九十一話
石階段を下り、ここへ来た時に停めたままの車へと乗り込む。
じいさん達が昨日出掛けていたせいか、ゾンビの姿はなかった。
貰った物の具合を確かめるのは、この町を出てからになりそうだな。
方々から視線感知の反応を受けながら、車で町を出る。
取り敢えずはタケル達とここへ来た時のルートを逆に辿り、人気の無い民家にでも着いたらそこで夜を待つとしよう。
道場での再戦の時、いやそもそもあの口ぶりからすると最初に負けた時から感じていたようだが、じいさんは俺の力の片鱗を感じ取っていたような気がする。
タケルとモモにはあの攻防の意味はわかっておらず、それを理解するまでは及んでいないようだったが。
先ほどの別れの時の言葉と合わせて、じいさんは俺の力をある程度まで理解しているのではないかと思う。
でなければ、銃など必要ないかという話にはならないだろう。
銃を持った人間相手では、刀で立ち向かうには限界がある。
そんなじいさんは、俺が警察署にいた時危惧していたようには、俺に怖れを抱いていなかった。
それが武芸を極めんとする者の性からくるものなのか、むしろ好意的な感情を向けられたようにも思う。
単なる好奇心、と言ってもいいのかもしれないが。
タケルとモモ、二人がそれを理解していたなら、俺のことをどう思っただろうか。
敵対するものでなければ、この力は見せたところで、案外と受け入れられるものなのだろうか。
そんな風に考えながらも、しかし頭の中には俺が殺したあの男どもの瞳がちらついていた。
+++++
織田さんとじいさん、二人はこんな世の中でも狂わず奪おうとはしない、いわば善性の人間だがその中身は大きく違う。
前者は人を殺すことを良しとせず、見知らぬ他人を出来る範囲で助けようとしている。
後者は人殺しも厭わず、身内だけを助けるために余所からの来訪者は助けず見捨てようとしている。
じいさんのところのコミュニティは、略奪者の来訪という経験によってあのように余所者は受け入れないというスタンスを取るようになった。
対して織田さんのところのコミュニティはカエデが多少怖い目にはあったが、俺があの半グレグループを裏で壊滅させたことによりそのような経験をしなかった。
もっともあのグループが壊滅したとは知らない彼らは警戒心を持って行動するとは思うが、それでも織田さんは俺に懺悔したパンデミック初期の経験から人を助けるというスタンスをそう変えはしないのではないかと思う。
ともすればじいさんのところのような経験をしても、それをやめないかもしれない。
俺にははっきりとどちらのコミュニティが正しいのかは判断出来ない。
確かに身内を守るため、ただそれだけのためならば、じいさん達の選択はきっと間違いではないだろう。
しかし俺がタケルとモモをここに運んでくる時に思ったように、それで果たして本当によいものかとも思う。
知らぬ誰かは全て信じず、その善性の可能性も放棄する行動が、まるっきり正しいなど誰が言えるだろう。
その行動が原因で、それが悪意を持つ者に変わることだってあるかもしれない。
知らぬ他人は悪意の他人かも知れないから助けない。
しかしそれでは、そもそも俺がもしもあの町の人間と同じスタンスであったならば、タケルとモモはあのまま死んでいただろう。
さらに言えば、救いを求める手を払うその行為は今でこそただの自衛行為ではあるが、悪い変化をもたらす可能性もある。
今は物資が足りているようで先の目処もついているような話だったが、実際は何が起こるかなど分からない。
もしそれが足りなくなって来た時どうなるか。
いわば他者を切り捨て身内を守るというそれは、その時が来たならいずれ奪う者に変わったりはしないだろうか。
俺が織田さんを尊敬しているのは、パンデミック初期にした自分の行動を悔いて、知らぬ他人を助けようとしているからだ。
その悔いている行動は思い返してみても悪い選択ではなかったときっと彼の中でも分かっていることだろう。
それでもその時人を見捨てた分今度は助けようとしている。
俺はそれを心底凄いと思う。
俺にだって、それはやろうと思えばやれることかもしれない。
だがそれを実際にやるかどうかは別の話で、そもそもそう思っていても本当にやれるかなどやってみなければわからない話だ。
増して異世界帰りのこの力があるにもかかわらず、助けた他人、カエデやタケルやモモを人に預けた俺がそれを言うなどお笑い草にも程があるだろう。
勿論、彼のしようとしていることがまるっきり正しいとも言いきれないだろう。
それは危うい橋で、致命的な結果をもたらす可能性もある。
警察署で俺が殺したあの男を合理的判断で見捨てられなかった織田さんのそれは、じいさんのところのコミュニティを見てきた後では余計に今のこの世界らしくないようにも思える。
人の隠された敵意をも見抜き、この世界におけるいかなる暴力にもまず屈することはないであろう俺のような力を持っていれば、また話は別なのかも知れないが。
「……ちっ。」
そんな力を持つのに俺は、彼のように人を助けようとはしていない。
そのことに少々劣等感のようなものを感じて、ひとつ舌打ちをした。




