第二十一話「友達作りに必要なこと」
「うっへぇ……こりゃーまたヘヴィーな術式だねー」
水路をまたぐように掛けられた橋の欄干に二人並んで腰かけながら、フィックはラリカから手渡された治療に使った魔法陣を見て、ひきつった声を上げた。
豊かな水が流れゆく水路沿いを、少し強い風が吹き抜け、複雑な魔法陣の書き付けられた用紙がバタバタとはためいている。
――想像通り、やはりあの術式は相当複雑な物だったらしい。
眉間に皺を寄せながら、困ったように考え込んでいるフィックに、私の見立てが間違っていなかったことを知った。
「ええ。細かな範囲で魔力を操作しなくてはなりませんから……どうしてもそれぐらいの重さにはなってしまうのですよ」
「……これ、ほんとーに、フィディア=ヴェニシエスはあの間に実行したの?」
部屋の前で待機していたフィックは、治療にかかった時間をおよそ知っている。
そこから逆算して、大体のフィディアが実行するまでの時間を想像したのだろう。
風に流されているひっつめ損ねの後れ毛を掻き上げながら、フィックはしばし考え込むと、しばしの間を開けて驚愕した面持ちで声を上げた。
「――そうなのですよっ!」
ラリカは、興奮した様子で自分の服の裾を抑えながら、フィックに向かって身を乗り出した。
どうやら、フィディアの手腕へ感心を共有できる相手が見つかって嬉しいようだ。
「その規模の魔法陣を、瞬時に見て取ってフィディア=ヴェニシエスは実行して見せたのです! 正直、少なくとも夜になるくらいは掛かると思っていたのですが、あっという間に再現してしまいました」
「――そうそう……って、ちょーっと待ってくださいヴェニシエス。『夜まで』っていうのも、普通なら異常な時間でっすからね? ……でも、そんな短時間で実行できるっていうことは、よーっぽど普段から基本の魔法構築を練習しているってこっとですねー」
「そうです! 普段から反復継続して基礎を納めていなければ、こんな大規模術式の構成は失敗してしまうはずなのです!……つまり! フィディア=ヴェニシエスはヴェネラ達にも劣らないほどの努力をされてきたという証拠なのですよ!」
「……いやー……フィディア=ヴェニシエスも流石『ヴェニシエス』って感じだねー……しょーじき、ちょーっと甘く見てたよ」
「そうなのですっ! それをこのポンコツミルマルは、何を勘違いしたのか、『君に対して嫉妬している』などと言うのですよっ!? 節穴にも程があるというものではありませんか――ッ!」
――こっちに飛び火してきただと!?
感心することしきりのフィックに、ラリカが勢い込んで私の事を指さしながら、いたく憤慨した様子で不服そうな表情を浮べた。
……どうやら、先ほど私の語った事がずっと引っかかっていたと見える。
「あー……くろみゃーちゃん?」
「……おそらく、想像通りだ」
ラリカの言葉に、フィックが『虚を突かれた』表情というべきか、『無表情』というべきか、なんとも曰く言い難い表情を浮かべながら、私にゆっくりと顔を向けた。
その表情と言葉に秘められた真意をくみ取りながら、私はため息をつきながらフィックの考えを肯定する。
「ああ……やっぱりかぁ……」
「――な、なんです? 二人とも」
私とフィックがそろってやれやれというため息をついたことで、なにか異常を察したのだろう。
ラリカは少し気圧された様子で身を引き、私とフィックを見比べるように視線を往復させた。
「――ラリカ……フィーも、私と同じ意見ということだ」
「……その、つまりフィディア=ヴェニシエスが『嫉妬している』と?」
「その通りだ。ああ――この際、フィディア=ヴェニシエスが実際にどれほどの腕前を持っているかは考慮しないぞ?」
フィディアを尊敬しているラリカが言いそうな反論を先回りしてつぶしておく。
