百五十一話
部屋の中に入ると、今は動いていない素人目には何に使うのかわからぬ大仰な機械類が複数あるのがまず目に入った。
デスクの上には乱雑に書類の束が散らばり、それに混じって、数本の煙草の吸い殻の入った灰皿が置かれていた。
また使い終えた紙コップなんかも床に転がっていて、なるほど、先の散らかっているという言葉はその通りだと思うような有様だった。
「適当にその辺の椅子に座ってちょうだい」
女性はそう言って一人デスクに向かい備え付けの椅子に腰掛ける。
置いてあったパイプ椅子にカエデを先に座らせて、もう一つをそばに寄せては、俺もそこに腰掛けた。
まだ椅子は余ってはいるのだが、那須川さんはそれを使わず、立ったままだった。
「改めて。萩くるみよ、よろしく」
先程の騒動からこちらへと向かう途中に互いに名前は名乗ったのだが、再度彼女はそう名乗ると、にこりと笑顔をこちらに向けてから、おもむろに足を組んだ。
先の立ち振る舞いといい、随分と自信に満ち溢れたような態度だ。
「それで、カエデちゃんだったかしら。腕の傷跡、見せて貰えるかしら」
直線的に整えられたボブカットの毛先を揺らして、彼女はそう言ってカエデを見る。
その鋭い視線に怖気付いたのか、一度体をびくりと震わせて、カエデはちらりと俺に瞳を向けた。
「……その前に、いくつか質問したいんだが。まず萩さんが何者なのか知りたいな」
「柳木さん、でしたよね。えーと、そうね。わかりやすく言えば、研究者、みたいなものかしら」
「ほう……?」
彼女の言葉に相槌を打ってから、傍に立つ那須川さんに目を向ける。
一度ごくりと喉を鳴らしてから、那須川さんが口を開く。
「萩さんは……本日こちらにいらした、国の研究員です」
那須川さんは多くを語らず、その一言で口を閉ざした。
「……なるほど、な」
だがその一言で、彼が先の騒動の場であんな表情を浮かべたことの合点がいった。
彼は、今日来たばかりの彼女に駐屯地の案内か何かでもしていたのだろう。
そして単に避難民同士の諍いかと思い騒動の場に足を向けたが、その場で起こっていたことは、カエデの傷跡についての話。
彼にしてみれば、やってしまった、というような表情を浮かべるのは当然のことだろう。
そして彼がそうなったということはつまり、少なくとも那須川さんが知る限りでは、自衛隊は彼女に俺やカエデのことを話すつもりがなかったと言うことでもある。
「それで、そのお偉い研究員さんは、どうしてこの駐屯地に?」
「あら、私はそんな偉くないわよ」
「さっきの話からはそうは思えないがな」
先程那須川さんを一言で黙らせたからには、それ相応の立場にあるだろうと考えてそう言うと、彼女は思いの外あっけらかんとした様子で首を振った。
「ま、その話は置いときましょ。取り敢えず、それに答える前に、今度は私からいいかしら」
「……なんだ?」
「柳木さん、あなた一体、何者なのかしら」
彼女は口元を緩ませ、興味深そうな視線を俺に送る。
正直、側から見て穏やかではない雰囲気のやりとりを続けているように思えるが、しかしその視線に敵意は全くと言っていいほど含まれてはいなかった。
「あの場であなたの存在はおかしかったわ。カエデちゃんに付いてた人達はあなたを頼っていたように思えたけど、どうしてか対応していた自衛官や彼も、あなたに随分と気を遣っていたように見えたのよね」
そう言って彼女は那須川さんを見ると、視線に晒された彼は唇を結ぶ。
「あの対応からして、ここの自衛官達はカエデちゃんのことも知っていたのよね?なんだかすごくおかしいわ」
「……」
「私の言っていること、当たっているわよね?」
その質問に那須川さんは答えず、その場にはわずかな沈黙が流れた。
彼女の言葉や、それに対する彼の反応からして、やはり自衛隊は彼女に何も話していなかったのだろう。
