百五十三話
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします!
目の前には、体を直角に折り曲げ頭を下げる男がいた。
そんな男を、俺の隣にいるユキが腕を組み仁王立ちしながら睨み付けている。
「本当に、すみませんでした……」
男は、尚も頭を下げたまま、心の底から申し訳なそうに声をあげる。
「あの……でも、カエデちゃんのことを喋ったのは俺じゃないんです。それだけは信じてください」
男は顔を上げて、俺の方を見てそう続けた。
この男が誰かといえば、カエデの腕の傷跡について騒いでいた避難民の青年だった。
話は少々遡る。
萩さんと二人で話したあの日、この騒動を収めるために彼女はこんな提案をしてきたのだった。
それは、あの場にいた避難民を呼び出しひとつ作り話を伝えると言うこと。
その作り話とは、こうだ。
カエデはゾンビに噛まれたのに何故か無事である。
そんなカエデを自衛隊は保護し、現在萩さんが何か得られるものはないかと調べている。
しかし今は全くその成果もないし、見通しも立っていない。
カエデの傷跡について秘密にしていたのは、避難民の不安を考慮してのことであり、またそれによるカエデへの風当たりも心配だから。
事実の部分もあるし、話としては上々だろう。
それならばカエデは自衛隊に大事にされるのは当然の話で、またその仲間であるデパートの面々が他の避難民とは違う場所で暮らしているのにも、多少は納得も出来るだろう。
ただこれは、少々カエデに負担を強いる話でもあった。
結局は、作り話の中にある、カエデへの風当たりが強くなる、ということが実際に起きる可能性がなくはない。
単に昔犬にでも噛まれた、ということにしておいた方が余程のことカエデにとっては楽な話ではあるだろう。
しかしあの騒動の場であれほどの騒ぎが起きたのだから、今更そんな話をしたところで信憑性はどうにも薄いようにも思えた。
カエデにその話をしたところ、しかし彼女はそれを何の躊躇もなく承諾した。
むしろ、自分がヘマをしたのだからそれくらいのことは当然だというような顔をしていた。
そしてカエデの了承を得てからすぐに、あの騒動の場にいた避難民を呼び出し、この話をしたと言うわけだ。
当然、この話は内密にするように言いつけてある。
それで取り敢えずは一件落着かと思われたのだが、しかし話はこれだけでは終わらなかった。
一体誰が漏らしたのか、腕に噛み跡のある少女がいる、という話は、すでに他の避難民の知るところとなっていた。
今目の前にいる避難民の青年が言っているのはそのことだ。
「そもそもあなたがあんなことしなきゃ、こうなってないでしょ!」
「……ユキ」
「カエデちゃんは優しいからあなたの相手をしてあげてたのに、あんなことするなんて!」
「ユキ」
青年はそれほど非常識な絡み方をしていたわけではなかったそうだが、それでもカエデは警察署で酷い目にあった過去があるから、ユキは彼をなるべく近づけたくはなかったようだった。
しかしカエデは、避難民とデパートの人たちとの関係がそれで悪くなるのは良くないだろうと、別に気にしてませんよ、とユキに言ったそうだ。
実際どれほどあの時の心の傷が彼女に残っているのかは分からないが、そんな気を回せるカエデを健気だと思った。
「本当に、返す言葉もないです……」
「……まあ、もう起きてしまったことは仕方ない。あんたにも、事情があったようだしな」
「……」
その事情とは、これもまた、心の傷というべきもの。
彼はこの駐屯地に来る前には、他の避難所にいたらしい。
そこにはパンデミック初期に避難していたらしかったが、しかしすぐにその避難所は崩壊したようだった。
原因は、怪我を負った他の避難民による内部からのパンデミック。
それ以来、彼は怪我を負った人や傷跡のある人に対し過剰な反応をとるようになったのだと言う。
所謂、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、というやつだ。
