百五十六話
夜の闇の中、走り寄る影に打刀を振るえば、亡者はぴたりとその動きを止め倒れていく。
勢いよく地面に伏すその衝撃で頭蓋がずれ、中から脳漿がこぼれ落ちた。
走り寄ってくるグールの速度は、不恰好なフォームながら、おそらくはオリンピック選手並だ。
それが疲れを知らないのだから、夜間のこいつらを相手にすれば、一般人ではどうしようもないだろう。
続け様に襲いくる亡者共に次々と太刀を浴びせ続け、周囲が静寂に包まれれば、地面には無数の亡骸が転がっていた。
「……ふぅ」
一つ伸びをして、上を向いて首を回す。
昨日までの大雨が嘘だったかのように、視界には星空が広がっていた。
台風は、何事もなく過ぎ去っていった。
明日からまたコンテナの設置作業に移るわけだが、それを見越して、夜の間に壁の外側のゾンビ共を片付けておこうと俺は外に出てきていた。
グールがこの世界に現れた時のことを思えば、また何かよくないことが起きるのではないかと少々心配をしていたのだが、今のところその兆候は見られない。
グールの割合も、特に目立ったような変化はないように思う。
そのことにひとつ安堵の気持ちを抱きながら、考えを巡らせる。
萩さんの元いた場所では、未だグールは現れてはいないということだった。
その違いは何なのか。
この世界で初めてグールに遭遇した時、気になったのは、やつらが目の前で"進化した"ように見えたということ。
それから思い浮かぶのは、"経験値"という単語だった。
それは"魔力喰い"とも呼ばれる、異世界での理のような物。
異世界では、魔物を倒した人間はそこから散った魔力を取り込み、強くなっていった。
そして、実際はどうかはわかってはいなかったが、それは"魔物が人間を殺しても"適用されると考えられていた。
もし、そうであるならば。
また、それがこの世界でも起こっているのならば。
今回のグールの件については、多少の説明がつかないわけではない。
ゾンビがグールに進化したのは、そのゾンビが人間をたくさん殺し、何かのきっかけでグールへと進化を果たしたから。
萩さんの元いたところでグールが現れていないのは、元々の人口の違いから、ゾンビが進化に足る数の人間を殺すことができなかったから。
……とはいえ、ゾンビを大量に殺しているはずの自衛官達は何も変化が起きていないのだから、この考えは多少無理があるかもしれない。
もっとも、倒した相手の魔力を取り込むということが、こちらの人間ができないだけという可能性もあるが。
しかしそもそも、こちらの人間に魔力などあるはずがないだろうから、本当に魔物が人間を殺すことで"経験値"を得られたとしても、こちらではそれが得られないことにもなる。
……まあ、このゾンビ共が魔力で動いている物なのかどうかすら、実際には分からないのだが。
そう言った感知の出来ない俺のクラスがもどかしい。
考えるだけ、無駄、か。
一つ小さく鼻を鳴らすと、壁の向こうにある駐屯地の方角を向く。
予定では、明日俺は作業の前にカエデの検査に立ち会うことになっている。
その間は自衛隊だけで作業を行うから、今のうちに念の為少しでも壁の外のゾンビ共を片付けておかねば。
今は、できることをやるとしよう。
そう思い、俺は駆け出すのだった。
+++++
「柳木さん、お疲れ様です」
夕刻。
コンテナの設置作業を終えて駐屯地前まで来ると、警戒を続ける名も知らぬ自衛官達にそう声を掛けられる。
疲れの見える表情ではあったが、そんな自分の状況など構わないとでもいうように綺麗な敬礼を俺へと向けてくる。
そんな彼らに対し、俺は少々の罪悪感にも似た気持ちを抱きながら、軽く返事を返した。
昨日まで続いた台風は随分とひどいものだった。
そんな中、駐屯地外で警戒をしていた自衛隊員たちには賛辞の言葉を送りたいと素直に思う。
俺に協力を頼むこともできたはずなのに、彼らはむしろそれくらいのことは自分達だけで行うと言ってきかなかった。
