九十八話 不二楓13
パン、と乾いた音が大きく響いて、何が起こったのかと私は慌てて飛び起きました。
すぐさまがしゃんとガラスの割れる大きな音が響き渡り、暗いデパート内のそこかしこのテナント内に小さく光が灯ります。
「なっ、何が起きてるの!?」
すぐ側で横になっていたユキさんが枕元にあるLEDランタンの灯りを僅かにつけては、小声でそう言いました。
枕元にあった時計に目をやれば時刻はまだ明け方前という時間帯でしたが、隣で眠っていたシュウ君もさすがにこの騒ぎで起きたようです。
と、すぐにまた乾いた音、そしてドンドンというような腹に響くような低い音も聞こえてきて、それらがおそらくは銃声であると分かり身を震わせた時、階下から大きな声が響き渡りました。
「抵抗しないなら悪いようにはしねえ!大人しく全員降伏しとけよ!」
威嚇射撃なのかまた銃声が聞こえ、パラパラと何かが崩れる音と共にざわついていたデパート内はしんと水を打ったように静まり返りました。
突然の出来事にぶるぶると震えているシュウ君が目を大きく見開き不安げな視線を向けたのを見て、私は優しく彼を抱きしめます。
「返事はどうした!あ?」
また低く野太い声でそう聞こえてきたかと思うと、カンカンカンカン、とデパート内に高い金属音が鳴り響きました。
これは、避難を知らせる合図。
私達三人はすぐさまテナントのシャッターを開けて移動を開始しました。
シュウ君の手を引くと、たたらを踏むように私へとついて来ます。
すでに他のテナントにいる避難民の方々も静かに移動を始めているようでした。
このような不測のことが起こった場合は避難民は立体駐車場と繋がっていない屋上へと避難する、とあらかじめ決められていたのです。
ここへ来てから何度か避難訓練もしていて、私やユキさん、他の避難民の皆さんの動きもよどみのないものでした。
「二人とも、こっち!」
「シュウ君、大丈夫だよ。」
軽いパニックを起こしているのか、足取りのおぼつかない彼に出来る限り優しく言いながらその手を掴んで、ユキさんを先頭に三人で小走りで屋上を目指します。
今度は方向的には立体駐車場の方から重い銃声が何度か聞こえて来て、その音で私もシュウ君もびくりと身を震わせました。
慌ただしい雰囲気の中、他の避難民の方々よりも少し遅れて非常階段へと辿り付こうかという時、また立体駐車場の方から激しい銃声が響き渡りました。
階段前には男性の警察官の方がすでに居て、階下を警戒しながら避難の誘導をしていました。
その姿を見て、私は少し安心してしまったのかもしれません。
「とう、ちゃん……」
小さく、シュウ君がそう声をこぼし、その私の一瞬の油断からきた握力の緩みから、彼はその隙をついたように手を離しました。
もっと乱暴に、遠慮なく彼の服でも掴んでいれば、間に合ったのかもしれません。
私の手をすり抜けるようにシュウ君は突然今行こうとしている方向とは別の方向へと駆け出しました。
「っ……シュウ君、まって!」
「カエデちゃんっ!」
それを追いすがるように私も駆け出しながらそう声をかけますが彼は聞く耳を持たず、走っていきます。
その方向は、立体駐車場。
そこは、彼の父親である池間さんが今日夜の見張りをしている場所。
銃声がそちらの方向から聞こえてきたということはそこで何かあったということで、父の安否が心配でシュウ君は居ても立っても居られなくなってしまったのではないかと思います。
もちろん彼がそちらへ向かったところで事態は何も変わらずむしろ危険が増すだけなのですが、そんな冷静な考えはできなかったのでしょう。
すでに先程からシュウ君はパニック状態に陥っていたようだったし、何より、パンデミックで母親を亡くしその上父親までいなくなってしまうかもしれないとなったら、幼い彼からしたら全ての思考を放棄してしまうようなことになるのは無理からぬ話なのかもしれません。
何故私はあそこで手の力を緩めてしまったのでしょう。
そのことを激しく後悔しながらもやっとの思いでシュウ君に追いつき、私は彼の服を乱暴につかみました。
「だめだよっ、シュウ君!」
すでにかなりの距離を移動してしまい立体駐車場への出入り口に近かったのもあり、私は小声でそう言いながら念のためシュウ君の口を押さえます。
すでに向こうから銃声こそ聞こえていませんが、その様子をわざわざ見に行くような真似は出来ません。
「二人とも、戻るよ!」
気づいていなかったのですが後ろからユキさんも来ていたようで、私達へと小声でそう声をかけて来ました。
と、その時でした。
銃声が一度鳴り響き、甲高い破裂音とともにさして距離もない先にある元は自動ドアであったガラス扉が粉々に砕かれました。
ガラス扉の先に人影こそ見えませんでしたが、その瞬間私とユキさんは示し合せるでもなく、すぐ側のテナント内へとシュウ君を引きずるように連れていき、三人で身を隠しました。
「誰かいるなら出てこい!」
「まあまあ、こっちは完全に包囲してんだ、そんな焦ることはねえだろ。」
果たしてその身を隠した判断は正しいものだったのかと一瞬後悔が頭をよぎりましたが、しかしすぐにチャリチャリとガラス片を踏みつける音とともに粗暴そうな男達の声が聞こえてきました。
あのまま姿をさらして戻っていては、もしかしたら背後から撃たれていた可能性もあった、そう思うとあながち間違った選択ではなかったのかもしれません。
しかしこの男達が立体駐車場から来たということは、今日見張りをしているはずの人達はどうなってしまったのでしょうか。
きっとそのことにシュウ君も気付いているはずで、私は後ろから口を塞ぎつつも彼の小さい身体を抱きしめました。
「シュウ君、いいこだから静かにね……」
「っ……おい!そこにいるやつ!手を上げて出てこい!」
そんな彼への慰めの気持ちも込めながら絶対に聞こえないような声量で耳元でそう私が囁いたのとほぼ同時、おそらくは先程の声の主がそう言ったので、びくりと三人で身を震わせました。
まさか今のが聞こえてしまったのかと心臓が飛び出しそうになりましたが、どうやらそれは私たちに向けられたものではなかったらしく、すぐにそれに対する返事が聞こえてきました。
「……どうか、落ち着いてくれ。要求は出来る限り聞こうと思う。」
その声は、さっき非常階段前で誘導をしていた男性の警察官のものであったと思います。
きっと、私たちを追って来てくれていたのでしょう。
そのことを激しく心の中で詫びながら、どうか何事もなければいいと願わずにはいられませんでした。
「……なんだ、男かよ。」
しかしその願いは、興味なさげにそう放たれた言葉と共に聞こえた一つの銃声により、無に帰したのだとわからされました。
「おいおい、人質に使えたかもしれないだろ、少しは考えろ。まあいいけどよ。ちゃんと殺しとけよ。」
「うーい。」
まるで人を殺すことをどうとも思っていないような口調で話すその会話に、私は恐怖を抑えるようにシュウ君の身体を今一度抱き締めました。
時間軸がやっとこ本編に追いつきましたorz
次回アザミさんパートでございます。




