第三話 神凪くんからのお誘い! それと顧問も決まる!
「立波先生ももう四年目ですよね?」
「はあ、そうですがそれが何か?」
教頭の問いかけにそう答える静香。
「よろしければ今年から部活の顧問を担当してもらえませんか?」
なる程、そういう事か、と内心でそう思う静香。
まあこのご時世だ。 教師も残業は当たり前という時代。
まあ顧問の一つくらい受けてもいいか。
「ちなみに顧問をお願いしたいのは、ボクシング部なのですが……」
「ボクシング部!?」
「あっ、やっぱり嫌でしょうか?」
「いいえ、是非やらせてください!」
「……いいのですか?」
「はい!」
静香も今年で二十六歳。
そろそろ親に「結婚しろ」と五月蠅く言われる年齢だ。
しかし結婚なんてものは、歳でするものではない!
なにより教師という職業にやり甲斐を持っている。
そして何より外見に似合わず彼女は――
「でも女性でボクシング部の顧問は嫌じゃありませんか? まあでもうちのボクシング部は都内でも強い方ですし、部員全員、真面目ですが……」
「い、いえ! ボクシング、あれこそ漢のスポーツですよ! 血と涙と汗。 私の大好物です。 こう見えて『最後の一歩』は全巻読んでます!」
「そ、そうですか。 で、ではボクシング部の顧問をお願いしますね」
「はい」
ある意味男以上に男らしい女性。
それが立波静香という人間であった。
「でさ~、千里。 結局どうするの?」
「え? 何が?」
中学時代からの親友・真理の問いかけにそう聞き返す千里。
「何がじゃないでしょ? 部活どうするの?」
「ああ~そのことかあ~」
昼休みに机を寄せて共にお弁当を食べる二人。
真理は中学も同じで女子バスケ部に所属していた。
ポジションはレギュラーのポイントガード。
でも真理は高校ではバスケ部に入らず、ダンス部に入部した。
「千里も早く入部届け出しなよ? そろそろ仮入部期間終わるよ?」
「うん、でもダンス部って女子ばっかりでしょ?
実は裏の人間関係で苦労するとか、そういう噂聞いてない?」
「う~ん、まあそりゃそういうのは多少あるだろうけどさ。 でもうちの高校の部活じゃ華やかな方だと思うよ? それとも千里、まさかアンタ、ボクシ――」
「わぁ~、それ以上は駄目! しぃ~!」
と、千里は自分の口に右手の人差し指を立てた。
すると真理は少し顔を寄せてきて、こう耳打ちした。
「……やっぱり神凪くん狙いなの?」
「い、いや……別にそういうわけ……じゃ……」
「まあ確かに彼カッコいいけどさぁ。
ライバルは多いと思うよ? 既に一年の女子の間でも有名よ、彼」
「そうなの?」
「そうなのよ、だから気をつけた方がいいよ? 抜け駆けして周囲の顰蹙買うなんてことは、女子の世界ではよくあることなんだから!」
まあ確かにそういう面はある。
千里も中学時代には、そういう光景も目にした。
まあ自分は程よく他人と距離を置いて、
接してたから、そういう風な目には合わなかったが、
高校生となるとまた事情は変わる。 しかし女子の世界も面倒だなぁ。
でもある程度周囲と合わせることも大事だからね。 女子高生は辛いよ。
「まあ……そうだね。 その辺は空気読みます。
あたしも要らぬ敵や見えない敵を作るつもりはないから」
「うん、それがいいよ。 だからやはりここはダンス部に!」
「う~ん、もう少し考えてから、何処の部に入部するか決めるよ」
「まあ部活選びは大事だからね。 よくよく考えてから選んだ方がいいわよ」
「うん、そうする」
そう言葉を交わす千里。
するとその時、教室に担任の立波先生が入って来た。
「神凪くん、ちょっといいかしら?」
「はい、なんでしょうか?」
立波先生に呼ばれて、近くに行く拳人。
「実はこの度わたしはボクシング部の――」
「そうですか」
「ああ、だから君に――色々と――」
「……はい」
千里は気になって聞き耳を立てていたが、会話の全部は聞こえなかった。
というか周囲の女子も聞き耳を立てていたような気がする。
立波先生は見かけによらず少し親父臭い性格だが、外見は美人さんだ。
その美人教師とクラス一のイケメンが何を話してるかはやはり気になる。
断片的に聞こえた会話によると、
どうやら立波先生がボクシング部の顧問になったようだ。
まあ帝陣東は都立校だ。 故に教師は公務員。
だからある程度になると教師も何処かのクラブの顧問にさせられる。
別に珍しいことではない。
「じゃあ放課後案内してもらえるかい?」
「ええ、俺でよければ」
「そうか、じゃあ放課後によろしくな」
「はい」
と、会話を交わして教室を去る立波先生。
そして自分の席に戻ろうとする拳人、いやその前にこちらに寄って来た。
「姫川さん、少しいいかな?」
「は、はい!」
「姫川さんは結局どのクラブに入部するつもりなの?」
「え~と今悩んでるのよ。 ダンス部も捨てがたいし~」
「そう、でも俺としてはボクシング部に入部して欲しいね。
姫川さん、良いセンスしてるからさ」
「そ、そう? あははは」
ヤバいな、周囲に聞かれているな。
