百八十二話
グール。
ゾンビの上位種。
俺は那須川さんと共に駐屯地に移動する際、ゾンビがグールへと変貌したのを確認している。
だからこそやつらが進化したのでは、という想像をしたし、その進化には"経験値"が必要なのではないか、という憶測を立てた。
しかし。
この場所にグールがいるということは、その憶測はおおよそ、見当はずれということになるのかもしれない。
何故なら、このグールたちが元はパンデミック開始時にここへと避難した要人たちであるならば、あまりにも"経験値"を得るための犠牲が少なすぎるだろうからだ。
もしくは、議事堂や皇居周辺から避難してきた一般市民たちも含めて、かなり大勢の人数がこの先のシェルターへと避難していたのだろうか。
そんな話は、自衛隊から聞いてはいないが。
ともあれそれならば、それらの犠牲によって進化条件に達したということもあるのかもしれない。
まあその場合は……シェルターの中の様子は、見るまでもなく酷いことになっていることだろうがな。
いや、連絡が途絶えている時点で、そのあたりは確定事項か。
そう頭の中で思考しながら、また走り寄ってくるグールの後頭部を吹き飛ばし、歩みを進める。
そして抱く、新たな違和感。
「……」
あのホームに着いてから先、俺は、一度たりとも"ゾンビを見ていない"。
目の前に現れるのは、その全てがグールだ。
地上では、おおよそその一割程度がグールだったはずだが、これは明らかに異常だ。
"経験値"での進化という憶測が正解なのだとしたら、全てがグールになるのは無理がある。
何か別の条件があるのか、それとも。
そこでふと、俺は異世界でのロベリアとの会話を思い出した。
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「魔物はどうやって生まれるのか、って?」
テーブルの上には、いくつかのやや黒みがかったパンと、ほんの少しだけ野菜の入ったスープが、二人分。
メインディッシュといえるものはなく、ただそれだけの簡素な食事。
対面に座るロベリアが、なんとなしに俺の口から出た疑問に、置かれたパンに手を伸ばしながらこちらを向いた。
「そういえば、アザミのいた世界には、魔物なんてのは存在しないんだったわね」
ひとつパンを手に取ると、ロベリアはそれを食べるでもなく手に持ったまま「そうねえ」と小さく呟く。
「色々あるけど。基本的には、"魔力溜まり"と呼ばれるものが、魔物を生み出していると言っていいかしら。この世界には、魔力が溢れている。その中で、魔力の濃度が極端に高い空間が出来てしまうことがあるのよ。その空間はさらに周囲の魔力を引き込み、そこに魔力の塊を作る、それが、魔力溜まり」
そう言ってから、ロベリアは持っていたパンをもう片方の手でつまむ。
「そして、その強い魔力の塊から分離するように、魔物が生まれるのよ。こんな感じで、ねっ……!」
硬い黒パンだったからか、ロベリアは少し力を入れながらパンをむしると、ふぅと一息ついた。
「……取り分けようか?」
「別に、いいわよ。話の続きだけど、その他にも魔力溜まりによって、動物や植物が影響を受けることもあるわ……こういうふうに、侵食されて徐々に魔物化してしまうのね」
パンをスープに浸しながら、ロベリアが言葉を続ける。
じわじわと硬いパンにスープが染み込み、薄く色が付いていく。
多少は柔らかくなったそのパンの切れ端を口に頬張ると、ロベリアはよく咀嚼して、ごくんと喉を鳴らした。
「魔から生まれる物、だから魔物、っていうわけね」
「魔力溜まり、ね……聖都の周辺ではあまり魔物を見かけなかったが、それはどういう理屈なんだ?」
「あら、いい質問ね」
ロベリアはそう言ってから、パンを持った手をひらひらと振っては、口の端を緩めた。
リンドウとイーリスは別件でいない今、ロベリアとの二人きりの食事で黙っているのもどうかと思い、世間話のつもりで何気なく始めた話だが。
普段よりも饒舌なロベリアと、今の反応からして、そう悪く無い話題だったように思えた。
「聖都の周辺は神聖な魔力で溢れているからよ。そのような場所では魔力溜まりは現れづらいし、現れたとしても、そこから強い魔物は生まれたりしないわ。反対に、陰鬱な場所……死者がたくさん出てほったらかしにされている場所や、人の入り込まない森の奥なんかには、魔力溜まりが出来やすいの」
「……」
「最たるは、ダンジョンなんかが分かりやすいわね。それが最奥ともなれば、とても強い魔力溜まりが出来るのよ。ダンジョンの奥で、弱い魔物が出てきた、なんてことなかったでしょう?」
「……言われてみれば、そうだな」
ロベリアの言葉に相槌を打つと、彼女は満足げに頷いた。
+++++
頭によぎった、異世界でのロベリアとの会話。
「何を、馬鹿な……」
思わず口からつぶやきが漏れる。
いや、そもそもが、ゾンビがこの世界にいるという状況が、すでに馬鹿げているのだ。
ならば、"そんなこと"もあり得るのだろうか。
いまだにゾンビは目の前に現れず、現れるのはグールのみ。
そして進むたび、徐々に"危険察知"のアラートが強くなっていた。
胸中に湧いた嫌な予感に顔を顰めながら、俺は歩を進めた。