何か言い出そうとしてらしきラリカが、言葉を飲み込むように口を噤んだ。
「そそ……昨日のラリカちゃんとの会話を見てると、どーも様子がおっかしかったからねー」
「フィック=リスから見てもですかっ!?」
フィックが昨日の時点ですでに違和感を抱いていたことを知り、ラリカが驚愕している。
隣に座るラリカの顔を覗き込んでいたフィックは、欄干に腰掛けたままぷらぷらと足を振りながら、青い空を見上げた。
「まーね。嫉妬かどうかは分からなかったけど、明らかに喧嘩腰だったじゃない?」
「……い、言われてみたらそうかも知れませんが……ですが、それは、私が不甲斐ないからではありませんか?」
ラリカが、未だに信じられないといった様子でフィックに確認するが、フィックはそんなラリカに向かってはっきりと首を振って見せた。
「いやー……客観的に見たら、ラリカちゃんの功績っておっそろしい事になってるよー。なにせ英雄譚に謳われてるんだからさ」
「う……しかし、フィディア=ヴェニシエスは……」
「昨日も言ったと思うんですけどー……けーっきょく、フィディア=ヴェニシエスはラリカちゃん――ラリカ=ヴェニシエスに比べると、どーしても地味ぃーな印象になっちゃうんだよ」
「そ、それでは、私がまるでとんでもなく派手な功績を挙げてきたようではありませんか……クロエ婆の功績に比べたら、私なんて……」
「その基準はけーっこう異常だからねー? 結局、ラリカちゃんは、『その』クロエ=ヴェネラのヴェニシエスな訳だから、もーどしたって、フィディア=ヴェニシエスより注目を集めちゃうんだよ。世の中なーんて、結局は面白可笑しくお話しにしちゃったものが勝っちゃうんだよ……今はヴェニシエスって言っても、原始魔法を継いでる訳でもないんだしさ」
――クロエの功績……そういえば、クロエは元々本人曰く『モグリ』だったらしいが、結局どういう功績でヴェネラとなったのかを聞いていなかった。
しかし、フィックの口ぶりを考えれば、相当な功績を挙げて来たのだろうというのは想像に難くない。
そもそもそうで無ければ、長年空席だった位階に据えようなどとは考えられないはずだ。
「たとえば、普通、『ヴェニシエス』って言ったら、フィディア=ヴェニシエスじゃなくて、ラリカ=ヴェニシエスの事を指してるぐらいなんだよ?」
補足するように言ったフィックの言葉に、ラリカは困ったように眉をきゅっと寄せた。
そのまま、反応に困ったように僅かに潤みを帯びた瞳を微かに伏せて考え込んでいる。
「……分かりました。フィディア=ヴェニシエスが、その『嫉妬』というか、私に敵愾心をもっているという事は、ひとまず納得します……しかし、そうなると困りました……」
どうやら、思いもよらない理由で、フィディアから敵視されていたらしきことが少々ショックだったようだ。
「――私は、フィディア=ヴェニシエスと仲良くしたかったのです……」
しょんぼりと意気消沈した様子で呟くラリカを見ていると、まるで小さい子供を自分が虐めているような罪悪感に襲われる。
「……それは……っ、――もし、フィディアともっと親しくなりたいと思うのなら、もっと話して、――誤解を解く……と言うのもおかしいな……。――ラリカ。君の事をもっと良く知って貰うしかあるまい」
なにかと辛いことが多い自分の主人を想うと、『どうにかしてやりたい』と思うのが人情だろう。
――私は思ったことをそのまま、ラリカに向かって伝えようと話し始めた。
「知って貰う……?」
「そうだ。『ラリカ英雄譚』などという珍妙なもので伝わっている情報ではなく、『ポンコツで、へっぽこ』な君自身を知って貰うのだ。得てして、こういう噂で伝わった情報というのは、真実からは乖離した隙の無い大げさなものになるものだぞ?」
……たとえば、悪い噂が流れる中で、本当に友人を作ろうと思えば、一歩踏み出して相手の懐に飛び込んで、行動で示して見るしかないだろう。
