百七十九話 不二楓 15
この度漫画版三巻が10/25に発売されました!
そしてお待たせして申し訳ありません、六章開始です!orz
パァンッ
そんな音と共に肩口に落とされたその剣は、本来であれば私を絶命させるに足る一撃でした。
こんなふうに悠長に思考を巡らせることが出来るのは、その素材が鋼ではないから。
「……今日はこれくらいにしておこうかの」
スポーツチャンバラに用いられるエアーソフト剣で自らの肩をとんとんと叩きながら、目の前のおじいさんがそう言いました。
「……ま、最初と比べれば随分と動けるようになっとる。そう気を落とすな」
「はい……ありがとうございます、鈴掛先生」
駐屯地内の体育館で、私はモモさんのおじいさんである鈴掛先生に、稽古をつけてもらっていました。
これは私がある程度自分の体に流れる魔力を制御出来るようになって以来、暇を見て頼んでいたことでした。
「カエデ嬢ちゃんは、ちと目の前のことに集中しすぎだな。今で言えば、わしの持つ剣にしか目がいっていないのよ」
「……」
「遠山の目付け、と言ってな。遠くの山を見るように、視界を広く保つのよ。相手の全体をぼんやりと見る。ひいては、その周囲も見れるようにするのだ。これは"やつら"と戦うのを考えれば必ず身につけねばならん。目の前に気を取られ、他のやつの接近に気付かないのが一番やってはいけないことだからな」
「……はい」
「柳木君の話では、果たして今のカエデ嬢ちゃんにも当てはまるのかは分からんが……ともあれやつらの脅威はその必殺の一撃。しかしやつらの本当の利はその数の多さよ。なに、やつらは鈍い。動きさえ見ることができれば、相手が複数だとてそうそう触れられることなどありゃせん」
鈴掛先生はそう言って、持った得物を器用にくるりと一度回しては、その切先を少し遠い目で見ながら、言葉を続けます。
「……ま、あのグール、だったか。そいつらには、ちと当てはまらん話ではあるがの」
下唇を軽く噛み締めながらのその口ぶりに、私は以前タケルさんから聞いた話を思い出しました。
初めてグールに遭遇した時に、タケルさんは鈴掛先生の横をすり抜けたグールと対峙することになったそうでした。
彼自身はそれについてなにも思うことはなかった、いえむしろ鈴掛先生の身を案じて幸運とすら思っていたようですが、鈴掛先生にとっては、その状況は好ましくなかったのかもしれません。
タケルさんを危険に晒してしまった、そんな後悔が今の鈴掛先生の態度から見て取れるようでした。
「えっと……タケルさんは、あの時のこと、気になんかしていなかったと、思いますよ?」
自然と漏れた私の言葉に、鈴掛先生は一瞬きょとん、としたような視線を向けると、すぐにその顔をくしゃりとさせました。
「……はっは!タケ坊から聞いていたのか。いやしかし、心の内まで見透かされるとはな」
「いえ、そんな……」
「わしもまだまだだということだな……さて、カエデ嬢ちゃんはこれから検査だったか」
「あ、はい」
「それなら片付けはやっとくから行ってくるといい。タケ坊たちや他の自衛官もくるかもしれんしな。ま、また稽古したくなったらいつでも言ってくれ」
「はい!ありがとうございました!」
体育館を出る時にもう一度振り向いて一礼すると、鈴掛先生が破顔しながら軽く手をあげて私を送り出しました。
+++
体育館を出ると、ぴゅうと強い風が吹いて、私は小さく体を震わせました。
「もう、秋だなあ……」
随分と様変わりした駐屯地内部の風景を見ながら、私は一人呟きました。
体育館に併設されたグラウンドに目を向ければ、すでにその土は一度掘り起こされ、畑として整備されています。
敷地内の通行スペースには、自衛官だけでなく、避難民の姿も見られました。
これは避難民の数多くが、駐屯地内で作業をしているということ。
鈴掛先生たちがこの駐屯地に来て以来、アザミさんや自衛隊のみなさんが確保した安全圏の開発は、急速に進められました。
これまでそう多くもない自衛官のみで殆ど作業をしていたのが、避難民を含めたその数倍の人数で作業にあたったのだから、それは当然のことなのかもしれません。
避難民が駐屯地の開発作業に従事するにあたり、全くいざこざがなかったかと言えば首を傾げるところですが、しかしそれほど大きな問題も起こらず、今は大多数の避難民がそれを手伝っているのは、ひとえに、鈴掛先生含むあの町のみなさんの力が大きかったのではないかと私は思います。
もちろん、自衛隊から避難民の方々への直接の要望があったということもあるのかもしれません。
