第五十話「聖国の隠し通路」
「……え?」
フィックに腕を引かれたセトが掠れた声を漏らした。
フィックは楽しげに跳ね上がるような声音とは裏腹に、特に急ぐ訳でも走る訳でもなく。
極めて落ち着き払った歩みで、周りを行く人々より遅い速度でのんびりと歩みを進める。
しかも――
「え……こっち……逆……?」
「えへへ~」
フィックは、ラリカ達が消え去った方向――つまりは、人々が向かう方向とは逆方向に歩き出した。
セトも、目は見えないなりに音か、光の差してくる方角か……何らかの方法で方角は把握しているのだろう。予想外の動きに戸惑った様子で軽く蹈鞴を踏んだ。
フィックはそんなセトの事を振り返り、にへらとした腹が立つ笑みを浮かべて誤魔化している。
……そういえば、前に王都の『ルルム=モンティオ』を案内したときもこんな反応だった。
……もう、随分前の事のように思えるが、フィックが初めてラリカ『達』をとっておきのお店に案内したときもちょうどこんな反応をしていた覚えがある。
――ならば、これから先はフィックにとっての『とっておき』というわけか。
どこか懐かしい気分に浸りながら、同時にあの時小動物の様に戸惑っていた小さな少女の事にも考えが及び、つい、寂しさを覚えてしまう。その間にも私を頭の上にのせたまま、フィックは迷いの無い足取りで、大通りから隠れるように存在する、小さな路地に入っていった。
路地に入る瞬間、フィックに手を引かれ戸惑い歩くセトの姿が視界に入り、チリチリと直前に思い浮かべた少女の姿と重なり、路地の暗がりが急に広がるような錯覚を覚えた。
――路地、影、地面の滲み……広がる黒――倒れた、少女。
『路地裏』というのが、先日目撃してしまった思い出したくない光景を否応無く連想させたらしい。記憶の連鎖が、無意識のうちに背筋をあわだたたせ、反射するように膨らんだ背中の体毛に空気含ませる。
――落ち着け。大丈夫だ。
軽く息を吸い、喉の奥を鳴らし固い唾を飲み込むと、周りへの警戒は続けながらざわついた心を落ち着かせた。
――今はフィックがいる。
それに、万が一暴漢が現われれば、私も無論遠慮無く魔法を使わせて貰うつもりだ。ならば、少々の事では危険は無い……はずだ。少なくとも、その辺りの暴漢相手に遅れを取るような不覚をとるつもりは無い。
冷静にもう一度進む路地を見回すと、先ほど私達を飲み込む様に見えた光景は、なんの変哲も無い薄汚れた物陰にしか過ぎない。
……いかんな。祭りを楽しまなくては。
ついつい、浮かれた空気にそぐわない、殺伐とした考えが浮かんで沈み掛ける心を意識的にリセットした。そして、もう一度、見回しため息をつく。
――しかし、これは別の意味であまりセトを歩かせたくは無いな……
……落ち着いた事で、今度は改めて見えてくる物があった。
聖国に来て以来、やはり宗教国家故なのか、どこも清掃が行き届いて、清潔な印象がある場所が多かった。『水の都』というべき造りの国だというのに、水場を持つ地方にありがちな、淀んだ空気はさほど感じずに済んでいた。
だが……その、美意識も、流石にこの人一人が通れるかどうかという路地裏には行き届かなかったのだろうか? あまり掃除がされていないのか、微かに饐えた匂いが鼻腔を擽る。
幸いな事に、足下は整備されて以降、人が通ることが無い為なのか。見た目の不潔な印象とは対照的に整っており、足を取られる心配は無さそうなことだけが救いだった。
――そんな、どこか退廃的な印象を与える路地を、フィックはつかつかと歩み、横切り、網目状に張り巡らされた道を歩いて行く。脇道細道と、どんどん入り組んだ道を歩んでいくからか、祭りだというのに地元の人間の一人さえ通らない。
「ちょーっとここは階段になってるから気を付けてね」
少し進んだところで、フィックは細心の注意を払いながら、セトの腕を抱きしめ石灰質の石で出来た階段をそろりそろりと降り始めた。セトも、フィックにしがみつきながら階段を降りていく。
……そういえば、随分セトも警戒心が解けてきたようだな。
フィックに抱きつくように頼り階段を降りていくセトの姿を見て、改めてそんな事に気がついた。祭りに繰り出した頃は、もっとフィックの手をにぎるのにもおっかなびっくりだったようだったが……それが今、これだけ親密な距離で接する事が出来るというのは、まあ、良い傾向だと言えるだろう。
――階段を降りていくうち、微かに水の流れる音が聞こえた。どうやら、この聖国に張り巡らされた水路網が近いらしい。
階段を降りきったところで、フィックは何も無い壁の前に立ち止まると、ごそごそと自分の服の中をまさぐって紫色の結晶を取り出した。
……ん?
