六十一話 雪ノ下すみれ4
あの時のことは、全て私に責任がある。
カエデちゃんのことを先輩に任されたのに、私は一瞬の油断をしてしまった。
そのせいでカエデちゃんはとても怖い思いをしてしまった。
カエデちゃんをぎゅうと抱きしめて、泣いて謝った。
謝っても謝っても、謝り足りなかった。
でも、カエデちゃんはそんな私を許してくれた。
結局何もなかったんだから大丈夫ですよ、と。
何もなかったわけがない。
あの男の部屋にいたカエデちゃんは、服が不自然に乱れていた。
いつもきっちりと服を着ている、あのカエデちゃんがだ。
床に力なくへたり込んで、その乱れた服も直さずに、怯えた表情で震えていた。
"こと"には及んでないだろうが、それでも何かしらはあったんじゃないかと思う。
カエデちゃんはまだ中学を卒業したばかりで、彼氏も出来たことないって言ってた。
だから、"そういうこと"にだって耐性はないはずで、それなのに。
それでも、カエデちゃんは私に変わらず接してくれている。
ぎこちなさも、感じない。
それに少し安堵している私は、自分自身が情けない。
本当は、何より私がカエデちゃんを何とか元気付けてあげなければならないのに。
これでは立場が逆だ、本当に情けない。
先輩は、すんでのところでカエデちゃんを助けてくれたようだった。
男を床に伏せさせて拘束する先輩は、頼もしかった。
でもどういうわけか、あれ以来、カエデちゃんは先輩を避けている節があった。
いつも一緒に食事をしていたのに私と二人でするようになったし、いつも暇な時は二人で先輩の部屋に入り浸っていたのに、それもしなくなった。
カエデちゃんにどうしたの、と聞くのは憚られるから先輩に聞きたいのだけど、今のカエデちゃんを一人にはしたくないから、それも出来ない。
もしかしたら、男の人が怖くなってしまったのだろうか。
でも、織田さんや警察官の人達、他の避難民の男性とは、少しぎこちない様子だけど挨拶や会話はしている。
織田さん達も気を使っているのか、あんまり長く話すようなことはしないでいてくれているみたいだけれど。
それが恋愛的なものなのかどうかはわからないけれど、カエデちゃんは、先輩のことが好きだったはずだ。
私の部屋でだって、アザミさんは会社ではどんな方だったんですか、とか色々聞いてきていたくらいだ。
それなのに、なんで今こうなってしまっているんだろう?
他の男の人が怖くなるのはわかる。
でも、先輩にだけはそんな感情を抱かなくてもいいんじゃないだろうか?
+++++
明日織田さん達が新しく食糧調達へ行くという話を女性の警察官から聞いた。
詳しい話は聞けなかったが、取り敢えず今回は様子見とのことで、どうやら少人数で行くみたいだった。
そこに、先輩も同行するらしい。
なんで先輩がと思ったが、本人からの強い希望でそうなったとのことだ。
先輩はきっと、強がりでもなんでもなく、本当に感染者が怖くないのだろう。
その気持ちが、私には分からない。
「あの、ユキさん。」
「ん?なあに、カエデちゃん。」
そんなことを考えていた私に、同じ部屋にいたカエデちゃんが呼びかけてくる。
「……私、アザミさんと少し、二人でお話がしたいんですけど、いいですか?」
「うん?勿論大丈夫だけど……」
やっぱりカエデちゃんはなんらかの理由で先輩を避けていて、それをどうにかしようとしているのだろう。
私は今のままでは嫌だし、前のように三人で過ごしたい。
カエデちゃんに何があったのかはわからない、だから、それは私のワガママなのかもしれない。
けれどカエデちゃん自身がそう言ってくれたことに、私は安堵していた。
「私も一緒にお話しようか?」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。」
「そっか……じゃあ、先輩の部屋まで一緒に行こっか。」
「はい……ありがとうございます。」
何を話すつもりなのか深くは聞かないし、聞くつもりもない。
私は立ち上がって、なんだか申し訳なさそうにするカエデちゃんの手を取った。
部屋を出て、カエデちゃんとカーテンの隙間から溢れる夕日の光が差す廊下を歩く。
繋いだカエデちゃんの手が、僅かだが震えていた。
二人の間に、何があったんだろう。
先輩が、カエデちゃんを怖がらせるようなことをするとは到底思えない。
でも、カエデちゃんのこの反応はまさにそれだ。
先輩を怒らせるようなことをしたのだろうか。
いや、確かにあの日のことはそれに当てはまる出来事かもしれないけれど、先輩が、あんなことがあった直後のカエデちゃん当人にそれで怒るようなことはさすがにしないと思うし、それを言うなら先輩はまず先に私にその怒りを向けるはずだ。
「何も分からない私がこう言うのも変かもしれないけど。大丈夫だよ、先輩はなんだかんだで優しいから。」
「……はい。」
わざわざ言わなくていいことを言ったのかもしれない。
けれどカエデちゃんはそれに、ただ頷いた。
先輩の部屋へと着いて、ドアをノックする。
「先輩、居ますか?」
かちゃりと静かに鍵を開ける音がして、ドアが開かれた。
姿を現した先輩は、いつもと違うなんだか難しい顔をしていて、私とカエデちゃんを見た。
「カエデちゃんが、話がしたいみたいで……」
「アザミさん、すみません。お時間、大丈夫でしょうか?」
「構わないが……」
少し震えた声でカエデちゃんがそう言うと、先輩は背中を向けた。
見送るように、私がカエデちゃんの手を一度ぎゅうと握ってからそれを離すと、彼女は部屋の中へと足を踏み入れた。
先輩が振り向いて、ドアの前で立つ私を見る。
「……ユキはいいのか?」
「はい。二人で、話しがしたいって。後で、私の部屋まで連れて来てください。」
「……そうか、わかった。」
「じゃあカエデちゃん、また後でね。」
「はい。」
カエデちゃんは、それこそ、 恐る恐るとでもいうように足を運んでいた。
本当は、私も一緒にいた方が良かったのかもしれない。
けれどカエデちゃんが決めたことだ。
それに、先輩はきっと悪いようにはしないはずだ。
カエデちゃんの返事を聞いて、私は先輩の部屋のドアを静かに閉めた。




