百六十二話 比嘉丈瑠3
気付けば、すぐそばには憧れの人が立っていて、俺を見下ろしていた。
「……や、柳木、さん?」
「……怪我はないか?」
眉間に皺を寄せながら、柳木さんは俺へと再度そう聞いてきた。
慌てて自分の身体をさすってどこも怪我をしていないことを確かめて頷くと、柳木さんはやっと表情を緩めた。
「間に合ったか、そいつはよかった」
ほっとした様子の柳木さんに未だ現実感の湧かないまま、しかし今現在の状況を思い出し慌てて周囲を確認する。
どうやら先生達も無事のようで、感染者も残るは少し離れた距離にいる"歩く感染者"のみとなっているようだった。
「柳木さん、なんでここに……」
俺と同じようにポカンとする大人達の視線も受けながら、柳木さんは一度頭をかく。
「あー、詳しい話はもう少し後でな。取り敢えずはやつらを倒してしまうとしよう。手出しはいらん、警戒だけしといてくれ」
柳木さんはそう言ってまるで散歩にでも行くかのように感染者の群れの方へと歩み出すと、今度は思い出したように先生の方に振り向く。
「そうだ、じいさん。広い屋上のある避難所から目印でも出してやってくれないか。もうすぐ自衛隊のヘリが来るんでな」
「なん……いや、わかった」
「さすが、話が早くて助かる」
にやりと笑うと、柳木さんはそう言って刀を抜く。
その後ろ姿は、鈴掛先生のものとは似ても似つかず。
先生のように脱力しているようで、しかし僅かな緊張すらもなく。
まるで眼前に迫る十をゆうに超える感染者など無いもののようにすら感じられた。
ゆっくりと感染者の群れへと歩む柳木さんに、ハッとなって無茶だと声をかけようかと口を開きかけた瞬間。
その一振りで、数体の感染者の頭が吹き飛んだ。
「っ……」
その後も、これまでに見たことのないような光景が、目の前で繰り広げられる。
手伝わなくていいのか、などという言葉すら頭に浮かんではこなかった。
……時間にして数分も経っていないだろう。
それこそ流れるような動きで、一切の無駄もなく、感染者のその指すらも自身の体に触れさせることなく、柳木さんは感染者達を殲滅した。
達人を超えた達人、まさにそんな言葉が似合うような姿だった。
「……那須川さん、聞こえるか?」
『……はい、聞こえています』
「やはりこっちにもグールが来ていた。取り敢えず目印を出してもらうから、ヘリはそこに停めてくれ」
『了解です』
「俺は一旦、会った人たちを送っていく」
感染者を片付けた柳木さんは、腰に付けた無線機で何やら誰かと通信をすると、つい今しがたの感染者達のことなどなかったかのように軽い足取りでこちらへと戻ってくる。
お弟子さん達がそんな柳木さんを見てごくりと喉を鳴らす中、俺の胸の鼓動は高鳴っていた。
「柳木さんっ!本気を出した柳木さんはこんなに凄かったんですね……!柳木さんは自衛隊の方だったんですか?どうしてここに?」
確かに、立て続けに質問はしたけれど。
俺のその問いはそんなにおかしかっただろうか。
それを聞いた隣に立つ先生は苦笑していたし、お弟子さん達も何故だかさっきからずっと困惑したような表情を浮かべていた。
「……その辺については、戻りながらでも話そうか」
柳木さんはそう言うと、先生の方を見る。
先生はそれに無言で頷くと指示を出し、お弟子さん達はそばの軽トラへと乗り込む。
俺も柳木さんと先生と共にもう一台の軽トラの荷台へと乗り込んだ。
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「……そりゃあ、わしが敵わんわけだ。長生きはするもんだな」
荷台の上。
先生の言葉に、柳木さんが首をすくめる。
「一応、と言っておくが。なるべくこのことは他言無用で願いたい。お弟子さん達にもそう伝えといてくれ」
「……ま、当然だな。しかし、くくっ……」
確かに、柳木さんは凄かった。
先生よりもはるか高みにいる、と言っても差し支えはないだろう。
しかし何故秘密にしなければならないのだろうか?