ここの自衛隊は俺がナノハに言った通り、高い志を持っているのだと思う。
俺はそんな彼らに対し、やはり好感を覚えざるを得なかった。
「……」
駐屯地内に入り、その足で真っ直ぐに萩さんの研究室のある棟を目指す。
カエデの身体検査の結果を聞くためだ。
元々は、俺が彼女に付き添って検査を進める予定ではあったのだが、当然服を脱いだりなどしなくてはならず、途中から男の俺が常に一緒にいるのは不味いだろうと、ユキと織田さんの部下の女性警察官に付き添いを任せたのだった。
勿論、採血など、"万が一カエデに何か危害を加える可能性があること"については、俺がいる間に全て先にやって貰っている。
今更萩さんがそんなことをするとは思ってはいなかったのだが、念の為だ。
まあ、その検査の時も萩さんに敵意のようなものは全くなかったから、そういう心配はもうしなくてもいいだろう。
ひとつ気になったのは、いざ検査に向かおうとした時や、検査中の、カエデの緊張したような面持ちだった。
検査をすること自体はカエデには何度も確認を取っていたことだし、また彼女の語った想いからも、彼女が自身の体を調べられることを望んでいたのは間違いのないことだろう。
それにしては、少々覚悟のようなものが垣間見えた感じがした。
俺と同様に萩さんに対し一応の警戒心を向けていたのだろうかと、心配するな、と言ってはおいたのだが。
……果たして、カエデの検査から何か得られるものはあるのだろうか。
もしも、彼女の身体から抗体のようなものが得られるのであれば、それに越したことはない。
この世界においてゾンビが恐ろしいのは、疲れを知らないその性質や強化された身体能力ではなく、一度でも傷を負わせられたらもう死を回避する術がないということ。
それが無くなるのであれば、人類は徐々にゾンビ共を駆逐していくことも可能かもしれない。
だが、その望みは正直薄いだろうな。
それがはっきりと分かった時、カエデはどう思うのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は萩さんの研究室の前まで来ていた。
部屋の外には一人の自衛官がおり、軽く会釈を交わすと、彼は室内にいる萩さんに声をかける。
気の抜けた返事と共に、研究室のドアは開かれた。
「お疲れ様。取り敢えず適当に座って」
気配感知でわかってはいたのだが、室内には萩さんの姿しかなく、すでに検査は終わっているものと思われた。
言われるままに、そばにあったパイプ椅子をひらいて、そこに腰掛ける。
面を上げれば、彼女はデスクに置いてある紙の束から一枚を手に取ると、僅かに口元を緩めながらそれを眺めていた。
「……何か、あったのか?」
その様子を見て問うと、彼女は俺と視線を合わせて一度小さく微笑む。
「血液検査なんかはもう少し時間がかかるのだけれど。基本的には、カエデちゃんの身体は普通の人と変わらないんじゃないかと思うわ」
「……基本的には?」
「えぇ」
含みを持たせたようなその言い回しに少しだけ首を傾げると、萩さんは言葉を続けた。
「柳木さんは、知っていたのかしら?」
「何をだ?」
「……その様子だと、本当に知らなかったみたいね。これを見てくれる?」
そう言って彼女は先ほどまで持っていた紙を手渡してくる。
覚えのある単語と数字が羅列されているそれは、子供の頃にやった体力測定のようなものだろう。
「カエデちゃんが気になることを言っていたから、採血後だし簡単なのだけ、ちょっとやって貰ったのよ。少しおかしなところがあるのがわかるかしら?」
「……」
彼女の言う通り、走るなど激しい運動を要するものについてはやっていなかったのだろう。
その部分は空白となっていた。
だが、他の項目に記された数字を見て俺は眉をひそめた。
「……カエデちゃんって、見かけによらず、"随分と力持ち"なのね」
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