百七十六話
「聖女様、ありがとう!」
「ふふ。もう、痛いのはなくなりましたか?」
「はい!」
ローブに身を包んだ少女と手を繋ぎ歩きながら、男児はそう屈託のない笑顔を浮かべた。
「お兄ちゃん、ほんとに大丈夫?」
「おう!お前も大丈夫か?」
「うん、イーリス様のおかげで!イーリス様すごい!」
男児の反対側、同じくイーリスと手を繋いだ女児が、きらきらとした瞳で彼女を見上げた。
「大したことはないですよ。お二人とも何事もなくてよかったです」
そう言って、慈愛に溢れた、というに相応しい、眩いばかりの笑みをイーリスは子供達に向ける。
その笑顔を見て、二人は一瞬惚けたように少しだけ顔を赤くすると、さらにその表情を綻ばせた。
先程。
この町に着いたばかりの俺たちは、この二人が男に絡まれている場面に出くわした。
貧相な身なりの子供二人と対照的に、男の服装はなかなかに立派なものだった。
すぐそばには馬車が停まっており、御者台に人がいないことから、大方、男が御者であろうことが想像できた。
女児の片頬は赤くなっており、男児は彼女を守るように男との間に立ち塞がっている。
その彼もまた、頬に殴られたようなあざができていた。
何やら言い争っている様子の彼らだったが、男がその拳を振り上げた瞬間、同行していたリンドウが駆け出し、男の腕を掴んだ。
ぴくりとも腕を動かせなかった実力差を感じたのか、はたまたリンドウが"威圧"のスキルでも使ったのか、そこで三人のいざこざ自体は終わることとなったのだが、問題はそのあとだ。
どうやら男はこの町の貴族のお抱えの御者らしかった。
事情を聞けば、ことの発端はどうやら女児の飛び出しだったようで、すんでのところを回避したものの、頭に血がのぼって手が出てしまったらしい。
そこに女児と同行していた男児が割って入る形となり、生意気な口を叩いた男児もまた同じく……といった流れのようだった。
ともあれ、貴族の関係者となればそこで何もなく終わる、というわけにもいかないだろう。
ロベリアの提案から、貴族へのご挨拶はロベリアとリンドウに任せ、子供二人はこうして俺とイーリスが送り届けることとなったのだ。
「全く、面倒なことにならないといいが……」
イーリスと手を繋ぐ子供二人を呆れ顔で見ながら、そうぼやく。
「まあまあ、アザミさん。この町はまだ王国領土内ですから、大したことにはならないと思いますよ」
王国の威光の届く範囲であれば、そこから送られた勇者パーティーである俺たちもまた、ある程度の力がある。
イーリスはそう言いたいのだろう。
それはもっともらしい話なんだが、俺はこの世界、特に貴族やらの偉そうな奴らをそんなに信用していないからな。
一抹の不安は覚えるさ。
「そもそも、見た目で面倒そうな手合いだと分かるだろうに。リンドウのやつは何も考えず飛び出して」
「あら。そういうアザミさんも、今にも飛び出しそうに見えましたけど……」
「……あの程度なら放っておいたさ。大事になりそうなら、と身構えていただけだ」
イーリスに返した言葉は本心ではあったが、少々バツが悪くなり、子供二人に目を向ける。
「……お前はもっと気をつけて歩け、飛び出しとか轢かれてたらどうするんだ、あんなもんじゃ済まなかったんだぞ。お前もな、偉い奴には適当に頭下げてりゃいいんだよ」
「……ごめんなさい」
少々八つ当たりにも近い投げかけた言葉に、思いの外そんな素直な返事が返ってきて、またもバツが悪くなる。
ぼりぼりと頭をかく俺を見て、イーリスがふふ、と小さく笑った。
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「それでは、何かありましたら遠慮なくお呼びくださいね」
修道服を着た女性がそう一礼して、静かに部屋をあとにした。
「……いいところですね」
シスターへと返礼をしていたイーリスが、顔を上げてそうぼそりとつぶやいた。
簡素なテーブルに、立て付けの悪い椅子。
古ぼけた室内だが、しかし清掃は行き届いている。
外からは子供たちの明るい声が聞こえてきて、そのたびに、イーリスが表情を和らげるのがわかった。
ここは、町外れにある孤児院の一室。
先ほどまで一緒にいた子供二人はこの孤児院に住んでいるようで、送り先がここだったのだ。
施設の管理をしているシスターに大層感謝されて、こうしてリンドウとロベリアの"用事"が終わるまで待たせてもらっている。
「……まあ、そうだな」
ここにはあの二人以外にもたくさんの子供たちがいたが、その誰もが表情に陰りがなかった。
元の世界から孤児院というものに縁はなかったが、しかしイメージで言えば、それぞれに不運な事情があり世話になるようなものだとばかり思っていたから、ここの子供たちの様子は少々意外だった。
それが異世界所以のものであるのか、はたまたそんなもの関係なしに子供たちの強さであるのか、それは分からないが、ともあれ彼ら彼女らが明るい表情を浮かべられるのは、ここを管理している先ほどのシスターのおかげなのは間違いないだろう。
「……しかし、ロベリアのやつは任せろと言っていたが、俺もついていけばよかったか」
そう言いながら置かれた椅子に腰掛けると、ぎしりと音が鳴って、慌てて隣の椅子に座り直す。
そちらの椅子は多少はマシだったのか、揺れはするものの嫌な音もなく座ることができた。
「ふふ、アザミさんは心配性ですね。あの二人なら大丈夫ですよ」