何をしているのかと、フィックの左肩に前足を置き、頭の上から身を乗り出してよくよく見てみると、フィックが向かい合う壁にはルルム=モンティオの扉に付けられていたような金属製のプレートが埋め込まれている。
そこに紫色の結晶をかざすと、予想通りエメラルドグリーンの光点が描き出された。フィックはその光点を『ほいっほいっ』と気が抜けた掛け声をあげながらなぞっていく。
フィックが指先をプレートから離した瞬間、描き出された幾何学模様が強く発光し、ズズズズッっという重々しい音と共に、王都の図書館で見かけた仕掛け扉のように壁がひとりでに動き出し、人が一人通れるほどの入り口が出来上がった。突然響いた石同士が擦れ合う音に驚いたのか、隣ではセトが軽く肩を跳ねさせている。
「さあさあ、どーぞどーぞ。こっちだよー」
フィックはピクニックにでも行くような気楽な口調で声を掛けるが、入り口の中の空間はどれほどの深さがあるのかも知れない闇に包まれていた。フィックが一歩空間内に踏み込んだ瞬間、じゃりっという足音が奇妙な反響を伴いグワングワンという波を広げていく。セトはその音を聞き若干の恐怖を覚えたのか、躊躇するように足を止め入り口から中の様子をうかがっている。
……確かに。元々目が見えないセトにとって、音の感覚が鈍くなるような場所は恐怖以外の何物でも無いだろう。
「――大丈夫だよ。ちゃーんと、私がついてるから?」
フィックは優しく語りかけながら右手に一瞬で魔法陣を展開する。
突然使用された魔法に、慌てて瞳の力を起動してみれば、なんの事は無い。
見慣れた収納魔法が起動されるのが分かった。
そのまま収納魔法を使って、荒い麻のような紐のついた白い小さな石を二つ取り出したフィックが、二つの石をカチカチとぶつけ合わせた。
――瞬間、その石が白く発光を始め、薄暗かった空間が白くぽうと照らし出される。
フィックはランタンの様に二つの石を手から吊り下げるとセトの手をそっと引いた。
ようやく決心した様子でセトは、ゆっくりと扉の中へと体を滑り込まる。
――ガシャン。セトが扉の中に入ると、扉の閉まる音が大きく反響した。再び肩を跳ね上げたセトは、不安そうに一瞬だけ振り返ってフィックの手をもう一度確かめるように握り直した。
「じゃ!! 出発だー!」
あっけらかんと気の抜ける口調で掛け声を掛けたフィック再び反響を伴い響いていく。ゆっくりと歩き始めたフィックの動きに合わせて、周囲の壁面を白い光が照らしていく。
――誰か潜んでいることは……無さそうか。
ミルマルとしての視界。そして起動した瞳が映し出す金色の光に彩られた視界。その二つに自分たち以外の何物も存在しない事を確認し、ほっと息をついた。
「――あの、フィック……リス……」
しばらく歩いたところで、セトが不安の滲む声でフィックに呼びかけた。その呼びかけが、なぜか妙に新鮮な気がして、ふと考え込む。
――そういえば、セトがフィックの名前を呼んだのは、初だったか。
出逢ってから、セトはどこかフィックに声を掛けるのを躊躇った様子だった。しかし、どうやら不安が勝ったらしい。フィックの腕を不安げに抱えながら声を掛けている。
「どーしたの? すぐに出口だから、大丈夫だよっ!」
「――その……ここは、一体……?」
「あ、そーか。やーっぱり知らないよね!」
フィックはセトの姿を見ながら、薄く笑みを浮かべると、セトに不安を抱かせないようにする為の配慮なのだろう。明るい声で語り始めた。
――どうやら、フィックの言葉を総合してみると、ここは聖国の地下に設けられた隠し通路の一角らしい。聖国には有事の際に備え、いくつかのこういう通路が設けられ、入り組んだ地上よりも先んじて移動出来るようになっているということだ。
碌な照明ひとつ無いのも、普段は利用されることが無いためにもとからそう言う造りになっているらしい。
――なるほど。言われてみれば要人が暮らす国であることを考えれば、隠し通路のひとつやふたつ設けられていてもおかしくは無い。フィックもこんな形ではあるが、この国が出来るよりも以前から生きている存在だ。なおかつ、聖国では『先技研』とやらに所属していたらしい『そういう』仕掛けを知っていても……不思議はないだろう。
「こういう通路はね? なるべく気がつく人が居ないように、ちょーっと汚かったりするのが難点なんだよねー」
先ほど、妙に地面が整備されているにもかかわらず、汚らしい路地だと感じたが、それも無意識に利用する者を減らすための手法だったらしい。僅かに引っかかっていた事に説明がつき納得がいった。
……ただ問題は……
「あの……私が使っても良かったんですか……?」
フィックが掲げた灯りが、セトの引き攣った表情を照らし出していた。その顔には、先ほどまでの恐怖とは違う、『明らかに聞いてはいけないことを聞いてしまった』という焦りが色濃く表れているように見える。
『隠し通路』などと言えば、おそらくは要人。――王族や教会の上層部が使うためのものなのだろう。それを満足な位階も持たないセトが使うことを躊躇するのは当然であった。
「んん? だいじょーぶ、だいじょーぶっ! 先技研は買い物の時にもこういう通路ちょーくちょく使ってるからねっ! ――って痛っ! くろみゃーちゃん!?」
――職権乱用にもほどがある!?