女子でボクシングをやるというイメージを持たれるのは、
長い高校生活を考えたら少々リスクがあると思う。
だが実際にボクシングの練習をしたら、予想に反して面白かったのも事実。
「実は俺、今月末の関東大会の東京予選に出るんだよ。
だから姫川さん、良かったら試合を観に来てくれないかな?」
「え? 神凪くん、もう試合に出られるの?」
「うん、まあ一応ね。 ウェルター級でエントリーしてるよ」
まあ階級とか聞いても全然分からないが、
もう試合に出ることは素直に凄いと思う。
中学時代の千里が女子バスケ部で
試合に初めて出たのが、一年の秋の新人戦だ。
これでもけっこう早い方だが、
入学して一か月もしないで試合に出るのは本当に凄いと思う。
そうだな、とりあえず一度生でボクシングの試合を観るのもありかな。
「す、すごいね。 一年生でレギュラーとか神凪くんマジすごい」
「いや俺の場合は小学生からボクシングしてたからさ。 ただそれだけよ」
「ふうん、神凪くんはそんなにボクシングが好きなの?」
「まあ好きというか、少し色々あってね」
と、拳人が少し言葉を濁した。
こういう時は突っ込んで聞かない方がいい。
「そっか、そうね。 一度生で試合を観るのもいいかも」
「試合会場はうちの高校のボクシング部の練習場だから、気楽に来れるよ」
「確かにそれは楽ちんだね。 分かった、絶対に観に行くよ」
「うん、試合の日時は四月二十八日から四月三十日だから!」
「了解、神凪くん頑張ってね!」
「うん、じゃあまたね」
そう言って拳人は再び自分の席に戻った。
しばらくすると周囲の女子が拳人に近づいて――
「ねえ、ねえ、神凪くん。 私たちも試合の応援に行っていいかな?」
「うん、もちろん。 試合会場は分かるかな?」
「うん、というかもう試合に出るなんてマジ凄いね」
「いやそんな大したことないよ」
「そんなことないよ、ねえ美紀?」
「うん、マジ凄いと思うよ。 一年でレギュラーとか超カッコいい!」
と、拳人の周囲で騒いでいた。
まあ確かにこれを見る限りライバルは多そうだな。
神凪くんって絶対モテるタイプだもん。
でもそれはそれ、とりあえず神凪くんの試合を観てみよう。
それで自分自身に何か感じることがあれば、ボクシング部に入部しよう。
どうせやるなら真剣にやりたい。 中途半端の気持ちでは、
どんな競技も長続きなどしない。
だから自分がボクシングに本気になれる理由が欲しい。
そういう意味じゃ憧れの神凪くんの試合を観るのは良いことかもしれない。
とはいえもし入部するなら、お父さんやお母さんに何と言うか迷う。
というか多分入部を許してくれそうにない。
仕方ないからマネージャーということにしておくか。
う~ん、やっぱりイマドキの女子高生にボクシングは荷が重いなぁ。
そして千里はそれから数週間、悩みに悩みぬいた。
ダンス部の方にも何度か顔を出した。
その度に「入部する気はあるの?」と二年の先輩から言われたが、
まだ入部届けは出してない。 冷静に考えれば、ダンス部に入部するべきだ。
しかしいまいち部としての活動方針が分からない。
いや定期的に文化祭などで観衆の前でダンスを披露しているらしいが、
なんか「私たちイケてるよね?」的なアピールが最大の目的であり、
ダンスを極めるとかそういうのはない感じがする。
まあある意味高校のダンス部は、そういうものかもしれないが、
やはり高校三年間所属するのであれば、それなりに真剣にやりたい。
一方、ボクシング部の方にも何度か顔を出したが、
事あるごとに美鶴先輩に「ねえ、入部しないの?」と言われたが、
こちらも正式には返事してない。
確かに帝陣東のボクシング部はなかなかの強豪クラブだ。
過去には男女ともに全国大会に出場した実績がある。
だがこの一、二年はやや低迷しており男子は全国大会に出場していない。
しかし部員全員とても真面目ですごく礼儀正しい。
とても活気があり、皆が日々一所懸命練習している模様。
クラブとしての方針は多分ダンス部よりしっかりしていると思う。
でもなあ、やっぱり女子でボクシングをすることには抵抗感がある。
だからこの目で神凪拳人の戦いっぷりを見て、入部するかどうか決めよう。
そして千里は何処にも入部しないまま、迎えた四月二十八日の土曜日。
試合会場は帝陣東高校のボクシング部練習場。
広い練習場の中央にある青いリング。
そのリングの前の広いスペースにパイプ椅子が五十脚ほど並べられていた。
それが一般の観客席らしく、千里も空いている席に座った。
会場内には他の高校と思われるボクシング部員がけっこう居た。
みんな、緊張しているのか、少し張り詰めた表情だ。
千里も何度か学生のスポーツ大会に参加及び観戦したことはあるが、
ボクシング会場の雰囲気は他のスポーツとはかなり違った。
なんというか殺伐としている。
よく見ると美鶴先輩も姿もあった。
なんか赤いヘッドギアと赤いグローブをつけている。
上下は赤いシャツとトランクス。 彼女も試合に出るのであろうか?
