百六十六話
「おじさん、ありがとう!」
無邪気な子供の声に慣れない愛想笑いを返す。
隣の男性は少々怯えの表情を見せながらも俺に小さく頭を下げ、子供と手を繋いで校舎の中へ消えていった。
「……なんとか終わりましたね」
声に振り向けば那須川さんがバスのステップから降りてきて、バタリと大きな音を立てドアを閉めた。
結局、と言えばいいのか。
町の代表者たちは、駐屯地へ移住することを決めた。
グールの現れた今、もはやこの地は安全とは言い難く、当然の結論だろう。
駐屯地への移動には、自衛隊の大型ヘリを使う。
その際はそれ相応のスペースが必要となるから、小学校の校庭に停めようという話となった。
周囲は金網のフェンスにある程度は囲まれているし、足りない部分は後で俺が多少補強してやれば安全は確保できる。
それに校舎は十分な広さがあるし、あらかじめ町の住民たちを集めておけるのも大きかった。
今は丁度、バスを使ってのその作業が終わったところだ。
「それにしても、柳木さんが言ったように年配の方が多かったですけど。子供たちも結構いたんですね」
「……そうだな」
那須川さんの言葉に、頭をかく。
正直、俺としてはそれは知らない事実だった。
じいさんからは、老人の多い町、としか聞いていなかったからな。
だが考えてみれば、地獄のような都市部とは違い、そもそもゾンビとなる人間が少ない地方は、弱者である子供でも生きられるチャンスがあるのは当然のことだった。
町ぐるみで協力してパンデミックを乗り越えようとしたここの住人たちならば、余計にだろう。
そもそも子供が町に一切いないなんてことがあるわけが無いんだからな。
「隊のみんなが聞いたらきっと喜びますよ。子供の笑顔に勝るものはありませんから」
那須川さんは、本気でそう思っているのだろう。
子供は無条件で助けるべき。
そんなヒーローじみた、ある意味では甘っちょろい考えが彼の、彼らの中にあるのはこれまでの態度からして明白で、今更の話ではある。
嬉しさを隠そうともせず、底抜けに明るい声を出す彼を見て、小さく息を吐く。
それに込められたのは、彼に対しての呆れであったり、好意的な感情であったり、そういったものではない。
カエデに施しをし、タケルとモモを助け、ナノハを救った俺も、似たようなものだと思ったからだ。
この世界らしい衝動に突き動かされて、これではリンドウに利いた風な口はきけないなと、少々バツが悪くなり一人そっぽを向く。
「……那須川さんは、今日は残るんだったか」
「え?あ、はい。自分ともう一人ここに残り、後は戻ってもらいます。早ければ、明日には大型ヘリを寄越せるかと思います」
「わかった。じゃあ俺は今のうちに外の作業をしてくるから、後は任せていいか?何かあったら無線で連絡してくれ」
「分かりました。心配はいらないでしょうが、気をつけてください」
「あぁ」
少々話を逸らすのに不自然すぎたか、など思いつつそう言葉を交わして、那須川さんと別れ校庭周辺の簡易バリケード作りに取り掛かる。
しばらくして、ヘリが学校の屋上から飛び立つのを見送った。
+++++
バリケードの設置には、例のごとく今は使われていない車両を使った。
もともと周辺のゾンビ共は始末していたし、ヘリに住民を乗せる間だけ安全ならば問題ないのだから、それで十分に事足りるだろう。
作業中は校舎からの視線が少々気になったが、それももう今更の話だ。
グールがこちらの町にも来ていて力を見せることになったのだからな。
その作業はつつがなく終わり、夜、俺は校舎の屋上で町の住民数人と見張りに立っていた。
ちなみに那須川さんたちには、校舎の階段部で番をしてもらっている。
町の住民は全員校舎の二階から上に避難して貰っていて、こうしておけばたとえ何処かからゾンビが入り込んでしまったとしてもそれほど問題も起きないだろうからだ。
特に会話もなく過ごす時間の中、ふと、知った気配が近づいてくるのを感じとる。
