚に私は眉間に皺を寄せるようにじっと考え込む。
……一体、私はなにに違和感を覚えている?
……一体、なんの情報を私は見過ごしている?
――『今』……あの時から、こんなに時間が経ってから、こんな違和感を覚えるということは、その原因はごく最近のはずだ。
……今日は、『ミアヴェルデ』だった。
静かに。
――『今日』という一日を思い返す。
今日は、フィックの過去を聞いた。
今日は、フィックから瞳の力の使い方を聞いた。
今日は、フィックとセトと一緒にミアヴェルデを回った。
今日は、セトに私の正体を知られた。
今日は、セトは手術を受ける決意をしたらしい。
今日は、セトから『マウエルの小花』を渡された。
今日は、セトの想い出の歌を聞いた。
今日は、セトはフィディアと過ごさないらしい。
……そういえば。セトは、元々ミアヴェルデを共に回りたいと言っていたが……
結果的に、彼女の希望を叶える形になったのだな……とふと気がついた。
――だが、今考えるべきはそこでは無い。
もう一度、思考の海へと沈み込む。
今日は、ラリカと寝る前に話をした。
今日は、ラリカから、セトがユーニラミア教会から引き抜きを受けているらしいと聞いた。
今日は、ラリカから、ミアヴェルデの由来を聞いた。
今日は、ミアヴェルデとは神と人が近づく日で、儀式を行うに適した日らしい。
……思考を、今日の振り返りへと戻したはずなのに。
なぜか――再びセトの姿が脳裏に浮かぶ。
……そういえば。なぜ、セトは初めからミアヴェルデの日を指定して――
――無意識のうちに瞳の力を起動する。
――起動した瞬間……
……金色……がっ!
視界を覆い尽くすほどの黄金色の蛍火が。
辺りを包みこみ。大河のように粒子が流れを造り……
――大きく、強く、早く……加速し、奔り……
――紆濤を上げて渦巻き始める……っ!
思わず、見開いた視界の中で。
――ドクンと、脈打つように辺りの粒子が波打った。
……ああ、そういえばあの時……
――ミシェルは『なんと』言っていたのだったか……?
危険を感じた体が、足に力を込めるように自然に沈み込み。
もう一度、その時の言葉を思い出そうとした瞬間。
「……っ、ラリッ――っ!」
――轟ッ! という爆発音が響き。
教会全体を揺るがすような衝撃が響き渡った――ッ!
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