肉体の鍛錬、魔法職との関連
本日二話目の更新です。
〈冥導師〉ピーター・ハンバートは、〈精霊姫〉シルキー・ロードウェルの弟子である。
ピーターも彼女のことを詳しく知っているわけではないが、魔法の、そして魔術を極めた存在であることは確かだ。
先日、半ば奇襲のような形で戦ったが、前衛戦闘上級職と互角以上に渡り合える【降霊憑依・竜骨体】を用いてもなお、勝てなかった。
それどころか、傷一つつけられなかった。
本来は苦手であるはずの、剣や槍の間合いで、だ。
ゆえに、彼女の魔法使いとしての、魔法魔術の師匠としての実力に疑いはない。
加えて、高位の精霊を従えていることから、魔物使いとしても、最上位であるとわかる。
己が修業の果てに至るべき境地を、まざまざと見せつけられている。
彼女を師匠として崇め、慕い、目指すべき目標とすることに疑いは全くない。
なかった。
この時は、まだ。
修行が三日目に入り、とあるメニューを追加されるまでは。
◇
「走りなさい」
シルキーの弟子になって三日目、彼女にいきなりそういわれた。
「はい?」
「いい返事ね、さっさと走りなさい」
意味が分からなかった。
疑問の「はい?」を肯定と解釈されてしまったこと、そしてその勢いのまま押し切られていること、ではない。
彼女の言動に対して基本的に拒否権がないのはいつものことだ。
いや、普段から修業内容は意味が分からないが、今回はその方向性が違う。
今までの修業は魔術の理論であったり、あるいは魔力操作の訓練であったり、無いようこそ難解ではあっても、何のためにやるのかが非常に明確だった。
だというのに、急に「走れ」である。
本気なのか、正気なのか、あるいはどちらでもないのか。
そんなことを言って抵抗しようとしたのだが、結局、謎の威圧感に丸め込まれてしまい、逆らえなかった。
「はっはっはっはあっ」
「ぴーたー!がんばれー!」
リタが応援してくれている。大声を出してくれているが、返答をする余裕はない。
屋敷の中にある庭、屋敷の外ではなく、口の字を書いた建物で囲まれた中庭でもない。
文字通り、屋敷の中にある庭で懸命に走る。
草原の上に、テーブルと椅子があり、天井も空のように光が差し込んでいる。
視覚情報だけで判断すれば、屋内だとはだれも思わないだろう。
ただ、無風で光熱もないということが、ここが屋内なのだということを教えている。
「休むな!走りなさい!」
ピーターが全力で走っている最中、彼のすぐ後ろをカバが追いかけている。
厳密にはカバのぬいぐるみといったほうが適切であろうか。
これも恐らくはアンバーと同じく、精霊の一体が擬態しているのだろう。
普段、人が乗っているというだけあって、ピーターはすぐ後ろからすさまじい圧力を感じる。
シルキーは庭のテーブルでお茶を飲みながら、それを見ている。
その隣には、リタとハルがいる。
リタは、テーブルに座った菓子を味わいながら、眼だけはしっかりとピーターを追っている。
ハルは、カバのぬいぐるみがピーターに危害を加えないかはらはらしながら地面に座して見守っている。
「はい、終わり、休憩よ」
「ありがとうございます」
珍しく自分の足で歩いてきたシルキーが、二本の瓶を手渡してくる。
一本は、良く見慣れたポーションの入った瓶。
飲み干すと、減っていたHPが回復するのがわかる。
攻撃を受けると減るHPだが、疲労や空腹などによっても減ることがある。
厳密には、疲労や空腹などが一定以上になると、【疲労】や【空腹】という状態異常になり、動きが鈍ったりHPが減ったりする。
二本目の瓶の中に入っている液体を飲むと、【疲労】が消えた。
おそらくは、
「どうして、私がアンタの体を鍛えているかわかる?」
「さっぱりわかりません……」
わからなかったので、ピーターは素直に答えた。
彼の認識では、彼女は魔術の師匠である。
体を鍛える理由が全く分からない。
そもそも、体を鍛えるという行為は、あまり一般的ではない。
前衛職が肉体に一定以上の負荷をかけることによって、獲得できる【筋力強化】や【持久力強化】などがあり、それを取るために体を鍛える者はそれなりにいる。
