第四十一話「酔いどれ音頭」
「――ほんとに、練習する意味があったのか分からない位……完璧ね」
――ミアヴェルデが明日と迫った日の夕暮れ、通しで最終確認を終えて、呆れたように呟くフィディアの声が風に乗って流れていく。
潮の匂いをはらんだ風が、フィディアの長い髪を大きくはためかせていた。
「……フィディア=ヴェニシエスは、一昨日の惨状を覚えていないのですか……」
照れ隠しなのか発する声は僅かに低い声く恨めしげである。
――が、その表情はどこか満更でもなさそうであった。
ラリカの言葉に、フィディアは風にはためく髪を右手で押さえながら、答えに窮した様子でそっと視線をそらせた。
――まあ、あの惨状には掛ける言葉もなかろう。
いつものように、ラリカ達から少し離れたベンチの上から二人の姿を見ながら、人目があるにもかかわらず思い出し笑いをしそうになった。ラリカにポンコツな所を見せれば良いとは言ったが、あの時は本当に思わぬ姿を見せてくれた。
……などと、馬鹿な事を考えていると、今度は明らかに温度を低くしたラリカの視線がこちらを向いた。一切口を開いていないというのに、どうやら何となく私が愉しんでいる事を察したようだ。
「……それでも、あっという間に私より……」
フィディアがラリカから視線を逸らせたまま、そっと顔を伏せた。
あかね色に染まる光に、顔半分を覆い隠すような影を作りながら。
……小さな――とても小さな声で、どこか悔しそうに呟くのが聞こえた。
――この三日間で、随分ラリカに向ける敵意は薄くなったように感じるが、それと比例するように、フィディアから諦めに似た雰囲気を強く感じるようになっていた。
……フィディアと親しくなったことはラリカに取っては良かったのだろう。
本当に少しずつではあるが、表情に明るいものが混じることが多くなってきた。
一方で、『フィディアに取って』は、良かったのか。
……なんとも悩ましいところだった。
確かに初日こそ、とびきりのへっぽこ具合を見せていたラリカだったが、持ち前の器用さであっという間にフィディアが教える内容を吸収してしまった。
――そのせいで、と言うべきなのだろうか。表面上はともかく。より深いところでフィディアとの壁が出来てしまった感がある。
「――ラリカ=ヴェニシエスぅ、お待たせしましたぁ!」
――そんな、二人の間に割って入るようにきんきんとした甘ったるい声が響いた。
……どうやら、今日もターニャがやって来たらしい。
声のした方に視線を向けると、満面の笑みを浮かべてラリカの名前を呼ぶターニャと。それに引っ立てられるかのように、がっしりと掴まれたセトの姿があった。
「おや、ターニャ=ジニス、セト=シス、今日もいらしたのですね」
「もちろんですぅよぉ~」
一昨日のお茶会以降、ターニャのラリカへの媚び売りが明らかに酷くなっていた。本来であれば、フィディアの付き人である以上、フィディアに真っ先に挨拶するべきであろうに、今もラリカに向かって真っ先に声を掛けていた。
「……フィディア……我が儘言って、ごめんね……」
「良いわよ。セトとも最近はあまり話せなかったから、嬉しいわ」
「……うん」
話を漏れ聞く限りでは、どうやら一昨日倒れたセトが『フィディア達ともう少し一緒に居たいと言いだした』ことになっているらしい。
……大方、セトをダシに使って、ターニャがフィディアやラリカに会う口実にしているのだろう。
セトの性格的にもそれを否定出来るような性格ではあるまい。お陰で、今もセトはフィディアに向かって申し訳なさそうに頭をさげる羽目になっているようだ。
「あ、フィディア様ぁ。ラクス=ヴェネラから、フィディア様に渡すようにって、これをお預かりしてるんですぅ」
「……手紙?」
ターニャが差し出したのは一通の書簡だった。赤い蜜蝋が落とされて、なんらかの紋章が押されて封がなされている。使われている紙の風合いと良い、どことなく洒脱な印象を受ける。
「……確かに、お師匠様のものね。ありがとう。ターニャ」
ターニャから受け取ったフィディアは、改まった様子の手紙に戸惑った様子で封を開けた。ゆっくりと、書面に視線を走らせていくと――段々、その白い肌が青ざめていった。
「――なにかあったのですか?」
「な、なんでもないわ!」
フィディアの様子を心配したラリカが声を掛けると、慌てたようにフィディアはその書面を仕舞い込んだ。
――しかし、相変わらずその表情は優れない。明らかに『何かあった』顔をしている。
「……いえ。なんでもなくは、無いわね」
本人も、自分の言い訳に無理があることに気がついたのだろうか。少し、悩んだ末に訂正した。
「……その、ラリカ=ヴェニシエス。――今晩、お暇かしら?」
***
薄く、暖色に発光する鉱物に照らし出された一室で、私とラリカ、フィディアと――ラクス=ヴェネラがひとつの卓に座っていた。白布に覆われた長い机の一辺に、私、ラリカ、ラクス、フィディアの順に椅子を並べ一列に並んで腰掛けている。一応、私にも専用の椅子が用意され、その上に座り机の端から顔を出して、皆の表情を見ることが出来た。
――私の隣にはもうひとつ椅子が用意されていて、そこに座る予定の人物の姿はまだ見えない。
『極めて私的な集まり』
『フィディア=ヴェニシエスの友人を、その師匠であるラクス=ヴェネラが招いた』
……どうやらこの集まりはそういう事になっているらしい。
夕方、フィディアの元に届いたのは、ラクスからのこの食事会への招待だった。
――やはり、間に合わなかったのか……
