第五十六話「友と共に歌う詩」
「……やー、でも。ほんとーに、ラリカ=ヴェニシエスの演奏が聴けなかったのはっ、残念無念でっすねー」
「おや? そうですか? 一応、それなりに気に入って頂いてはいるようですが、本当に、期待するほどの物ではありませんよ?」
少し会話が落ち着いたところで、フィックが思い出したように先ほどの話を混ぜっ返した。どうやら、よほどラリカの演奏を聴くことが出来なかったのが残念だったらしい。ラリカはフィックの言葉に少し嬉しそうに頬を緩めたが、肩をすくめながら愛想笑いを浮かべた。
「謙遜しないで貰えるかしら? ……この国でも、ラリカ=ヴェニシエスが笛の名手というのは有名な話よ?」
フィディアが、ツンとした言い回しで、しかしどこか興味を抑えきれない態度でラリカに向かって反論する。尊敬しているヴェニシエスのフィディアにそんな風に純粋に褒められたのが嬉しいのか、ラリカが今度こそはにかんだ様子で頬に手を当てた。
「……フィディア=ヴェニシエスまで、ご存じなのですね? それは、また随分とお恥ずかしいことです。フィディア=ヴェニシエスは、楽器は演奏されないのですか?」
「……私も、お師匠様から少し楽器の扱いを習ったことはあるけれど、人様に聞かせられるものではないわね」
……ラリカが何気なく発したらしい質問に、フィディアは軽く唇を引き結び、僅かに嫉妬を滲ませた声を返した。
……やはり、どうにもラリカに対して感じている劣等感は未だ残ったままらしい。
しかし、それでも初めの頃ほど強い拒絶は感じられなくなっていた。それは勿論、私がフィディアの性格を知ってしまったから甘く見てしまっているところも多分にあると思われる。が、その一方でラリカとフィディア。二人の関係性が少しずつ進展していっている証のようにも思われた。
「……ああ、でもそうね……私と違って、この子――セトは……凄く『歌』が上手いのよ?」
「……フィディアっ!?」
ふと思いついたように言ったフィディアの言葉に、セトが先ほど突然話を振られた時よりも数段慌てた様子で、制止するように片手を伸ばした。目の見えない彼女の細い手は、フィディアに届かず宙を彷徨い、再び所在なさげに膝の上に収まる。そのまま彼女は、困ったように眉をハの字に寄せた。
「――そうなのですか?」
フィディアの言葉に、興味をそそられたらしいラリカが表情を輝かせ、ぐっとセトの方に身体を乗り出した。私の座っているラリカの太ももが、その好奇心を現すように大きく揺れる。
期待の籠もったラリカの声を聞いたセトは、その喉を詰まらせるように小さく震わせると、小刻みに首を左右に振った。
「……その……全然……」
「何言ってるの。私は貴女の歌が一番好きよ? ……最近、あまり歌ってくれないけれど」
「……待って……フィディア、恥ずかしいよ……」
『最近あまり歌ってくれない』と、ちょっとした拗ねを含みながら告げられた真っ直ぐなフィディアの褒め言葉に、セトが顔を真っ赤に染めて恥じらっている。
――なに、セトは随分謙遜するが、いやいやそんな事は無い。十分にあの歌声は賞賛されるべき物だ。
セトの反応を見つつ、二人きりになった折りにセトが小さく歌っていた歌声を思い出し、うんうんとフィディアの言葉に同意するように頷いた。
「……くろみゃー?」
――しかし、すぐに頭上から聞こえてきた怪訝そうな声に、思わず動きを止める。
恐る恐る視線を上げてみると、ラリカが訝しげに赤い瞳を細めながら、私の事をじっと見つめていた。はっとして、周りを見回してみると、ラリカ以外にも一組赤い視線が私に向かっている。そちらの視線は、ラリカとは違い、訝しげというよりもどこか楽しげに見えた。
幸いフィディアはセトとの会話に気を取られ、こちらに視線は向けていないが、ラリカとフィックの二人には、私が頷いている所をばっちりと目撃されてしまったようだ。
すすっと、私の身体の下にラリカの両手が潜り込んだ。そのまま、両手に力が入ったかと思うと、私の身体が盛り上げられる。身体の向きをラリカと向かい合うように変えられると、ちょうど目の前にラリカのルビーのようなに部屋の照明を反射するラリカの視線が合った。
……いささか、『ルビーのよう』と言うのには温度が低く感じられる視線ではあったが。
じぃと私の瞳の奥を覗き込むような視線に、思わず私はついと視線をセトのほうに向かって逸らしてしまう。
「――っふ」
逸らした耳に、ラリカが笑う声が聞こえた。
「……どうも、『太鼓判』付きのようですね。――それは一度、私も聞いてみたいものです」
ラリカが意味深に『太鼓判』という言葉に力を入れながらセトに視線を向けると、フィディアはもう一度大きく頷いた。
「ええ。勿論よ。……昔から、セトの歌には随分励まして貰ったもの。自信を持って『太鼓判』を押すわ」
私が普通のミルマルではないという事を知らないフィディアは、恐らく自分の言葉を『太鼓判』だと捉えたのだろう。少し胸を張りながら、ラリカに向かって自慢げに語る。
――ん?