こういう、レベルによってではなく、行動と適正によって取れるスキルはかなり多い。
が、それをとれるのは適性のある【戦士】や【闘士】といった前衛戦闘職だけだ。彼には取得できない。
そもそも、そういう取得条件が平易なスキルは効果が薄く、取得しないものの方が多い。
なのに、なぜかこの魔術と魔法の国でどういうわけか筋トレや走り込みをしておるのはどういうわけか。
いったいどういうことだろうか。
アルティオスの冒険者ギルドでは、魔術師など後衛は体を鍛えるという発想はない。
ピーターもその例にもれず、肉体労働はほぼすべてハルに任せていた。
「体を鍛える意味があるのが、魔法職だけだからよ」
「?」
意味が分からなかった。
どういう意味なのか分からない。
【持久力強化】も得られないというのに、何のために鍛えるというのか。
「ステータスにおける数値、その中でもSTRを見てみなさい」
「……【参照】」
言われて、とりあえずステータスを確認する。
STRは、上級職になる以前から全く変わっていない。
他のステータスもHPとMPを除けば、似たり寄ったりだが。
〈降霊術師〉系統はそういうジョブだし、魔法職は全般的に肉体ステータスは伸びにくい。
伸びるにしても、MPに比べれば誤差の範囲にしかならないことが大半だ。
「特に変化はありませんよ。STRは僕のジョブでは伸びませんから」
「そ、ジョブでは伸びないわ」
「え?」
「体を鍛えれば、あるいは年齢とともに肉体が成熟すればわずかにステータスは向上するわ。ジョブに依存しない肉体本来の力量が、ね」
「?」
「つまり、私たちのステータスっていうのは、ジョブによらない肉体のみのスペックと、ジョブのレベルアップによって向上するステータスの合計値なのよ」
ちなみに初期値は大体HPとMPが100で、それ以外が10くらいね、と、彼女が説明を加える。
実際、ジョブの影響を受けていないSTRを始めとしたピーターのステータスはそんなものである。
「体を鍛えると、どうして筋力が増えるんですか?」
「……そこからか」
シルキーの目線が、憐れむような視線に変わる。
どうやら、かなり初歩の初歩からピーターはわかっていないらしい。
「医学の話をするわね。赤ちゃんが成長して、子供になり、そして大人になっていくわよね?そうすると筋肉が発達して、体の筋力は向上する」
「なるほど」
彼女が医学に精通していることは、正直意外ではあったが、それについては言及せずに済ませることにした。
「体が成長すれば、ジョブとは別の、素のステータスが上がる。そして、トレーニングをすることで筋肉を、筋力を成長させることができるのよ。だから、ステータスが若干上がる」
「……!」
筋肉が成長すれば、筋力が上がり、体を鍛えれば、筋肉が増加する。
それを、ピーターは把握していなかった。
無理もない。
彼は勉強熱心ではあるが、その対象はあくまで〈降霊術師〉とアンデッドのみ。
肉体が成長するはずもないアンデッドと、身体能力を捨て去った〈降霊術師〉。
それゆえに、知らなかった。
肉体が成長させられるものだということを。
「で、ここからが本題。100が101になるのと、10が11になるのでは、数値の上昇は同じでもその強化具合が大きく異なる」
「そうですね」
ピーターにもわかる。
こと戦闘において、1.1倍という数字は大きすぎる。
速度が少し上がれば、一手先んずることができる。
筋力が少し上がれば、多少崩れた体制でも切り返せる。
耐久力が少し上がれば、重症が軽傷になり、相手の攻撃を乗り越えて、カウンターを撃てる。
ほんのわずかでも身体能力が上がるならば、それは盤上遊戯の先手の有利と同じ。
決して無視できるものでも、軽視していいものでもない。
それこそ、ピーターが今まで経験してきた苦難ももう少し楽に乗り越えられたかもしれない。
あるいは、受けなくてよかった苦難もあったのかも、とさえ思える。
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