第五十五話「みんなが楽しめる日」
「そーいえば、ラリカ=ヴェニシエスは、けーっきょく演奏しなかったんですねー」
「演奏――ああ、フィムスの事ですか」
――部屋の中で卓を囲むようにソファにそれぞれ腰掛けていると、フィックが思い出したようにラリカに問い掛けた。
一瞬、何のことか分からない様子で私を膝の上にのせたラリカが首を傾げていたが、すぐに先日の会話を思い出したのだろう。苦笑を浮かべながら頷いた。ラリカは右手をそっと首元につっこみ、首紐を引っ張りあげるようにして服の内からフィムスを取り出して見せる。
「……流石にあの日程で、突然演奏しろと言われることはありませんでしたね。それに第一、カンティクミアの聖楽団が素晴らしい演奏を披露してくださったではありませんか! ……いえ、流石は聖国の聖楽団です。やはり地方とは、規模も力量も違います」
そこまで言い切ったところで、ラリカはふと不思議そうに首を傾げながら、フィムスを天井の灯りに透かすように掲げた。その視線は、目の前に掲げたフィムスを見ているようだが、どこか遠く見ているようにも見える。
「……いえ、カンティクミアの信徒だけではありませんね。『ユルキファナミアの聖楽団』も、噂には聞いていましたが、随分と洗練されていました。特に、『一つの曲を揃える』という点では、思っていた以上に修練を積んでいるようですね……」
「あーっ! やーっぱり、そー思われます!? いっやー私が居た頃は、あそこまで力を入れて無かったはずなんですけどねー。ひょーっとしたら、お披露目されてなかっただけなのかも知れないですけどー……」
独りごちるように呟いたラリカの言葉に、フィックが身を乗り出した。
――どれが、『カンティクミアの聖楽団』であり、どれが『ユルキファナミアの楽団』なのか。常識的な部分で疎い私には判断がつかなかったが。二人の間では共通認識らしい。お互いに同意し合うように何度も頷いている。
「……ユルキファナミアの楽団が出てくる様になったのは、ほんの数年前からよ」
「――あ、ひょーっとしてフィディア=ヴェニシエスはその辺りの事情とか詳しくご存じだったりー?」
会話に入ってきたフィディアの方を、フィックがゴシップ好きの主婦の様な表情で見返すが、そのテンションに押されるように僅かに身を引いたフィディアは首を左右に振った。
「――いいえ。その辺りは私も。なんでも、『明確な修行の存在しないユルキファナミア教徒達の文化醸成のため』レシェル=バトゥスの指示で結成されたというのは聞いているのだけれど……」
フィディアの説明を聞いたフィックが、『うげっ』と聞きたくない物を聞いたように表情を苦々しく歪めた。
「――うっわー……レナ――っじゃない、レシェル=バトゥスっぽくないですねー、……ぜーったい何か……」
そこまで言いかけたところで、フィックが慌てたようにフィディアの事を見返し口を噤んだ。どうやら、『馬鹿』がつきそうな真面目で融通が利かなさそうなフィディアが居る前で、レシェルの悪口を言ってしまった事に気がついたらしい。
……相変わらず、色々と気がつくくせに妙なところで脇が甘い。
「――っああ、フィディア=ヴェニシエス。今のは『パーニャの酒は青い』って奴だと思って流して頂けたらなーなんてー……たはは……」
「ふふっ……言わないわよ」
――素で話しかけたフィックが、慌てた様子で周りの目がないか見回しながらフィディアに向かって口止めすると、そんな姿がおかしかったのか、フィディアが笑いを漏らした。
「……分かってるわよ。――私も、他の子の目がないところの軽口まで流せないような堅物じゃないわ」
「……え?……嘘、フィディアは……十分……」
『分かっている女』という雰囲気を俄に出しながら、得意げに答えるフィディアに、彼女の隣に座る物静かな少女から意義が申し立てられた。
「――セトっ!?」
今まで黙って皆の話に耳を澄ましていたセトが、『思わず』といった様子で発した言葉に、フィディアが仲間に裏切られたかのような表情でおののいている。
そんなフィディアの表情は見えていないはずだが、セトは何となく視線を感じたのか、気まずそうにつつっとその視線から逃れるように身を丸めた。
「――っく」
――思わず、その二人の漫才のような掛け合いに、誰のものとも無く、堪えきれなかったらしい笑い声が漏れた。フィディアが、皆の反応を見て自分の反応があまりにおかしな物であったことを悟ったように顔を赤くする。
「……こほん……フィック=リスは、むしろ、『ユルキファナミア教徒の』私を口止めした方が良いのではありませんか……?」