でも、やはりあの町のみなさん、特に年配の方々が積極的に行動している様子を見て、避難民の方々も何かしたくなったのではないでしょうか。
「カエデちゃん、こんにちは」
「あ、こんにちは。お疲れ様です」
すれ違う避難民の方と何度も挨拶を交わし、萩さんのいる研究棟へと少し早めの歩調で移動します。
避難民の方々と、私たち織田さんグループとの関係性は、以前よりもずっと良いものになっていると思います。
織田さんたち警察官の方々はここに来て以来ずっと熱心に自衛隊の手伝いをしているので、それが認められたということなのかもしれません。
また自惚れかもしれませんが、私の立場が周知されていることも一つの要因であるとも思います。
もっとも、それは"偽りの立場"でもあるので、それについては歯痒いところでもあるのですが。
「……お、カエデちゃーん、こっちこっち!」
研究棟の前で、少し伸びたショートボブの茶髪を揺らして、ユキさんが笑顔でこちらに手を振っていました。
「ユキさん。すみません、待たせてしまいましたか?」
私は小走りで近付くと、開口一番謝罪の言葉を口にします。
「ぜーんぜん。早めに上がらせてもらって、ちょっと汚れたから、綺麗にしてきて丁度いい感じ!」
「それなら、いいのですが……」
ユキさんは今日は農作業の手伝いに行くと言っていました。
土汚れを落としてきたのでしょう。
顔の前で両手をぐーぱーの形にして、にこりと笑いました。
ユキさんは以前にも増して、毎日何かしらの手伝いへと赴いているような気がします。
何か心境の変化があったのかは分かりませんが、とにかく私はそんなユキさんを相も変わらず尊敬しているのでした。
……少し、心配もしているのですが。
「それじゃ、いこっかー」
きゅっとユキさんが私の手を握って、研究棟内へと足を踏み出します。
ユキさんには、こうして検査の時には一緒に来てもらっていました。
たまに女性の警察官の方の時もあるのですが、ともあれ検査は一人では受けないようアザミさんに言われていたからです。
アザミさん自身、今は特に問題ないだろうと思ってはいるようですが、念の為、とのことでした。
「それにしても、先輩、ずっと忙しいねー。仕方ないんだけどさー」
ユキさんが言う通り、アザミさんはあれ以来しばらく、この駐屯地に殆ど滞在していませんでした。
定期的に顔は見せてくれるのですが、すぐに別の地域に飛び立っていくということを繰り返していました。
基本的には各駐屯地の防衛の補強作業をしているそうですが、話では、原子力発電所での作業を自衛隊と共にしていたりもするそうで、さすがにそれには肝を冷やす思いでした。
まあ当のアザミさんは、"念の為防護服も着るし、状態異常無効もあるし、危機感知もあるから大丈夫だ"と、あっけらかんとしていましたが。
「もっと顔出してくれればいいのにねー。カエデちゃんも寂しいよねー?」
「私はユキさんがいるから大丈夫ですよ?」
「くぅー、カエデちゃんてばいい子ー!」
「きゃ!」
こうして付き添ってもらっているのもそうですが、歳の離れた私といつも一緒にいてくれるユキさんに本心をそう伝えれば、ユキさんはぎゅうと私を強く抱きしめました。
その様子を、廊下を通りがかった自衛官の人に少し生暖かい目で見られて、自分の顔がいつもより赤くなっているのを感じます。
「もう、ユキさんてば……ユキさんこそ、アザミさんと会えなくて寂しかったりするんじゃないですか?」
「えっ!? いや、私はそんな、先輩がいてもいなくても変わらないし?」
ユキさんに抱かれたまま、なんとなしに口を出た冗談は思いの外動揺を誘ってしまったようで。
ユキさんは身体を離して、少し顔を赤くしながら、伸びた前髪をくるくると弄びました。
「ふふ、冗談ですよ。でも、早く帰ってきてほしいですね」
「あ、そうなの? あはは……うん、そうだよねえ。先輩めー」
「ふふっ」
ユキさんは照れたことをごまかすように、さっきまで弄んでいた前髪をぱっぱっと横に払っては、唇を尖らせます。
……こんなふうに以前にも増して呑気に冗談が言い合えるのは、ひとえに、私たちが今とても安全な環境にいるからだと思います。
それも全て、自衛隊の方々と、そして何より、アザミさんのおかげ。
平和なやりとりをしながら目的の部屋まで来ると、ユキさんが軽くドアをノックします。
コンコン
「萩さーん、雪ノ下ですー。カエデちゃんの検査に来ましたー」
「開いてるから、入ってちょうだい」
萩さんの返事が聞こえて、私はそんなアザミさんに想いを馳せながら、部屋の中へと入るのでした。
もう一話更新しますー!




