第三十八話「友達が出来るのは、いつも突然」
「――ラリカ、ヴェニシエスは、その……ユルキファナミア教徒なのにどうして――エクザを?」
隣に腰を下ろしたラリカを見て、沈黙が流れるのを恐れるようにフィディアが問い掛けた。
ラリカも、ぎくしゃくと硬い動きで両手を振りながら答える。
「その、実は、そのミルマル……『くろみゃー』というのですが、リベスの近くの森で倒れていたのを保護したのですよ」
「『倒れていた』? リベスの町に、ミルマルが生息しているなんて聞いたことがないのだけれど」
「ええ。私も、野生のミルマルをリベスで見たのは初めてでした。ですが、見つけたとき随分その子も弱っていて……保護しない訳には行かなかったのです」
「そう……ひょっとしたら、それこそミルマル攫いにあったのかも知れないわね……」
悲しげに瞳を伏せながら、フィディアが呟いた。心なしか、私を撫でる手も幾分か労苦を労うように優しいものに変化したように感じる。
ラリカが、ベンチの上で少し身を乗り出して、フィディアの顔を覗き込んだ。
「――ひょっとして、フィディア=ヴェニシエスはミルマルがお好きなのですか?」
素朴なラリカの疑問に、私を撫でていたフィディアの手がぴたりと止まる。
――明らかにミルマル好きの彼女は、一体何と返答するのか。
興味をそそられ下からその顔を見上げてみると、葛藤するように瞳が揺れていた。よく見れば、頬には微かに朱が差している。
そのまま、たっぷり三十秒ほど時間をおいて――
「……ええ。……可愛いじゃない」
フィディアが、多分に照れを含んだ声で、ぼそっと答えた。その言葉に、ラリカが表情を輝く。
「――ええ、ええ! 分かります、分かりますよっ! フィディア=ヴェニシエスッ! ミルマルはとても可愛いですよね! 特に、普段とても無愛想なのに、不意に寄ってくるところが愛らしいと、私は思うのですっ!」
「――そっ……そう、そうなのよ! つれない反応のことが多いのに、落ち込んでたら寄ってきてっ!」
身を乗り出してくるラリカに、フィディアは気後れするように身を引くが、数瞬遅れてラリカの言葉がしみこんでいったのか、自らも負けじと唇の右端を軽く吊り上げるように笑いながら身を乗り出した。
「ああっ! 分かります! その子も、普段は生意気な感じなのでs……っ。――ッ、……本当に……っ、ええ、辛いとき……その子にどれだけ助けられたか……」
それまで、同士に会えたことに喜ぶように、フィディアの言葉に表情を輝かせながら激しく頷いていたラリカが、後半。突然言葉を詰まらせ、明らかにトーンダウンした。
――ああ……リクリスの事を思いだしてしまったのだな……
苦しそうなラリカの表情を見て、少女が抱いた葛藤を察する。
そこに見えるのは、絶望、恐怖、後悔……様々な負の感情が入り交じったやりきれない思いだ。
いや、『私と出会ってから』と考えれば、ひょっとするとリベスに居た頃、死の恐怖と戦っていた時の事も思いだしてしまったのかも知れない。
……一見、元気が出てきたように見えるこの子も、まだまだ根っこの部分が乗り越えられていないのを痛感した。
「……ええ。分かるわ。私も、随分エクザには助けられているから……」
一方で、フィディアはラリカの言葉に自分の体験を重ね合わせたのか。
ラリカの雰囲気の変化に気づくことなく、しんみりとした声音で同意するように頷いている。
……ラリカほどでは無いにせよ。フィディアも十二分にまだまだ未熟な少女である。
その年齢で、ひとかどの地位にあるというのなら、やはり一言で表すことのできない苦労も――そして、それを乗り越える努力があったことだろう。
「フィディア=ヴェニシエスもですか? ……なんというか、意外な気がしますね」
一瞬、暗い表情を浮かべてしまっていたラリカだったが、フィディアの言葉を聞いて意外そうな表情を浮かべてフィディアに聞いた。
――あと少し。後一押しで、乗り越えられるかもしれんな。
この世界に来てからずっと触れあってきた。問題を越えるときは一緒に過ごしてもきた。
だから気づくラリカの表情の変化。――気持ちの変化を読取る事が出来た。
あと少し、もう少しだけ自分の中で整理が付けられれば、この子はきっと乗り越えられる。
――そんな予感がした。
『……ああ、よく頑張っているな』
そう声を掛けてやりたい衝動に駆られるが、人目のある今はそんな言葉を発する事は出来ない。だから、静かに。目の前の少女達のやり取りを見守っていく。