きっとこれはそれと同じ事。
ラリカが行動で示すことで、今までの余計な噂や思い込みはどうにかなる可能性が高い。
――とはいえ、これも、実はこれもある種の『賭け』だった。
なぜなら、フィディアがラリカに見せている態度が、評価されない自分に比して、分不相応な評価を受けるラリカに対しての、完全なる『嫉妬』なのか。
それともラリカに対する『劣等感』から引き起こされているものなのか、それによって反応が変わってくるからだ。
もし、この前者であれば、それはフィディアの高いプライドによって引き起こされることである。
ラリカが、自分の『隙』――言い換えれば、ある種の『無能さ』を見せることで、フィディアの態度はより硬化してしまう可能性がある。
俗な言い方をすれば、フィディアから『舐められてしまう』という訳だ。
対して、後者の劣等感が原因であったとすれば、フィディアが向けるラリカへの敵意は、自身への自省的な衝動を映し出した鏡にすぎない。
――ある種の心の防衛手段と言える物だろう。
もし、こちらの場合であれば、ラリカと関わるうちに、じわじわと見せるこの子の見せる『隙』つまりは欠点を知ることで、ラリカと自分との実力差に対する認識の差異……隔たりがなくなっていき、良き友人――互いに高め合い、切磋琢磨することの出来る研鑽の輩となり得るだろう。
そう考えたとき、思い出すのは先ほどのフィディアの姿だ。
――泣きながら、ラリカの事を責めるでもなく去って行った姿だ。
――そして、昨日の何かに怯えるような態度だ。
それらを考え合わせれば、私は後者の可能性が高いと私は踏んでいた。
ならば、今の二人の状況は、互いが互いの噂話や表面的な実績だけを聞き取って、仮想の存在としてあまりにも高い幻想を抱いてしまっていることが一番の原因だろう。
ちょっとしたボタンの掛け違いに端を発しているに過ぎない。
……そうであれば、その互いの認識の差を埋めていくことに必要なのは、互いを知ること。
十分なコミュニケーションを取っていくことでしか解決は図れないだろう。
――人間、誰しも良い点があれば悪い点もある。
ラリカやフィディアのような若い時分は、自分にも、他人にも。
ついつい『完全無欠の完璧超人』などという都合の良い存在を求めがちだが、そんなものはあり得ないのだ。
「――お前は、飼い主の事をポンコツだのへっぽこだの、好きなように言ってくれますね!」
私のあんまりな言いぐさに、ラリカは唇を甘く尖らせながら、憎まれ口を返した。
しかし、すぐに考え込むように口元に手を当て、私の言葉を反芻するようにブツブツと声に出す。
「ですが……そうですね。私の事を知って貰う……ですか。――分かりました。フィディア=ヴェニシエスには、もっと話しかけて、もっと私の事を知って貰いましょう。――こんなことでめげませんよ? 『今の私』は――ッ!」
「よし――その意気だッ! ――ただ、ああいう手合いはあまり絡みすぎると逃げるからな。ほどほどにだぞ?」
少しずつ、意思の強さを取り戻し始めたラリカが顔を上げるのを見て、私は全力で答えてみせる。
ただ、妙に意気込むラリカの様子に『やり過ぎない』ように注意する事も忘れない。
「分かっていますよ。――ありがとう。くろみゃー」
ラリカもその事は流石に分かっていたのか、すこし不満げにぷくりと頬を膨らませた。
しかし、そのまま、素直な笑顔を浮かべると健気な笑顔を浮かべて見せる。
「――その、フィック=リスもありがとうございます」
「いっやー、ヴェニシエス相手に、なーんか年寄り臭いこと言っちゃいましたねー。でもでもー、ほんっとーに、仲良くなれるといいねっ!」
フィックの言葉に、大きく頷いたラリカは、両手を握り締めて意気込みを表した。
「――はい! 頑張りますよ? 私は!」







