第三十九話「熱中症にご用心」
「――セトっ!? 何してるのっ!?」
フィディアが叫び声を上げた方向を見てみれば、建物の柱の陰で、日の光から体を隠すように青みがかった髪をした少女が柱にもたれかかり座り込んでいた。
――間違いなく、なんの縁か、ここ二日ほど話し合う事になった盲目の少女――セトだった。
弾かれたように、フィディアは立ち上がりかけ――私が膝の上にいたことを思い出したように、慌てて私を抱きかかえてセトの居る方に向かって走っていく。
セトに近づくにつれ、明らかに様子がおかしいのが見て取れた。どこかぐったりとした様子で、虚ろな表情でこちらを見つめている。
「……あ、あれ……フィディア……? ごめん。ちょっと……療養所で見て貰おうと思って来たんだけど……ちょっと休憩……」
ぼうと答える少女は、紛れもなくここ二日ほど毎夜のように見てきた少女である。
だが、今は冷や汗を流し、日陰でへたり込んでいる姿は明らかに病人のものである。
「『ちょっと休憩』じゃないわよ! 真っ青じゃ無い!」
「……ちょっと……だけ……体調悪い……かも……」
慌てて、私を地面に降ろしたフィディアがセトの様子を診断しようと、熱を測るように首元に手を当てる。
突然走り出したフィディアに取り残されていたラリカも、尋常では無い様子に気がついたのか駈け寄ってきた。フィディアと並び、セトのほっそりとした指先の爪を押さえたり、口の中を覗き込んだりしている。
――やがて、お互いに視線を交わし頷き合った。
「……失礼、シス。最後にお水を飲んだのはいつですか?」
「……え? あ、誰……ですか……あの、部屋の水差しに水が無くて……多分……昨日の夕方くらい……です……」
「そうですか」
セトが、聞き慣れない声に戸惑ったように答えると、それを聞いたラリカは腰の袋に向かって手を伸ばし――何故か一度、動きをピタリと止めた。思い悩むように、伸ばし掛けた手が、袋の辺りを彷徨い――十秒ほどのの間があってから、ようやく袋へと手が伸びた。
ラリカは袋からなにやら木の実を取り出すと、小さな穴を開けてセトの唇に押し当てた。
「……セト、飲める?」
横で見ていたフィディアが、ラリカが木の実を傾けるのに合わせて、セトに向かって呼びかけている。
――脱水症状か?
ラリカの言葉、そしてセトの様子を見ながら思い当たる症状に検討をつけた。
……もはや、時刻はお昼を回ろうとしている。そのなか、どうやらセトは昨日から今まで水の一杯も飲まずに過ごしていたらしい。それなりに気温も上がる時期になってきたことだ。脱水症状のひとつやふたつ起こしても不思議は無い。
幸い、見たところ重度の熱中症では無さそうだ。きちんと、水分補給を行わせて休ませれば、十分に回復するだろう。ただ、それでもついつい心配になるのは間違いない。
「……まったく、部屋の水差しが空だからって……そのために、貴方にはターニャをつけて居るのだから、頼めば良いのよ……部屋を出るときも、ターニャを付けなさいって言ってるでしょ!?」
「……ターニャさんは、フィディアの……付き人だから……悪いよ」
「そんな事、気にする必要無いわ」
セトは、弱った様子でフィディアに向かって曖昧に笑うが、心配故なのだろう。フィディアはにべもない様子で一蹴する。
……『フィディアの付き人』という言葉で連想するのは、一昨日の夜半に見たセトの事を責め立てる少女の姿だった。
――まさかとは思うが、あの少女がセトに付けられている訳ではあるまいな。
ふとした不安がよぎるが、今の状況では私は声を発することなど出来るはずも無い。
しかし、仮にあの娘が付けられているのであれば、ろくに世話などして貰える訳が無いだろう。
……心配だけが段々と大きくなっていく。
「……うん。わかった」
セトは、フィディアに向かって曖昧な笑顔を浮かべたまま、答えた。
「……まったく、この子は……ちゃんと、元気になったらお説教ね」
「はは……やだな……フィディアのお説教、怖いから……」
「なんですって? もう――」
――友とであれば、こんな風に憎まれ口も叩くのか。
二人で会ったときとはまた違ったセトの様子を意外に重いながら見ていると、これ以上、病人に向かって説教をするべきでは無いと判断したのか、フィディアはため息をつき、セトの体に手をかけた。