――つい、自分もフィディアの態度を笑ってしまったが気まずかったのか、ラリカが一度咳払いすると、改まった様子でフィックに身体を向け、じとっと温度の低い視線をフィックに向けた。
そして、何かを訴えるようにフィックに向かって大げさな態度で注意した。
……どうやら、『自分はユルキファナミアのヴェニシエス』として演じるから、それに乗っかって和ましてほしいというところらしい。
「――え? ……なっ!? そ、そんなぁ、ラリカ=ヴェニシエス!?」
フィックも心得た物というべきか。ラリカのそんな態度をきちんとくみ取った様子で、大げさに絶望した表情を浮べながら情けない声を上げた。
その声を聞いたラリカが、一瞬だけほっとした表情を浮かべると、ことさらにあくどい笑みを浮かべながらフィックの頭の先から視線を滑らせ――何かを強請るように手招いた。
……いや、しかしこれは……ラリカめ。やはり、今日は少しばかり興奮しているらしい。
ここの所少しだけ形を潜めていた子供っぽい様子が見え隠れしている。
しかし、それはリクリスの事件以降、中々見ることの出来なかった姿でもある。
……良かった。この様子なら、どうやら今日一日はこの子にとって良い息抜きになったのだろう。
少しは、この子が見たがっていた『世界』に触れられたのであれば、幸いという物である。
頭上で、あくどい笑みを浮かべながら、段々と興が乗ってきてしまっている主人の姿を見ながら、私はラリカの膝の上にのんびりと顎を乗せて寝そべった。
「……ふふふ、フィック=リス。そうですね。告げ口されたくなければ……そうですね。そこはやはり……まあ、『何を』とは言いませんが、先ほどの様子を見ても……『なにか』あるのではありませんか?」
そんな間にも、ラリカが唇を吊り上げ、大げさな仕草を繰り広げている。
……その姿は、私達から見れば明らかな演技を含んだ仕草だったが、『ヴェニシエスとして』物言いに不穏なものを感じたのだろう。端で二人のやり取りを見ていたフィディアが、段々と焦った表情を浮べ始めた。
「ラリカ=ヴェニシエス!? 何を言っているの!? 貴方……まさかっ、そんなっ……」
どうやらフィディアは、ラリカがフィックの失言につけ込み、本当に賄賂か何かを要求していると考えたらしい。
――ラリカが、フィディアから巻き上げる物など、精々今日の露店で買った土産ぐらいだろうに。
ただまあ、一点フィディアの肩を持つとすれば、ラリカが妙に堂に入った態度で要求しているせいで、余計に事情を知らない者には真に迫って見えるだろうことは確かだ。現に、『信じたくはないが、まさか……』そんな、懸念がありありとフィディアの表情には表れている。
フィックはそんなフィディアの表情を見つめると、確かに一瞬にやりとした笑みを浮かべると、すぐに悲壮な表情を浮べ直した。そして、自分の胸元に手を差し入れると、一通の封筒らしき物を取り出した。
「――そ、そんな……ヴェニシエス……わ、私が……私がヴェニシエスにお渡しできる物とと言えば、この……」
「……まったく、勿体ぶらずにさっさと渡せば良いのです」
ぷるぷると、明らかな演技で微かに手を震えさせながらフィックが差し出した封筒を、ラリカも演技染みた仕草で奪い取り、封筒の口を開けると中から取りだした書類を広げ、目を通していく。
横で見ていたフィディアはそんな二人の茶番が理解出来ていない様子で、ラリカの態度に顔を青ざめさせた。セトは、目が見えていない分。二人の余裕のある話し声から、なんとなく事情を察しているのだろうか。ただ、不思議そうな気配を漂わせながら、静かに二人の会話を聞いていた。
――ラリカが、書面に目を通す間。誰も言葉を発さないしんとした間があった。
「――っちょ、っと、ラリカ=ヴェニシエスっ!!」
「――流石はフィック=リス。よく、まとまっていますねっ!」
ついに、ラリカに物申そうとしたらしきフィディアが、やにわに立ち上がりラリカに向かって叫ぶのと同時。フィックの手渡した書面を読み終えたラリカは先ほどまでとは打って変わった無邪気な感嘆の声をあげた。
先ほどまで、微かに震えながらびくびくとした態度で封筒を差し出していたフィックが、ラリカの言葉を聞いた瞬間、にやりとした笑みを浮かべ、右手を天高く振り上げながら随分と調子に乗った様子で、馴れ馴れしく声を上げた。
「っやー、そりゃーもう、ラリカ=ヴェニシエスからの依頼ですからねー。もー、帰ってきてから最優先ってなもんですよーっ、だ・か・ら。レシェル=バトゥスには、ちゃーんと仕事してたって言ってくださいねー!」
――ああ、何かと思えば今日の『市場調査』の報告書か。