「……さて、さっきの話に戻るが。取り敢えず俺は、今は自衛隊の手伝いをしている」
「自衛隊ではないってことですか?」
「あぁ、手伝いだけだ。それで、ここに来た理由だが……簡潔に言えば、農作業の知識に長けた者を探している」
柳木さんの言葉に、先生が一度顎を撫で口を開く。
「ほう……自衛隊はさすがにまだ健在だったか」
「全部、とはいかんがな」
「して、その理由か。なるほど、単に救助に来た、とかそういうわけではないのだな」
「あぁ。今いる自衛隊の駐屯地内かその近辺で、農業をやるという話になってな」
少々考え込んだ様子を見せてから、先生はさらに言葉を続けた。
「……柳木君の想像は正しい。確かに、今生き残っている中には農業で生計を立てていた者も多くおる」
「そいつは良かった」
「だが……」
そう言葉を区切って、先生は鋭い視線を柳木さんへと向けた。
先生が言おうとしていることは、なんとなくだけど分かる。
まずそもそも自衛隊が無事だったことに俺は驚いたけど、でもそれならなんでいまだにこんな状況が続いているんだ、というのが真っ先に俺の頭に浮かんだ。
そして今更来たかと思えば、救助ではなく人材探しだという。
それ目的ならば、先生の危惧することもわかるというものだ。
と、そんな気持ちを汲み取ったのか、柳木さんは先んじて口を開いた。
「あー、一応だが、必要な人材を確保したらそれで終わりというわけじゃ無い。この町の人達を全て駐屯地の方に移すことも視野に入れてある。行きたい奴が行ってもいいし、残りたい奴は残ってもいい。だが、ここにずっと自衛隊の戦力を回す、というのは無理と思ってくれていいかもな」
「ふむ……」
「向こうにも色々と事情があるようでな。今更来たことについては勘弁してやってくれ。ま、なんにせよ、詳しい話は自衛隊の奴らが来たら町のみんなで話してくれりゃいいさ」
一つ息を吐きながらそう言うと、先生の視線を受け流すように柳木さんは遠目に見える道場の方に目を向けた。
どこか懐かしむような柳木さんのその横顔に、何故だか少し嬉しくなった。
そんな俺の視線に気付いたのだろうか、柳木さんはこちらを向くと少しだけ眉を上げてから、小さく笑みを浮かべた。
「取り敢えず俺としては、タケルが無事で良かったよ。それだけで来た甲斐があるってもんだ」
「柳木さん……」
「……少し見ない間に、いい顔つきになったじゃないか、タケル」
その言葉は、俺の芯まで響いて。
胸の奥から込み上げて瞳から溢れそうなものを堪えるのに精一杯で、つい口をへの字にしてしまう。
「俺も、柳木さんが無事で、嬉しかった、です」
「俺のことは心配いらんと言っていただろう」
「そう、ですね。あんなに強いんだもの……」
そう言って、ふと、さっきのことを思い出す。
「……あの、柳木さん」
「ん?」
「そういえば、俺の目の前にいた感染者は、どうしたんですか?あと、いつの間に来たんですか?」
唐突に、それこそ消えるように俺の目の前からいなくなった感染者。
周囲の状況を確認した時だって、あの髪の長い女性の感染者の姿は見当たらなかった。
それに冷静に考えれば、そもそもまだこの町に自衛隊のヘリは到着していないというのに、何故それに先んじて柳木さんはここにいるのだろうか。
「あー……」
ぼりぼりと頭をかいて、柳木さんは何故だか先生と一度目を合わせて、苦笑する。
「そいつなら……少し急いで来たらタケルが襲われていたんでな。蹴飛ばしたらどっかに"飛んでいった"よ」
「飛んで……?」
「くっ……はっはっはっ!」
頭に疑問符の浮かんだ俺だったが、何故だか先生が俺たちの会話を聞いて、高らかに笑った。
次回からアザミさんパートに戻ります!