椅子だけが置かれている自分の隣を見て、先ほど話を持ちかけたときの、金髪の賑やかな娘の顔を思い出してため息をついた。
「フィック=リスはもう少しお時間がかかるそうね?」
「ええ。『先に始めてもらって大丈夫』だそうですよ」
……そう。『もう一人』というのは、フィック。私達と共に王都からやってきた彼女だった。彼女もまた『友人』としてこの集まりへ招待されたのだ。
「そう……今日は突然お呼びだてしてしまって、ご迷惑じゃ無かったかしら?」
「いえいえ。そんな迷惑とはとんでもない。このような集まりにお呼び頂けるとは光栄ですとも!」
おっとりとした笑みと共に、ラクスが声を掛けると、ラリカもずいぶんを気を遣った様子でよそ行きの声を出しながらラクスの質問に答えている。
「ええ。ラリカ=ヴェニシエスには色々とお願いをしてしまったのに、碌なご挨拶も出来ていなかったでしょう? ……私も、明日の夕方にはこの国を離れてしまうから、一度時間を取りたかったの。ごめんなさいね」
ラクスとラリカは極めて温和に話を進めていく――が、『色々とお願い』という言葉を聞いた瞬間、それまで黙り込んで顔を伏せていたフィディアの肩がぴくりと跳ねたのを私は見逃さなかった。
――どうも様子がおかしい。なぜか、先ほどから……いや、ラクスからの手紙を受け取ってからなにやらずっとふさぎ込んでいる様子である。時折、辛そうに唇を噛みしめているのが、その心情を物語っていた。
「――どうかしら? フィディアと一緒にミアヴェルデの準備をしてみて」
ラクスがその言葉を発した瞬間。フィディアの腕が震えた。膝の上に載せている手元を覗き込んでみれば、着込んでいる服に皺が寄るほど強く両手を握り締めていた。
「そうですね……」
そんなフィディアの様子には気がつかないのか、ラリカはそっと高い天井を見上げながら言葉を選んだ。
「……本当に、『感謝してもしきれない』というのが正直な気持ちですね」
「……あら」
ラリカの言葉を聞いたフィディアが、はっとしたように顔を上げた。ちらりとフィディアの方に視線を向けた後、ラリカははにかんだように笑い、照れくさそうに頬を染めた。
「……実は、クロエば――ヴェネラ、から習っていた舞が――」
「――ああっ! 『クロエの酔いどれ音頭』っ!」
ラリカが、恥ずかしそうに説明しようとした言葉を遮るように、ラクスが素っ頓狂な声を上げた。それまで、落ち着いた様子だったラクスが急に声を上げたせいで、室内に居た全員が目を丸くした。
「……は?」
「……おほん。ごめんなさいね。少し、懐かしいものを思い出したのよ」
ラクスは私達の顔を見回し、ひとつ咳払いをすると、懐かしそうに遠い目をした。
「……よ、『酔いどれ音頭』……というのは?」
『まさか』という顔をして、戦きながらラリカが聞くと、ラクスは優しい表情を浮かべた。
「……そうね。あまり、他所師匠の話をするのは良くないのかも知れないけれど……年寄りの昔話ということで許して貰おうかしら?」
「――ぜひ」
片目をつぶり茶目っ気を浮かべたラクスがコロコロと童女のように笑いながら聞くと、ラリカは身を乗り出して先を急かす。
反対側で先ほどまで気落ちしていた様子だったフィディアまでが、今は少し顔を上げ続きを聞きたそうにしている。ラクスは、ちらっとそんなフィディアの姿を見ると楽しそうに口を開いた。
「……実はね。クロエ、昔は踊りがとても苦手だったのよ。――とはいえ、本人は別に苦手なんて思ってなかったようだけど……なかなか個性的だったのよ」
ラクスは、口元に手を当てるとクスクスと上品に笑った。
「それで……あるとき。あの時もちょうどミアヴェルデの時だったわ。私達……私と、クロエと、ハルトさんとグルストさんでちょっと――ノキアの大祭壇を吹き飛ばしちゃったことがあったの」
「――お師匠様っ!?」
――恐らく、初耳の話だったのだろう。驚愕に顔を染めたフィディアが悲鳴を上げた。ラクスは、そんなフィディアをちらりと見てクスクスと笑い続けるだけである。
「それで、流石にレシェル=バトゥスにカンカンに全員そろって叱られて。……その時の罰が『クロエと同じ舞をミアヴェルデで披露すること』――クロエは最後までなにが罰なのか分かってないみたいだったけれど、あれだけ恥ずかしい思いをしたのは、初めてだったわ……」
――ラリカがなにか死にそうな表情を浮かべている……どうやら、自分が披露した舞が遙か昔から根強く残されたものだったことに気がついて、ショックを受けているようだ。
……ひょっとすると、その時に解決しておいてくれればとでも思っているのかも知れない。
「――そういえば、結局クロエに正式な舞を教える機会が無かったけれど……あの子は、ちゃんと出来るようになったのかしら……? ――まあ、大典祭事では『水の舞踏』を披露することもあったでしょうし、流石に――」
「……まだ、なにも改善していませんよ」
「――あら?」
ラクスに向かって、耳まで真っ赤に顔を染めたラリカが顔を伏せながら、消え入りそうな声で応えた。
「今も……クロエ婆は、それが正しい舞踏だと……」
「……ひょっとして……」
ラリカの姿に、何かを察したらしいラクスが、柔らかな口元を引き攣らせながらフィディアに視線を向けた。フィディアは、先ほどまでとは違う意味合いを持ってついっと視線を逸らした。
「あら……そう……」
――自分の昔話が招いた予想外の結果に、困り果てたラクスの声が室内に響いた。
後半、あまりに誤字が酷かったため訂正致しました。
今回他にも誤字あるかも知れませんので、体調が戻ってから再チェックします。
申し訳ありません。