「……重いわね」
色々と肉付きの薄いセトは、おそらく大した体重では無いだろうが、女性の細腕には重いのだろう。どこかに彼女を運ぼうとしたフィディアが、困ったようにぽつりと呟いた。
――もし、日本で私が女性に同じ事を言おうものなら、張り倒されるな……
思わず、身近の女性にそんな事を言った日にはどんな目に遭わされるかと、背筋の毛を逆立てながら身震いしていると、セトは気分を害した様子も無く気遣うように声を掛けた。
「……フィディア……大丈夫だよ……?」
「良いから、黙ってなさい」
「――私も手伝いますよ」
遠慮して身をよじるセトに向かって、フィディアが押さえ込むように手を伸ばしていると、横からひょいと顔をだしたラリカが、セトの身体に手を掛けた。そのまま、すっと持ち上げてしまう。
「え……ちょっ、ラリカ=ヴェニシエス!?」
自分と同じくらいの体格のセトを軽々と持ち上げているラリカを見て、フィディアが戸惑いの声を上げるが、ラリカは逆に何故そんな表情を浮かべているのか不思議そうに首を傾げた。
――明らかに、体格的にフィディアの方が筋力もありそうなものだが……
相変わらず、随分と見た目に似合わない身体能力を持つ主人である。
「そこのベンチでよいですね?」
「え、ええ……」
両手がふさがっているため、顎先でくいっと日陰のベンチを示し、軽々とセトを持ち上げてラリカが運んでいく。
フィディアが、慌てた様子で後をついていき、横になったセトの頭に濡れた白布を乗せてあげていた。
ラリカは、フィディアが来ると、二人に気を遣うように少しだけ距離をとり、ちょいちょいと私の事を手招きする。
――なにか、用事だろうか?
トトッと、ラリカの元へと走り寄ると、ラリカは私の事を抱き上げ、自分も近くのベンチへと腰掛けた。
「……お二人は友人のようですからね。私達は、お邪魔をしないように、ここで待っていましょうか」
「ああ、承知した」
どうやら、二人に気を遣って距離をとりながら、話し相手が欲しかったらしい。
私を膝の上に乗せて、ラリカはのんびりと私の毛並みの上に手を上下させ始めた。
……乗せられた膝の上がいつもより少し固い。どうやら、緊張しているのか、太ももにも力が入っているらしい。
先ほど『友人』と言ったとき。
僅かにラリカの声が羨ましそうな。悲しげなものに聞こえた気がした。
――もし、リクリスが生きていれば、あんな風に楽しげにラリカと二人、過ごしていたのかも知れんな。
そんな感傷と共に二人の様子が気になって見てみれば、ミルマルの鋭い聴覚に、『ラリカ=ヴェニシエス』という単語が聞こえる。
見れば、なにやら二人でひそひそと話し合いを行っている様子だ。セトが、安堵と歓喜が入り交じった表情で、フィディアに向かって何事か囁いている。
……ああ、そうか。セトには、悪い噂を伝えたままになってしまっていたな。
昨夜、セトに向かって、『フィディアがラリカに対して思うところがある』という噂があると言ってしまっていた。だから、ラリカと二人上手くやっている姿を見て、安心したのだろう。
「……ねぇ、くろみゃー」
「どうした?」
ぼうっと二人の事眺めていると、ラリカがぽつりと小さく囁くように呼びかけた。
「……今の私は、ちゃんと人助け出来てましたか?」
――こっちはこっちで、また、なにか思い悩んでいるらしい。今の僅かな間になにか思うところがあったようだ。見上げてみれば、どこか不安そうなラリカが、私の事を見下ろしていた。
その揺れる瞳の奥に、一体どんな感情を――不安を持っているのか、推し量る事は出来ない。だが、今のラリカの対応には誰も文句など付けられるはずが無い。自信を持ってラリカに告げた。
「ああ。偉いぞ。ラリカ。大丈夫だとも」
「――っ、そうですか……」
聞いたラリカはほっとしたように、大きく息を吐き出し全身から力を抜いた。
……私の乗っている膝も、少し、柔らかくなったのだった。
***
「――もうっ、最悪……どこ行きやがったのよっ」
遠く、微かに、聞き覚えのある声が悪態をつくのが聞こえた。
周りを見てみても、フィディアもラリカも聞こえていないようだ。ミルマルだからこそ、聞こえたのだろう。
――これは……嫌な予感は、的中か?
