第三十三話「セトの『友人』」
――今度の沈黙は、長かった。
セトの言葉を待つために、見つめた先で。
月の光が、建物の石造りの壁に反射し、表面の凹凸を際立たせている。
静かに流れて行く風に、少しずつ押し流されていく雲が、時々月を遮り。
ちかちかと壁に反射する光が、明滅を繰り返している。
「――私には……友達が……いるんです」
ぽつりと、静かな風に負けそうなほど小さな声が聞こえた。
「……すごく……尊敬出来る……友達……です」
その言葉は、誰に向けたものでもない。
自分の考えをまとめるための言葉の様に感じた。
ならば、独白を、要らぬ言葉で遮るのは無粋というものだろう。
ただ、セトが話しやすいように静かに耳を傾けた。
「……すっごく……不器用で。とっても優しいのに……誤解される事もあって……でも、いつも……一人でも頑張る子なんです……」
――語る、セトの声は優しく。微かに震え。切なさを含んだ声だった。
そして同時、その『友達』への憧れを感じているようにも思えた。
「私なんかには……勿体ない……友達で。……いつも、目の見えない……私に、色々、気を遣ってくれて……ほっといてって言っても……逆に怒り出すくらい……優しくて……自分だって、一杯一杯……なのに……」
――初めは小さく風に負けそうだった声が、じわじわと熱を帯びて大きくなっていく。
「――それに……あの子は、私なんかより……すごく……すごく上の存在だから……私なんかと……『なんで?』って昨日も……」
嗚咽するように紡がれる言葉のなかで。
『昨日』という言葉が引っかかった。
――昨日の一件に、その『友達』とやらの存在も関係しているのだろうか?
だとすれば、昨日の一件は『とあるお方』と『友達』二つの事情が複合し、重なり合った結果という可能性もある。
……どちらにせよ、身分が上の人間と親しくしている事に対するやっかみが原因なのは間違いなさそうだ。
セトが、涙を拭うように目元に手を当てた。
――奥歯を噛みしめ、何度も手を目元に当てる姿は、どこか悔しそうに見える。
……昨日、暴力を振るわれたときも。
光のある世界への憧れを語るときも。
一度も泣くことの無かったセトが、『我慢出来ない』とばかりに、涙していた。
「……だから……だからっ……これ以上……『フィディア』の重荷になりたくなくて……」
「――フィディア?」
「――あっ……」
……口を挟むまいと思っていたにもかかわらず。
聞いた名前につい、呟いてしまった。
――ざぁっと、辺りに植えられた庭木が、風を受けてどよめきを上げている。
セトは、しまったという風に表情を強張らせ、白濁した瞳を見開きながら口元を抑えた。
……どうやら、気持ちが昂ぶるあまり、話すつもりの無かった名前を口にしてしまったらしい。
だが、私としても、思わず反応してしまった名前をなかった事と流す訳にはいかない。
それでは返って白々しくなってしまう。
『厄介なことを聞いてしまった』と思いながら。
思わぬ縁があったらしい、隣に座る少女を見上げながら声を掛けた。
「……君は、フィディア=ヴェニシエスの友人なのか?」
「……はい……」
状況を、自分の返してしまった反応を考え。否定するのは無理だと悟ったのだろう。
観念した様子で、顔を真っ青にしたセトが消え入りそうな声を発した。
――なるほど確かにこれで話は繋がる。
確か、昨日の暴力を振るっていた人物は、フィディア=ヴェニシエスに同行している一行だという事だった。
……自分の主と親しくしている、明らかなハンディキャップを背負った人間。
それが面白くないということなのだろう。
まったくもって、愚かな嫉妬と言うしか無い。
……ただ、それが分かったところで、取りあえず今、優先すべきなのは。
目の前で一押しするだけで死んでしまいそうなほど、真っ青になっている少女をなんとかすることだろう。
