九十話
「アザミっち、ホントに行っちゃうの?」
じいさんの家から降りる石階段の前、モモが泣きそうな顔で尋ねてくる。
その身長差から俺を見上げてじっと見つめるその様は、何処かあの少女を思い起こさせた。
もっとも、俺のようなおっさんをそんな風に似合わぬあだ名で呼ぶあたりは、彼女とは似ても似つかないが。
「ああ。元気でな、モモ。」
ひどく汚れていた制服をここに着いたその日のうちに洗ったのだろう、所々に付いたシミ汚れの残る制服を纏ったモモの姿に、きっとこんな世の中でも少しでも可愛い服を着たいのだろうな、と彼女と同じ年頃の女の子の気持ちを察して苦笑する。
「むむ、なんでそんな顔するの……アザミっち冷たい!」
「あー。いや、制服、お気に入りなんだな。」
「あ……うん。へへ、似合ってるでしょ?」
「外に出るような時はちゃんと素足は晒さないようにしとけよ。」
「……似合ってるでしょ?」
「……そうだな。」
唇を尖らせて俺にそう言わせたモモだったが、それを聞くと満足そうににこりと笑った。
見た目はプリン頭で小麦色の肌、その言葉遣いでまさにギャルといった様相だが、タケルのしたことに責任を感じている優しい心を持つ少女だと言うことを俺は知っている。
そのやりとりでひとつきりがついたのかと思ったのか、すぐ近くでそれを見ていたタケルが一歩前へと踏み出して、俺に言う。
「柳木さん、本当に、ありがとうございました……」
モモとは違い、こちらは必死に涙をこぼさないよう眉間に力を入れていたがその甲斐もなく、赤くなった瞳からすでに少し涙が溢れていた。
出会った時ボサボサだった髪の毛は落ち着きを取り戻して、またさらに何処にでもいそうな、というに相応しい見た目になっているような気もするが、しかしその中身が強く真っ直ぐなことを俺は知っている。
そんなタケルの溢す涙に少々心を動かされて、俺はその頭に手を置いた。
「なに、気にするな。タケルも元気でな。」
それによってタケルの瞳からさらに涙が溢れ出てくる。
ぐっと拳を握りしめて、俯きながらぐすぐすと鼻を鳴らすタケルの頭をぽんぽんと優しく叩いてやった。
「これからも、モモを守ってやれ。」
「……はい。柳木さんみたいに、強くなれるように頑張ります。」
「俺みたいになる必要はない。タケルらしくあればいい。」
「はい……柳木さん、本当に気をつけてくださいね。」
「心配せずとも大丈夫だ。」
袖で涙を拭うタケルの言葉に、俺ははっきりとそう言った。
事実、ゾンビ程度相手に俺がそのような目にあうことはあり得ない。
人間相手、でもな。
「あの……やっぱり、どうにかこの町に居られるように頼んで……」
「いや、その必要はない。」
その言葉をまるっきりは信じることはできないのだろう、タケルが言いかけたその言葉を俺は途中で遮った。
「昨夜も言ったが、俺はここの町民の決めたことに不満がある訳じゃない。俺のことは何の心配もしなくていい。だから二人には、俺のことでこの町のことを悪いようには思って欲しくない。それだけは忘れないでくれ。」
並び立つタケルとモモの目を交互に見て、強く言う。
二人が俺の目を見てしっかりと頷くのを確認して、俺は視線をその後ろにいるじいさんに移した。
「じいさんも、色々世話になったな。感謝する。」
「何を言っとる……感謝してもしきれんのはこっちの方だ。」
「いや、飯も美味かったし、"こいつ"も頂いたしな。」
そう言って、俺は腰に紐でぶら下げたものをこつんと拳で軽く叩いた。
今はその二尺三寸の刀身を鞘の中に納めている日本刀、打刀というやつだ。
道場で再戦した後、じいさんが少し待っとれと言って姿を消したかと思えば持ってきて、俺へと渡したものだ。
「斧よりはマシだろう。手入れも面倒だろうし道中で使い捨ててもらって構わんよ。それに武器はあればあるだけいい。」
「なかなかの業物だろう。大事に使わせてもらおう。」
「銃は本当に要らんのか?」
「ああ、必要ない。」
わざわざ使うこともないだろうし、そもそも銃器の類はアイテムボックスに半グレグループを殲滅した際にやつらの使っていたものをしまってあるしな。
それに刀は、こちらの世界のものだがそれでも、触った瞬間手に馴染むのが分かった。
おそらくこれ一つあれば手入れなど殆どせずとも長い間武器の類はいらないだろう。
「……まあ、柳木君なら、そうなのかもしれんな。」
じいさんは含みを持ったように小さく呟いた。
「柳木君がおれば、むしろこの町は何の心配もいらんかったろうにな。」
「それは買い被りすぎだろう。」
「さて、どうだかな。しかしまあ……こんな田舎町におる器でもないか。」
褒め殺しとでもいえるようなじいさんの言葉にこそばゆくなって、ぼりぼりと頭をかく。
「じいさんも達者でな。タケルとモモを頼んだ。」
「言われなくとも分かっておる。柳木君も気をつけてな……まあ、心配はしとらんがな。」
「随分な言い草だな。」
じいさんのその言葉にタケルとモモがむっとした顔をするが、しかし笑い合う俺とじいさんを見て、きょとんとした顔になる。
……このじいさんは、どこまで分かったんだかな。
「さて、それじゃあそろそろ出るとするか。」
俺はそう言って、側で俺を見上げる二人に視線を落とす。
ほんの数日の付き合いだったが、これだけ懐かれるとは、それだけ濃密な時間を過ごしたということか。
常に生き死にに直結した時間ならば、そういうものなのかもしれないな。
「アザミっち、本当、気をつけてね。」
「柳木さん、絶対に、死なないでくださいね。」
「ああ。お前達もな。」
二人と最後の言葉を交わして、一度じいさんとも視線を交わすと、俺は背を向けて石階段を下った。