キィ、と少し錆びついた屋上のドアが開く音に目を向ければ、そこには懐中電灯を持ったタケルの姿があった。
集まる視線に一度ぺこりと頭を下げると、彼はきょろきょろと周りを見渡す。
光を周囲に向けるわけにもいかず、屋上の床を照らして誰かを探しているようなその様を見て、声をかけた。
「どうしたタケル、何かあったか?」
「あっ、柳木さん」
近寄る俺に気づくなり、タケルが何処か嬉しそうにその顔を綻ばせる。
「いえ、あの、特に何かあったわけじゃなんですけど……今、大丈夫ですか?」
「構わないが……」
そう言ってから、先程まで番をしていた位置まで戻り腰を下ろす。
後をついてきていたタケルも、俺に並ぶように隣に座った。
「……昼間は、本当にありがとうございました」
放たれたタケルの言葉に苦笑する。
というのも、それは助けた直後に始まり、この学校にタケルやモモたちを運んでくる時にも聞いているし、着いてからも聞いているからだ。
「あぁ。そいつはもういいさ、十分だよ。それで、他に話があるんだろう?」
言ってから、向こうから俺の表情はよくは見えていないだろうが、少しだけ口の端を持ち上げる。
わざわざ幾度目かの礼を言いにきたわけでもあるまい。
「あの。えっと、なんだか、ゆっくり話す暇もなかったから。明日も慌ただしいだろうし、向こうに着いてからもどうなるかわからないので……」
「……」
「単に柳木さんと少し世間話がしたかったんです、ご迷惑でなければ……」
不安そうな顔を覗かせてから、タケルは少し照れくさそうに視線を向ける。
またも苦笑して、俺は首をすくめた。
「別に、向こうに着いてからも話す機会なんていくらでもあるが……ま、話しながらでも見張りくらいは余裕だから、迷惑なんてこともないがな」
「それなら、よかったです」
タケルがそう言って笑顔を浮かべると、ほんの少しの沈黙が流れた。
屋上から視線を落とせば、俺が夕方から夜にかけて設置した、閑散とした風景に似合わぬ不自然な車のバリケードが見える。
タケルもそれを見ているのか、ぼんやりとそちらの方に視線を送っていた。
「……柳木さんは」
「うん?」
「俺の想像なんて遥かに及ばないくらい、本当に凄かったんですね」
その言葉に、何度目かの苦笑が漏れる。
タケルは助けた時とは違い、すでに俺の力を知っている。
眼下に見えるバリケードを俺が一人で作ったことも。
「心配しなくていい、って言う訳ですよ……教えてくれればよかったのに」
タケルは俺に向き直ると、そう言って少しだけ拗ねたように唇を尖らせた。
そんな無邪気ともいえるような彼の視線を受けて、先程から感じている疑問が、自然と口をついた。
「……タケルは、俺のことが怖くないんだな」
それを聞いて一度、きょとん、というに相応しい顔をしてから、タケルはまた笑って口を開く。
「そんなこと思いませんよ。モモだってそうです。まあ町の大人たちは柳木さんのことをよく知らないから、そう思うのかな……でも、こうやって色々してくれる柳木さんのことをそんなふうに怖がるのって、どうなのかなって思いますけど」
「……」
「あ、子供たちは柳木さんのこと、かっこいいって言ってましたよ。まあ俺は、ずっと前からそう思ってましたけどね!」
随分と真っ直ぐな彼のその言葉に、少々気恥ずかしくなり頭をかく。
あぁ、それなら昼間の子供の瞳もそんな意味が込められていたんだなと、今は駐屯地にいる少女の姿が頭に浮かんだ。
それに似たような瞳を向けるタケルがふと思い出したように、あ、とまた一つ声を上げる。
「そういえば、駄菓子屋のおばあちゃんは、柳木さんのこと拝んでましたよ。いい男だしって。鈴掛先生もそうだし、大人の中にも話のわかる人はいるみたいです」
「あー……そういうのはやめてくれと伝えておいてくれ……」
思い出し笑いしながらのさらなる追撃にまた苦笑して、俺はタケルへとそう言葉を返した。