先ほど、フィディア達の会話を聞いたときに懸念した事が、的中していた可能性が高い事を知り、私はため息をつきつつラリカの膝の上で身を起こした。
「どうしたのです?」
「いや……」
突然身を起こした私に、不思議そうにラリカが聞いてくるが、私は短く答え声のする方へと身体を向ける。
しばらくするとズカズカと荒れた足音と共に、一人の少女が姿を現した。
気の強そうな顔は、紛れもなく一昨日の深夜セトに向かって掴みかかっていた少女で間違いない。
少女は、眦を吊り上げながら歩いていたが、フィディアの姿を見つけたらしい。急に顔色をよそ行きのものへとを変えた。
「――フィディア様ぁ!」
「――あら、ターニャじゃない」
ようやく、後ろから来ていた少女の姿に気がついたらしいフィディアが、その少女の名前を呼ぶ。
――はぁ……確定か……
どうやら、本当にあの少女がセトに付けられているらしい。
おそらく、フィディアは二人の関係など知らずに世話を任せているのだろうが……憎悪を含んだ表情でセトの事を締め上げているような少女が、まともに世話などしてくれるはずも無い。
……なるほど、セトの『ユーニラミア教会にもユルキファナミア教会にも報告したりしないであげてください』という言葉はそういう意味もあったのか。
まったく……自分に悪意を向けてくる少女にも気を遣うとは、些か優しさも度が過ぎている。
「――っ」
だが、そんなセトの心遣いなど知らないのだろう少女――ターニャは、ベンチの上で横になるセトの姿を見て、表情を強張らせた。
「……フィディア様。その、何があったんですぅ? ……セト様は先ほどからお姿が見えなかったので探してたんですけどぉ……」
「少し体調を崩してしまったみたいなの。脱水を起こしているわ。――今後は、部屋の水差しにも気を配ってあげて貰えるかしら? どうもこの子は貴方の事を気にして言い出せなかったみたいね……」
「――ぇ、っく、申し訳ありませんっ!」
申し訳なさそうな声音で詫びながら、ターニャがフィディアに向かって跪き片手を地に叩きつけた。
……一見すると、それは不手際を心から反省している殊勝な態度に見える。
「そこまで謝る必要はないわっ!? 決して貴方を責めている訳では無いのよ?」
フィディアもターニャのオーバーなまでの動作に慌てたように続けるが――
……私には、フィディアから見えない位置。伏せたターニャの顔が見えていた。
私の目に映ったのは――ターニャの伏せた顔が、憎々しげに醜く歪んでいる姿だ。
フィディアはなおも表面上は取り繕っているターニャを前に、むしろ慌てたようにフォローしている。
――不味いな……
ターニャが浮かべている表情は、どう見ても『余計な事を』と、セトに対する悪感情だ。
恐らく、セトが動き回ったせいで自分が叱責を受けることになった。評価が下がることになってしまったと逆恨みをしているのだろう。
このまま、セトをターニャと共に付けておくのは、お互いにとってよろしくない。
――どうしたものか……
「――大丈夫だよ、フィディア……」
私が悩む間にもセトは血の気の失せた青白い顔で、ほっそりとした身体を起こし始めていた。
「ごめんなさい……ターニャ=ジニス……部屋に……戻ります……んっ……」
「――っ、駄目よ。セト。もう少し休んでなさいっ! ……ターニャ。悪いけど少し一緒に待って貰えるかしら?」
しかし、立ち上がろうとして、気分が悪そうに頭を抑えるセトを見て、フィディアはそんな押さえ付けるように再びベンチの上に寝かしつける。
ターニャの方を向き直り、一緒に居るように命じると、ターニャは僅かに顔を引き攣らせた。
「ぅ……一緒に……はぁい!、分かりましたぁ……」
フィディアはセトの方を向いているため、ターニャの表情の変化気がつかない。
セトの世話をするフィディアの後ろ、ターニャは所在なさげに立っていたが、セトとフィディアのやり取りに飽きたように周りを見回し、ようやく少し離れた位置から見ていた私達に気がついたらしい。