「……セト、安心したまえ。……別に、その事でどうこうするつもりは全くない」
――『てしてし』と、音の鳴らない肉球のついた左前足でベンチをたたきながら、安心させるように声を掛けた。
よほど、身分違いの友人の事を知られたことを後悔しているのだろう。
なんとか安心させようと、優しく聞こえる声を心がけながら話しかけるが、セトは完全に警戒した様子で押し黙っている。
どうやら、余計な情報をうっかり口にしないようにしているらしい。
――仕方ないか……
正直、これから『親しくなりたい』『ミアヴェルデまで学ばせて貰いたい』というラリカの状況を考えれば、フィディアの人となりについて、詳しい情報を知っておきたかった。
……だとすると、目の前の貝になっている少女は絶好の獲物と言えた。
――まあ、年頃の娘を捕まえて『獲物』とは、些かいかがわしさが過ぎる気がするが。
何のことは無い。とどのつまりは、情報源である。
そのついでに、少しでもこの子の『助け』になれれば、これ以上無く御の字だ。
「――いや、しかし……フィディア=ヴェニシエスの優秀さはきちんと努力をしてのものだからな……」
ぴくりと、セトが顔を動かした。
目をつぶったままの、日焼け一つしていない真っ白な顔がこちらを向く。
――よし。反応は上々というところか。
こういうとき、話す相手の意見にまずは乗っておく。
そうすれば、大抵『自分に似た意見を持っている相手』として認識して貰えるものだ。
実際、興味を引くことには成功したようだ。
――別名、褒め殺し。
――おべんちゃら……とも、言うかも知れない。
「――どうして、ですか……?」
好奇心を抑えきれなかったのだろう。
ベンチの上で、少し身を乗り出したセトが聞いてくる。
心なしか、寝癖のように外ハネがついた青みがかった髪が、ゆらゆらと心情を反映して揺れ動いているように感じる。
「――噂で、フィディア=ヴェニシエスが『死神に魅入られた子』を治療した話を聞いてな……その時の様子が、どう考えても一朝一夕でなせる業では……」
「……っ! ……!!」
嬉しさを堪えるように、セトの口元がひくひくと微かにつり上がるのが見て取れた。
やはり、友人を褒められるのが嬉しいらしい。
こくこくと、無言でセトが身を乗り出しながら頷いている。
――だが。
「――いや、なに。最近……風の噂に、フィディア=ヴェニシエスがリベスの町のラリカ=ヴェニシエスを敵視していると聞いてな……『さもありなん』とは思ったが、それと同時に……」
「――そんなはず、ありませんっ!」
そう言葉を続けた瞬間、さっきまで静かに、たどたどしく話していたセトが初めて声を荒げた。
軽く身を乗り出しかけていた身体を急に強く乗り出し、両手をベンチにバンッと音の鳴るほど叩きつけた。
――鼻先数センチ先で、セトの手のひらが叩きつけられた衝撃に僅かに赤くなっている。
「――ど、どういうことだ?」
一瞬呆けるが、すぐに慌てて、セトに身体を触れられないように距離をとりながら尋ねた。
セトは身を乗り出したまま、私の声のする方向を探るように、少し顔を動かしながら口を開いた。
「……フィディア……フィディアが、ラリカ=ヴェニシエスの……ことを……嫌ってるはず……ありません……」
セトは、見えない瞳を見開きながら。
見るからに健常者ではあり得ない瞳の色を晒している。
――しかし、白濁しているはずの瞳が。
月の明かりを反射して……その意思を示すように強く輝いているように見えた。
「フィディアは……ラリカ……ヴェニシエスが――ヴェニシエスのことを、とても尊敬しているんです……!」
歯を食いしばりながら、私に言って聞かせるようにセトは、大きく息を吸い込んだ。
「……だから、そんなはずっ、ありません……! そんなっ……そんな風に、フィディアの事を……誤解しないで下さいっ!」
――誰か、駆けつけてくるのではないか?