"俺のことを自衛隊以外には話してはならない"という約束を愚直に守っていたと言う訳だ。
そしてそうであるならば、那須川さんがこの場で口を開けないのも当然のこと。
「……俺は、那須川さんを助けたことがあってな、この駐屯地まで彼を連れてきた。以来、ここで仲間と共に自衛隊を手伝っている」
「あら、そうなの。ずいぶん頼りにされているのね」
嘘は、言っていない。
那須川さんの代わりに返された俺の言葉に、彼女はふうん、と俺と那須川さんを交互に見た。
まあ、さすがにこれで納得するとは、露ほども思っていない。
「それもあって、俺と一緒にいるカエデのことも、融通をきかせてもらっている」
「ふぅん……ま、いいわ。それで、私がここにきた理由だったわね……そうね、言ってしまえば、観光のようなものかしら」
その言葉に僅かに眉を上げると、彼女はくすりと笑って、言葉を続ける。
「なんて、言い方が悪かったわね。視察、とでも言えば聞こえがいいかしら」
それから語られたのは、ここより遥か北の地域のこと。
人口密度の低い地域であるそこの駐屯地の数々は、パンデミックからこれまで、ゾンビの襲撃から基地を守り抜いていた。
初期に内部からの崩壊をしたところもいくつかあったようだが、それでもこちらの地域とは違い、まだ複数の駐屯地が無事なのだそうだ。
現在彼女はその駐屯地の一角で、感染者についての研究をしているらしい。
時期的には俺がタケルやモモと行動を共にした頃だろうか、それまではここの駐屯地にいたようだったが、安全面を考慮して地方の駐屯地へと移動していたのだそうだ。
そして話によれば、彼女が昨日までいた地域では、走る感染者、グールの存在はまだ確認されていないらしく、それでこちらの方へと来たということだった。
「あっちの方でもそれの対策に色々と準備をしておかないといけなかったから、なかなか出て来れなくって。こんなに遅くなってしまったわ」
はあ、とひとつため息をついて、彼女は足を組み直す。
そして腕を組んで、片手を頬に当てては、物憂げな表情で視線を漂わせた。
「……なるほど。それで、ゾンビ共については何か分かったのか?」
「ゾンビ、ね。ふふ、まさにそう呼ぶに相応しいものよね、あれは」
俺の言葉に、彼女は小さく笑って視線をあげた。
「それが、何もわからないのよ。死んでる、と言うこと以外はね。だから、観光って言ったの、見ても結局何も分からないに決まってるもの」
「……」
「でも、対策くらいは出来るかもしれないじゃない?だから一応見にきたのよ。ま、好奇心の方が勝ってるのだけどね」
彼女のそのぼやきを聞いて、ひとつ、息を吐く。
「なあ、那須川さん、一つ聞きたいんだが。実際自衛隊は、萩さんの命令にどこまで従うんだ?」
彼女の話からして、少なくとも彼女はある程度は好き勝手出来る立場にいると想像は出来る。
しかし自衛隊が俺やカエデのことを秘密にし続けていたことから考えるに、彼女の言うような"そんなに偉くない"という言葉もまた当てはまっているように思う。
「……現在彼女は、自衛隊と協力関係にあります。自分よりも立場は上ですが、そうですね、自衛隊本部とほぼ同等と思っていただければ、と」
「……なるほど」
それならば、こうなってしまった以上は、ある程度は仕方がないと腹を括るしかないか。
何にせよ先の騒動が起きてしまったのであれば、何も話さず見せずにことを終えると言うのは、どうにも無理があるように思う。
「ある程度、事情はわかった。さて、それじゃあ……カエデの腕を見せる前に、いくつか条件を付けさせてもらおうか」
俺と那須川さんのやりとりを興味深げに見つめる彼女に向き直り、俺は口を開いた。
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