フィックのごますり内容を聞き、書類の内容に思い至った私は、一人ラリカの膝の上でああと納得する。
そういえば、先ほどラリカに抱きつかれていたとき、なにかせっせとフィックが書き付けていたがどうやら今日一日の報告を早々にまとめていたらしい。
ちらりと視線をやれば、ラリカに向かって対峙するようにソファーから立ち上がったフィディアが、状況が理解出来ずにぽかんとした表情を浮べている。
「しかし、あの短時間に良くこれだけの価格情報と、仕入れの傾向を集めましたね」
「うーん、まあ、その辺りはお店の人と話しながら、色々教えて貰えましたからー」
「そうですか。では、これらをすべて購入した訳では無いのですね?」
「勿論。実際買ったのはねー、ええと……これと、これと……」
――ラリカと、フィックは一枚の書類に視線を落とし、わいわいと楽しげに。しかし真剣な様子で中身について話し合っている。どうやら、フィック自身が回ってみて、過去より値上がりしている物や、商品の傾向なども合わせて説明しているようである。
「――あ……ラリカ=ヴェニシエスは……心付けを要求していた訳では……ないの?」
ようやく、二人の姿を見て、段々と理解が及んだらしいフィディアが、ぺたんとソファーに座り直して、確認するように聞いた。
「あ、ええ。実は、私の商人ギルドやリベスの領主との兼ね合いもあって、フィック=リスにはミアヴェルデの間どういう物が売れているのか、どういう価格設定になっているのかといった確認をお願いしていたのです。その、報告書を頂いたのですよ。掛かった費用は後でリスにきちんとお支払いするつもりですし……ああ、フィディア=ヴェニシエスの心遣いのお陰で、色々と知ることが出来たそうですよ?」
「そーいうこと。いっやー、今日はセトちゃんが居てくれたお陰で、色々お店の人も教えてくれてー。なによりっすっごーく楽しかったから、もう本当にフィディア=ヴェニシエスと、セト=シスはありがとうございますー!」
「――そ、そう……それは良かったわ」
ラリカとフィックが、ともに悪戯っぽい笑みを浮かべながらフィディアに向かって説明すると、フィディアはほっとした様子で胸に手を当てた。
……事情を説明するだけでなく、ちゃっかりフィディアの事をちゃんと持ち上げている辺り、二人ともなんだかんだでちゃっかりしている。
ほっとしたところで、二人から御礼を述べられて満更でもないのか、フィディアが先ほどとはまた違った様子でもじもじと頬を赤らめた。
「――そ、それに。礼ならセトに言ってちょうだい。その礼は私が受けるべき言葉じゃないわ」
「フィ、フィディア!?」
フィディアがそっぽを向きながら、照れ隠しのようにセトに話を向けると、急に話を振られたセトが戸惑いながら身じろぎする。
「何言ってるの。貴女の事でしょう? 私は、自分のやることをしただけだもの。今日、貴女が何かを成したというのなら、それはすべて貴女のしたこと。私が礼を言われる事ではないわ」
「え、あ……そ、その……どうも? でも……私……足手まといに、なっただけだし……」
今日一日フィックに気を遣わせてしまったことを気にしてか、どこか落ち込んだように表情を曇らせながら両手を振った。その姿を見たフィックは、ずいっとソファーから前屈みに身を乗り出し、卓の上に片手をついてセトの伏せ気味の顔をしたから覗き込んだ。
「んー? 足手まといなんて全然そんなことなかったでっすよー! むーしーろー、かーわいい女の子が居て、やーっぱり華があったというかー。あ、そーだ。そーです。セト……シスは、今日一日楽しくなかったでっすか?」
――フィックの質問に、『あ……』というか細い声と共に、セトが喉を鳴らした。そのまま、膝の上に乗せた両手をぎゅっと握り締め、首を左右にしっかりと振った。
「その……フィック=リス、くろみゃーさん……。――楽しかったです。……その、ありがとうございました」
セトの僅かに朱が差した表情を覗き込んでいたフィックは、大きくソファーにどっかと腰掛け直すと、万歳するように両手を振り上げ楽しげに歓声を上げる。
「っよーし、じゃーやーっぱり、私達も楽しい。セト=シスも、フィディア=ヴェニシエスも、ラリカ=ヴェニシエスもみーんな助かったし、楽しかった。それでいいじゃないですかー」
あっけらかんと、脳天気に話すフィックの言葉に思わず吹き出しそうになりながら、しかし、ラリカの膝の上で目を閉じながらまったくその通りだと同意する。
――せっかくの『祭り』なのだ。
誰が誰に迷惑を掛けただの、そんな話は無粋というものだろう。
皆が楽しめた。その事実だけあれば良い。