……その姿が、一瞬誰かの姿と重なった気がした。
……はて? つい最近どこかでこんな姿を見た気がする。
頭上から感じるじっとりとした視線に、背中の毛をさわさわと動かしながら考えていると、すぐにその人物に思い当たった。
――ああ、なるほど。ラクス=ヴェネラがフィディアの事を語った時か。
ラクス主催の食事会でフィディアが席を外したときに、ラリカに宣戦布告するように彼女のことを『優秀』と語ったラクスが、ちょうど今のフィディアと同じような表情を浮べていた。
……師匠と弟子。やはり随分と似てくる物だ。
随分と意外な所ではあったが、どこか自己評価の低い金髪の少女と、その師匠との、目に見えない絆を感じるのであった。
「――フィディア=ヴェニシエスがそうも仰るとは……本当に一度聞いてみたいものですね……ご迷惑でなければ、一曲お願い出来ませんか?」
フィディアが胸を張り、褒め称えるのがよほど気になったのだろう。先ほどの『含み』がある言い方とは違い、ラリカは赤い目に室内灯の明かりをきらきらと反射させながら、真剣な声でセトに頼んだ。そんなセトの隣で、フィディアは残念そうな表情を浮かべる。
「……ラリカ=ヴェニシエス。だめよ。なぜか頑なに最近全然歌ってくれないもの。……昔は、よく一緒に歌ったのだけ――」
「――いいよ……」
軽くうつむきながら無念そうにしていたフィディアが、セトの言葉に弾かれたように顔を上げた。その姿が見えないまでも、フィディアが顔を上げる気配を感じたのだろうか? セトはフィディアの服の裾をそっと握り、優しく微笑みを浮かべた。
「……今日は、歌っても……良いよ……ううん……歌いたい。――フィディアと、一緒に」
「――ど、どうしたのよ? そ、そんな私と歌いたいだなんて……?」
セトの言葉に、動揺するようにフィディアが頬を赤らめながら、微笑みを浮かべるセトから視線を逸らせ左右に泳がせた。セトは一瞬言葉を詰まらせ……考え込むとぽつりと呟いた。
「……今日は、お祭り……だから」
――目をつぶったまま。薄く儚い微笑みを浮かべる少女は、どこか覚悟を決めているように見えた。彼女の表情に、私は何を考えているのか大方を察する。それは、恐らくこの場に居る中で、私だけが知る覚悟だった。
……死ぬ前に、友と想い出を作っておきたいとでもいうのだろう。
いつ、具体的に施術が施されるのかは知らないが、恐らくは私に託した『マウエルの小花』と同じ事なのだろう。
何のことはない。これは彼女なりの未練の清算だ。
……これが、『自らに勇気を与えるため』『支えにするため』言い出したことであればよい。だが、今彼女が浮かべている胸が締め付けられそうな……どこか諦めてしまったような。そんな笑顔は――前に進もうとするものではない。
――これから前に進もうとする者が、浮かべるべき表情では、無かった。
「……だめ? フィディア?」
「――まさか。そんな事無いわ。良いわ。歌いましょう」
しかし、そんな事情を知らないラリカ達は、ただただ評判高いセトの歌声を聞く事が出来ると言う事実と、『祭りだから』という理由で歌を捧げようという、セトの意外なノリの良さに喜色を浮かべるのであった。
***
「……それじゃあ、行くわよ。セト」
「――うん」
目の前に並ぶ私達を見たフィディアが、緊張の滲んだ声で隣に並ぶセトに向かって声を掛けた。対してセトは、まるで子供のように無邪気な声を返す。そんなセトの姿をみたフィディアは、毒気を抜かれたかのように一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、お陰でどうやら少し緊張がほぐれたらしい。ほっと息を吐き出した。そのまま、そっと右手を伸ばしてセトの左手を握り締める。
――とん、とん、っとん。
拍子を取るように、フィディアがセトと絡ませた手を僅かに弾ませるように動かすと、二人はそろって息を吸い、口を開いた。
「「――La,cheala,aaaaala,fi.ean.....」」
初めの一音は探るように小さく。しかし、二音目からは強く二人の歌声が室内に響き渡る。
――やはり、上手い……っ!
先ほど聞いた時もそうだったが、前評判に違わずセトの歌声は一際美しかった。普段の物静かさからは想像もつかないほど、美しくよく通る歌声を披露している。
対するフィディアも決して歌が下手なわけでは無い。むしろ、一般的な基準から言えば遥かに上手い部類に入るだろう。だが、それでも二人がこうして同時に歌うと、どうしてもフィディアの歌声が数段劣って聞こえてしまう。
――そう、途中までは思っていた。
……長く、共に歌うことが無かったと言っていたのは事実なのだろう。初めは、二人の歌声はどこか噛み合っていなかった。互いにテンポが僅かにずれているのか。あるいは、音が上手く調和しないのか。初めのうちは、まるでカラオケの上手い素人が無理矢理に合唱曲を歌おうとしているような、違和感を覚えた。
――だが。
――歌が、進むにつれ。
――初めは大きく差が開き、違和感を覚えたはずの二人の声が、重なっていく。
美しいながらも、線の細いセトの歌声をカバーするように。
張りがありながらも、技術的に劣るフィディアの歌声をカバーするように。
お互いが、お互いを補い、助け――霊妙な調べが生まれていく。
どこか輪郭が曖昧だった二人の声が、調和し、重なり合い……一つの壮大な『歌』を生み出していた。
――ラリカが、フィックが。
室内に居た皆が、二人の歌声に目を見開き、引き込まれるように耳を澄ませる。
――と、急にフィディアが驚いたように隣に立つセトを見つめた。
見れば、セトがフィディアと繋いでいる手を強く握り締めている。
……強く握り締め過ぎた手が、ただでさえ白いセトの手を白く染めていた。
隣で戸惑いを浮かべながら歌うフィディアを差し置いて。
目をつぶったまま、必死に。縋り付くように。
フィディアの手を握った盲目の少女は歌い続ける。
……自分に取っての数少ない想い出。大切な『想い』。それらすべてを乗せようというかのように。
――最後の、時間を、一瞬たりとも逃してなるものかと言うかのように。