「しかしともあれ、そういうことなら今後はカエデには近付くな。またあんな騒ぎを起こされては敵わん」
「はい……本当に、申し訳ありませんでした」
「あぁ」
再度青年は頭を下げると、俺たちに背を向けて歩き出した。
その随分と小さく見える背中を見送ってから、ユキが口を開く。
「……先輩、あれで良かったんですか?」
ユキとしては不満が残るのだろう。
唇を僅かに尖らせながらのその問いに、俺は答える。
「あいつはさっき、カエデにもちゃんと頭を下げていただろう」
「でも……」
「それにな。あいつは多分、こちらの事情を聞いて、心の底から本当に悪いことをしたのだと思っている。それならもう、これ以上何を望むんだ?」
先程の彼からは、敵意が全く感じられなかった。
それはつまり、あれらの言葉が全て本心からの言葉ということに、疑う余地はないだろう。
「別に、本当に致命的な何かが起きたということでもないしな。カエデには少々不自由をかけるかもしれないが……まあそれも、以前から抱えていた問題と似たようなもんだろう」
それは前に那須川さんが食堂で話した、避難民の抱いた疑問の話。
そう言った考えを強く持つ避難民からすれば、元々俺達はそう好ましく思われてはいなかっただろう。
それが今回のことで、より強くなる"かもしれない"というだけの話。
「むぅ……」
「むしろ問題なのは、口の軽いやつが誰なのかって話なんだが……まあ、これについても、わざわざ犯人探しをするつもりもない」
「……なんでですか?」
「一言で言えば、無駄だからだな」
……正直な話、俺にはそれが誰なのか、敵意感知でおおよその目処はついていた。
だがそれはあくまで敵意の有無による予想に過ぎず、確実とまではいかない。
それに、もしそれが誰なのかを本当に突き止めたところで、その後はどうするのかという話。
萩さんがいたような駐屯地であるならばそれこそ本当にここを追い出したりもするのだろうが、この駐屯地でそんなことはしないだろう。
それならば、いっそ放っておこうと考えた。
そいつが先の作り話も漏らしたなら、それはそれで、他の避難民も納得するだろう。
もっとも、自衛隊から直接聞いたわけでもない他の避難民がその話を信じるかは知らんがな。
それについては、カエデの傷痕自体についても同様だろう。
「作り話が漏れたらそれはそれでいい。カエデにはこのことについても了承は取ってあるしな」
「んー……」
「まあ、カエデがあまりにも居心地が悪くなったと思ったら、ここを出ていけばいいだけの話だ。俺が全部面倒見てやるさ」
どうにもまだ納得出来ていないようなユキを見て俺がそう軽口を叩くと、彼女は小さく笑う。
「先輩は本当、カエデちゃんに甘々ですよねー」
「……まあ、そう、なのかもな」
「やっぱり先輩は、カエデちゃんのような子が……」
「あー」
つい先ほどの難しい顔をしていた時とは違い、からかうように口角を上げて放たれたユキの言葉を、遮る。
「そういうんじゃないさ。約束、したからな」
そう言ってから、ふと、胸中にさまざまな想いが渦巻いた。
あの日のカエデとの約束のことは勿論、カエデに初めて出会った時のことや、一度彼女のそばを離れた時のこと。
そして、"異世界の仲間のこと"。
思えば、最初にカエデを助け、長く面倒を見ていたのは、ああして別れてきた異世界の仲間への、いわば罪滅ぼしのような感情からだったのかもしれない。
だが今は、事実彼女の存在は俺にとって大切なもので、そんな感情からこの気持ちが来ているものではないと、確信もしている。
「……えーっと、先輩」
「ん?」
「その時は、私も連れて行ってくれたりしますか?」
「まあ、ユキが望むなら別に構わないが……」
その時は、元々織田さんたちとも相談しようと思っていたからな。
デパートの面々がついて来たいようなら、色々と準備なんかもしないとならないだろう。
「先輩、約束ですからね!」
唐突に投げかけられた問いに何気なくそう答えると、ユキは満面の笑みをその顔に浮かべた。
漫画版五話も更新されておりますので、そちらの方も是非是非よろしくお願いいたします!orz