「ええ。……私からすれば、ラリカ=ヴェニシエスの方が、それほど悩むことがあるというのが意外よ」
フィディアが、ラリカに向かっていうと、心外そうな表情を浮かべたラリカは軽く腰を上げると、フィディアにぐいっと身を寄せた。
――つい……と、二人の少女の距離が近づく。
「――何を言うのですか! 私なんて、まだまだ悩むことばかりですよ! ……先ほどの惨状を、ヴェニシエスもご覧になったでしょう……」
「……っ、ふふっ……」
フィディアは、近い距離にラリカが居ることに焦ったように、僅かに上半身を反らせる。
だがすぐに、恥ずかしそうに顔を赤く染めながら言うラリカを見て、思わずと言った様子で吹き出した。そのまま、『しまった』という顔で慌てて自分の口元をふさぐ。
フィディアに笑われたラリカは、ショックを受けたように目を見開き固まっていた。
「……ご、ごめんなさい。ヴェニシエス。そ、その、さっきの姿を思いだしてしまって……」
フィディアが、申し訳なさそうに謝るが、その肩は押さえきれないように震えている。
「……ええ、ええ……分かっています……分かっていますとも……あれは間違えようもなく、私が悪かったのですから……」
ラリカが、どんよりと表情を曇らせ、肩を落としながら嘆いている。
羞恥に耳まで赤らめる姿は、その筋の人間が見れば、嗜虐心を刺激されること間違い無しであろう。
幸いと言うべきか。フィディアにそういう歪んだ性癖は無いようだ。ただ、ラリカに向かって申し訳なさそうに、しかし、堪えきれない衝動に時々発作のように体を震わせているだけである。
――本当に、年頃の娘同士が打ち解けるのは一瞬なのだな……
まるで、反目し合うように見えていた先ほどまでの態度が嘘のように良い雰囲気で話し合う二人を見て、狐に化かされたような気持ちになるが、それが若さ故の特権なのだろう。
……そう、ほんの少しの勇気を持って話しかければ、気づけば無二の親友ができていたなんて事も、若者同士ままある事である。
――願わくば。二人が敵対する未来が、傷つけ合うような明日が、来ない事を……
「――私は、魔法を使うにも、魔道具を使っている位ですからね。フィディア=ヴェニシエスから見たら、落ちこぼれも酷いところですね……まったく……」
「……魔道具?」
……どうやら、『機会があれば』という私の言葉をちゃんと覚えていたらしい。
思わず、二人の若人が交友を深める姿に、ほろりと目元が熱くなるのを感じている私を他所に、ラリカがフィディアに向かって自虐的に薄く笑いながら魔道具を補助に使っている事を切り出していた。案の定フィディアは目を丸くして聞き返している。
「はい。私は、魔法を使うのが昔から苦手なのですよ。……一応、使える魔法もあるにはあるのですが……『ヴェニシエス』として、お恥ずかしい限りの話です」
「――う、噂には聞いたことがあったのだけど……でも、昨日……」
照れを隠すように、視線を逸らしながら頬を指先で搔くラリカの姿を見ながら、なおも信じられないという風にフィディアは聞き返した。
「ええ。ですから、アレも魔道具を使って発動したのですよ。魔法陣が出なかったのに気がつきませんでしたか?」
「……そういえば……でも……そう……」
――『魔力が限界を向かえ、死に至る』
その恐怖から逃れ、この所のラリカは自身の魔法が使えないという事に関して、あまり悩んでいる素振りを見せなかった。だが、こうして改めて他人に向かって語れば思うところがあるのだろう。ラリカの表情は、どこか暗く、落ち込んでいるように見えた。
「……だから、一昨日のように術式を作っても、私一人では、私なんかでは、誰も助ける事が出来ないのですよ……」
――フィディアが、とても複雑そうに、泣きそうな顔をして眉間に皺を寄せていた。
自分より、『上』だと思い込んでいた相手が、『魔法』というヴェニシエスとして当然使えるべきものを満足に使用出来ない。その事に、どう反応して良いのか分からないのだろう。
……つい、そんな反応を示してしまう辺り、やはりフィディアも善良で優しい性格をしているのだろうと改めて実感した。
――ただ、如何せん、不器用なのは確かなようだ。目の前で落ち込んだ姿を見せるラリカを前に、うろたえたように両手を中途半端に持ち上げたままオロオロとしている。
そのまま、焦ったように視線を右に左に向けていたが、やがて何かに気づき……決心したようにラリカの事を見ると、口を開いた。
「……私も、よ……」
「……え?」
