八十三話
「えーっと。まだお礼、ちゃんと言えてなかった、ですので……」
部屋の中に入るとパタリと静かに障子を閉めて、モモが言う。
相変わらずのその不自然な言葉遣いに思わず俺は小さく吹き出した。
「な、なに……」
「いや。会った時から感じていたが、丁寧語や敬語が苦手なようだ、俺と同じでな。だから気にせず好きに話していい。」
俺の提案を聞いてモモは口を尖らせてからひとつ息をつくと、その場に膝をついて座った。
そのままぺたりと足を崩し、所謂女の子座りをして俺へと向き直る。
「ん。じゃあ、そうする。」
「あぁ。」
「あの……ほんと、ありがと。すごい感謝してる。うち、あんな態度までとっちゃってたのにさ。」
モモはその体勢から背筋をピンと伸ばし一度大きく深呼吸をしてから、俺へと礼を言う。
モモの敵意がずっと強かった理由は、タケルから聞いた話で理解しているつもりだ。
「それは仕方ないだろう。それに、俺みたいな怪しいおっさんは誰だって警戒する。」
「うっ……」
「……どうかしたか?」
「聞こえ……いや、なんでもないけど?」
ちなみに、怪しいおっさん、とは、タケルとモモがぼそぼそと小声で話していた時に、彼女の口から出ていた単語だったりする。
まあ、これくらいの皮肉は言ってやってもいいだろう。
「あのさ。タケルっちから聞いたよね。あんなことがあったから、さ。」
「だな。自衛のためにそうするのは当然だ。気にしてないさ、そんなにはな。」
怪しいおっさん、だけは勘弁願いたい程度だ。
「そんなにって……とにかく、ほんと、ありがと。」
「あぁ。まあ、じいさんも無事でよかったな。」
「うん。」
そう言ってモモは一度口を閉じた。
一瞬だけしんとなった空気が流れて、モモは少し気まずそうに前に垂れてきた金色の髪を耳へとかきあげる。
そのふっくらとした唇をほのかに開いては、また閉じ、それを何度か繰り返したのち、再び声を出した。
「……自衛のため、っていうかさ。」
「ん?」
「……あのね。避難所を出てから二人で生活していたのは聞いてると思うけど。いつも、ギリギリだったんだ。二人だけで生きて行くなんて到底無理だと思ってた。だから、あの男三人と出会った時、うちから合流しようって言い出したんだよね。」
股の間に両手を入れて、モモは畳に視線を落としながら言葉を続ける。
「避難所を逃げ出してから初めての生存者だったしさ、何も疑ってなんかなかった。だから、なんて、言えばいいのかな。タケルっちは、結果的にうちのせいで、人を殺してしまった、っていうか……」
そう言うとモモは、引っ掻くように手の爪を畳に立てて、そのまま押し黙ってしまった。
そうか。
俺に対してあんなに警戒していた理由は、勿論自分やタケルの身を守る為ということもあっただろう。
だが何よりもタケルに人殺しをさせてしまったことに責任を感じていて、彼にまた同じことをさせてしまうかもしれないという不安から来ていたものか。
「まあ、なんだ。うまくは言えないんだが。タケルはな、別にそのことで、モモに対してどうこう思ったりはしてないと思うぞ。」
「……うん。」
「それに俺に言わせて貰えばな。むしろこんな世の中になった以上、人を殺したという経験は、そんなに悪いものでもないんじゃないかと思うくらいだ。」
「そんなことって……あるのかな。」
俺の言葉に、モモは唇を噛む。
慰めのつもりで捻り出した言葉だが、しかしそう間違いではないと思う。
この世の中で会う者全てが善ならばその限りではないだろうが、悪意を持った者と会う可能性がある以上、その経験はいつか必ず役に立つはずだ。
まあ、タケルとモモは実際にすでに会っているわけだが。
その覚悟や経験が無ければ、食われるだけ。
それならば、多少手を汚すくらいいいじゃないか。
タケルやモモにはとても言えないが、"その程度で"済んだ上にその経験が得られて、良かったんじゃないかとすら思う。
「……さあな。取り敢えず、俺はそう思うだけだ。」
「ふふっ。なにそれ。でも、ありがと。おっ……おじさんなりに、慰めてくれたんだよね。」
最後、責任を放棄した俺の言葉にモモは小さく吹き出した。
と言うか今、おっさんて言いかけなかったか。
そして言い直した挙句のおじさんも正直ちょっとダメージが入ってしまう。
「あー、いや、まあそれはいいんだがな。おじさんはなんか嫌だから他ので頼む。」
軽く頭をかいて俺がそう言うと、モモはまたも吹き出して笑った。
「あはは、わかった、ごめん。えーっと、じゃあ、どうしよう。」
モモはそう言うと、唇に人差し指を当て、中空を見上げる。
眉間にしわを寄せたかと思うと、いいことを思いついたとばかりにぱっと顔を明るくしたモモの表情を見て、嫌な予感がした。
「じゃあ……アザミっちで!」
「やっぱり、そうなるのか……」
「えー?この呼び方は親愛の証だよ?それにそもそも最初に好きに呼んでいいって言ってたじゃん!これが嫌ならおっさんにする!」
なにやら楽しそうな顔をして、モモは苦痛の二択を強いて来る。
俺は大きくため息をつくと、覚悟を決めた。
「わかった、じゃあそれでいい……」
「へへへ。あのね、本当に、色々ありがとう……アザミっち!」
モモがとびきりの笑顔でそう言うのを、俺は呆れ顔で見ていた。