――つまらなそうに虚ろにしていた目を大きく見開いた。
「フィディア様……あちらの方は……?」
「え――あ、ご、ごめんなさい。ラリカ=ヴェニシエス――随分、待たせてしまったわね」
「ああ、いえ。少し私も休みたかったので構いませんよ」
ターニャに聞かれ、ラリカの事を思いだしたフィディアが、焦りを顔に貼り付けながらこちらを振り返った。ラリカは、微笑みながら茶目っ気を込めて肩をすくめて返した。
「……ラリカ……ヴェニシエスっ!?」
ターニャが、驚愕の声を上げている。気の強そうなヘーゼル色の瞳が獲物を見つけたかのように嫌らしく輝きだした。
「――ヴェニシエス――っ! これは――っ! 失礼しました!」
言いながら、その場で頭を垂れ膝をつくと、そのまま右手を力強く地面に三度叩きつけた。
――この国では、ファラス――首に掛ける袈裟のような布を身につけないときは、こういった儀礼を取らないと聞いていたが……
フィックから受けていた忠告を思い出し、首を傾げた。
「……重ね重ね申し訳ないわ……ラリカ=ヴェニシエス……この子は、真面目な子だから……」
案の定、フォローするようにフィディアが申し訳なさそうにラリカに謝る。
どうやら、やはりここで正式な礼を取るのは、通常のマナーからは外れているようだ。
「も、申し訳ありませぇん……つい、フィディア様と同格の『ヴェニシエス』がいらっしゃると思うとぉ……最大限の礼を示さないとと身体が勝手に……」
その言葉を聞いたターニャははっとした様子で立ち上がる。そして、いかにも申し訳なさそうにフィディアに向かって一度頭を下げた。
『主人と同格の存在なので礼を払った』と言われたフィディアは、ラリカの手前叱らなくてはならないが、ターニャの言い方に強く怒るに怒れない様子で『しょうが無い子ね』とでも言うように苦笑を浮かべている。
「いえ、フィディア=ヴェニシエス。実は、私もその習慣はこの国に来るまで知らなかったのですよ。ですから、どうぞ気にしないで下さい」
ラリカとて、元々些細な儀礼をあまり気にするほうではない。苦笑を浮かべながら笑って流した。
フィディアも、ラリカの穏やかな表情を見てほっとした様子で息を吐いている。
「そう――ご温情に感謝するわ……ラリカ=ヴェニシエス。申し訳ないのだけど、セトの体調が戻るまで、少し、練習を中断してもよろしいかしら?」
場を取り持つように、フィディアがラリカに向かって少々の休憩を申し出た。
ラリカも、心得たものらしい。フィディアの言葉に破顔しながら、ターニャにも視線を滑らせた。
「ええ。もちろん構いませんよ。そちらの方もご一緒に……良ければ、マルスの実でも召し上がりますか?」
「……そうね……では、私からは飲み物を……ターニャ、良いわね? 悪いけど、ティジュを淹れてきて貰えるかしら?」
「ぇえ!? よろしいんですかぁ!?」
隣でいかにもはらはらとした様子で二人のことを見比べていたターニャは、二人の即席の茶会に出席出来る事と聞いて、一見無邪気に表情を輝かせた。
「ええ」
「……だそうよ――良かったわね。ここはラリカ=ヴェニシエスのお言葉に甘えなさい」
しかし、二人の少女から許可を得たその口元は――にやりと嫌らしく歪んでいるのだった。
この度、外国の掲示板で
・ラリカ=ヴェニシエスは猫?とゆく。
https://book1.adouzi.eu.org/n9873dj/
・咲夜修行中!~火傷娘と先輩の。退魔師修行、ことはじめ~
https://book1.adouzi.eu.org/n1965ej/
上記2作品の紹介をして下さった方がいらっしゃるようです。
恥ずかしながら、ゆづるは韓国語はさっぱりのため、ここでの御礼になってしまいますが。
日本国内だけでなく、海外の読書好きの方にも読んで頂いて居ると知り、
感動という言葉以外では表現出来ない気持ちです。
拙い作品ではありますが、これからもどうぞよろしくお願いします!