言い出したフィディアの顔は緊張したように強張っていて、血の気の失せた唇が、微かに震えているのが見える。
……『私も』とは一体どういう事か。
「……私も、難しい魔法を使うとき、このお師匠様から貰った魔道具を使っているわ」
言いながら、フィディアは碁石ほどの大きさのセレガのような石を取り出した。
――ふむ、そういえば確かに一昨日魔法を使うとき、これを取り出してずっと握り締めていたな。
一昨日、ラリカから指示された魔法を使うときに、必死に握り締めていた姿を思いかえす。
……しかし、あの石に魔力が流れ込んでいるようには見えなかったが……
疑問には思うが、ラリカがフィディアの手のひらの上に載せられた小さな石を覗き込んでいるのが見えて、思考を中断した。
「それは……?」
研究心が刺激されたのか、興味を引かれた声を出しながらラリカがフィディアの顔を上目遣いに見上げている。フィディアはそんなラリカの顔を見て、微かに顔を赤らめると、どこか遠くを見るように懐かしそうな表情を浮かべる。
「――昔、まだ、お師匠様の門下に入る前に、お師匠様から頂いたの……『魔法陣を見て、再現するのが上手くなる魔道具よ』と。……まだまだ、見習いですらない私に、手ずから……ね」
「――そんなものがあるのですかっ!?」
しんみりと、話を続けるフィディアの唇は、無意識なのだろう……嬉しそうに。どこか、自慢げに
――緩やかな笑みを形作っていた。ラリカはフィディアの表情を見て、そこに宿った暖かなラクスへの気持ちを感じ取ったように嬉しそうに微笑む。
――だが、どうしてもフィディアの手元の魔道具が気になって仕方が無いようだ。
ついつい、抑えきれないという風情で前のめりになっていた。
フィディアは、そんなラリカの態度に、特に気分を害した様子は無い。
むしろラリカが暗い表情を浮かべていない事に、安堵したように手元を覗き込むラリカの視線から隠れるようにほっと息を吐いた。
「ええ。……ラリカ=ヴェニシエスは魔道具に興味が?」
「あ……いえ……その、前々からリベスの町では職人ギルドとも関わりがある関係で、色々と調べていたものでして……ついつい、気になってしまったのです」
流石に、自分の態度を反省したのか、バツが悪そうに謝るラリカを見て、フィディアはおかしそうに笑った。
「ええ。ラリカ=ヴェニシエスが研究熱心なのは、お話しで随分聞いているわ。――実は、私も大きくなってから、お師匠様に伺った事があるのよ。『こんな魔道具、どうされたのですか?』と」
「ど、どうされたのです?」
食い気味でラリカが聞くと、フィディアは薄く微笑みながら首を振った。
「――『一点もの。私の特別製よ』と、返されたわ」
「なんと――っ、流石はラクス=ヴェネラですね! そんな魔道具もお作りになるとは!」
ラリカが興奮した様子で声を上げると、フィディアは満更では無い様子で笑っている。
やはり、ラクスの事を随分敬愛しているらしい。師匠を褒められることが嬉しいようだ。
――その分、自分が泥を塗ってしまっていると、無駄に気負ってしまっているようだが。
昨日のフィディアの独白を思い出し、難儀な物だとため息をついた。
まあしかし、その点はラリカも似たような物だ。『ヴェニシエス』というものに対して、強い責任感を持っている。
……ああ、そう考えればやはり、この二人は良き友人になれるだろう。
「あら――でも、クロエ=ヴェネラに比べたら……なんと言っても、クロエ=ヴェネラは――」
「――あの、弟子に頓珍漢な踊りを教える、クロエ婆が――なんですか?」
「なんでもないっ! ――なんでもないわっ!」
上機嫌に、どうやらクロエの事を讃えようとしたらしきフィディアの言葉を遮るように、ラリカが低く不穏当な声をひねり出した。
――さっきの一件は、まだ尾を引いていたらしい。
フィディアが、雨上がり、上機嫌に空を見上げて歩いていたら、足下に大きな水たまりがあった……しかも、何故か穴が身長より深かった。そんな表情を浮かべている。
「……まあ、クロエ婆――クロエ=ヴェネラが、術式研究の大家なのは確かですが……まったく……ありがとうございます」
……どうやら、流石に大人げないと思ったらしいラリカが、花の咲くような笑顔を浮かべてフィディアに笑いかける。その笑顔に当てられたのだろう。再び顔を赤くしたフィディアがラリカから顔を背けた。
そして、遠く。青々とした太陽が照らし出す白い建物を見て――
「――セトっ!? 何してるのっ!?」
慌てた様子で叫んだ。







