第十九話 牙を磨ぐ狼
二月下旬。
御子柴圭司は大阪の天景寺ジムで、激しいトレーニングに励んでいた。
「ケージ、手出せ、手出さんかい!!」
村島トレーナーの声がジム内に響き渡る。
すると御子柴は素早い左ジャブを連打で繰り出した。
それが御子柴のスパーリングパートナーの奥野の顔面に綺麗にヒットする。
「それや、それでええんや!」
夕方まで部活で練習して、夜は古巣のジムで特訓。
並の高校生なら現時点でもうギブアップしているだろう。
御子柴のスパーリングパートナーの奥野は、A級ライセンスを持つ八回戦ボクサー。
その奥野相手にスパーリングで、互角以上に打ち合えるのは、御子柴の成長の証だ。
御子柴が左フックで奥野の右即頭部を強打した時に、ビーとブザーが鳴った。
「ケージ、次がラストラウンドや! 根性入れて打ち合えよ!」
「はぁはぁっ……は、はい」
激を飛ばす村島の隣に、会長である赤川がいつの間にか立っていた。
「ケージの奴、調子いいみたいやのう~」
「あ、会長! お疲れ様です!」
「挨拶は抜きや、お前は最近のケージをどう思う?」
「状態は良いですよ、六回戦や八回戦相手にも互角以上に戦えてますわ!」
「そんなん観てたら分かるわ! それぐらいで満足するんやないで!」
「……でもケージはまだ高一ですよ?」と、淡々と返す村島。
「あいつの親父は・・・・・・御子柴聖司は同じ歳でもっと強かったわ!」
「……会長、とりあえずこのスパーを最後まで観ましょうや」
「……そうやな」と、鷹揚に頷く赤川会長。
ブザーが再び鳴り、両者はリング中央に駆け寄った。
互いに左ジャブを出しながら、牽制する。 そして奥野がプロの意地と見せて、距離を詰めて接近戦を仕掛けた。 御子柴は奥野が振り回す左右のフックをダッキングやスウェイバックなどで、綺麗に交わす。 逆に左フックのカウンターで、奥野の右脇腹を強打。
奥野の腰がぐらりと揺れた。
「行け、ケージ。 倒すんや!」と、赤川会長が叫んだ。
御子柴は奥野に近づいて、渾身の右ストレートを放った。
奥野はそれをスウェイバックで回避。 逆に左フックでカウンター気味に御子柴の頭部を殴打する。 一瞬硬直する御子柴。 そこから流れるように奥野の左フックが御子柴のリバー目掛けて放たれた。 それを右腕でブロックする御子柴。 逆に左ストレートを奥野の顔面に叩き込んだ。 すると奥野の鼻から鮮血が流れ落ちた。 だが御子柴は手を止めず、左ジャブを突き、右ストレートを打った。 その後も一進一退の攻防が続いたが、二人ともダウンすることなくラウンド終了のブザーを聴いた。
「よっしゃ、もう終わりや! ケージはリングから降りろ!」
「は、はい!」
赤川会長の言葉に、御子柴は息を切らせながら返事した。
御子柴は今日だけで、既に八ラウンドもスパーリングをしていた。 しかも相手は六回戦、八回戦のプロボクサー。 だが御子柴はそれらのプロ相手に互角以上に打ち合っていた。 その姿はまるで戦いに向けて、牙を磨ぐ狼のようだった。
「ケージ、お前、思っていた以上に根性があるの~」
と、やや上機嫌気味にそう言う赤川会長。
「ら、来月には選抜大会ですから……俺はあいつに、神凪に勝ちたいですわ!」
「ああ~、あの小僧か? 今のお前やったら、あんな小僧、敵やないで!」
「ほ、ホンマですか!?」
「ホンマや。 というかあの程度の小僧を目標にするな! 目標はもっと高くしろや!」
「でも俺はあいつに二回も負けてるんですわ。 だから必ずリベンジしたいんですわ!」
御子柴がやや興奮気味に言うと、赤川会長は「ふん」と鼻を鳴らした。
「あの小僧はこれから大して伸びんやろう。 ワシの経験上、あの手の奴は精神的に脆い。 技術はあるかもしれんが、 高校レベルで楽してるようじゃ先も知れてるわ。 やっぱり最後は根性、精神力が大事や!」
「……そういうもんですかねえ~」
「そういうもんや、とにかくケージ、お前はもっと上を目指すんや、高校の大会なんか踏み台にしてしまえ! そうすれば五輪で金やウェルター級で世界を獲るのも夢じゃなくなる。 お前はそういうボクサーや」
「……ウェルター級で世界ですか、ごっつい夢ですね」
「そうや、今じゃ階級も世界の団体も増えたが、日本人は未だにウェルター級で世界を獲ってへん! おまけに分けわからん王者も増えすぎや。 でもウェルター級やったら価値がある。 そしてワシの手でウェルター級の世界王者を育てたいんや、これさえ叶えたら、ワシはもうこの世に未練はないわ!」
珍しく熱っぽく語る赤川会長に御子柴は、少し驚きながらも彼に同調した。
「確かに親父や神凪拳が獲れんかったベルトを獲れたら、俺も言うことないですわ!」
「おう、そうや、夢はそれぐらい大きく持て! まあとにかく選抜大会なんぞ軽く優勝するんや! それじゃ練習に戻れ!」
「はい!」
少し喋りすぎたかのう、と思いながらも、赤川も久々に胸を熱くしていた。
――今のケージなら、あんな小僧、敵やないで!
――だがあの松島があの小僧を指導したら
――あの小僧も化けるかもしれん。 でもそれはそれで構わんわ!
――ワシと松島のボクサー、どっちが強いか。 それをリングで試すのも面白い。
――こりゃまだまだ死ぬわけにはいかんのう。
赤川はそう思いながら、微笑を浮かべて、練習する御子柴を満足そうに眺めていた。