「あ、姫川さん! 試合観に来てくれたの!?」
美鶴先輩もこちらに気付いたようだ。
彼女は千里を見るなり、にっこりと笑った。
「ええ、まあ……。 美鶴先輩も試合に出るのですか?」
「うん、女子のライト級で出場するわ。 応援してね!」
「は、はい!」
まあこうなれば成り行きに身を任せよう。
とりあえず美鶴先輩を応援しよう、と思った時、知った顔を目にした。
すると向こうも気付いたようで、こちらに寄ってきた。
「なんだ、姫川さんもボクシング観に来たのかい?」
休日なのにいつも通りの黒いスーツ姿でそう言う担任の立波先生。
なんでここに立波先生が居るんだろうか?
「ええ、まあ……というか立波先生もボクシングが好きなんですか?」
「うむ、好きだぞ! だからこうして顧問になったのさ」
ああ、そういうことか。 この先生はかなり美人なんだが、
内面が男らしいというか親父臭いので、
生徒にもあまり女性として扱われてない気がする。
「はあ、そうですか」
「そういう君も好きなのかい?」
「い、いやまあ……ちょっと興味あるというか」
「良かろう、ならばわたしと一緒に観戦しようではないか」
と、立波先生は千里の隣の席にどかっと座った。
まあ嫌いな先生じゃないが、少し息苦しい。
そうこうしているうちに女子の試合が始まった。
軽いクラスから試合が行われて、しばらくするとライト級の試合が回って来た。
美鶴先輩はリングインして、丁寧に周囲にお辞儀した。
対戦相手も同様にお辞儀する。 そして試合が開始された。
お互いに左ジャブを出して、距離を測る。
「小金沢先輩、いいですよ」
「ジャブを出しながら、丁寧に距離を保ってください」
周囲の一年生の女子部員がそう声援を送る。
すると美鶴先輩は小刻みに速い左ジャブを繰り出した。
何発目かでようやく相手の顔面にヒット。 うわあ、痛そう。
更にジャブを連打、連打、連打。 そして右ストレートを放った。
相手はなんとかブロックするが、少し苦しそうだ。
だが美鶴先輩は慌てることなく、また丁寧に左ジャブで相手を突いた。
なんだろう、こうして試合を観てみるとなんかイメージと違う。
ボクシング=殴り合いと思っていたが、
なんか思ってたよりテクニカルだ。
ただ無暗に相手を殴るわけでもなく、的確にパンチで相手を消耗させる。
みたいな試合運びだ。 そうこうしているうちに第一ラウンドが終了。
「いやぁ、小金沢さんは左ジャブが良いな」
「先生は試合を観るのは、初めてじゃないんですか?」
「いや生で観るのは初めてだ。 でもテレビでよくプロの世界戦は観てるぞ」
なんかこの先生、格闘技とか好きそう。
あと少年漫画も好きそうだな。
そうこう言っているうちに第二ラウンドが始まった。
美鶴先輩は第二ラウンドも左ジャブを的確に連打していく。
なんというかお互いに技術的にもしっかりしていて、
殴り合いという感じがしない。
少なくとも千里には、ちゃんとした競技に見えた。
ふうん、なんというか二人ともとても真剣な表情だ。
この日の為に厳しい練習にもあと減量とかにも耐えてきたのであろう。
彼女等も女子がボクシングするということで、
多少なりの偏見の眼で見られてるだろう。
正直千里が入部に踏み切れないのもその辺が強い。
だがリング上の彼女等は一心不乱で戦っている。
その姿はかっこいいし、輝いて見えた。
その後も美鶴先輩は的確にパンチを当て、
そして相手のパンチを確実にガードした。
そうこうしているうちに試合が終了した。
素人の千里から見ても美鶴先輩が優勢だったと思う。
そして審判が美鶴先輩の右腕を小さく上げた。
どうやら美鶴先輩の判定勝ちのようだ。
勝利者コールを告げられた彼女はリングの上で何度も何度もお辞儀した。
その笑顔はとても嬉しそうだ。 少し羨ましいかもと思う千里であった。