イーリスはそんな俺の様子を見て小さく笑っては、先ほどの椅子を避けて隣の椅子に腰掛けた。
「……ま、俺がいてもそれはそれで面倒か」
俺はこの世界の貴族社会やらなんやら、そういったものについては全く知らない。
変に口出しするかもしれないよりは、あいつらに任せた方がいいのは確かなんだがな。
「別に、そんなこともないと思いますけど。アザミさんは頼りになりますから」
「さあ、どうだか」
イーリスのおべっかにそう返すと、ぷくりと彼女は頬を膨らませた。
その表情のまま、ずっとこちらを見るイーリスについに耐え切れなくなって、小さく笑う。
それを見てか、イーリスも同じくその顔に笑みを浮かべた。
外からは相変わらず子供たちの声が聞こえてくるが、反面、部屋の中には一瞬の沈黙が訪れる。
ふいに、イーリスがそれを破るように口を開いた。
「……先日の、リンドウさんのこと。リンドウさん、アザミさんにすごく感謝していましたよ」
「ん?」
「あの、この前の、盗賊の討伐を請け負った時の一件です。私も、慰めて貰いましたし……」
「あぁ……」
魔王討伐の旅に出てきたのに、何度も人を殺めることになっている現実。
そのギャップに思い悩んでいたリンドウに、声をかけた夜の話か。
自分では、随分と気の利かないことだなと思っていたんだがな。
後日イーリスにも声をかけて、また大したこともない台詞を吐いたんだったか。
「……私。アザミさんに出会ってから、ずっと思っていることがあるんです」
じぃ、とこちらを見ながら、イーリスはさらに言葉を続けた。
「リンドウさんは、子供の頃から英雄になるべく努力して、今も、英雄になるべく行動しているのだと思います。もちろんそれは立派なことで、そんな方が英雄になっていくのも至極当然の流れだとは思うんです」
「……」
「でも、そんなもの関係なしに。ただ自然に、自らの思うままに行動して、それが誰かを救うことに繋がっていく。そんな方も、また英雄になるのではないのかなと思うんです。それもまた、言わば英雄の資質なのではないか、と」
その言葉に、一瞬だけ思考を巡らす。
つまり、イーリスはこう言いたいのだろう。
それに該当する人物が、俺であると。
あの日リンドウに伝えたように、俺はそんなものに興味はない。
しかしまた同時に、彼女らにそう思われることに対し、何か不快な思いをすることもなかった。
「あっ、あの。こうして旅をしていることそれ自体について、アザミさんを召喚したこちらの世界の私がいうのはおかしな話なのかもしれませんが……そうでなく、えっと、私たち三人も、とても救われているという話で……」
そんな俺の様子を見て何か勘違いでもしたのか、イーリスは慌ててそう言葉を加えた。
確かに、この世界の人間族を救う旅、そこに俺の意思はほとんど介在しない。
その道中で人を救うのもまた、単に元の世界に還るため、つまりは召喚されたことで発生しているだけだしな。
とはいえそれを言ってしまえば、彼女ら三人が救われている、と思っていることそれ自体も、召喚所以のものになってしまうんだが……まあ、野暮なことは言わないでおこうか。
「……大袈裟だ。それにこの世界では知らんが、俺の世界ではな、リンドウはまだまだ子供なんだよ。イーリスお前もな。ロベリアは……まあよく分からんが似たようなもんだ。子供の世話を焼く程度のことさ。そんなもんで英雄になんかなっていたら、ここのシスターは大英雄ってところだろうな」
不安そうな顔を覗かせるイーリスに冗談めかしくそう言うと、彼女はほっとしたような表情を見せた。
そのくらいの"失言"で、別にどう思うこともない。
今言ったように、俺にとって彼女らはまだまだ幼いのだから。
「私はもう子供じゃありませんよ……」
そう言われたことが不服だったのか、しかし自らの失言を前に強く出ることもできず、イーリスはほんの少しだけ唇を尖らせる。
それから表情を和らげると、また自然と口を開いた。
「私。こちらの世界に来たのがアザミさんでよかったと……あっ、そうでなくて!アザミさんにとってはとても迷惑な話で、そう言う意味ではなくて……えっと、私はアザミさんを……ではなくて!なんて言えばいいか……」
イーリスは自らの再びの失言に気づき、慌ててそう繕い、今のは無しとでも言うかのように目の前で手を振る。
真剣な顔で英雄について語り、不安そうな顔を見せ、ほっとしたかと思えば唇を尖らせて、今度は何故だか顔を赤くしてから、しゅんとなって俯いて。
イーリスのその百面相ぷりに、つい苦笑が漏れる。
「……全く、本当迷惑な話だ」
こっちの世界の女神様とやらは、なんで俺を選んだんだか。
もっとマシな奴はごまんといただろうにな。
俺の言葉に、ぴくりと体を震わせたイーリスが、俯いた顔を少しだけ上げて視線を向ける。
恐る恐るとでもいったように不安そうな視線を向けるイーリスだが、俺の内心はそんな言葉とは裏腹に、負の感情を持ってはいない。
今の一連のイーリスの言葉は全て、彼女の純粋な気持ちから出た言葉だ。
それはつまり、彼女の俺に対する信頼の証でもあり、そこに悪い気持ちを抱くはずもなかった。
「……まあ、だが。イーリスの言いたいことは分かったさ。ありがとうな」
俺はそう言って、イーリスの頭に優しく手を置く。
縮こまるように俯いていたイーリスだったが、それで安心したのか、俺を見上げて表情を和らげた。
かと思えば、はっと何かに気づいたように一度目をぱちくりさせると、何故だかまた顔を赤くして俯くのだった。