不安に思うほど、はっきりとした言葉は、明確にフィディアへの想いが込められていた。
――この言葉は、けっして嘘偽りはないだろう。
そう、確信する事が出来た。
ならば、この少女が騙されているので無ければ。
事実、フィディアはラリカの事を尊敬しているのだろう。
だが――だとすれば、あのフィディアの態度はラリカに語った時に想定した後者。
つまりは『劣等感』が形になったものに過ぎないという事だ。
「――フィディア=ヴェニシエスが、ラリカ=ヴェニシエスを尊敬している……だと?」
「……ッ、コホッ、……はい……フィディアは……必ず、ラリカ=ヴェニシエスのお話しが届いたら、真っ先に聞きに行ってます」
――それは、ライバルの情報を真っ先に知りたいという気持ちではないだろうか?
念のため確認すると、幾分か、落ち着きを取り戻したらしいセトが、慣れない声の張り上げ方をしたからか、強く掴めば折れてしまいそうな細い身体を曲げ、咳き込みながら答えた。
息苦しかったのか、目尻には微かに輝く物も見える。
「――普段から……『ラリカ=ヴェニシエスじゃない方』って、言われて……ひどい事も、言われるのに……だから、いつも……フィディアは、『敵わないって』……あんなに……あんなに頑張ってるのに……」
悲しそうに、力なくうなだれたセトが、両手をベンチの上についたまま、がっくりと頭を落とした。見るからに辛そうに、ぽつりぽつりと言葉を続けている。
「……昨日だって……私の部屋に来て、フィディア、嬉しそうに『本物のラリカ=ヴェニシエスに会えたのよ!』って……何回も、何回も。……『かっこよかった!』『凄かった!』って……」
――その話を聞く限り、とても敵視している相手に会ったときのものとは思えなかった。
――しかし、もし、それらがすべて本当だとすれば……
本当に、度外れた不器用者だ。
あんなにつっけんどんな態度で。
あんな、追い詰められた表情で。
裏ではそうやってラリカの事を褒め称えていたと言うのだから。
「――ほんとに……フィディアは……不器用なんです……」
「……『不器用』……か……」
私の頭に浮かんだ言葉が、そのままセトの口からも発された。
本当に、フィディアの態度を考えれば、そう言い表す他ない。
だが、同時に『言われてみれば』ということもあった。
思いかえしてみれば、今日出会った『アミル』と『ルカイア』二人の子供達は、フィディアから、ラリカの事を聞いたと言っていた。
その時は、『意外だ』と思ったが、フィディアが『不器用なラリカのファン』だというのなら、納得もいく。
――シュル……と隣で、衣擦れの音が聞こえた。
見上げると、こちらに身を乗り出していたセトが、深くベンチに腰掛け直している。
――瞼の裏に映った夜空を見上げるように、目をつぶったまま上を見上げていた。
「――ラリカ、ヴェニシエスのお話しを聞くと、フィディアはいつも言うんです……『負けられない』って……『お師匠様の顔に泥を塗れない』って」
「そう……なのか」
――フィディアのあの態度は、そういう意味だったのか。
まったくもって、見事に勘違いをしてしまった物である。
私も、フィックも。
二人して、当初はフィディアの態度は嫉妬がラリカへの敵視に繋がっていると考えていた。
――なんのことはない。
そんな曲がりくねって鬱屈とした、負の感情では無く。
ただ、単に、自分の至らなさを悔しく思う気持ちの表れに過ぎなかったのだ。
――どうやら、『フィディア』という少女は、つっけんどんな見た目以上に、随分と『真面目』な少女だったということらしい。
ならば、明日から始まるラリカとフィディアのミアヴェルデの準備も、おそらくは良い方向に向かってくれるはずだ。
だが、一方で、隣で疲れたように発されたセトの言葉は、そんな友人に対するもどかしさを感じているようにも思えた。
「――でも……そう言う日は、いつもフィディア……ユーニラミア教会に戻るんです……」
――ああ……それは……『一人になりたい時』……という奴なのだろうか?
そういえば、確か今日も、ユーニラミア教会に居ると言っていた。
ひょっとすると、今日も一人自室で涙でもしているのかもしれない。
……そんな、敵わない相手に必死に届こうとする少女を夢想していた私の頭は――
「――ミルマルが、居るから……」
「……は?」
――続いたセトの言葉に、疑問符で埋め尽くされた。