自慢げに言い放つフィックに、思わず頭の上で前足を叩きつけた。
……どうやら、先技研というのはエリート集団とは聞いていたが、中々に癖の強い集まりのようだ。
「もー……何するのさ……あ、もーすぐだよっ! 地上に出るからね!」
フィックが、爪が刺さってしまった頭皮を石を持った右手でなでさすりながら、壁を削るように作られた石段の先を見上げ声を上げた。
――なかなか、セトが上るのは骨が折れそうだな。
急な造りの階段を見て、思わず眉の間に皺が寄るのを感じた。
「ん。ちょーっとごめんね! 実は、ちょーっと、階段があるんだ。かなり急な階段だから負ぶっていくよ。」
「そんな……わたし……重いですし……」
「え!? 本当? よいしょっと……別に全然重くはないよ! それよりも、ちゃんとご飯食べてるの!?」
断ろうとするセトに手を伸ばしたフィックが、無理矢理セトのほっそりとした体を抱き上げた。フィックの手の中で突然抱き上げられたセトが、言葉を失っている。
無言で体を硬くしながら、首をギリギリと力を入れながら左右に動かしているところを見ると、上手く状況が把握出来ていないのかも知れない。
――そのまま、フィックはひょいひょいと、人一人抱えているとは思えない身軽さで石段を駆け上がっていった。
……ふと、視界の端を纏わり付くように金色の粒子が流れ、フィックの身体を巡っていくのが見えた。
脳裏に先ほどフィックから告げられた助言がよぎる。
――魔力の流れを見るようにしなくちゃだめ。
そう言われていたのだった。
思いだし、もう一度しっかりとフィックの身体を見つめると、黒いフィックの服の下を肢体に沿うように魔力が流れて行くのが分かった。
どうやらこれが『原始魔法』という奴を使っている結果らしい。確かに、あの時フィックは身体能力自体が人とは違う場合もあるという風な事を説明していた。
……術式だけに頼っていてはいけないというのはこういうことか……
『木を見て森を見ず』ではないが、なまじ雪華に授けられた知識がある分、ついつい術式の解読に集中してしまっていた自分に気がつき、気を引き締め直した。
「――っよーし、たーっち」
フィックが駆け上がった勢いのまま、壁に石を持ち手を当てると再び石組みが動き出し四角く白い景色を切り取った出口が出来上がる。
「セトちゃん。怖がらせちゃってごっめんねー」
「い、いえ……ありがとうございます……」
抱えていたセトをそっと降ろしたフィックが話しかけると、セトはぷるぷると小刻みに首を振った。急な動きをしたことにまだ頭が追いついていないのか、ふらふらとフィックに手を引かれるまま、明るい光に満ちた空間へと出て行く。
――ズズッという音に振り返れば、先ほどまで出口であったはずの場所が、何の変哲もない壁へと形を変えていた。
「でーも、そのお陰で……」
フィックは、それを確認する事無く少しだけ足早に再び歩き出し――いくつかの路地を抜けたとき、声を上げた。
「――ほら、間に合ったよ!」
路地を抜けると、そこには歓声を上げる無数の群衆達と――
――巨大な紋章旗を伴い、凱旋するように広場に現われるラリカ達の一団の姿があった。







